溶解牢固


「来るな……! 正真正銘の化物だぞ……!」


 硝煙の中でリィンが叫ぶ。駆け寄ろうと動かし続けていた足がぴたりと止まり、明らかに苦戦している戦況を睨みつけた。


「結社の執行者……!」
「って、子供まで!?」
「……そちらは知りませんがあちらの彼は最悪ですね」
「ハン……? そっちは黒兎だったか。それと……」


 《劫炎》の視線がアスティに止まった瞬間、愉快そうに細められた。


「あの小娘……ハッ、なるほどな。しかしよりによって《Z組》たぁ、趣味の悪ぃことをしやがる」
「は……?」


 まさか自分について言われるとは思ってもいなかったアスティが間の抜けた声を出した。当然アスティの記憶の中にここまで派手な風貌の男はいない。


「……お兄さん、もしかして私の知り合い? でもごめんねえ、私何にも覚えてなくってさあ」


 アスティが一歩一歩進み寄り、《Z組》の戦闘に立つ。人形兵器との戦闘で傷だらけの剣をすらりと引き抜き、刃を執行者へと向ける。


「良ければ教えてよ。君が一体誰で、私とどういう繋がりがあったのか」


 アスティが剣を構えるのとほぼ同時に、ユウナたちも各々得物を手にする。交戦を免れないことはしっかりと理解していたし、その意思は明らかだった。

 だが、アスティの問いに答えたのは《劫炎》ではなく、その隣の少年――《道化師》カンパネルラだ。


「悪いけど、それには答えられないかなあ。君はについてはまだだからね。下手に手を出したりできないのさ」
「経過観察……? あっ、もしかして昼間の魔獣は君の仕業か!」


 東クロスベル街道の沼地で現れた植物型の大型魔獣。エマ曰く結社の執行者のうちの誰かが仕組んだものだったが、今の声には聞き覚えがある。結界を張ってヴァリマールの召還を封じた彼のものとそっくりだ。


「フフ……でも、せっかくだからボクが相手をさせてもらおうかな? 軽いゲームだけならきっと許容範囲内だろうし」


 ぱちん、とカンパネルラが指を鳴らす。それをきっかけに彼の細い体はふわりと空気に溶けて消え、かと思えば瞬きにも満たない間にアスティらの目の前に現れた。

 一体どういう原理で動いているのかはさっぱり分からなかったが、どうにも彼にはそれを可能にする術があるらしい。思念波を遮断する特殊な結界を張れるのだから、それくらいのカードを持っていてもおかしくはなかった。


「っ……Z組総員! ミュゼにアッシュも! 二方向での迎撃を開始する! 死力を尽くして生き延びろ!」


 リィンとシャロンは《劫炎》と、アスティたちはカンパネルラとの同時戦闘だ。数の利はアスティ側にあるが、それが執行者相手に通用するかは自分達の腕にかかっている。向こうに殺害の意思がないことは理解しているが、軽傷程度で帰してくれるとは思っていなかった。

 人形兵器同様、ユウナ、クルト、アッシュの三名が前に出る。その間にアスティが上手く敵の視界から姿を消し、タイミングを見計らって奇襲を仕掛ける、お決まりの戦略だった。機械とは違い人間の視野には限界があるので、身を隠すことに関しては熟知しているアスティからすれば容易いことだ。

 今度は油断をしないよう、しっかりと戦いの様子を目に焼き付ける。仲間の眼すら欺くように、己の気配を焼却する。

 カンパネルラのアーツをアルティナが《クラウ=ソラス》で受け止め、その隙にクルトが反撃を仕掛ける。ミュゼの回復のタイミングも最適で、全てが順調に進んでいた。

 この流れに乗れるよう、アスティが死角と死角を渡り歩いてカンパネルラに近づく。逆手に隠し持ったつるぎを懐で光らせて。切っ先が彼の背中に届こうとする。

 その時。掻き消えていたはずのアスティの気配を読み取って、カンパネルラが指を動かした。


「チェ〜ンジっと!」
「え……」


 目の前に、《クラウ=ソラス》から離れたアルティナがいた。たった一瞬の間にカンパネルラとアルティナの位置が入れ替わっている。彼の術であることは明らかだった。

 道化師へ向けられていた筈の剣先が、アルティナの喉元に向かってぐんぐんと進んでいく。彼女のライム色の瞳が僅かに開かれて、アスティの双眸と至近距離でかち合った。この距離では、アスティが止まるのもアルティナが戦術殻を呼び出すのも間に合わない。


「逃げ……!」
「させない――!」


 ガキン、と目の前で火花が散った。

 アスティの振るった剣は彼女の方へ流れることなく、間に入ったユウナのガンブレイカーによってせき止められている。ブルブルと刀身の振動が手に伝わると同時に、アスティの背筋を冷や汗が伝った。


「ありがとユウナ! ごめんアルティナ、怪我は!?」
「いえ……問題ありません。ありがとうございます、ユウナさん」


 すぐに剣を引いたアスティがアルティナに駆け寄る。遅れて出てきた《クラウ=ソラス》が戦術核の言語で何やら彼女に声をかけている様子だが、当然アスティには読み取ることはできない。アルティナはお気になさらずとだけ伝えると、引き続きアーツでの支援を再開した。

 遠く離れた場所で、カンパネルラの笑い声が響く。


「アッハハハ、ひどいことするなあ!」
「……、私に友達斬らせようとしたな」


 かっと血が熱くなった。射殺す勢いで睨みつけるが、当の本人はしたり顔を崩さずこちらの出方を伺っている。

 昼間接触してきた頃から虫が好かないと思ってはいたが、実際に刃を交えればそれはさらに深まった。個人の戦闘能力は向こうでリィンと対峙している《劫炎》ほどではないにしろ、《道化師》のほうがより人間を理解している気がした。搦手を使い、人が嫌がる一手を的確に指してくる手腕。《紅の戦鬼》の方がいくらか好きになれそうだ。

 だがアスティは、その奥のある一点を見つけると、にやりと口角を上げて指をさす。


「でも残念。油断してると足元すくわれるぜ、お坊ちゃん」


 女子学生らしい言動から一変したことにカンパネルラが僅かに目を開いたのも束の間、背後でジャラリと鎖の音が微かに鳴った。刹那、カンパネルラの体目掛けて鉤状の刃が放物線を描いて飛んでくる。アッシュの持つヴァリアブルアクスのヘッド部分だ。

 カンパネルラにとっては十分対応できる速度だったので、防御ではなく全く同じ手を利用しようと考えた。生徒のうちの誰かと己の場所を入れ替えてやろうと、姿も見ずに適当な人物に術を施す。視界が一転、刃が生徒の一人に激突する様子が目に映る。

 再び、ガキンと火花が散った。アッシュの槍斧と、どういうわけか既に防御態勢をとっていたクルトの剣との間で。


「あれ……?」


 何かがおかしい、とカンパネルラは咄嗟に感じた。だが思考をまとめる隙を与えることなく、移動した先にユウナが飛び込んで一撃を食らわせる。体勢を崩した彼にアルティナが間髪入れずに追撃を入れ、広いフィールドの端へと追い込んだ。

 戦術リンクを最大限生かした、即席の戦術だった。それぞれアッシュとクルト、ユウナとアルティナ、ミュゼとアスティがペアを組み連携を取っている。相手が自分達と位置を入れ替えて攻撃を回避しているのなら、味方一人の攻撃に合わせて防御を取れば入れ替えられても問題はない。そしてあくまで“入れ替え”であるから、次にカンパネルラが出現する場所は予想ができる。

 アッシュの最初の攻撃に合わせて、他全員が一度防御体勢をとった。誰が入れ替えられるかは完全な賭けだったが、アスティには何故だか自信があった。だってついこの間まで、こと賭け事に関しては非常に優秀な家庭教師がいたのだから。

 反撃をしようとアーツを編み込んだカンパネルラの腕を、間髪入れずにミュゼが撃つ。続けてアッシュとクルトが戦術リンクで流れるように翻弄し、さらに追い込んでいく。《Z組》側が圧倒的に有利なのは誰が見ても明確で、この状況で彼がとれる手は一時撤退のみだった。

 術を発動し、瞬時に彼ら彼女らから距離を取る。戦場を《劫炎》に巻き込まれないギリギリのラインで最大限使っているため、一度端に移動した《Z組》が追い付いてくるには数秒の時間を要するだろう。カンパネルラにとってはその数秒で十分時間は稼げた。

 その一瞬の油断。

 《Z組》を撒き、自身を整えるだけの余裕ができたことにより生まれた僅かな死角。

 カンパネルラの背後で、アスティが空気の中から姿を出した。


「忠告、したからね」


 アスティの瞳が赤く染まる。ドクンと全身の血管が脈打ち、箱を被せられたように耳が音の侵入を拒んだ。

 踏み出した足に熱が集まる。黒いモヤがじわりと肌を侵食し、着地点から放射状に床にヒビが走る。

 人間離れした速度に身を任せ、アスティは出せる力の全てを片足に込めて、ぐるりと体を捻った。例の“力”と遠心力を乗せた足がカンパネルラの脇腹に食い込み、体を吹き飛ばす。


「かはッ……!」


 宙に浮きながらもカンパネルラは再度術を発動し、また別の場所に着地した。アスティが深追いすることはなく、追いついたユウナたちを肩を並べて剣を握る。


「っ、……一本取られたな。お仲間がみんな移動したのに、君一人だけずっとここに隠れてたわけか」
「そーゆーこと。どう? 君好みの姑息な戦法でしょ」


 肩で息をするカンパネルラと、満足げに立つアスティ。因果応報というべきか、両者の立場はものの数分で逆転していた。

 このまま彼を制圧してしまうことも容易いだろう。満身創痍の執行者一人と、それなりに実力もある士官学生六人。ここで拘束して、結社がクロスベルで何を目論んでいるのか聞き出そうとアスティが前に出た。

 しかし、何かに気付いた様子のミュゼが差し迫った様子で静止を呼びかける。


「待ってください! 様子が……」


 ビリ、と電流が肌を突き刺す感覚だった。その違和感は全員共通のものだったらしく、ユウナたちと一度顔を見合わせる。

 正面で、カンパネルラが微笑んだ。


「フフ、なかなか楽しい子たちじゃない。……だったら、ちょっと本気を出させてもらおうかな」


 月が爛々と輝いていたはずの空間をあっという間に雲が支配する。自然の光が遮られたことで、今アスティたちを照らしているのはオルキスタワーの屋上照明だけとなった。

 それからまもなくして、パッと視界の明度が上がる。雲が通り過ぎたのかと思いきや、それはゴロゴロと不吉な雷鳴を引き連れて点滅していて。あの稲妻が自分達を狙っているという事は瞬時に察した。

 天候を一時的に再現するほどの強力なアーツ。それに対抗できるものを、アスティたちは持っていない。


「! みんな、身構えろ!」
「いやいやいや、身構えろって言われても……!」


 あんなの防ぎようがない。

 アルティナが《クラウ=ソラス》で障壁を張るが、それがほとんど意味を為さないことは悟っていた。

 「そ〜れ!」と場に似合わない道化師の愉快な笑声と共に、空が光る。いかづちが落ちる。裁きの如く降り注いだ雷が身を焦がし、感覚を奪い、激痛をもたらした。

 アーツの効果が終わりを迎えた時、立っていられた者は誰もいなかった。《クラウ=ソラス》の障壁は見事に砕け散り、比較的タフなアッシュも膝をついている。


「くっ……!」
「邪道だが……強い!」
「ふふっ、なかなか愉しめたかな?」


 全身が痺れて思うように体を動かすことができない。演習で一度体力を消耗しきったアスティの体が持ちこたえられたのが奇跡だった。このまま二撃目を打ち込まれた場合、今度こそ本当に倒れかねない。

 目だけを動かして周囲を見渡す。はるか遠方でリィンも同様に膝をつき、シャロンも手ひどい火傷を負っている。この状況で過度な期待は寄せていなかったが、彼らの助力は望めそうにない。

 ならば己の奥の手を出すか。先ほど回し蹴りを繰り出す瞬間だけ解放した力を使えば、一発逆転も狙えるかもしれない。だがそれでカンパネルラを退かせられたとしても、《劫炎》の方がこっちを狙って来てしまえばそこまでだ。今の実力を最大放出したとしても、あの化け物じみた炎に勝てる気が一切怒らない。そう本能が叫んでいた。

 どうにかこの場を脱出する方法を、と考えたその時、リィンとシャロンを挟んだ反対側に魔方陣が三つ展開された。


「――そうはさせないわ!」


 直後、炎を纏った矢が《Z組》の前を横切る。予想外の襲撃にカンパネルラは一度引いて《劫炎》の近くに寄ると、続けて銃が発砲されたことでさらに一歩退いた。

 立っていたのは、アリサ、マキアス、そしてエマの三名。現在クロスベル州に来ているとされる《旧Z組》の救援が間に合った様子だった。

 同じ色の魔方陣が今度は燃え盛る揚陸艇の上空に展開され、そこから無数の雨が降り注いで火の手が勢いを消す。しかし完全に鎮火された後の揚陸艇の姿は昼間演習地のモニターで見た時と然して違いもなく、多少細部が焦げ付いているだけだ。


「あれ……?」
「殆ど燃えていない……?」
「幻術の炎……そんな所でしょうか」
「へえ、鋭いじゃない」


 気付けば、呆気にとられるアスティの横にセリーヌがいた。首元の鈴を鳴らして瞳を閉じると、エマが出したものと全く同じ紋様で色違いの魔方陣がアスティたちの足元に開かれる。雷のアーツが直撃した傷がみるみるいちに塞がっていき、体の痺れも和らいでいった。


「あ、エマさんの……!」
「しゃ、喋りやがった……?」


 アスティたちは特務活動中に一度目にしていたが、アッシュとミュゼは生まれて初めて見る光景だろう。人間の言葉を話す猫なんて普通に暮らしていればまずありえない存在だ。自分も初対面では大方同じリアクションだったことは棚上げし、アスティは少しだけ得意気になった。

 ――けれど、どうしてか頭が痛い。

 戦術オーブメントによる回復アーツとは比べ物にならない精度の治療を受けている筈なのに、頭痛だけがじわりじわりと近づいてくる。片手で額を押さえてみても、痛みは弱まるどころか強くなる一方だ。

 何故こんな時に。脳内で当たりようのない怒りを散らしつつ、前を見る。

 ここはオルキスタワー最上階。地上250アージュの地点。落ちたらひとたまりもない場所を駆ける風がぶわりとアスティの肌を拭う。

 ズキン、と痛みが脳を叩く。視界がフラッシュし、脂汗が滲む。

 流れる雲と、風。鉄の塊の上での、炎との対峙。

 それは、確かに。


「………………思い、出した」
「アスティさん……?」


 ぼそりと呟いた声は、風に乗ってアルティナの耳に届いていた。アスティの目つきはすっと晴れていて、それでいてどこか寒さを感じさせるものだ。


「クク、内戦の時よりもそそらせてくれるじゃねえか。面白ぇ、折角だからこのまま第2ラウンドでも――」
「――その第2ラウンド、私に預けてみない?」


 《劫炎》の手から炎が生み出される間際、アスティがすくりと立ち上がった。五体満足までに回復した体を動かして、自ら魔方陣を出る。


「あ……?」
「アスティ、何してるのよ……!?」


 ユウナの声は悲鳴にも近かった。さもありなん、あのリィンですら動けなくなった《劫炎》相手に、まともに武器も構えず歩み寄って、あろうことか宣戦布告までしているのだから。

 エマの後ろに下がったリィンが無茶だと声を張り上げる。だがアスティは怖気づくでもなく、ましてや慢心するでもなく、ただただ真っ直ぐに《劫炎》を見据えていた。


「……サイアク。こんなことってある? まさか最初に思い出した人が君だなんて」
「え……?」
「《劫炎》のお兄さん……いや、マクバーンだっけ? 久しぶり。元気にしてた?」


 ひらりと手を振ったアスティを見て、リィンも、新旧Z組も、結社の二人も言葉を失った。

 一瞬、全ての言葉がはったりで、アスティが何かしらの戦法を企んでいるのだとリィンは思った。だが彼女が“マクバーン”とはっきり口に出したことで、それは否定されている。彼はアスティが来てから、一度も自身の名を名乗っていないのだから。


「クク……ハハハハハ! おい小娘! 記憶喪失なんじゃなかったのかよ!?」
「いやいやまだ全部思い出してないよ。単に君と戦ったことあるなってそれだけ。だからサイアクって言ったんじゃん」


 アスティが腰に手を当て、くちびるを尖らせて不満をあらわにする。

 どうせなら別の人と、もっとムードのある中で思い出したかった。その方がロマンチックだったのに。


「それで、どう? 私との一騎打ち、受けてくれる?」


 自分が勝手なことをしているとは分かっていた。今ここでアスティが前に出なくとも、増援が来るまでの時間稼ぎ役はエマ達《旧Z組》が買って出ていた事だろう。実力を考えればそちらが妥当だったのかもしれない。なのでこれは、とても最善手とは言えない展開なはずだ。

 けれどマクバーンの、《火焔魔人》としての力を思い出して、アスティはチャンスだと思った。

 廊下にいた時に感じた最上階への違和感は、確実に自分の中の力がマクバーンに引き寄せられた結果だ。どちらも正体不明なものではあるが、性質自体は近いものなのかもしれない。リィンの中に眠る力のように。

 だから《火焔魔人》との戦いは、自分の力を確かめる絶好の機会でもある。マクバーンと、リィンと、アスティ。似た力を持つ三人のうち、完璧に使いこなせているのはマクバーンしかいない。付き合ってもらうなら彼だ、と。そう今の一瞬で判断した。

 最大の問題は、彼がこの誘いに乗ってくるかどうかだったが。


「……いいだろう。ちょいと物足りねえが、あの小娘がどこまで成長したのか見せてもらおうじゃねえか」
「あはは、良かった。面倒見がいいところは変わってないねえ、《劫炎》のお兄さん」


 問題はなさそうだった。

 マクバーンの手に火球が生まれる。ぶわりと熱波が襲い、彼とアスティの周りを炎が取り囲む。


「下がるんだ、アスティ! 今の君が勝てる相手じゃない!」
「教官。まー、勝てないのは重々承知の上なんですけどね。でも私の目的は勝つことじゃなくて……」


 息を整える。まだまともに使ったことのない、体内のそれ。

 ――アスティの中には、檻がひとつ置かれている。

 鍵はかかっていない。扉は中途半端に開かれている。檻の中で蠢くそれは、少し押すだけで簡単に出ることができるのに、大人しく檻の中に収められている。

 アスティは膝をつき、檻の中に向かってそっと囁いた。

 食べていいよ、と。


「…………アスティ……?」


 ユウナが名を呼んだ時、アスティは既にそこに立っていなかった。

 風に吹かれた炎が嵩を増したたった一瞬で、彼女はマクバーンと僅か数十リジュの距離を走っていた。

 銀の瞳は、熱した鉄へと赤く様変わりをさせて。左手を中心に黒いモヤが滲み出て、彼女の進んだ軌跡を真っ直ぐに線引いていた。

 獅子よりも猛々しく。豹よりもしなやかに。

 並みの人間のそれを越えた彼女の動きは、きっと“獣”の名にふさわしい。





ALICE+