鳴いた獣と泣いた人


 激闘という言葉の意味が生温いものになっていく過程を、ユウナはその眼に焼き付けていた。

 達人同士がぶつかり合うものとは方向性が違う。《光の剣匠》や《黄金の羅刹》のような長い月日で研ぎ澄まされた武の極地ではない。まるで二匹の獣が互いに戯れあっているような、礼節も秩序もない戦い方だった。

 だが、空間を広く使って攻撃と撤退を交互に仕掛けるアスティに対して、マクバーンはその場から一歩も動くことなく彼女の攻撃を軽くあしらっている。優勢は常にマクバーンで、アスティには1リジュの余裕もない。

 マクバーンはそれが気に食わなかった。


「……なんだぁ? その力の使いようは!」


 やがて痺れを切らしたようにマクバーンが炎を潰し、警戒したアスティが一度引いて攻撃の手を止める。姿勢を低くして着地し、頬筋に伝った汗を乱雑に拭った。


「30……いや20%くらいか? その程度じゃ引き出したところで暴発以外の何にもならねぇよ」
「……はぁ……は、……うっさいなあ、もう……それ以上出せるもんなら出してるんだよ……!」


 今引き出している不思議な膂力の源が一体何なのか、アスティ自身もよく理解していない。目隠しされた状態で物を掴もうとしたところで、どこを持てば危険がないのか、どの程度握っても壊れないのか、それが分からないのならば恐る恐る触るしかない。

 きっと、全てを一瞬で解放することは可能だ。だけどそうした時、後ろにいるリィンやユウナたちはどうなる?

 アスティが自身の力を満足に使えない枷はそこだ。ここが荒野で、思う存分壊し尽くしても良いのなら、きっとそうしただろうけれど。少なくともアスティが“ただのアスティ・コールリッジ”であろうとするうちは、まだその枷を壊すことはできない。

 とはいえ、これではジリ貧だ。見る限りマクバーンに消耗はない。一方、アスティの顔には順調に疲れの色が現れている。その場にいる誰もが分かっているだろう。これでは、アスティに軍配が上がることはないと。

 だがアスティに譲る気はない。無謀だと叱られ、我儘だと罵られようと、マクバーンの相手を他の誰かに譲る気はなかった。

 だってこれは、アスティ自身のための戦い。アスティが己の“力”の輪郭を掴むのに必要なことだからだ。


「――小娘。俺とお前の性質は同じように見えて根幹は違ぇ。が、使い方は同じはずだ」
「……へぇ。じゃあ、どうすればいいのか教えてくれるってことかな。《劫炎》のお兄さん」


 アスティの文字通り真っ赤に染まった瞳が挑発的に細められる。とはいえそれはただの見栄だ。マクバーンはそれに気づいているのかいないのか、小さく鼻を鳴らすと灯火程度の小さな炎を指先に出現させた。


「お前はまだ細かい出力調整ができるほど“それ”を使いこなせてねぇ。体がまだ馴染んでねえんだ。今のままじゃ精々自分諸共吹き飛ばす自爆装置が限度だろう」
「馴染んで……」
「それに関しちゃ慣れしかねえ。だが今の状態でどうしても使いたいんなら、せめて“タイミング”を見極めることだ」
「!」


 タイミング。そのたった一言で、アスティはマクバーンが言わんとしていることを全て理解した様子だった。

 ふう、と息を整え、姿勢を正す。

 何も、特殊なことをする必要はなかった。今までだって何度か無意識下で行っていただろう。サザーラントの演習地でシャーリィやデュバリィと対峙した時も、ハーメル廃道で人形兵器の攻撃を凌いだ時も、先程カンパネルラに一撃食らわせた時もそうしていたはず。

 必要なその“一瞬”のみに最大限の力を注ぐ。1〜30%の間で微調整ができないのなら、0か100のどちらかだ。


「……そっか。ありがと、《劫炎》のお兄さん」


 そう呟いたアスティの顔は、憑き物が落ちたかのように清々しかった。

 すっと剣を下ろした姿はその場だけ見ると戦闘意欲を失くしたようにも見える。アスティの興奮を表すように真っ赤だった瞳も、いつの間にか元の灰色に戻っていた。


「ちょっとだけ、分かった気がする」


 その言葉と共にアスティは再びマクバーンに近づいた。あろうことか、赤子の傍を歩くかのようなゆったりとした足音で。二人の距離は最低でも15アージュ以上は離れている。

 攻撃の手を止めて、一体何をしようというのだろう。傍観に徹するしかないユウナの頭に疑問符が浮かんだその瞬間。

 アスティは、マクバーンの目の前にいた。


「!? 速い――」


 クルトの口から思わず声が漏れる。アスティが消えた地点では彼女が踏み出した一歩分だけ屋上床にヒビが入っていた。道化師の転移術とは根幹から違う、万力の脚力によって行われる力押しの瞬間移動。その速度にはマクバーンもサングラスの奥で目を見開き、次のアスティの攻撃を避けるために体を後方へ逸らした。

 間一髪。アスティからすれば一歩及ばず。真横に振るったアスティの剣はマクバーンの髪を多少切り落とした程度で、ダメージを与えるには至っていない。

 数歩後ろに下がって即座に持ち直したマクバーンは「そうこなくっちゃあな!」と大層気に入った様子で口端を吊り上げた。


「なかなか飲み込みが早えじゃねえか。これでようやく、第二ラウンドといけるかぁ!?」
「あ、いやいいよもう。学べることはもう学びきったんで、そろそろ帰ってくれないかな!」


 炎の連弾。マクバーンの攻撃を持ち前の身軽さで躱している間も、アスティには言葉を交わすだけ多少の余裕があった。しかしその双眸は攻撃パターンを読み切るため右へ左へと忙しなく動き、炎の切れ目を伺っている。

 その様子を見て、ユウナは先程との相違点に気づいた。

 今攻撃を回避しているアスティは、マクバーンと相対した直後の彼女よりも動きが遅い。獣の体躯かとも思えた速度や威力は嘘のように、言ってしまえば普通の人の範疇に収まる動きだった。あまりの速度に目が慣れてしまったせいか、時間の流れが遅くなっているのかと錯覚してしまう程に。

 しかし、そうかと思えば時折高速移動を開始する。それを見てリィンは、なるほどそうかと素直に感心した。

 力を引き出す瞬間を限界まで絞っている。多少人間離れした動きができたとしても、正真正銘の人外であるマクバーンがそれに対応するのは苦ではない。そのため、戦闘速度の緩急を激しくすることで彼の感覚を狂わせているのだ。

 慣れ、というものは全生物共通だ。遅い動きに慣れてしまった後で急に最高速度を出されると、いくらそれが可能だと分かっていたとしてもほんの少しだけ出遅れてしまう。それがマクバーンも分かっているから、迂闊に攻撃一辺倒になるはできない。


「クク、小生意気なところは変わってねえじゃねえか。せっかくだ、一発くらい食らっていけよ」
「だからっ、もういいって言ってるでしょ! この――」


 アスティの瞳が赤く光る。“力”を引き出す証だ。


「――戦闘狂、がっ!」


 アスティが高く、高く跳び上がる。夜空を背景に剣を振り上げ、その切っ先を真下のマクバーンへと向けて――全体重に“力”のブーストを乗せて急降下した。

 まるで隕石だった。アスティが屋上に着地した途端、そこから円状に衝撃と粉塵が波紋する。彼女を中心に床は凹み、亀裂はユウナたちのいるすぐ傍まで伸びていた。


「……ふう。危ねえ危ねえ」


 アスティの数アージュ先。一連の出来事を静観していたカンパネルラの隣でマクバーンが喉の奥で笑いながら立ち上がった。どうやら間一髪のところでまたしても避けられたようで、アスティは床に垂直に突き刺さった剣を握ったまま内心舌を打つ。

 アスティとマクバーンの攻防に一区切りがついたところで、カンパネルラはようやく口を開いた。


「やれやれ、経過観察中って言ったのに。……まあ、どう転んだとしても多少筋書きが変わる程度だから問題はないんだけどね」
「? 筋書き……?」
「それより、そんなに急に力を使って大丈夫?」
「え………………ぁ、ぐぅ……!?」


 彼の言葉に首を傾げたのも束の間。アスティの四肢に鋭い痛みが走った。

 剣の柄から反射的に手を離し、バランスを崩してその場に倒れる。「アスティ!」と叫んだユウナがセリーヌの結界から抜け出して駆け寄り、互いに膝をついた状態でその肩を支えた。


「アスティ……!? アスティ!」
「……いたたた。反動があるのはお約束ってことね」


 ユウナの方へ体重を寄せながらアスティが呻く。

 マクバーンの言葉通り、アスティの体はまだこの力に馴染み切っていない。ようは使い過ぎだ。

 ピクピクと指先を動かすのが精一杯なアスティを見て、マクバーンは自身の熱が一気に冷めていくのを感じていた。彼女はもう戦える状態ではないだろう。戦闘不能の相手をさらに痛めつけるのも興に乗らない。

 マクバーンはアスティから視線を外して奥のリィンや旧《Z組》に目を向けると、まだ余裕があると言うように右掌を開閉させた。


「さて、小娘は脱落か。次はどいつが……」
「――そこまでだ、結社の諸君!」


 アスティたちの記憶に新しい男の声が周囲に響く。彼女らの耳に間違いがなければ、祝賀会の前に分校生全員の前で挨拶をした視察団の団長、オリヴァルト・ライゼ・アルノール。彼の声だ。

 それが突撃の合図のように続いて数名分の足音が聞こえはじめ、彼らは《Z組》を庇うように立ち塞がる。


「殿下! 先輩たちも……!」
「ランディ先輩!」
「大丈夫!? リィン君に皆も!」


 先陣をランドルフとルーファスが。それを援護するようにトワ、ミハイル、そして数刻前には《Z組》の前でおよそ一国の皇子とは思えない愉快な振舞いを見せていたオリヴァルトまでもが導力銃を構えている。

 支援役として周囲の状況把握に努めたトワの視線が倒れかけのアスティに止まり、顔を真っ青にしてすかさず駆け寄った。


「アスティちゃん、その怪我……!」
「トワ教官……すみません。ちょっとうっかりしてて」
「もう……! 無茶はしちゃだめだよ……!」


 トワが狼狽えながらも的確に回復アーツを使用する。とはいえアーツで治療できるのはマクバーンとの戦闘中にできた火傷のみで、アスティの四肢を未だに蝕む反動はそれでは消せそうもない。


「お馴染みの道化師君に……《火焔魔人》殿だったか」
「クク、そういうアンタは《放蕩皇子》だったか。ただの皇族のクセに妙な魔力を感じるじゃねえか?」
「フフ……古のアルノールの血かな? そしてそちらが……噂の《翡翠の城将ルーク・オブ・ジェイド》殿か」
「ハハ、そちらの呼び名で呼ばれるのは新鮮だが――」


 カンパネルラに目を向けられてもルーファスは堂々とした様子で、《結社》など脅威でもないかのように騎士剣を彼へ向けた。


「この総督府タワーは現在、私の管理下にある。礼儀は弁えてもらおうか、《身喰らう蛇》の諸君……?」


 ぞわり。殺気を向けられているのは自分ではない筈なのに、何故かアスティは悪寒に震えた。やっぱりこの人苦手だなあ、と顔を引きつらせたまま様子を伺う。

 だがルーファスの鋭い眼光を結社の二人はものともせず、カンパネルラはどこか楽しそうに声を上げて笑った。


「でも、そろそろ時間切れかな?」
「アンタとは一度やり合ってみたかったが……目当ての連中は釣れなかったし、あくまで今日は“前挨拶”だ」


 マクバーンがそう告げると、カンパネルラは指を鳴らした。直後、二人の姿は揚陸艇の真上に立ち月の逆光を浴びた。


「それじゃあ今宵はお付き合い下さり――」
「待ちたまえ」


 そのまま転移術で消えるのかと思いきや、それを阻む男が一人。先ほど救援に駆けつけた時同様、オリヴァルトだ。


「折角だ。手土産の一つくらい置いていってもらおうじゃないか。“情報”という名のね」
「うふふ……何が聞きたいのかな?」
「言うまでもない――“目当ての連中”というのは何者だ? そして、どうしてこの地に来ている《深淵の魔女》どのがそこにいない?」
「――もしかして《結社》と袂を分かったんじゃないの?」


 セリーヌがほぼ確信した様子でそう尋ねると、カンパネルラは満面の笑みで「大正解!」と手を叩いた。

 アスティら《新Z組》には聞き馴染みがないが、どうやら《旧Z組》の関係者に《深淵の魔女》という人物が存在していたらしい。話を聞く限り彼女は結社の使徒であったが、他の使徒達との方針に食い違いがあり、そのまま出奔してしまったのだとか。


「……《深淵の魔女》…………」


 隣にいるユウナがぎりぎり聞き取れるかどうかの声量でアスティが呟いた。

 この帝国に魔女と呼ばれる存在がいることは知っている。今日の特務活動で知り合った《旧Z組》のエマがそうだ。

 しかし裏を返せば、それは今日まで魔女という言葉が指すものを知らなかったことになる。だが――アスティはそれにどこか引っ掛かりを覚えていた。

 《深淵の魔女》。もう一度その名を口に出してみる。やはり、この発音は他と比べてどうにも馴染む。まるで以前から何度もその名を呼んでいたかのような。


「それだけじゃないだろう。“目当ての連中”――それ以外にもいるという表現だ」


 てっきり《深淵の魔女》の話でうやむやになるかとも思われたが、オリヴァルトはきっちりと本筋に戻すことを忘れない。

 現在クロスベルは、情報局と鉄道憲兵隊TMPによって猟兵関係者は徹底的に締め出されている。つまり、前回のサザーラント演習のように《西風の猟兵団》が絡んでくることはない。執行者であるシャーリィはともかく、《赤い星座》が関わってくることも。となれば、現在クロスベルに潜伏しているのは全く別の組織ということになるのだが。

 その時、カンパネルラがもう一度指を鳴らした。空気の揺れる重低音がアスティ達の鼓膜をかすかに揺らすと、突然月の光が弱まった。

 しかし空を見上げてすぐに、弱まったのではないと理解した。遮られたのだ。

 ハーメル廃道で現れたような、巨大な人形兵器の影によって。


「アルティナ……! エマにセリーヌも……!」
「了解です……!」


 リィンに名前を呼ばれた二人と一匹が咄嗟に皆の前に立ち塞がり、防御壁を展開した。その直後、人形兵器が真下の揚陸艇へ向けて急降下する。

 人形兵器と揚陸艇。二つの鉄の塊の重量はほとんど変わらないように見えた。今回の人形兵器は前回のそれよりも細身のフォルムをしていたため、もしかすると人形兵器の方が軽いかもしれない。

 だが人形兵器を真っ向から受け止めた揚陸艇は真っ二つに割れてしまった。接触した地点は修復不可能なほど潰れており、もうこの艦がこの先空を泳ぐことはないだろう。


「《神機アイオーンβU》――新たに作られた後継機ってわけさ」
「ま、《至宝》の力がねぇから中途半端にしか動かせねぇけどな」

 
 いつの間にか揚陸艇から移動していた結社の二人が丁寧に解説する。

 前回に引き続き、結社の目的は実験。情けのような手札の開示に見せかけて、これは二人からの宣戦布告、あるいは挑戦状だ。今回はこれを使うから、止められるのならば止めてみろ、と。


「それじゃあ、今夜はこれで――」


 それ以上の情報提供は過剰だと判断したのか、カンパネルラは改めて転移の術を発動させる。

 だが、またしてもそれは別の人物の叫びによって阻まれた。今度はオリヴァルトではない。アスティのすぐ隣――ユウナからだ。


「――ふざけないでよ!」


 思ってもみない人物の介入に皆目を丸くした。カンパネルラでさえ予想していなかったのか、うすら笑いを浮かべる顔に多少驚きの色を混ぜている。

 全身に怒りを滲ませながら前に歩み出るユウナに危険だと声をかけようとした。だが彼女の握りしめた拳が震えているのを見て、アスティは何も言えなくなる。思い出すのは、甘える弟と妹を抱きしめる彼女の姿だ。


「黙って聞いてればペラペラと……クロスベルで……あたしたちのクロスベルに来て勝手なことばかりして……! 結社だの、帝国人が寄ってたかって、挙句にそんなデカブツまで持ち出して! 絶対に――絶対に許さないんだから!」
「ユウナ……」


 クロスベルでの演習が決まった時から、彼女が暗い感情を胸の内に溜め込んでいることは皆気づいていた。だけどアスティはユウナに気遣うことはできても、ユウナに共感することはできない。アスティには記憶がなく、故郷もない。帝都の屋敷はふるさとと呼ぶにはいた時間が短すぎた。だからいくらユウナに寄り添おうと思っても、何も知らないアスティでは慰めすら仮初のものにしかなれなかった。

 クルトもアルティナも眉を下げてユウナの背中を見守る中、彼女の眼光の先にいる道化師はクスクスと鼻で笑う。


「威勢のいいお嬢さんだなぁ。クロスベル出身みたいだけどどう許さないっていうのさ? お仲間に頼らないで一人で立ち向かうつもりかい?」
「お望みなら一人でもやってやるわよ! それに――クロスベル出身はあたしだけじゃない! 《特務支援課》だっているんだから!」


 ガンブレイカーを構えて叫ぶユウナの言葉に、アスティは思わずランドルフに目を向けた。きっとアスティだけではないだろう。彼がクロスベルの《特務支援課》所属であった事など分校関係者ならばほとんどの者が知っている事実だった。

 だがランドルフは何も言わない。口を固く閉じ、何か後ろめたいことがあるように目を伏せる。

 その表情を見てアスティは、同じだと思った。デアフリンガー号のミーティングルームで見せたあの顔と。話したくても話せない。言及されそうになるたびに苦しくなる。自分と話す時のレクターやクレアに少しだけ似ている、あの顔。


「うふふ、特務支援課か。確かに手強い相手だけど――そちらの総督閣下の指示で拘束されてなかったらの話かな?」


 ユウナの腕から力が抜けた。カンパネルラを睨んでいた瞳からは闘気が消え、信じていたものがガラガラと崩れ去る音が脳を支配する。ガンブレイカーも下ろして棒立ち同然になった彼女の耳に「まさか……ミシュラム方面の動きって……」とトワの呟きが飛び込んだ。

 クロスベルきっての観光地と名高いミシュラムは、現在クロスベル軍警と鉄道憲兵隊によって封鎖状態にある。その原因は視察団来訪による警備強化だと判断していたが、カンパネルラの一言が加わったことで新たに推測の余地が生まれた。

 ミシュラムに入れないのではなく、ミシュラムから出さないための封鎖。すなわち、《特務支援課》の関係者全員をミシュラムに拘束したのではないか、と。

 そう結論が出れば、自ずと視線は一方に集まる。それを指示したはずのクロスベル現総督、ルーファス・アルバレアへ。


「フフ……拘束している訳ではありませんが。ミシュラム一帯を“鳥篭”に見立ててバニングス手配犯と《零の御子》、《風の剣聖》や《銀》を閉じ込めた。ノエル少尉やセルゲイ課長など支援課に属していた軍警関係者にもミシュラムでの待機任務に付かせている。――そうだな、ミハイル少佐?」
「ええ……マクダエル議長やお孫さんも例外ではありません」
「ど、どうして……なんでそんな……」
「アハハ! 決まってるじゃない!」


 ユウナの問いに答えたのはカンパネルラだった。ルーファスよりもはやく、悪戯に絶望を撒き散らすように、クロスベルで今起きている真実を彼女に突きつける。


「――彼らに勝手に動かれて“事件”を解決されないためだよ! 特務支援課なんていう過去の英雄、帝国の統治の邪魔でしかないからね! かといって下手な罪状で捕えたら市民感情の悪化を招く! だから生かさず殺さず、徐々にフェードアウトしてもらおうと総督閣下は考えてらっしゃるのさ!」

「――本当なら彼らごとき、“いつでも”始末できるのにね?」


 パキン、とユウナの心に亀裂が入る音がした。膝から崩れ落ちたユウナにアスティとアルティナ、クルトが駆け寄ったが、自分の名を呼ぶ声ももうほとんど聞こえていないようだった。

 呆然と床を見つめるリーフグリーンの瞳は透明な膜を張りながら揺れている。名前を変えられた母校。上空を飛ぶ帝国の艦。取り外されたクロスベルの旗と、代わりに掲げられた黄金の軍馬エレボニア。ユウナが好きだったクロスベルが帝国に塗り潰される光景が脳裏に蘇った。

 丁度その頃、下の階の対処を終えた他の分校生たちとアルフィン、エリゼが屋上へと到着した。その様子を見たカンパネルラが「今度こそ幕引きかな」と告げ、揚陸艇に鎮座していた人形兵器を再浮上させる。


「じゃあな、クルーガー。灰色の小僧に放蕩皇子。それに小娘も」
「今宵はお付き合い頂き――」
「あっ、待って!」
「……やれやれ、まだ何かあるのかい?」


 カンパネルラの口上を遮ってアスティが呼び止めた。何度も引き留められたせいか鬱陶しさを声に滲ませる彼を見上げ、アスティは臆することもなく疑問をぶつける。


「さっきも、それに昼間の魔獣の時も、“経過観察中”って言ってたでしょ。あれってどういうこと? 知らない間に監視されてるってたまったもんじゃないんだけど」
「ああ、それか。けど、生憎それに答える権限はボクにはないんだよね」
「権限……?」
「心配せずとも、いずれその力の正体に辿り着くさ。嫌でもね」


 嫌でも、と言った道化師にはまるでアスティの未来が見えているかのようだ。何も知らない、知らされていない憐れな生きものを見る目だった。

 馬鹿にされているのかと思い、アスティはかっと一瞬で頭に血が上る。だがこの場、この状況で彼に挑んだところで勝ち筋はなく、情報を聞き出せる保証もない。


「でも個人的には趣味が悪いと思うんだよね、のやり方は。だから特別大サービスとして、ひとつヒントをあげようかな」


 そう言ったカンパネルラは一拍置き、再びアスティを見下ろして口を開いた。


「――獣の力ジェヴォーダン。君のその力を、ボクたちはそう呼んでる」


 そう言い残し、結社の二人は蜃気楼のように姿を消した。残された人形兵器は風を巻き起こしながらどこか遠くへ飛び去り、空の彼方へと立つ。先ほどまでこの場で彼らと対峙していたのが嘘のような静けさだった。だが屋上の中心で真っ二つに破壊された揚陸艇が、確かに彼らはこの場にいたのだと現実を物語っている。


「……獣の力ジェヴォーダン…………? っ、どこかで、聞いたような…………」


 やけに耳に残る言葉だった。頭を押さえたアスティにクルトが大丈夫かと声をかけるが、正直なところ、今はアスティの個人的な記憶探しに拘っている暇はない。結社がクロスベルで動き始めているのだ。それにユウナのこともある。問題ないと告げて、アスティは一度この問題を頭の隅に追いやった。


「――さて、当面の脅威は去ったが……これは帝国の英雄に一働きしてもらう局面となったかな?」
「……………………」
「……やっぱ私、あの人苦手…………」


 企みを明かされたルーファスはリィンやランドルフから向けられた敵意をものともせず、毅然とした態度を崩さなかった。アスティが現在分校に通えているのは彼の助力のおかげではあるが、こうも人情を無視した策謀は賛同しかねる。


「どうして……?」


 眉を寄せるアスティの隣で、ユウナがゆらりと立ち上がった。

 ゆったりとした足取りでリィンの前に出たかと思うと、怒るように、あるいは縋るように彼のコートを掴む。


「ねえ……どうしてあたしたちの誇りまで奪おうとするの……? 自治州を占領して、勝手に共和国と戦争して……あんな列車砲まで持ち込んで……あたしたちの光を……たった一つの希望を……」


 涙がこぼれた。アスティ、といつも叱って、陽だまりみたいに暖かく笑いかけてくれた瞳から。


「――返して……! あたしたちのクロスベルを! あの自由で、誰もが夢を持てた街を! 返してよおおおおおッ――!!」


 彼女の悲鳴にも似た叫びが響く。だけどこの場で彼女に声をかけてあげられる者は誰一人としていない。びゅうびゅうとアスティたちの間を抜ける夜風だけが慰めのように吹いていた。

 彼女を思って目を閉じる者。これからの事態に不安を焦りを感じる者。彼らから距離を取るようにルーファスが音もなく屋上を立ち去る。アスティは彼の背中を尻目に、ぎゅっと締め付けられうような心臓の痛みを感じていた。





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