心のままに傾ける春


「ごめんアスティ、そっち行った!」
「はいはーい、任せて!」


 飛びかかってきた魔獣の爪を剣で受け止め、空いた腹に蹴りを叩き込む。兎のような姿をした魔獣はそれだけで数アージュ程吹っ飛び、壁に激突して息絶えた。どうやらアスティがとどめを刺した魔獣で最後だったようで、リィンは周囲に他の魔獣や応援が来ないことを確認すると武装を解いて皆の無事を確認した。


「アスティって、剣以外にも結構色んな技使うわよね。突然殴ったり蹴ったりするし……」
「人を野蛮人みたいに言わないでくれるかなユウナ……でも、そうだね。さすがに剣一本に頼りすぎるのも良くないし、自然と身についたっていうか」


 武装を解除しながら、ユウナがアスティに語りかける。アスティも剣に付着した汚れを払い、鞘へ納めた。


「最後の記憶が半年前ってことは、剣を使い始めてまだ半年も経ってないわよね? 普通、剣術ってそんなに早く習得できるものなの?」
「……正直、それは僕も気になっていた。君の剣術をさっきから見せてもらっていたが、どう考えても素人がたった半年でなせるレベルの域じゃない」
「そうなの? 私には普通の人の習得スピードがわからないけど……ああでも、何て言ったらいいんだろう。記憶にはないけど、身体は覚えてる、みたいな? そんな感覚」


 途中から話を聞いていたクルトも会話に加わり、三人であれやこれやと言葉を交わし始める。ユウナとクルトも互いに確執があったはずだが、どうやらアスティに対する疑問で今は忘れている様子だ。「もしかしたら、記憶喪失になる前から剣を使っていたのかもね」とアスティが話を続けようとするが、「お三方とも、無駄話はほどほどに」とアルティナからやんわりと注意を受けては中断せざるを得ない。この空間にいる中では一番の年下であるアルティナが一番しっかりしているのは、アスティにとっては少々気恥しい部分もあった。


「まあ、その辺りの話はここを出てからゆっくりするといいだろう。……それよりも」


 リィンが苦笑いをしつつ前を向くと、突然歩みを止めた。それにつられて他四名も同じく足を止め、正面にいる魔獣を観察する。


「あの魔獣……他のより一回り大きいけど」
「……迂回して別ルートを探しますか?」
「いや――ここは正面から仕掛けよう」


 リィンの身長を越すほどの魔獣を見てユウナとクルトが懸念をするが、逆にリィンは刀を構えた。《ARCUSU》による戦術リンクや基礎的な動きが出来ていれば、決して倒せない相手ではないと彼は言う。彼があえて正面から進む選択を取ったという事は、つまりはこの《Z組》の力量を見極め、十分対処できると判断した結果だ。少し大げさな解釈をすると、“信用するに足る人物である”と認識されたと言っても良い。生徒たちは己の武装を再び握ると、リィンの横へ立つ。魔獣がこちらに気づき咆哮したのは、その直後だった。

 結論から言って、リィンの判断に誤りはなかった。やや苦戦はしたが決して劣勢になることはなく、問題はなく魔獣を撃破することに成功した――ように見えた。動かなくなった魔獣を前にユウナ、クルト、アスティは武装を解除したが、リィンとアルティナは三人の背後で魔獣の目が一瞬光るのを捉えていた。


「――まだだ、三人とも!」


 最後の力を振り絞って魔獣が起き上がり、その触角を三人に向けて振り下ろす。至近距離からの不意打ちに、対応が遅れた三人は再び武器を取り出して応戦することも叶わない。


「クラウ=ソラス!」


 アルティナが《戦術核》を起動させるのとリィンが動くのはほぼ同時だった。クラウ=ソラスが三人の前に瞬間移動し、そのままアスティらを抱えて即座に後方へと退避させる。それと入れ替わりにリィンが目にもとまらぬ速さで魔獣に向かって突進し、太刀を振るった。

 一瞬の出来事だった。リィンが魔獣の身体を斬り、今度こそ魔獣は息絶える。……が、同時にリィンも頭を押さえてうずくまった。「教官……?」と弱々しく声をかけるが、彼は何でもないようにすぐに立ち上がって刀を収め、息をつく。生徒たちの元へ戻ると、無事を確認してから「敵の沈黙を確認するまで気を抜かないように」と冷静に諭した。

 それに関しては完全にアスティらの油断が招いたことであり、返す言葉もない。しかしリィンは、「いや」とすぐに言葉を切る。


「偉そうには言ったが、今のはどちらかといえば指導者である俺のミスだな。やっぱり俺も、教官としてはまだまだ未熟ってことだろう」
「…………」
「だが、それでも今は“俺”が君たちの教官だ。この実践テストで、君たちと同じく試される立場にある、な」


 それは、彼がこの小要塞に入る前に述べていた言葉だった。このテストの対象は、《Z組》の生徒だけではない。《Z組》の生徒たちを指揮する、担当教官であるリィン自身にも課せられた課題なのだと。


「だから君たちも、君たち自身の目で、俺を見極めてくれ。本当に俺が――Z組(君たち)の教官に相応しいのかどうかを」


 ……正直、その言葉はアスティ達にとっては少々荷が重すぎた。まだ道の途中で、進むべき道すら見いだせずにいる彼女らに何の判断が出来ようか。生まれたばかりの雛鳥に、自分の親は自分で決めろと突き放すようなものだ。当然、すぐに言葉を返すことは難しい。考え込む彼女らに、テスト終了後、望むならば転科手続きを分校長に掛け合ってみるとリィンは約束した。ここでこの《Z組》という道を進まずとも、別の道は用意される。分校が引いたレールに乗らずとも、自分の手でレールを引くこともできる。

 答えは、出なかった。言葉を失い立ち尽くす四人を助けるかのように、『――何を立ち止まっている?』とスピーカーから声が流れた。シュミットと主計科の生徒が終点まであと少しであることを伝えると、「長話がすぎたみたいだな」と再びリィンが足を動かし始める。答えは見つからない。けれど今はこのテストを無事に終了させようと、アスティはリィンの背中を追った。

 十分ほど歩いただろうか。その間も魔獣は現れ次々と襲い掛かってきたが、どれも脅威となるほどではない。が、先程リィンから諫められた手前、油断することはできない。次第に魔獣の数は減っていき、最後にはこれまでで最も広いフロアに出た。


「これは――」


 フロアに出た途端、リィンがその中央を見据えて太刀を構えた。どうしたのか、と尋ねるよりも先に、「霊子反応を検出しました」とアルティナが警告する。聞きなじみのない単語に言葉を聞き返すが、『み、皆さん、逃げてください!』と焦った主計科の女子生徒のアナウンスが流れ、それから間もなく、フロアの中心に異変が生じた。

 突如、中央に光が生じる。それは《ARCUSU》が所有者と同期した時のような淡くやわらかな光ではなく、バチバチと揺れる禍々しくも鋭い光だった。中心から放射状に放たれる光は数秒で消え、光が消失した後にはその場にあるはずのない物体が鎮座していた。


「こ、これって……帝国軍の《機甲兵》!?」
「いえ、これは――」
「《魔煌兵》……暗黒時代の魔導ゴーレムだ! シュミット博士! まさか、これも貴方が!?」


 帝国軍が使用する、巨大な人型の導力兵装。それに形は酷似しているが、実際には少し違い、古い歴史の中で登場したゴーレムだと言う。シュミット曰く、二年前の内戦時に出現していた個体を捕獲したらしい。魔煌兵《ダイアウルフ》。それの撃破をもって実力テストは終了だと彼は述べるが、今までに出現した魔獣とは格が違う。大きさも規格外な相手に、教官一名生徒四名ではさすがに勝機は見込めなかった。

 そして、その魔煌兵を見たとき――アスティの頭に、またしても痛みが走る。リィンの太刀を見た時とは比べ物にならない頭痛に、頭を押さえてよろけた。


「アスティ!?」


 燃える。燃える。燃えて、灰に。瓦礫と、人と、巨大な――。

 ふと脳裏に浮かんだ光景は、記憶というには断片的すぎた。映像にすらなっていないそれが一体何の意味を成すのかアスティには皆目見当もつかなかったが、今はそれらについて深く考えている時間はない。心配するユウナに大丈夫だと返し、体勢を立て直す。いつの間にか頭痛も落ち着いていて、問題なく体を動かせた。

 これでは分が悪いと判断したリィンは、右手を掲げて相棒の名を叫ぼうとするが、『騎神の使用は禁止だ』とシュミットに制止される。


『シュバルツァー、せいぜいお前が“奥の手”を使うか――まだ使っていない《ARCUSU》の新機能を引き出して見せるがいい』


 奥の手、とは何を指しているのかアスティには理解できなかったが、《ARCUSU》にまだ機能があることは初耳だ。シュミットに補足するように、『《ブレイブオーダー》モードを起動してください……!』と主計科の女子生徒が声を上げた。リィンが了解だ、と覚悟を決めたように《ARCUSU》を取り出すと、全員の身体を淡い光が包み込む。それは《ARCUSU》を同期した時と全く同じで、不快感はひとつもない。前回と違う部分と言えば……同時に、身体に“何か”が流れ込んできたことだ。


「――Z組総員、戦闘準備!」


 優しい光。そして、決意に満ちた光。戦術リンクとは全く違う機能に戸惑いながらも、不思議と不安はなかった。リィンが魔煌兵を見据え、刀を向ける。


「《ブレイブオーダー》起動――トールズ第U分校、特務科Z組、全力で目標を撃破する!」


 リィンの激励に答えると、一斉に駆け出した。









 リィンの太刀がキン、と魔煌兵の装甲を破り、魔煌兵は出現した時と同じ光を放って消えた。再度出現してくる様子もなく、『お、お疲れ様でした!』というアナウンスが聞こえたことで安堵の息を吐き、武装を解除する。

 魔煌兵が消える最後の瞬間まで立っていられたのは、リィン一人のみであった。アスティを含む生徒たちは皆体力の限界で、その場にへたりと座り込んでいる。何とか呼吸を落ち着かせて剣を鞘へ戻すと、シュミットの無茶ぶりに女子生徒が振り回されている様子がマイクに乗って聞こえてくる。シュミットが「次は」と発言したことにより、また同じようなことをやらせようとしているのかと思うと、アスティはげんなりとした表情で「か、勘弁してほしいなぁ……」と声を漏らした。


「――いずれにせよ、“実力テスト”は終了だ。四人とも、よく頑張った」


 リィンが振り返り、生徒たち一人一人に手を差し伸べて立ち上がらせる。


「《Z組・特務科》――人数の少なさといい、今回のテストといい、不審に思うのも当然かもしれない。士官学院を卒業したばかりでロクに概要を知らない俺が教官を務めるのも不安だろう。先ほど言ったように、希望があれば他のクラスへの転科を掛け合うことも約束する」


 ……不安は、十分にあった。《Z組》は、明らかに誰かの思惑で創設されたクラスだ。目的は不明。その見えない“誰か”が何者なのかもわからない。


「だから――最後は君たち自身に決めて欲しい。自分の考え、やりたい事、なりたい将来、今考えられる限りの“自分自身”の全てと向き合った上で――今回のテストという手応えを通じて、《Z組》に所属するかどうかを」


 たぶんそれが、《Z組》に所属する最大の“決め手”となるだろうから。

 彼の言葉を、しっかりと受け止める。自分の目的。何故、何のためにこの分校に来たのか。


「――ユウナ・クロフォード。《Z組・特務科》に参加します」


 最初は、ユウナだった。その次にクルト、アルティナも参加を決断し……最後は、アスティの番だった。


「……アスティ・コールリッジ。《Z組》への参加を希望します」


 答えは、決まっていた。


「さっきの戦いで、断片的だけど、無くした記憶の切れ端みたいなものが見えました」
「!」
「《Z組》に入ることで記憶を取り戻せるのかは分かりません。けれど、《Z組》として活動することでその手掛かりにたどり着ける可能性があるとしたら……私は、それに賭けてみたい」


 燃える風景。宙を舞う灰。瓦礫と、人。これが何の意味を成すのかはわからないが、なんとなく、この先の風景は《Z組》として活動することで得られるのではないかと考える。そして、アスティをこの《第U分校》へと連れてきた人物たちの思惑。それらを探るために、《Z組》はきっと適切だ。


「……ひとつだけ聞きたい。アスティ。君は何故、そこまで記憶を取り戻したいと願うんだ?」


 ふと、リィンが尋ねた。隣でユウナが「ちょっと!?」と信じられないようにリィンに向けて声を発する。


「……と、いうと?」
「記憶をなくした人物が、以前の自分を知りたいと強く願うのは、自然なことだ。けれど……それは君が生きてきた十七年間の悲しみや憎しみも、一度に背負うという事にもなる」
「……そう、ですね。きっと、忘れたままの方が良い記憶もあるのかもしれない」


 それは、以前から薄々感じていたことだ。十七年間。生きてきた時間の全てを思い出すということは、その間に体験した感情をも一気に引き出すという事だ。良い感情、思い出して良かった出来事もあるかもしれない。けれど、そうではないのが人生だ。思い出さないままの方が幸せな記憶を、うっかり思い出してしまう可能性だって否めない。そうなった時に、自分はそれを受け止めきれるのか。

 先ほど記憶の断片を思い出したときに見えたのは、あまり喜ばしい風景ではなかった。意味の分からない光景ではあったが、その全ての意味が判明した時に、果たして自分は、今この瞬間の、“記憶を取り戻すと決めたときの自分”を恨まずにいられるだろうか。


「正直、不安はあります。でも……私は、思い出さなきゃいけない」
「…………」
「漠然としか感じないけど……記憶を失う前の私は、私が再び記憶を取り戻すのを信じていた。そんな気がするんです」


 ならば、私は他の誰でもない、“過去の私の為に”記憶を取り戻す。そう告げると、リィンは「――分かった」と静かに口を開いた。


「なら俺も、君が記憶を取り戻せるよう最大限協力する。――よろしく、アスティ」
「――はい!」


 アスティの意思を確かめると、リィンはここに《Z組・特務科》の発足を宣言した。それを見届けるように、リィン以外の四人の教官らがフロアの端で笑みを浮かべる。

 それは、ほんの始まりに過ぎなかった。





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