好きな世界と幸せな君


 魔獣の肉を火で炙って、かぶりつく。臭みも何も消していないから、到底それを“美味しい”とは感じなかった。けれどそれが当然である生活を送っているとその味にも段々慣れてきて、今は何の感情も湧かなくなった。ただただ、生きるために必要なエネルギーを取り込んでいるだけ。食事とは本来そういうものである。

 それ、もう少しなんとかならないのかという声を、うるせえなと突っぱねた。別に食べ方なんてどうでもいいだろ、生きながらえることができるんなら。それより、さっきの技もう一回見せてくれよ。そう言うと“あいつ”は何言ってんだと頭をがしがしと撫でた。やめろ、と手を払うが、こちらを小馬鹿にしたような顔をやめることは無かった。それがとても不愉快で、また一口魔獣の肉にかぶりつく。

 お前、そんなに俺の戦い方が気に入ったのかと聞かれたので、素直にそうだと答えた。流れるような刃の動きも、綺麗な断面も、その全てに惚れ込んだ。だから教えて欲しい。どうしたら、お前のようになれるのか。そう言うとあいつははあ、とため息をついてこう言った。

 だったら、その前に女らしさのひとつでも身につけるんだな、と。









 ピピ、と電子音が耳に響き、意識が覚醒する。布団にくるまりながらもなんとか手を伸ばし、ほぼ手を打ち付けるような状態でアラームを止めた。元々朝は弱い方だったが、連日の疲れが出ているせいでどうにも目覚めが悪い。しかし時間を確認するとそうも言っていられない時間であったため、がばりとベッドから起き上がると急いで身支度を済ませた。顔を洗って、歯を磨いて、髪を整えるのは今日は時間がないので省略。テーブルに放置されていたパンを掴んで部屋を出る。

 トールズ士官学院は、本校分校共に全寮制の学校だった。本校がどうなのかは把握していないが、ここ分校では基本は生徒2人で一つの部屋を共同で使っている。しかし、唯一アスティだけは例外で、二人用の部屋を一人で使うというプラスに考えると広々と、マイナスに考えると少々寂しい生活を送っていた。分校長曰く、アスティの入学手続きで若干の滞りがあり、その影響らしい。希望するならばユウナとアルティナの部屋に組み込んで3人部屋として登録するという話もあったが、さすがに自分の都合で彼女らに迷惑をかけるわけにもいかず辞退した。そのような経緯で、今は一人で物悲しい朝を迎える毎日だ。遅刻しそうになっても起こしてくれる人物はいないので、アスティにとっては毎朝の起床がその日一番の勝負である。

 パンをかじりながら階段を降りると、エントランスでいつもの顔ぶれが揃っていた。


「……あれ? まだ登校してなかったんだ」
「! アスティ!」


 ユウナ、クルト、アルティナの三人が何やら談笑していたようなので、さりげなく混ざってみる。アルティナがこちらに気づくとおはようございます、といつも通りの挨拶をしてきたので、おはようと言葉を返した。


「なになに、私をのけ者にしてみんなで楽しく青春やってたの? いいなあ、私ももう少し早起きすればよかったなあ……」
「青春って……別に、そんなのじゃないから!」


 ユウナが顔をほんのり赤く染めて否定するが、彼女とクルトの間がほんの少しだけ狭くなっていることをアスティは見逃さなかった。二週間前――実力テストでの一件があって以来、互いに壁を築いて接していた様子だったが、無事和解できたようで安心だ。その和解する瞬間現場に立ち会うことが出来なかったのは非常に心残りだが、それは今後の課題としよう。


「……というか君、歩きながら朝食をとるのは何とかならないのか?」
「……え、えっとぉ、クルトは知らないかもしれないけど、食べ物が格段に美味しく感じる方法の一つに、食べ歩きっていうのがあってね?」
「ただ単に、今日も寝坊したというだけなのでは……」


 アルティナに図星を刺され、「う、」と言葉を漏らす。なんだ、結局今日も寝坊じゃないかという哀れみに満ちた視線がビシバシとアスティに当たるが、「あー! そろそろ学校行かないといけないんじゃないかなー!」とわざと陽気に振舞ってそれらを振り払った。それでもなおその視線はアスティを突き刺すばかりだったが、それもそうだな、とクルトが先導して寮を出る。そんなクルトに感謝の念を抱きつつ、アスティも続いて足を動かした。

 入学から二週間経った今でもこのリーヴスの街並みは様変わりすることなく、心地よい風が吹いてはアスティの髪を揺らした。そんなリーヴスを、アルティナは「以前はとある貴族の領地だった」と話す。貴族が土地を手放した後に別荘地が建築される予定だったが、諸々の事情で計画は頓挫、その跡地が《第U分校》の校舎建築に再利用されたらしい。情報局所属なだけあって、その辺りの情報収集には抜かりないようだ。


「ハッ――選抜エリートが仲良く登校かよ」


 授業の様子や学校生活について何かと話していると、《Z組》の面々ではない外部から声を掛けられ立ち止まる。もう少しで校門に差し掛かるといった場所で一人立っている青年が、ポケットに手を入れ傲岸不遜な態度でアスティたちを見ていた。金髪で大柄な体格の彼は、二週間この学院で生活をしていれば見覚えがないはずはない。


「えっと、たしか[組・戦術科の……」
「アッシュ・カーバイド君……だっけ?」
「……おはよう。僕たちに何か用件か?」


 ユウナ、アスティ、クルトが警戒しつつそう返すと、アッシュは「いや、別に?」と不敵に笑った。


「ただ、噂の英雄のクラスってのはどんなモンなのか興味があってなァ。Z組・特務科――さぞ充実した毎日なんじゃねえか?」
「…………」
「悪いが、入ったばかりで毎日大変なのはそちらと同じさ」


 今のところ戦術科・主計科とカリキュラムはほぼ変わらない、とあくまで穏便にいなそうとするクルト、ユウナだったが、彼の態度にはさすがに思うところもあるらしい。その言動からは若干の不快感を滲みだしつつ、アッシュを見据えていた。しかしそんなユウナに、「だったらどうして、わざわざ別に少人数のクラスなんざ作ったんだ?」と彼は追及した。


「明らかに歳がおかしいガキもいるし、毛並みの良すぎるお坊ちゃんもいる。記憶喪失の訳アリに、曰く付きの場所から来たジャジャ馬の留学生もいるしなァ。おっと悪い、“留学生”じゃなかったか?」
「……っ…………」
「……へえ、記憶喪失のことまで知ってるんだ。そんなに喋ったことない筈なのに、一体どこから仕入れてるんだろうねその情報」
「無用な挑発はやめて欲しいんだが。言いたいことがあるならいつでも鍛錬場に付き合うが?」


 “留学生”という単語に、ユウナが握りこぶしをつくった。アスティは探るような眼で彼を見据え、貼り付けた笑みを浮かべる。

 実際のところ、記憶喪失であるという情報が他の科の生徒にも伝わっていて当然だろうなとは思っていた。これだけ少人数で構成された学院ならば噂の広がりも速い上に、情報を仕入れるのにも苦労はしない。伝わっていること自体にはアスティは何の怒りも湧かなかったが……それをあえて、当てつけのように言われるのであれば話は別だ。

 冷静なように見えるクルトも珍しく何か思うところがあったらしく、敵意を露わにしていた。


「クク、いいねえ。思った以上にやりそうだ。だが生憎、用があるのは――」
「うふふ、仲がよろしいですね」


 バチ、とZ組の生徒から火花が上がりそうになったその時、鈴を転がしたような声が聞こえた。「たしか\組・主計科の」とアルティナが呟くと、その女子生徒は気品あふれる振る舞いでスカートの裾をつまみ、丁寧にお辞儀をする。ミント色の髪が朝日に反射して、きらきらと輝いていた。


「ふふ、おはようございます。気持ちのいい朝ですね。ですが、のんびりしていると予鈴が鳴ってしまいますよ?」
「……確かに」


 彼女がやんわりと注意を促すと、ユウナが「そっちはまだ絡んでくるつもり?」とアッシュを睨む。アッシュはまたしても不敵に笑うと、「二限と四限で会おうぜ」と言い残して校門の奥へと姿を消した。それに続いて、少女も「一限、三限、四限でよろしくお願いします」と残してアスティたちを通り過ぎる。


「はあ……何なのよ、あの金髪男は! いかにも不良って感じだし、あんなのが士官候補生なわけ!?」
「露骨に僕たち《Z組》に含みがありそうだったが……」
「あー……まあ、ここで愚痴大会開くのも悪くはないんだけどさ、ほんとに予鈴鳴っちゃうよ?」


 ほら、とアスティが言わんばかりに、タイミングよく分校のチャイムが外まで聞こえてきた。やばい、と一同は駆け出し、校舎内へと急ぐ。正面玄関にはミハイルが立っており、彼の小言にすみませんと謝りながら《Z組》の教室へと足を動かした。









「ふう……ようやく二週間ですか」


 教室へと急ぐ教え子たち四名を後方から見守りながら、リィンは隣の人物へと声をかけた。それに対しトワは、「どのクラスの子も頑張って付いてきてくれてるね」とやわらかな笑みを見せた。トールズ本校以上の授業の濃密さはかなり厳しい状況だが、今のところ授業に遅れている生徒はいない。……そのうち大忙しになると危惧している生徒は何名か存在するが。

 本校にはなかった、分校だけの“教練”と“カリキュラム”。それらから、なんとなく政府側の狙いが見えてきたとリィンは話す。


「うん……でも、この分校の意義はそれだけじゃないと思うんだ。トールズの伝統を受け継いだ、“あの日”もあるんだしね」


 あの日というトワの発言に、リィンが「それだけは安心しました」と述べた。かつて己が通ったトールズ本校と同じ伝統が、この分校にも受け継がれている。そしてそれを、生徒ではなく教師の立場から体験するというのはなんとも新鮮な気分だ。


「それとね、リィン君。その……アスティちゃんのことなんだけど……」
「…………」


 アスティ・コールリッジ。リィンが担当教官を務める《Z組・特務科》の生徒。リィンが彼女に対して抱えている感情は、トワも同じだ。


「……まだ、判断するには早いかと。他人の空似という可能性もあります」
「うん……そう、だよね」


 リィンとトワが揃って目を伏せる。瞼の裏では、二人とも同じ人物を思い描いていた。

 もしも、彼女がリィンらの思い描いている人物本人なのだとしたら、彼女の記憶を呼び起こすという事は、彼女自身の悲痛な記憶を呼び覚ますという事だ。それは彼女の心に、再び深い傷を残す結果となるだろう。彼女を再び傷つけるかもしれないと分かっていながらその手助けをすることは、本当に正しいことなのか。


「でもね。……私はなんだか、大丈夫な気がしてるな」
「教官……」
「あの子があのアスティちゃんだとしても、そうじゃなかったとしても……アスティ・コールリッジちゃんは、強い子だよ」
「! ……そう、ですね」


 トワの言葉に、実力テストの際のアスティの言葉を思い出した。

 ――きっと、忘れたままの方が良い記憶もあるのかもしれない。でも……私は、思い出さなきゃいけない。記憶を失う前の私は、私が再び記憶を取り戻すのを信じていた。そんな気がするんです。

 彼女は、記憶を思い出すことのリスクをきちんと理解していた。理解したうえで、その決断を下したのだ。誰に頼ることもなく、己自身の手で、己に宿る謎を解き明かして見せると。

 ならば、自分も彼女を。アスティ・コールリッジという一人の生徒を信じよう。彼女が、記憶を失う前の何者かもわからない彼女を信じたように。自分も、彼女を信じて支えるのだ。


「それじゃあ“リィン教官”! 今日も頑張っていきましょう!」
「ええ――“トワ教官”も!」


 それが、あの時何もしてあげられなかったあの少女への、せめてもの償いになるかもしれない、と。





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