藁半紙で折る騙し舟

「っ、ここは一体……」
「ようこそ、アンの部屋へ」


床には積み木や縫いぐるみなどの玩具、壁と天井は雲や星、月が描かれており、幼児が喜びそうな部屋だなぁ、と思う。その中で立っているのは三人。桜坂と宮沢、そしてフィッツジェラルドの部下である赤髪の少女だ。


「あたしはルーシー・モンゴメリ。あなたがレイチェルね?」
「……さあ? そうだったらどうするの?」
「ふふ。実はさっき、フィッツジェラルドさんに頼み事をされたのよ。貴方を連れてきてくれって」


やはり先程の目配せは、それだったのか。しかし、組合にまでレイチェルの名が知られているとは。「なら教えて」


「何故組合はレイチェルを狙う? フィッツジェラルドとレイチェルに、何の関係があるの」
「それはあたしもわからないわ。フィッツジェラルドさんは、あまりよく話してくれなかったし」


お手上げと云わんばかりに、彼女はため息をついた。どうやらフィッツジェラルドという男は、武装探偵社に接したのと同じように組合内でも振る舞っているらしい。全くもって、唯我独尊、自由奔放という言葉がふさわしい。

いや、天真爛漫、もありかもしれない。


「でも残念。本当ならアンと遊んでもらってから連れて行くのだけど、あいにくそう云うわけにもいかないのよ。何せ今回は、組合に関係なく、個人的に頼まれた事だから」
「……個人的?」


自分とあの男に、個人的な絡みなどあっただろうか。いや、断じてない。むしろこちらからお断りしたいくらいだ。

そもそも、彼とは今日が初対面なのだ。話をすると云っても、エレベーター内で一言交わした程度。「何で……」と思いふけっていたのが間違いだったのだろう。


「月雲さん!」


宮沢の声で気付いたときには、桜坂はすでに人形の腕のようなものに握られていた痛みなどは感じないが、それでもそこそこの力を加えられているため、自力で脱出する方法はごく限られてくる。

咄嗟に「八咫烏」を発動しようとするが、


「させないわ」


異能の発動には、コンマ数秒程度のタイムラグが存在する。それは脳の中枢神経が異能の発動を決定してから命令が身体中を駆け巡り、実際に発動が可能になるまでのごく短い時間なのだが、そんな時間でも隙は隙。


「おやすみなさい、お姫様」


モンゴメリのゆがんだ笑顔に送り出され、桜坂の視界は暗転した。









「……っさん……月雲さん!」


再び視界が明るくなったと思えば、今度は中島の顔がすぐ近くにあった。しかも場所もアンの部屋から交差点の一角に移動しており、何が起こったのかさっぱり判らない。


「あれ……敦君?」


へらりと笑ってみれば、中島の焦燥は安堵へと変わった。「目が覚めたんですね……良かったぁ」


「ふふーん、月雲さんはこの程度でやられるほどヤワじゃないのだよ」


「あはは……」と中島が笑うと、桜坂はすぐに辺りを確認し始めた。何度見ても、やはりそこは見慣れた交差点。よく見れば周囲の民間人も桜坂と同じように倒れていて、何らかの異能が働いたのだと判る。

となると、あの組合の少女――モンゴメリの仕業とみるのが妥当だろう。


「あああっ、エリスちゃん!」


聞き覚えのある声が聞こえ、桜坂は振り返った。忘れたくても忘れられない、脳漿にしっかりと焼き付けられたテノール。


「大丈夫だったかい、何処に行ってたのだい! 心配したのだよう、突然いなくなるから!」
「急に消えたらリンタロウが心配すると思って」
「そうだよ、心配したよう。泣くかと思ったよう」
「そしたら泣かせたくなった」
「非道いよエリスちゃん!」


「でもかわいいから許す!」数年間は見ることさえなかった白衣の男性に、金髪で赤いワンピースを着た幼女。その二人の姿だけで、桜坂を凍り付かせるのは十分すぎるほどだった。

そんな桜坂には目もくれず、二人は漫才のような掛け合いを続けている。今は人目があるから温厚だが、その実――。


「……っ!」
「あっ、月雲さん!?」


中島の制止を振り切って、桜坂は駆けだした。何を、何をする気だ。何のために、こんな所にいる。二人が路地裏に入ったところで、跳躍。「八咫烏」で足場を作り、二人を見下ろせる高台へと着地した。


「これが組合の刺客かね?」
「はい」


彼らのたどり着いた先には、すでにポートマフィアが群がっていた。中心には一人の男性の死体が横たわっており、その周囲を黒服が囲っている。先頭には幹部である中原中也が立っていることから、殺害された男性はそれほどポートマフィアにとって影響を与える人物だったのだろう。


「……その話、月雲さんも混ぜてもらって良いですかぁ?」


白衣の男性の背後に降り立った瞬間、ガチャリと一斉に拳銃を向けられた。それでも気にせず、桜坂はへらりと笑う。


「お久しぶりです、首領。いーえ、森先生」
「……やあ、桜坂君。何年ぶりかな?」
「さあ? 三、四年ってところじゃないですか? 数えてないので知りませんけど」


彼――森鴎外は振り向かず、目だけをこちらへ向けて笑った。その微笑みは時に冷酷で、時に残虐で、恐怖すら覚える者も居るという。その隣の少女――エリスは彼関せずといった様子で、事の成り行きをニコニコと見守っていた。


「ん? あれ、中也先輩! ひさしぶりー! 相変わらずちっちゃいね−!」


桜坂が手をひらひらと振ってみたが、帰ってきたのは盛大な舌打ちだけだった。


「さて、森先生。そっちの芥川が何かコソコソと調べてるらしいんですけど……何か、知ってたりしません?」
「ああ、確かに芥川君が何かを調べてるみたいだね。でも……それを知って、どうするんだい?」
「どうもしません。ただ単に、知りたいだけです。まあ、もしそれが、あたしの障害になるのなら、消すくらいのことはしますが」


探偵社では、おそらくレイチェルのことは調べられない。それほどまでに深い闇に、置き去りにされた記録なのだろう。でなければ、芥川がとっくに調べ終わっているはずだ。

そのため、不本意だがポートマフィアの力を借りるほかない。


「……残念だが、こちらも芥川君の調べ物に関しては把握できていない。あの子は隠すのが意外と上手いからね」


誰の影響なんだか。森の呟きに、桜坂は「……そう」と答えた。


「だけど、彼が最後に見た記録は、武器の輸入記録だった。それも、違法のね」
「武器の輸入……? どこからの?」
「北米だ」


北米。レイチェル――桜坂の出身地だ。それがどう繋がるのかはわからないが、手がかりにはなる。


「今日は随分と気前が良いんですね。こんなにすんなり答えてくれるなんて」
「まさか。……こちらが、何の考えもなく情報を提供するとでも思ったのかな?」


警告。警告。桜坂の身体中に、警報が鳴り響いた。しまった。長居しすぎた。

森の不敵な笑みにサッと血が引いた桜坂は、すぐに「八咫烏」で移動し、距離を取る。


「……冗談だよ。でも、反応は昔よりも良くなったと思わないかい?」
「……まあまあって所ですね。相手によっては……どうかわかりませんが」


森の問いに、中原が桜坂を見据えたまま話す。中原は、桜坂がまだポートマフィアに身を置いていた頃、師匠として武術を教えていたことがある。それ故桜坂は未だに彼のことを「中也先輩」と呼んでいるのだが。


「……あなたの冗談は、何処までが冗談かわかりませんから。それじゃ、最後にもう一つ」


「横浜で、何をしようとしているんですか?」その問いに、森は組合員の血をパシャリと踏みつけながら歩き出した。


「探偵社に組合。我々も又困難な戦局と云うわけだ」


「最適解が必要だね」そう云うと下ろしていた前髪をかき上げる。


「組合も、探偵社も。敵対者は徹底的に潰して、殺す」


この言葉が全て終わった頃、桜坂はすでに路地裏から姿を消していた。


「……良いのですか? あのまま行かせて」
「良いのだよ。それに、こちらもひとつ嘘をついてしまった」


あなたの冗談は、何処までが冗談かわかりませんから。あながち、間違ってはいない。至極、的を射た発言だ。

森は組合員の死体に近づくと、その死体の懐から一つのファイルを抜き取る。血で汚れてしまっているが、文字は何とか見える程度だ。ファイルを開け、中から書類を取り出す。


「さて、あの子は一体いつ気付くかな?」


書類の内容は二つ。一つは、北米からの違法武器の輸入記録。そして。


「せいぜい足掻いてもらおうか、桜坂君――いや、レイチェル君」


北米のとある病院の、死亡届。わずか四歳の少女だ。その名は、レイチェル――。
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