出来損ないの魔法使い

「我が主の為――ここで死んで頂きます」
「中島君!」


「八咫烏」を使い、中島の前で影の壁を形成する。


「っ、足りない……!」


桜坂の異能力「八咫烏」には、二つのルールのようなものがある。一つは、視界に入った影のみが操れると云うこと。もう一つは、形成する影の物質の体積は、元の影の面積と同じか、それよりも小さくなければならないと云うこと。

この場合、樋口が放った弾丸を防ぐため、壁に厚みを要する。しかも樋口の扱っている銃は、マフィアの特注品だろう。であれば、普通よりも厚さを増さなければ防ぐことはできない。だから、


「ナオミッ!!」


谷崎兄妹のところまで、壁が届かなかった。兄の谷崎潤一郎を、妹のナオミが庇ったのだ。真っ白だったセーラー服が、今は真っ赤に染まっている。「止血帯持ってない?」「傷口を洗って」「与謝野先生に見せなきゃあ」と取り乱す谷崎に突きつけられたのは、一本の拳銃。


「貴方が戦闘要員でないことは調査済みです。健気な妹君の後を追っていただきましょうか」
「あ?」
「中島君、下がって」


谷崎は傷だらけになったナオミを横抱きにし、ゆっくりと立ち上がった。


「チンピラ如きが――ナオミを傷つけたね?」


「『細雪』」。谷崎がそう呟いた瞬間、周辺には小さな、それでいて少しだけ発光している雪が降り始めた。谷崎の異能力「細雪」。雪の降る空間そのものをスクリーンに変える能力。

谷崎や桜坂、中島の姿の上に背景である「ビルヂングの路地裏」と云う景色を上書きしたため、樋口にこちらの姿は見えていない。一枚のスクリーンを隔てているため、当然攻撃も当たらない。それによって、こちらが優勢のように思えた。

しかし。


「あ……ぁ……」


谷崎が倒れた。背後に忍び寄った、真っ黒な影によって。


「死を恐れよ。殺しを恐れよ。死を望む者、等しく死に。望まるるが故に――」


ハイライトのない黒い瞳に、同じく黒い外套。外套はその異能によってシュルシュルと形を変えている。中島は探偵社を出る前、国木田が話していたことを思い出した。「こいつには遭うな。遭ったら逃げろ」と云っていたのは、真逆。


「……ようやく会えた」
「月雲さん……?」


中島が横目でちらりと桜坂を見る。まるで親の仇でも見るような目で男を忌々しく睨んでいることに気づき、思わず鳥肌が立った。


「……殺し損ねたとは思っていたが、よもやこのような場所で生き長らえていたとはな」
「五月蝿い!」


男の周囲の建物の影から、「八咫烏」によってよって出現した無数の刃が男を襲う。それに追い討ちをかけるように、男の足元からも鞭のように伸びる影が現れる。

だが、男はそれらを全て、自らの異能によって喰らい尽くしてしまった。これだけか、と云わんばかりに桜坂に目をやると、今度は反撃としてその異能を伸ばし、桜坂の体に強烈な打撃を与えた。


「がッ……!」


運悪く鳩尾に入ったこともあり、為す術もないまま桜坂は数メートルほど吹き飛んだ。とっさに中島が駆け寄り、咳き込む桜坂の背中をさする。苦痛に顔を歪ませながらも、桜坂の瞳は男を捉えて離さなかった。


「感情に任せて異能を振るうその姿は、成長しておらぬ証。だから貴様は、僕に負けた」
「……っ、黙れよ……!」


コツコツと足音をたてながら近づいてくる男に、中島は若干の恐怖を宿しつつ目をやる。


「お初にお目にかかる。僕は芥川。そこな小娘と同じく、卑しきポートマフィアの狗――」
「芥川先輩。ご自愛を――此処は私ひとりでも」


樋口が口を挟むが、それと同時にピシッと云う乾いた音が響き渡った。樋口がつけていたサングラスも、音を立ててコンクリートの地面へ落ちる。


「人虎は生け捕りとの命の筈。片端から撃ち殺してどうする。役立たずめ」
「――済みません」


芥川にぶたれた頬を押さえて、樋口は小さく謝罪を口にした。


「元より僕らの目的は、貴様一人なのだ、人虎。そこに転がるお仲間は――いわば貴様の巻き添え」
「僕のせいで皆が――?」
「待て、芥川!」
「然り。それが貴様の業だ、人虎。貴様は、生きているだけで周囲の人間を損なうのだ――このようにな」


芥川が異能によって桜坂の脇腹を抉るのは、それとほぼ同刻だった。


「ぐっ……ぁ、あ……っ……!」


ドクドクと血の溢れ出す傷口を押さえて、桜坂はとうとうその場に倒れ込んだ。その様子を、芥川は何の感情も宿さない虚ろな瞳で見つめている。


「『羅生門』」


この男、芥川龍之介の異能力。着ている衣類、外套を自在に操る能力。「羅生門」は悪食だ。初見で、しかもまともに戦ったことのないような青年に、倒せるわけがない。


「やめろ……やめて……」


"あの子達"と中島の姿が重なった瞬間、桜坂の視界はゆっくりと狭まっていく。最後に見たのは、中島が芥川に向かって走っていく後ろ姿だった。









「それにしても、ずいぶんと派手にやったものだね」


予め樋口に仕込んでいた盗聴機から事態を察知した太宰は、周囲の様子をぐるりと見渡しながら云う。路地裏の地面も、ビルヂングの壁も、周辺のコンクリートも、全てボロボロだった。血痕が飛び散っている箇所もいくつかあり、何も知らない一般人が通りがかれば、悲鳴をあげること間違いなしだろう。


「しかし……四年経っても尚、初恋を拗らせていたとはね」


太宰は何も答えない芥川を一瞬だけ見ると、すぐに倒れている桜坂に視線を落とした。


「この酷い有り様のなか、月雲の周囲だけ何の傷もついていないと云うことは……大方、最初の攻撃で彼女を安全地帯まで吹き飛ばしたのだろう? そして二発目の攻撃で、彼女をそこから動けなくした……自分達の戦いに巻き込まないように」


それでも尚、芥川は表情一つ崩さない。樋口が「芥川先輩……」と声をかけても、全て無視だ。


「まあ、君のような餓鬼の色恋話など、私には何の興味もないがね。でも……月雲はうちの大事な社員だ。次、彼女に怪我を負わせようものなら、探偵社全員で報復に来るとでも思っていた方が良い」


太宰と芥川は静かに火の粉を散らしていたが、しばらくすると「行くぞ樋口」と云って背を向ける。「ひとつ訂正しておくが」。


「僕もその貧弱な小娘などに興味などない。今回生かしたのは、人虎を下手に刺激しないためだ。次は殺す」


そう云うと芥川は、またコツコツと足音を立てて遠ざかる。路地裏には、静寂だけが満ちた。


「興味などない、ねえ。どの口が云ってるんだか」


去り際の芥川が無意識のうちに「羅生門」を発動していたことを、太宰は見逃さなかった。かすかに散った異能が何を表していたのかは、本人しか知らない。
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