君の場所に帰る時

「ああぁあぁあ〜」


探偵社のベッドに座って、桜坂月雲は頭を抱えていた。原因はやはり先日の芥川の件だ。


「何が"五月蝿い"だ……何が"黙れ"だ……完全にただのイタイ人じゃない……」
「え、そっちですか」


隣ではお見舞いに来た中島が、林檎の皮を剥いていてくれていた。中島は「月下獣」の超回復、桜坂は与謝野の異能力によってすでに完治済みだった。ただし桜坂のほうは、心まで全快かと云われればそうでもないのだが。


「でも、マフィアの奴らってしつこいからな……今度は探偵社の方に直接乗り込んでくるかも」
「っ、月雲さんも、そう思いますか……?」
「そりゃあね。月雲さん、意外とそっち方面には詳しいの」


「何せ天才だからね」と胸を張る桜坂とは対照的に、中島の気分はすぐれなかった。林檎の皮を剥く手が止まる。桜坂はそんな中島を不自然に思ったりもしたが、その考えはすぐに消し飛んだ。


「わわっ」


ドオォン、という爆発音が、すぐ近くから聞こえた。下の階の事務所は少しだけ騒がしくなったが、直接的な被害はないらしい。


「爆発……? どこからだろ」
「! 月雲さん、僕ちょっと出掛けてきます!」
「あ、ちょっと!」


失礼しました、と会釈すると、中島はドタバタと階段を駆け降りていった。









「おや、月雲。もう平気なのかい?」
「おかげさまで。月雲さんは回復も早いからね〜」
「そりゃ良かった」


下の階へ降りると、与謝野が紅茶を用意してくれていた。国木田は通常の勤務。江戸川は相変わらずサボり、宮沢は休憩中で、昨日の今日で何とも平和だな、と桜坂は思う。


「さてと、たまには月雲さんも、デスクワークなり何なりしてみようかな〜」


ちなみに、彼女が仕事関係でこう云って実際に行動に移したことは、一度もない。だが今回は少し違った。移さなかったのではなく、移せなかったのだ。


「失礼。探偵社なのに事前予約を忘れていたな。それからノックも」


突如響いた轟音。事務所の入り口のドアは弾け飛び、黒づくめの男達が機関銃を持ってズカズカと上がり込んでくる。おそらく、マフィアの一味だろう。


「大目に見てくれ。用事はすぐ済む」


異能力者広津柳浪が指揮と共に、部屋いっぱいに銃声が満ち溢れた。









「やめろ!」
「ちょっと、あたしの手袋の先が焦げたんだけど。どうしてくれるわけ?」


駆け足で戻ってきた中島の目に最初に飛び込んできたのは、国木田がリーダーである広津を投げ飛ばしたところだった。続いて、桜坂が敵の一人である男の背中をぐりぐりと踏みつけているシーン。

先程までの緊迫感は何処へいったのか、江戸川と与謝野は二人で楽しく談笑している。宮沢は宮沢でマフィアの持ち込んだ機関銃を物珍しそうに眺めていた。


「ブランド物よ!? すっごい高かったんだからぁ!」


げしげしと何度も踏みつける桜坂に、中島は呆然とする。相手の知らない部分が知れると絆が深まる、学生の旅行行事はその定番だ、と誰かが云っていたのを聞いたことがあるが、こればかりは絆を深められそうになかった。

そんな中島に国木田は気づくと、「帰ったか」と声をかけた。


「勝手に居なくなる奴があるか。見ての通りの散らかり様だ。片付け手伝え」


ゴキッという嫌や音と悲鳴をBGMに、国木田の軽い説教が始まった。「国木田さんこいつらどうします」「窓から棄てとけ」よほど常人の会話とは思えない。そして本当に窓から棄てる辺り、宮沢の純粋さは恐ろしい。はたして此処は何階だったか。


「聞いてよ中島君! この手袋買ったばっかりだったのに、もうこんなボロボロになったんだけどー!」


背後からぎゅっと抱きつかれ、通常の十八歳ならば少しはドキッとしたり、顔を赤らめるのが普通なのだろう。しかし中島にはそんなものはない。ドキッとはしたがそれは命の危険を感じる方のドキッの仕方で、顔はあからめるどころか青ざめている。


「……マ、マフィアより」


探偵社のほうが、ぶっちぎりで物騒じゃん……!


「……って、ええっ!? 何で中島君泣いてるの?」


中島の顔を覗き込むと、彼の瞳には涙が浮かんでいた。だがその顔はどこか安堵したような表情で。


「いえ、何でもないんです。……無事で、良かったです」
「ふふ、当然。何たって月雲さんは、天才美少女だからね!」
「え、でも君何かしてた?」
「ど、どうしてこう良い感じに終わりそうなところを乱歩さんはぁ〜っ!?」


ぐちゃぐちゃになった事務所の片付けをしながらも、その顔が曇っているのは国木田以外誰もいなかった。そして、消えた太宰について問う者も、誰もいなかった。
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