五線譜を食べる怪物

芥川の云ったとおり、あの階段は外へと繋がっていた。驚いたのは桜坂が出ると同時に今までいた場所が爆破されたことだが、あの芥川だから、何か考えがあるのだろう。これで死んでくれれば良いな、などと考えるが、自分で仕掛けた爆弾に自分で引っかかるという間抜けなことをするはずがないと、桜坂は肩を落とした。

もうひとつ驚いたことは、江戸川と中島が警察の助っ人に行った日、即ち、桜坂が探偵社を出かけた日と、日付が変わっていたことだ。あの樋口のスタンガンで、かなり長い間眠っていたのだろう。若干威力を間違えてはいないだろうか。


「……ん、あれってもしかして、中島君と与謝野先生?」


駅のホームを歩いていた見覚えのある二人を見つけ、歩く速度を速める。この二人の組み合わせは、非常に珍しい。まだ中島が探偵社に入社したばかりだということもあるだろうが、中島は新人教育のため、国木田や太宰と共に行動することが多い。が、中島が抱えている大量の荷物を見る限り、あれはただ単に荷物持ちとして連れ回されているだけだろう。


「なーかじーまくんっ」
「え、月雲さん!? どこ行ってたんですか!」
「おや、月雲じゃないかい」
「やほ、与謝野先生久しぶり」


大量の荷物を抱えたまま中島は桜坂に詰め寄り、与謝野は変わらぬ笑顔で話しかけてくる。桜坂がいきなり失踪したことはこれまでで一度や二度ではないので、それを知っているか知らないかの違いだろう。


「いやいや、ポートマフィアの連中がなかなかしつこくてね? 逃げてたら結構遠くまで行っちゃって」
「またかい。アンタの不幸体質は天才的だねェ」
「ふふ、頭脳も容姿も運も天才だなんて、月雲さん最強ですね」
「いや、運は最強じゃないと……」


嘘は真実をほんの少し混ぜることによってより真実みが増すというのは、よく言ったものだ。さすがにここで「芥川に捕まってた」など云えるはずもない。

丁度その時、中島が一人の少女とすれ違った。身長は低めで、歳は与謝野はもちろん、中島や桜坂よりも下だろう。二つくくりで赤い着物という、洋服が主流となった今では珍しい格好だ。


「なになに、中島君。君、ああいう子がタイプ? やっぱり年下派かあ」
「ち……違いますよ! 今のはそうじゃなくて……」


桜坂がにやけながらからかうと中島は顔を赤く染めてあたふたとする。純粋だ、とでも云えばよいのだろうか。少なくとも、悪い大人の見本である某自殺愛好家のいるあの職場では、常にいじられていそうだな、と思った。


「……あ、中島君前見て前」
「うわわわっ!」


よそ見をしていた中島が通行人にぶつかり、それによって持っていた檸檬を床にぶちまける。さらに不運なことに、一人の男性がそれを踏んで転んでしまったのだ。


「どうしてくれる。欧州職人の特別誂えだぞ!」


どこかの企業の取締役か何かだろうか。やけに高いスーツを着ている。


「ご容赦を。お怪我は?」
「五月蠅い!」


与謝野がスーツの土埃を払うが、男はそれが気にくわなかったのか、あろう事か彼女を足蹴りした。


「女の癖に儂を誰だと思っている! 貴様らの勤め先など電話一本で潰して――」
「女の癖に? そいつは恐れ入ったねェ。女らしくアンタの貧相な××を踏みつぶして××してやろうか?」


恐ろしい。その男や、あまり関係のない中島までもが青ざめる与謝野は、ある意味探偵社最凶なのだろう。いや、やっぱり一番は太宰だ。









「……あの、月雲さん」
「ん、何?」
「"掃除屋"って、何ですか?」


掃除屋。この言葉を聞いただけでは、よく企業のビルに居るあちこちの部屋を掃除して回っている清掃員の姿が思い浮かぶだろう。だが中島が聞きたいのは、これについてではない。


「ちなみに聞くけど、なんで?」
「この間のマフィアの……芥川が、掃除屋が何とかって云っていたのを聞いたんです。何だか様子が違ったから、それで気になって……」
「……掃除屋は、ある施設から各組織に貸し出される暗殺者の事だよ」


孤児などを連れてきては幼い頃から暗殺の技術を身に付けさせ、成長したら各組織へ派遣し、レンタル料をむしりとる。いわば、奴隷のようなものだ。貸出しされた掃除屋はそこでずっと働かされ、使い物にならなくなったら組織の方で処分をする。最初にそういう契約で貸し出しをされているのだから、掃除屋個人は何も云えないのだ。


「ま、今はもうないんだけどね」
「え、どうしてですか?」
「ある組織が、その施設を壊滅させたんだよ。何年くらい前だったかな?」


めらめらと燃え上がる炎。そこから出てくる二人組の男達。当時あたしを支えていた彼が、まだ異能の特訓を始めたばかりの頃だったか。


「……でも、次はないよ」


桜坂と中島が話していると、与謝野も加わってきた。彼女は先程から中島の異能力「月下獣」によって再生された中島の右足に興味津々だった筈だが、一体どうしたのか。


「前回は探偵社に正面から突っ込ンで自爆したけど、元来マフィアってのは奇襲夜討が本分だ。夜道にゃ気をつけるんだね」
「そうそう、マフィアにも少なからず異能力者がいるんだから。特に、あたしみたいなのは最悪だよ?」


「八咫烏」は影を操って攻撃をする。当然影が多い方が有利になるわけで、それに使用しても音がないため奇襲に向いている。夜間の戦闘では、いつでも彼女が鍵だ。


「あァ〜こちら車掌室ゥ。誠に勝手ながらァ? 唯今よりささやかな『物理学実験』を行いまぁす!」


突如流れた、車内放送。だがこの喋り方は、明らかに車掌などではない。同時に、すぐ近くから爆発音が聞こえた。ズンッ、と列車が揺れ、あちこちから悲鳴が聞こえる。この列車は満員ではないが、かといって少ないわけではない。今の爆発で、二、三人は怪我人、もしくは死者が出ていてもおかしくはないだろう。


「さてさて被験者代表敦くん! 君が首を出さないと、乗客全員天国に行っちゃうぞぉ〜?」
「……マフィアか」


噂をすればなんとやら、とはよく云ったものだ。まさかポートマフィアが、懸賞首のために列車テロまで起こすとは。


「一、大人しく捕まる。二、疾駆する列車から乗客数十人と一緒に飛び降りて脱出。……三」
「連中を……ぶっ飛ばす?」
「ま、武装探偵社に入っちゃった以上、仕方ないか。月雲さんにボーナスでないかな〜」


爆弾は列車の先頭と最後尾の二ヶ所に設置されている。マフィアの目を掻い潜りながらそこまでたどり着き、爆弾を解除すればミッションクリアだ。


「もし敵がいたら?」
「ぶっ殺せ!」


与謝野の言葉を合図に、中島と桜坂は走り出した。
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