少女は花びらに埋もれた

列車内はパニック状態だった。一斉に出入り口へ逃げ出そうとする人。なんとか先頭と最後尾から離れようとする人。家族や職場に連絡をとろうとするサラリーマン。恐怖に泣き叫ぶ赤子。それら全てを掻き分けて最後尾へ向かうというのは、なかなか厳しいところだった。


「君! 危ないよ! そっちには爆弾が――」
「! 避けて中島君!」


その中で一人、中島や桜坂と同じく最後尾へ向かっている少女がいた。駅のホームで中島がすれ違った、赤い着物の少女。彼女の持っている携帯電話から何か聞こえたかと思うと、突然中島が見えない何かに襲われた。いや、正確には見えてはいたのだ。ただそれが、速すぎるだけで。


「君……ポートマフィアだったんだ」


中島の前で影の壁を形成した桜坂が、少女に問う。少女の瞳は虚ろで、まるで人形のようだ。彼女の異能なのか、彼女の背後には巨大な女武芸者が仕込み杖を構えて立っている。


「『八咫烏』」


列車内の影を、女武芸者めがけて飛ばす。だが、何故か女武芸者に逃げる気配はない。先程中島を襲ったスピードならば余裕で避けられる筈なのだが、影は女武芸者の背中へと的中する。かといって、致命的なダメージを与えられたかというとそうでもないのだが。


「昼間だから、影が少ないな……」


「八咫烏」で操れる影の量は、元となる影の表面積と比例する。今日の天候は晴れ。視界は車内のみに絞られるので、この場合攻撃ではなく防御に回った方が良い。そう判断して中島を振り返ろうとしたが。


「敵の悉くを切り刻め。『夜叉白雪』」


少女の携帯電話から音声が聞こえた瞬間、中島の腹の辺りから勢いよく血が吹き出した。またしても少女の異能だ。スピードがあり、それでいて正確さもかねそろえている。まさに、殺戮に特化した異能だ。


「……私の名は鏡花。あなたたちと同じ孤児」
「"あなたたち"……? それじゃあ、月雲さんも……?」
「ありゃ、何で知ってるのかなぁ?」


桜坂の過去を知っている者は、数える程度しかいない。ということは彼女は、マフィアの、しかもかなり上の位の者から命を受けて此処にいるのだろう。


「好きなものは兎と豆腐。嫌いなものは犬と雷。マフィアに拾われて、六ヶ月で35人殺した」
「35人……結構多いね」


桜坂は「八咫烏」で形成した短剣を、逆手に持つ。思いきり地面を蹴ると、女武芸者ではなく、泉本人に向かった。これは、まだ芥川との関係がそこまで険悪ではなかった頃、とある先輩に教えてもらった戦い方だ。と云っても、あの人は短剣など使わず、完全に素手と脚の体術が基本だったが。


「でも、何で君はそんな諦めたような顔をしてるのかなあ?」


探検があと数寸ほどで泉の首へ刺しかかる、というその時。


「爆弾を守れ。邪魔物は殺せ」


という音声が、泉の携帯電話から聞こえた。やけに聞き覚えのある声だ。電話でなければ誰かわかったかもしれないが。そして次の瞬間、桜坂と中島は女武芸者の一閃によって貫かれた。


「ぐっ……」


少し体をよじるのがずれていたら、即死だった。これではまるで、彼女は云われたままに動く殺戮人形じゃないか。……殺戮人形?桜坂な自分の考えに、少しのわだかまりを感じた。









「うわああああ!」


自分と同じ五歳の子供達が、次々と死んでいく。大人達は拍手喝采。

逃げ惑う子供達の背中に、脚に、胸に、自分の足元からのびた黒い刃が突き刺さり、肉を抉りとる。そこら中が真っ赤に染まり、鉄の臭いで吐きそうになった。

悪夢ならば、目覚めてくれ。お願いだ。目の前で繰り広げられる自分の意思とは関係のない殺戮に、涙をこぼした。









考えてみれば、至極簡単なことだった。彼女も、自分と同じなのだ。

爆弾は最後尾などではなく、始めから泉が持っていた。「月下獣」によって利き腕だけが虎化した中島が、泉の喉元へとその鋭く光る爪を突きつける。敗北を確認した泉が爆弾の解除スイッチを渡し、中島はスイッチを何の躊躇いもなく押した、が。


「……それを押したのか、鏡花」


泉が体に巻き付けている爆弾から、ビイィィッというけたたましい音が鳴り響いた。これは泉も知らされていなかったらしい。


「解除など不要。乗客を道連れにし、マフィアへの畏怖を俗衆に示せ」
「……もしかして、その電話の声って……!」


芥川、と云いかけて、泉は中島と桜坂を突き飛ばした。


「待て!」


そして彼女は、迷わず列車の壊れた乗車口へ向かった。あと数十秒で、爆弾は爆発する。彼女は、死ぬつもりなのだ。乗客を巻き込まないよう、自分がこれ以上人を殺めないよう。


「私は鏡花。35人殺した。もうこれ以上一人だって殺したくない」


そう云って、彼女は爆弾を抱えたまま列車から飛び降りた。これで、乗客は救われた。マフィアも追い返せて、こちらの勝利なのだ。

それでも彼は、中島は。


「……行って、中島君!」


桜坂は「八咫烏」で中島が飛び降りやすいよう足場を造り、中島は「月下獣」で脚を虎化し、その余りある力で思いきり影の足場を蹴った。その勢いと中島の体重さえあれば、先に飛び降りたとはいえ体重の軽い泉に追い付くことなど、そう難しいことではない。


「……中島君って、たまにヒーローみたいなことするよねぇ」


例えば、無理だとわかっている敵に対してそれでも探偵社のため向かっていったり。例えば、一人の女の子を救うために爆弾の危険も省みず列車から飛び降りたり。

格好良いなあ。そう呟いたとき、列車のすぐそばで爆発が起きた。川の上に橋が掛かっていて、その橋の上を列車が通っているためこのまま落ちても二人は無事だろう。少し離れた陸に少年と少女の姿が見え、桜坂はゆっくりと微笑んだ。そこでとうとう、中島のように再生能力のない桜坂は、出血多量で気絶したのだ。
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