蒼藍と狂った世界

「中島君と泉ちゃんが拐われたぁ?」


探偵社に帰ってまず最初に知らされたことが、それだった。中島と泉が出掛けている間にポートマフィアの襲撃に遭い、連れ去られてしまったとかなんとか。

聞くところによると、泉の異能力「夜叉白雪」は戦闘に特化していて、中島の「月下獣」も同じく戦闘特化型らしい。共通して攻撃の出が疾いという特徴があるが、それでも捕まったということは、相手も異能力者だったのだろう。現在ポートマフィアにいる異能力者となると、かなり絞られる。


「で、その非常時に一体絶対乱歩さんはどうしちゃったの? お腹すいたの?」
「いや……別にお腹はすいてないけど……」


元々今日は別の重要な仕事が入っていたため、三時間しか時間に余裕はない。そのため探偵社職員――主に国木田――が忙しなく走り回っているのに対し、江戸川はこれでもかというほど椅子に座ってだらけていた。市販のスナック菓子を何となく食べてみたり、新聞をつまらなそうに広げてみたり、少なくとも中島を救出しようという気は一切見当たらなかった。

しかもそのスナック菓子はあまり口に合わなかったらしく、「はい」と云って桜坂に押し付ける始末。なら最初から食べるなよと思ったが、今ここで云ってもこの男は何も聞いちゃくれないだろう。袋の中にあるスナック菓子をひとつつまんで、口に運ぶ。確かに、味は微妙だった。


「桜坂、緊急会議だ! 敦の情報が入った!」
「はいはーい」


その間も変わらずぐだぐだとのびる江戸川に背を向け、桜坂は会議室へと脚を向けた。









「それは完全、芥川の仕業だね」


潜入に入った谷崎から現状を聞かされた桜坂は、そう淡々と告げる。中島と泉の居場所を知る運び屋は全員口封じにと殺害され、谷崎が潜入したときにはもう建物全体が血の海だったらしい。ただ単に殺すだけなら誰にでもできる。しかし運び屋は、それこそ身体のパーツが一部なくなっていたりなど、散々な殺され方をしたらしい。ポートマフィアでそこまで残虐で派手な殺し方をするのは、一人しか思い付かない。


「乱歩、出番だ」



社長である福沢が頼ったのは、机に脚をのせて菓子を頬張る江戸川だった。唯一の手がかりがなくなった以上、もう彼の「超推理」に頼るしかない。


「……やんないと駄目?」
「乱歩。若し恙なく新人を連れ戻せたら――」
「特別賞与? 昇進? 結構ですよ。どうせ……」
「褒めてやる」


その瞬間、江戸川の動きは完全に止まった。普段は細くて開いているのか閉じているのかわからない瞳が見開かれ、口はだらしなく開いている。


「乱歩さん、できれば早いうちにお願いしますね〜。月雲さん、場所がわからないと移動のしようがないので」
「じゃあ、月雲も何かしてくれるの?」
「え」
「等価交換。当然でしょ」


どうしよう、と桜坂は考える。等価交換ということは、江戸川にとってプラスになることでなくてはならない。物で釣るにしても、安い物で釣ることはまず不可能というか、先程の福沢の「褒めてやる」でやっとやる気になったのだから、きっと何をあげても無駄だろう。


「乱歩さん」


桜坂はガタッと椅子から立ち上がると、江戸川の前まで歩き、一気に顔を近づける。そしていつも通りの笑顔で、


「……この件が終わったら、何でも一つだけお願いを聞く……っていうのは駄目?」


と云った。これで駄目ならば、もうどうしようもない。パチパチ、と二回江戸川は瞬きをする。駄目だったか。桜坂は心の中で小さく舌打ちをするが、


「そこまで云われちゃしょーがないなあー!」


その一言で、全てを撤回した。無駄ではなかったようで何よりだ。


「月雲はその言葉、わすれないでよね!」
「えー、忘れたいなあー」


急に明るさを取り戻した江戸川は帽子をかぶり直すと、流れるように福沢から渡された写真と愛用の眼鏡をとる。後ろで宮沢が「おー」を感嘆の声を漏らしているが、ハイテンションになった江戸川は何を要求するかわからないので、桜坂にとっては一種の賭けである。

江戸川の異能力「超推理」。事件の真相、そしてそこにたどり着くまでの道筋が一瞬でわかる異能力。だがしかしその正体は異能力ではなく、単純に江戸川の推理力によるものなのだが、本人はこれは異能力で、自分は異能力者だと思っているらしい。

探偵社一同はこれを知っているが、それでも彼を自由にさせているのは純粋に彼の天才的な頭脳に敬意を払っているのだろう。そしてこの自由奔放さで二十六歳というのも驚きだ。


「……敦君が今いる場所は――ここだ」
「――海!?」
「……なるほど」


江戸川曰く、まだ死んではいないそうだ。そうなるとマフィアの目的は、船で中島を国外へ運ぶことになる。おそらく、泉はその餌として野放しにされていたのだろう。


「桜坂」
「何ですか、社長」
「出番だ」


福沢の言葉に桜坂は「そう云うと思った」と笑うと、くるりと背を向けて歩き出す。そのまま日の光が当たらない、影の差す場所へと向かった。


「でも、月雲さんが助けに行っても、迎えがなきゃ帰ってこられないよ?」
「国木田を向かわせる。先行し、新人を救出してこい」
「ふふ、月雲さんにお任せあれ!」


「八咫烏」は影を操る異能だが、何も攻撃だけに使うわけでは無い。影を通じた移動。移動できるのは桜坂のみという制限はあるが、座標さえわかればどのような場所でも一瞬で移動することができる。ただし距離が長くなれば長くなるほどその反動が時間差で身体に帰ってくるので、翌日は大抵特別に休日にしてもらうのだが。


「『八咫烏』」


桜坂が呟くのと国木田が走り出したのは、ほぼ同時だった。









「起きろー中島君−」
「うぐっ」


桜坂が横たわっている中島にデコピンをすると、中島は少しだけ苦しそうな声を上げて目を覚ました。中島の着ているシャツには血こそ大量についているものの、傷はほぼふさがりかけている。中島が拐かされてからまだそんなに時間は経っていないはずだが、流石は「月下獣」といったところだろうか。


「っ、逃げてください、月雲さん! 芥川が月雲さんを狙って……っ!」


その瞬間、閉ざされていた扉は轟音を立てて開き、桜坂の肩が、何かによって貫かれる。光の中では真っ黒な人影がゆらゆらと揺れ、ハイライトのない濁った双眸がこちらを見つめる。


「……なるほど、あえて証拠を残しておいたのは、あたしをおびき寄せるための罠だったってこと……?」
「然り。探偵社は良い働きをしてくれた」
「君にしては随分とリスクの高いことをしたよねえ」


淡々と述べる芥川に、桜坂は顔を歪ませた。穴の開いた肩からはまだ血がドクドクと流れていて止まらない。


「……ここで貴様と一戦を交えるのもまた一興。しかし、僕の目的は別だ」


芥川はそう云うと、一つのクリアファイルを桜坂の足下に投げてよこす。中の書類がバラバラと床に広がり、同時に心臓が跳ね上がった。一番上の書類には「桜坂月雲」の四文字が書かれており、その上には、


「ポートマフィアは、秘密裏に貴様についての情報を収集していた。……レイチェル。それが貴様の名だ、月雲」


「北米出身:レイチェル」の言葉が、静かに陳列していた。
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