商人の魔法使い



1



 らんらんと歌う子供の声が裏庭から聞こえてくる。歌声に呼応して風が踊るように駆け抜け、さあさあと木の葉が音を鳴らして拍手を送った。
 自然と精霊の演奏会の中心にいるのは、当然のようにフランチェスカだ。同時に彼女の手元からはパチンパチンと弾けるような音が断続的に鳴っている。

 ガーデニングはフランチェスカの趣味であり、生活の一部だ。裏庭のトマトも人参もグリーンフラワーも、ファウストに教わってからはフランチェスカが率先して手入れをしている。誰に頼まれたわけでもないのだが、やってみると意外とこれが向いているらしく、そして楽しい。それが発覚してからはファウストも農作はフランチェスカに任せるようになり、二人の自給自足の要はフランチェスカが握っていた。

 そして現在、フランチェスカは群青レモンの摘果の真っ最中だった。自分より背丈の高い木の中に手を突っ込み、葉っぱまみれになりながら生育の悪い果実を鋏で切り落としていく。十分な成長が見込めない実は成熟前に間引かなければ、余分に養分を取られるだけだからだ。


「フランチェスカ」


 ふと気づくと、フランチェスカの数歩後ろにファウストが佇んでいた。鋏を持った手を枝の中から引っこ抜き、「なぁに?」とファウストの方へ振り返る。


「レモンをひとつ貰えないか。形の悪いものでいい」
「わかった! えーっと……」


 フランチェスカは再び群青レモンの木を見上げて、熟れる前の薄水色の実を目で追っていく。わざわざ新たに取らなくとも地面にはいくつかのレモンが転がっていたが、用途は分からなくとも一度地面に落としたものをファウストに渡したくはなかった。
 あ、とフランチェスカが目当てのものを見つけ視線を留める。ただ、その果実ははるか上の枝に実っており、フランチェスカが背伸びをしようと手が届かない。


「ファウスト先生、箒貸して! 取ってくる!」
「貸すのは問題ないが……せっかくだ。魔法で取ってみなさい」
「魔法で?」


 フランチェスカがきょとんとファウストの顔を見上げる。


「物を切る魔法は教えただろう。君でも使えるはずだよ」
「でもフランカ、まだ手元にあるものしか切れないよ? 魔道具持ってないし……」
「いや。気づいていないだけで、君はもう既に魔道具を持っているよ」


 そう言ってファウストはフランチェスカの手元――剪定鋏に指を差した。


「君が毎日魔力を注ぎながら使ってたおかげで、鋏に不思議の力が宿ってる。十分、君の魔道具と言えるくらいに」
「本当!? でもフランカ、鋏に魔力なんて入れてないよ?」
「意識しなくとも魔力は宿る。それに君は少し、気を付けた方がいい。機嫌がいいと無意識に魔力を撒く癖があるみたいだから」


 つまり裏庭で作物の手入れをしている間、フランチェスカの魔力は駄々洩れになっているのだ。その充満した魔力を剪定鋏が吸い取り、さらには周囲の精霊もいたずらに祝福を撒き散らすものだから、ファウストが三千エンで買った剪定鋏はすっかりマジックアイテムへと変容してしまった。

 そうなんだあ、とフランチェスカは鋏の持ち手を両手で掴み、ジャキジャキと空を切る。ファウストは咳払いをして話を元に戻すと、フランチェスカが鋏からぱっと顔を上げた。


「物は試しだ。一度使って見なさい。その上で合わないと感じたら、今まで通りただの鋏としてだけ使えばいい」
「……分かった! やってみる!」


 フランチェスカは木の真下まで行くと、鋏を群青レモンに向けて先端を開いた。焦点を合わせるために片目を瞑る。


「《ロクァークス・フェレス》!」


 パチン、と鋏が閉じる。
 するとその瞬間、レモンの実がひとりでにぽとりと落下した。フランチェスカは一瞬大きく目を見張ったものの、折角ファウストに渡すレモンを地面に落としてはならないとあわあわと駆け、なんとか両手で受け止める。


「……! できたよ! 先生ー!」


 誇示するように、フランチェスカは群青レモンを右手で大きく掲げた。少し距離が離れていたが、ファウストが眼鏡の奥でふっと目を細めたのが分かる。

 笑った! ファウスト先生が笑った!
 その時のフランチェスカは、彼が目の前にいなければ踊り出したい気分だった。魔道具が決まり、魔法が成功し、大好きなファウストが自分を見て笑ってくれたのだ。これほどの喜びはない。

 フランチェスカはファウストの元へ駆け寄り、未熟なままの群青レモンを差し出した。彼は礼を言ってそれを受け取ると、レモンの実とフランチェスカを見比べる。


「切り方も綺麗だ。ちゃんと魔法が使えているな」
「えへへ〜」


 フランチェスカは頬が溶けだしそうなほど顔を緩ませた。
 そう。なんと言ったって、あのファウスト先生の役に立てたのだ。これでまた大人の魔法使いに近づけた気がする。

 すると、ファウストは「ああ、それと」と思い出したように話を振った。


「僕は明日、谷の麓まで出かけるが、」
「行くーー!!」


 どうする、とファウストが聞くよりも先にフランチェスカは飛び跳ねた。
 魔法使いと言ってもやっぱり子供で、単純な年頃なので。











「魔法使いのバザール?」


 フランチェスカが帽子を被りながら聞くと、ファウストはそうだと頷いた。


「年に一度、魔法使いの商人たちが合同で店を出し、東の国を一周する催しがある。その一団が今日、丁度嵐の谷の麓を通るんだ」
「じゃあお買い物だね! 先生は何買うの?」
「呪いに使う触媒のストックをいくつかと、衣類の買い替えを少し。あとは君の箒の材料を」
「箒?」
「いつまでも僕の箒を使うわけにもいかないだろう。……いや、別に貸すのが嫌になったわけじゃないが。体に合わない箒を使い続けるのは危ないからな」


 箒は魔法使いの靴みたいなものだ。使い続けるうちに徐々に体に馴染み、そのうち完全に持ち主のものとなる。他の魔法使いでも乗れないわけではないが、履き慣れない靴を無理矢理履いて歩くのは疲れるだろう。ふとした拍子に事故を起こしてしまうかもしれない。まして小さな子供が大人のそれを使うなんて、尚更。


「そっかぁ、フランカの箒かぁ」


 楽しみだ、と言ってフランチェスカはファウストの箒の後ろに乗った。両手で彼の腰にぎゅっと手を回すと箒がゆっくりと上昇し、地から足が離れる。

 もうファウストの箒には乗れないのかもしれない。そう思うと、そろそろ一人で寝られるだろうとベッドを分けられた時のような寂しさがこみ上げたが、フランチェスカはそれを黙っていた。大人になるってそういうことなのかもしれない。











 三十分ほど箒で空を飛べば、目的のバザールはすぐに姿を現した。いつもであればせいぜい野ウサギが駆けているだけの何も無い平野に、小さな集落が築ける程度の人が集まっている。多くの出店が横一列に並び、それが向かい合って大きな路を作っていた。

 ファウストが言うには店主も大通りを歩く人々も皆魔法使いだそうで、どうやら魔力を持たない人間にはこの様子が認識できないらしい。より詳しく言うならば、見えてはいるがそれを“珍しい催し”だと思い込めなくなるそうだ。現にすぐ傍の丘を人間のキャラバンが通りがかっているが、見たこともないくらいの魔法使いの集団がいても見向きもせずに素通りしていく。ここまでの精度の魔法を長時間に渡ってかけ続けているのだから、このバザールの主催側にはかなり強い魔法使いがいるのだろう。
 ファウストとフランチェスカは適当なところで箒を降りると、四方八方魔法使いでいっぱいの大通りに足を踏み入れた。


「人混みは初めてだろう。不調があったらすぐに言うんだよ。あと、僕から離れないように」
「うん! わかった!」


 フランチェスカはファウストの服の裾を掴むと、いつもより歩幅の小さいファウストに寄り添うように隣を歩く。


「……本当にみんな魔法使い? 魔法使いって、集まったりするの嫌がるんじゃないの?」
「否定はしないが、それは東と北の魔法使いが顕著なだけだ。個人差はあるが他の国ではこういった催しを好む魔法使いも多い。このバザールも主催は中央の国の魔法使いだったはずだ」
「へえ」


 嵐の谷から出ないフランチェスカは一般常識や時事がやや欠落気味だ。魔法使いが人嫌いだということはその最たる例であるファウストの背中を見て学んでいるのだが、それも国ごとに差異があるらしい。

 ファウストの説明を聞きながらキョロキョロと辺りを見回してみても、フランチェスカの身長で見えるのはせいぜい他の魔法使いたちの胴だけだ。肝心の露店はすっかり群集に隠れてしまっている。

 だが、フランチェスカは雑踏に呑まれようともへそを曲げなかった。はぐれないよう気をつけているとは言え、基本的にフランチェスカは好奇心の塊だ。今まで嵐の谷から数える程度しか出てこなかったフランチェスカにとって、自分とファウスト以外の魔法使いを見るのはまたとない機会だった。稀に呪い屋を訪ねて依頼者がやってくるが、彼らは皆何かしらの問題を抱えてやってくるので、覇気があるところを見たことがない。つまり、こういったエネルギッシュな場とは今まで無縁だったのだ。

 目的地への最短距離を歩き続けるファウストから離れないようにしながら、背伸びをしたり前のめりになってみたりと試行錯誤をして群集の隙間を探す。

 行き交う人々の中には風船を持って歩く魔法使いの姿もあった。あれは何、とファウストに聞くと、「露店と共に魔法使いのサーカス団も来ているんだ」と彼が振り返らずに答える。


「欲しいの?」
「いらないよ! フランカ子供じゃないもん!」


 嘘だ。本当は喉から手が出るほど欲していた。
 しかし魔道具が決まり、魔法が安定して使えるようになった今のフランチェスカは、彼女の中では大人の魔法使いなのだ。風船なんて子供が欲しがるもの、手にして歩いていたら恥ずかしい。

 だがフランチェスカの強がりは火を見るよりも明らかで、ファウストは片手で口を押さえて肩を震わせていた。かわいい。この場に人がいなければ思わずそう口からこぼれていたことだろう。

 そしてその時、丁度目の前を行く人々の列が途切れた。奥には水晶やら本やら、嵐の谷で見たことのあるアイテムが所狭しと並ぶ露店が佇み、ついフランチェスカは足を止めてしまう。
 だがその光景が見えたのも一瞬のことで、途切れたと思った人の列は何処からかやってきた魔法使いによって隙間が埋められ、フランチェスカの前には再び壁が築かれた。

 ファウストにはぐれないよう釘を刺された手前、行き交う人々の中を割って入っていくこともできない。これでは仕方ない、とフランチェスカは足を前に動かそうとしたのだが。


「あれ……ファウスト先生…………?」


 袖を掴んでいた筈の自身の手は握り拳の状態で前に出され、傍にいたはずのファウストは忽然とその姿を消している。後ろを向き、左右を向き、また前に向き直ったとしても、黒い帽子と外套はどこにも見えない。


「先生……? どこ…………?」


 さっと血の気が引いた。はぐれてしまった恥ずかしさと恐怖心がフランチェスカの喉を縛って、か細い声でしか名前を呼べない。とぼとぼと人の流れに従って進める足が十倍ほど重く感じた。
 幼子が放つ異様な雰囲気に周囲が気づき始めたのだろう。近くを歩いていた魔法使いはちらちらとフランチェスカに目を向け、「もしかして迷子?」「主催に言いに行った方がいい?」などの囁き声が聞こえてくる。

 ここが中央の国ならば正義感の強い者が率先してフランチェスカに声をかけに行ったのだろうが、ここは生憎コミュニケーションは最低限の東の国だ。人間であっても遠巻きに眺めるか、役人に通報するのが基本の国。でもここに役人はいないから、知らせに行くとしたらやはりバザールの運営だった。

 次第にフランチェスカの周囲には人一人分ほどの隙間が生まれ、息はしやすくなったものの完全に孤立状態だ。歩いてファウストを探しに行く勇気はぽっきりと折られ、フランチェスカの眼に薄い水の膜が張られたその時。


「――嬢ちゃん、迷子か?」


 ファウストよりも少し年老いた、三十路あたりの男の声が降ってきた。
 フランチェスカが振り向くとその男はフランチェスカと目を合わせるためにその場にしゃがむ。この場にいるのは魔法使いだけと分かってはいるのだが、大柄な体躯と背中のぱんぱんに詰まったリュックサックからファウストや自分と同じ魔法使いという言葉は連想しにくい。もちろん、彼の顔にも見覚えはない。とりあえず知らない人に話しかけられたら警戒しろとファウストには口を酸っぱくして言われていたので、フランチェスカは身を固くして両手を胸の前で合わせた。
 すると男は強面の顔をくしゃりと曲げて笑う。


「悪い悪い。こんな顔のおっさんに声かけられたんじゃそりゃ怖いよな。俺はドレイク。このバザールの主催を務めてる」
「主催……?」


 その言葉は、先程ファウストから聞いたばかりだ。確か。


「偉い人?」


 フランチェスカがそう聞くと、ドレイクは一瞬ぽかんと口を開けた後がははと声を上げて笑った。


「そうだ、ここの偉い人だ。嬢ちゃん、見た感じ誰かとはぐれちまったんだろう? 親御さんか?」
「……フランカ、先生とはぐれちゃって…………」
「そうか、師匠と来てたのか。先生の名前は言えるか?」
「ファウスト」
「――ファウスト?」


 その名前を聞いた瞬間、ドレイクの顔からさっと笑顔が引いた。目を見開き、フランチェスカの顔を見ながら全く別の誰かを見ているように呆然とする。
 フランチェスカは、もしかしてファウストの名前を出すのは駄目だっただろうかとぐっと自身の口元を抑えたが、それに気づいたドレイクが再び謝って苦笑した。


「嬢ちゃんの先生の名前が、俺の知り合いに少し似てただけなんだ」
「……ドレイクの知り合いにも、ファウストって名前の人がいるの?」
「ああ、いたんだ」


 フランチェスカは幼いながら聡さを身に着けていた。いた、と過去形だったことにしっかり気づいた彼女は、それ以上深く聞くことをやめてしまう。それも込みでフランチェスカがそういう子だと見抜いたドレイクは、気にするなとフランチェスカの頭を乱雑に撫でる。


「とりあえず、無暗に移動して嬢ちゃんを探しに来た先生と行き違いになったら困る。先生は俺の仲間に探してもらうとして、俺と嬢ちゃんはここで待っていよう」
「……うん」


 ドレイクはフランチェスカを連れて道の端に避けると、丁度露店の出ていないスペースにどっかりと腰を下ろした。彼が言っていたであろう仲間らしき男女数人に声をかけると、彼らはぱっとその場を離れて群集の中に溶けていく。


「ドレイクはいいの? バザールの仕事があるんじゃない?」
「何、迷子の嬢ちゃん放っておいてまでやる仕事はないさ。先生探しの事なら、丁度俺たちも探し物の最中だったから気にしなくていい」
「探し物? 何か落としたの?」
「ああ。実は飼ってた猫がいなくなっちまってな。俺らがバザールを回ってたのもニャンちゃん探しの途中だったんだ」


 ほれ、とドレイクはフランチェスカに一枚の紙きれを見せた。鼻の潰れた黒猫が鉛筆で描かれており、おそらくこれが彼の飼い猫なのだろう。黒猫はフランチェスカも嵐の谷で世話しているが、彼の方がこの絵の猫よりもしゅっとした佇まいだった。

 ドレイクという男は、フランチェスカが知る魔法使いの像とは少しだけ離れていた。魔法使いとはもっと根暗で、他者を嫌って、人を恨んで、例え誰かと一緒にいても心に孤独を飼っている生き物だと思っていた。だけどドレイクからは、そういったものを感じない。ファウストとは真逆のタイプだろう。ファウストも、困っている子供を助けようとするのはきっと同じだろうけど。

 そういえば、ファウストが言っていた。このバザールの主催は中央の国出身の魔法使いだと。ならば、ドレイクは中央の国から来たのだろうか。


「……ドレイクは、中央の国の魔法使いなの?」
「お? よく知ってるな。噂でも聞いたか?」
「先生が言ってた」
「ははは、嬢ちゃんの先生にも知られてるとは光栄だ」


 ドレイクはすんなり肯定した。出身地など隠すほどのものでもないので、それも当然なのだが。


「嬢ちゃん、中央の国に興味があるのかい?」
「ちょっとだけ。フランカ、東の国から出たことないから」
「なら嬢ちゃんにいい本がある」


 ドレイクはごそごそとリュックサックの中を探ると中から一冊の本を取り出した。かなりの分厚さで、これを持ち運ぶのは体格の大きい彼だからできることだ。何度も開いたようでカバーの端はバサバサと擦り切れている。これまで相当な人の手を渡ってきたのだろう。フランチェスカが受け取るとずっしりとした重さが両腕に伝わった。


「中央の国の本だ。名物も歴史も大抵のことは全部それに書いている」


 フランチェスカがパラパラとページを捲ると、確かに中央の国特産の食べ物や料理が挿絵付きで解説されていた。ああ、これはファウスト先生の好きなガレットだ、などと思いつつ生活様式の章を終えると、次は歴史の章に辿り着く。

 中央の国の歴史は戦争から始まっていた。権力争いが各地で起こる中、後の初代国王であるアレクが革命軍を率いて戦い、見事建国を成し遂げた。当時彼らに協力した人間の中には、現在も貴族としてその血を受け繋いでいる家もあるらしい。ダルク家、ヴェンタール家、アルネゼデール家、ルクリュイーズ家……フランチェスカにとっては関わりのない名前ばかりだが、中央の国では古くから知られる大貴族だ。

 当時は魔法使いも人も大勢の血が流れたようだが、今ではすっかり平和そのもの。だが初代国王を讃える内容の文献は今でも数多く残っており、革命記念日は中央の国での一大イベントになっている。

 そしてもう一人、中央の国で知らぬ者はいないと言われた人物がいた。


「――聖なる魔法使い、ファウスト……?」


 中央の国の建国を傍で支えたとされる偉大なる魔法使い。その姿こそ本に記されていないにしろ、フランチェスカの知るファウストと同じ名だった。


「おう。中央の国にもファウストっていう聖人がいたんだ。嬢ちゃんの師匠と同じ名前のな」
「ふーん……?」
「なんだ、興味無さげだな」
「だってファウスト先生の方がかっこいい」


 ん、とフランチェスカは開いたページをドレイクに向け、その内のある挿絵を指さした。
 とある男の立ち姿だった。画家の腕が悪かったのか、あるいは画家があまりにも忠実に再現した結果なのか。お世辞にも美しいと呼べる顔立ちではない。長い髪を項辺りでひとつに束ね、ゆったりとした薄い色のローブを羽織っている。黒いインクとガタガタと揺れる線のみで描かれたイラストでは配色が分からなかったが、聖職者との記述から色を基調とした装いであることは想像できた。
 フランチェスカがそう主張すると、ドレイクは声を出してからからと笑った。


「そりゃその絵はケイトの野郎が落書きで――おっと。他の奴が想像で描いたファウスト様の姿だからさ。本物のファウスト様はもっと綺麗な顔をされてる」
「えーそう? それはドレイクの“シュカン”じゃない?」


 言葉を交わすうちに警戒も溶けてきたのか、フランチェスカは冗談交じりに半目で見上げる。


「よく主観なんて知ってるな……じゃなくて、本当さ。何たって俺は、その聖人ファウストに会った事があるんだからな」
「そうなの!」


 フランチェスカはぱっとその顔を驚きで満たした。書物によれば、聖人ファウストが活躍したのは今から三百年と少し前のことだ。ドレイクはその頃から生きていたらしい。


「聖人ファウストってどんな人だったの?」
「とても勇敢な方だったよ。そして、人を率いるカリスマを持たれていた。魔法使いの先頭に立っていたのがあの方じゃなければ、革命に参加した魔法使いの数はうんと少なかっただろうな」
「へえ。同じ名前なのに、ファウスト先生とは真逆!」
「……そうなのか?」


 今度はドレイクが少し目を見開いた。フランチェスカは彼の様子を気にも留めず、楽しそうに首を縦に振る。


「フランカの先生は引きこもりなの! 人間のこと嫌いだし、たくさんの人の中にいるのもあんまり好きじゃないみたい。だから先生がこんな大きなバザールに来るの、すっごく珍しいんだよ!」
「……。そうか…………」


 そう小さく呟いて、ドレイクは視線を地面に落とした。嬉しいとも悲しいともとれない、複雑な表情だった。

 フランチェスカはこういう顔に見覚えがあった。嵐の谷にいる時、稀にファウストも似たような顔をするのだ。フランチェスカにはまだ難しくてわからないが、きっと大人はこのような顔をよくするのだろう。
 こういう時、フランチェスカはどうすればいいのだろう。ファウストの時は何をすれば元気になってくれただろうか。ガレットを一緒に作った? 魔法のシュガーをプレゼントした? 猫を連れてきて撫でさせてあげた?

 ――そうだ! 猫!
 彼は今、飼い猫が迷子になっているんだった!


「……ド、ドレイク!」


 フランチェスカはがばっと立ち上がって、ドレイクの正面に回り込んだ。彼が目を丸くするのを見下ろして、両手で拳を作る。


「猫ちゃん! フランカも探すの手伝ってあげる!」


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