指差しのよすが

或るアイドルへの大難

12

「……………………」
「ごめんなさ〜い。洗濯物洗おうとしたんですけど、中にティッシュ入ってるの気づかなくってぇ」


 どさり、と目の前に置かれた洗濯かごを茜は呆然と見下ろした。水気を吸って重量感のある衣類は全て茜のものだ。シャツからジャージ、靴下までが色移りも気にせずごちゃごちゃと混ぜられている。

 その全てに、白く小さな紙くずがまるで雪のようにくっついていた。雪ほどきれいなものであればどれほどよかっただろう。ぴっとりと布に張りついたそれらは、清潔であるとはいえ洋服の見目を損なう塵でしかない。

 寮の茜の部屋までそれを運んできた非特待生たちは、言葉を失った茜を見てくすくすと笑った。


「もう一回洗濯し直せば全部落ちると思うんで! いくら特待生様でも洗濯くらいはできるでしょ! じゃ、私らはこれで〜」


 不快な笑い声を撒き散らしていた彼女らが茜と茜の洗濯物を残して去っていく。引き止めようにもどうすればよいのか茜には分からなかった。もし止めたとしても、「まさか特待生様は洗濯機も使えないんですか?」と馬鹿にされるだけだ。教師に伝えて謹慎処分にしてもらったとしても、復帰すればまた同じことの繰り返し。

 茜はのそのそと洗濯かごを自室に入れると、笑い声を遮るかのように扉を閉めた。


「……ティッシュなんて入ってるわけねえじゃん、ば〜か」


 特待生である自分の服は全て非特待生が洗うことになっている。他人に洗わせるのだからと洗濯に出す前に服のチェックは行っていた。当然、その時はポケットの中にティッシュなど入っていなかった。

 おそらく、直前に彼女らが混入させたのだろう。理由は語るまでもない。


「服……どうしよ……これはさすがに着れないな…………」


 かごの中から学園指定のジャージを掴みあげる。適当にごみくずを払ってみるがほんの一部分がポロポロと落ちるだけで、全て手作業でやっていては日が暮れる。


「全部洗い直しか……困ったな、乾いたら着ようと思ってたのに」


 施設からの仕送りもほとんどない茜は、持っている衣服だって他の特待生と比べても些細なものだ。学園の敷地外に出ないのをいいことに、ほとんどの時間を制服かジャージのどちらかで過ごしている。

 このあとの予定もこのジャージを着て向かうはずだったのだ。しかしこうなってしまっては、このまま制服で向かうしかない。

 茜はこの日一番大きなため息をつくと、持っていたジャージをかごの中に叩きつけ、それを持って部屋を出た。









 トントン、と石造りの階段を下りる。数日前に巽に教えられた地下墳墓への階段だ。

 洗い直しになった洗濯物は来る途中で共用ランドリーに放り込んできた。制服での出入りは目立つためできる限り避けたかったのだが、今さらどう言ったところで時間は巻き戻らない。不幸な事故に遭ったとでも思うことにして、茜は巽の元を目指していた。

 地下墳墓へ来るのはこれで二回目だった。ぽつぽつと置かれたカンテラが岩肌を照らす道を辿ると、以前同様、奇妙な像に囲まれた広い空間に辿り着く。そこでは男子部からやってきた非特待生たちが死んだように壁にもたれかかり、中には虚空を見つめながらけたけたと笑い声をもらす者もいた。そのあまりの異様さに、始めて見た時は茜も小さく悲鳴をあげたものだ。

 じっとりと肌に纏わりつく不快感はその独特な空気だけが原因ではない。茜が制服のままここに足を踏み入れたことで、非特待生たちからの視線を一身に受けていた。

 商売敵の女子アイドル。そして憎き特待生。それだけで白眼視に値する。

 幸い、自分たちが崇拝する巽が茜の身を保証しているから、今のところ危害は加えられていないが。


(それも時間の問題だろうなぁ)


 負の感情が器から溢れ出した時、人は適当な誰かを攻撃する。洗濯物をわざと台無しにした非特待生のように。

 何もかも失った人間の手網を握るには、どうすればいいのだろう。たまに考える。何があれば、茜は自身に降りかかる災いを払えるのか。

 巽を探してきょろきょろと辺りを見渡しているが、今日は彼の姿はどこにも見当たらない。彼は普段ここにいると、彼自身から聞いたはずなのだが。


「……ねえ、そこの人。巽先輩は? 知らない?」
「………………あぁ?」


 思い切って、茜はすぐ近くで寝ていた男子生徒に聞いてみることにした。すぐに返事が返ってきたため、地面に寝転んでいただけで睡眠をとっていたわけではないらしい。


「まだここには来ねぇよ、あの人は。最近は非特待生の寮にいることが多いんだ」
「非特待生の寮? あの人特待生だよね? ……なんでそんなとこに?」
「俺が知るかよ。もうどうでもいい。俺はもうすぐ、学校をやめるんだ」


 そうぶっきらぼうに男子生徒は述べると、寝返りをうって茜から顔を背けた。愛想の欠片もない態度は並の人間なら癇に障っただろうが、茜にとっては些事だ。なぜなら茜もこの男子生徒のことがどうだっていい。寝ているはずなのに隈の酷いやつれた顔の理由にも興味はない。知りたいのは巽が今どこにいるのかだけだ。


「非特待生の寮ってどこ?」
「……地下墳墓を出てすぐの林を南に…………待てよ。あんた行く気か? 冗談だろ、女のくせに」
「バレなきゃ何やったって違反にはならないでしょ。巽先輩が来てくれるまでこんな場所にいなきゃとか、そっちの方が無理」


 地下墳墓は巽が管理することで成り立っている場所だ。彼が居なければただのカオスの溜まり場だった。何が起こるか、茜にも知れたものじゃない。

 かといって夜にもう一度再び訪れるのも不可能だ。基本的に放任されている非特待生とは違い、特待生の寮には寮母が常駐し、門限まできっちりと決められている。おそらく男子部でも同様だろうが、巽が好き放題にできているのは彼がアイドルとして売れているからだ。力のない茜には彼の真似はできない。


「でも、この制服じゃさすがに目立つな……あ、そうだ」


 茜は閃いたように指を鳴らすと、男子生徒の傍らに畳まれた衣服を指さした。


「君のそのジャージ、私が買い取るよ。どうせ学校を辞めるなら、もう必要ないでしょ?」


 何を言っているんだ。彼はそう言うようにかっと目を見開く。対して茜は、至極当然のことを説くように淡々と言葉を連ねた。


「いくらがいい? できれば今財布に入ってるお金だけで勘弁してほしいんだけど……とりあえず、これくらい?」


 茜はポケットから三つ折りの財布を取り出して、中から一万円札をまとめて引き出した。三、四枚の万札がぱらぱらと男子生徒の目の前に落ちる。男は信じられないと顔を歪めたが、数秒も経たないうちにその魔力に取り憑かれた。

 非特待生は基本的にみんなお金に困っている。アイドル活動をして報酬を貰えないから、学外に稼ぎに行くしかない。だが特待生の世話をしていれば、そのバイトに行く余裕すら消える。なので金を渡せば、大抵のことは何でも喜んでやってくれるはずだ。


「い、いいのか? こんなに」
「ジャージ、これでくれる?」
「あ、ああ、やるよ! やるやる! こんなもんいくらでもくれてやる!」


 死人のような目を久方ぶりに輝かせて、男子生徒はわたわたと自身のジャージを茜に差し出した。あちこちが擦れて生地の表面が逆立っている箇所がある、着古された体育着。中古ショップに持ち込んでも二束三文にしかならないだろう。男子生徒もそれがわかっていたから、棚から落ちてきた幸運に目を見開いたのだ。

 だが茜はジャージを受け取ると、すぐに男子生徒への興味をなくした。着替えるために人目のつかない場所を探して地下を歩き始める。出入りする人間の数に比べてこの地下墳墓の広さは膨大なため、巽ですら現状そのほんの一部しか利用できていない。少し歩けばすぐに見つかるだろう。


(やっぱりお金だなぁ。お金が何でも解決してくれる)


 もっと早くこうすればよかった。非特待生は金で釣ればいい。そうすれば、笑ってしまうくらい彼女らは茜の言うことを聞いたのに。


(金、金、金……。やっばりお金だけが私を幸せにしてくれる)


 幼少期からずっと考えていた。自分を溝川から救い上げてくれるのは金しかないって。遺産を泣く泣く見送ったあの日からそれを念頭に置いて生きてきた。それを肯定されたようで、自分が正しかったと実感するようで、気分はやけに晴れやかだった。
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