指差しのよすが

或るアイドルへの大難

13

 そうして地下墳墓からやってきた茜を見て、巽は困ったように笑っていた。


「迎えに行けずすみません。てっきり地下墳墓で待っていてくださるものかと……」
「別に〜? むしろこの場で一番の余所者は私なんですから、わざわざ押しかけてむしろすみませんって感じですよ」
「とんでもない。とはいえここも俺の部屋ではないので、俺が歓迎するのは筋違いなんですが」


 学生寮の一室。非特待生がまとめて押し込められているタコ部屋の中央に、巽と茜は卓袱台を挟んで向かい合う。

 体格が一回りも大きな男子生徒から買ったジャージは茜が着るには丈が余りすぎていて、膝を抱えて座ると普段よりも小柄に見えた。


「……巽先輩」
「はい、なんでしょう」
「巽先輩は、どうやって非特待生を言うこと聞かせてるんですか?」
「……と、言いますと?」


 茜が絞り出すような声でそう問いかけるが、巽はきょとんとした顔を浮かべるだけだった。


「だって、そうでしょう。非特待生は私たち特待生を恨んでる」


 玲明学園における非特待生は学園側が用意した特待生のための養分だ。アイドルの卵だ何だと甘い言葉を囁かれてプランターに埋められた肥料でしかない。根に纏わりつかれ、日の目を見ることがないまま時間と労力を吸い取られるのは一体どんな気分だろうか。

 だから、地下墳墓は異様な光景だった。茜でなくとも一般的な特待生が見ればそう感じるだろう。あの非特待生たちが、命令されて嫌々ではなく自ら望んで特待生の為に動いているなんて、自分達の常識では考えられない。


「私にもそれ、できます? どうすれば非特待生からの嫌がらせをやめさせられますか? 私、学がないから分からなくて。金で釣るしか思いつかない」
「茜さん。もしや貴女は、非特待生の方々にも……」
「洗濯物。彼女達に頼んだら台無しにされちゃいました。まあ、こういうのって別に非特待生からだけじゃないんですけど。特待生からも似たような嫌がらせは毎日受けてますよ。この間は買ったばかりのリップ折られてたし」
「……………………」
「ほんとは分かってますよ。私が実力を証明できればこのいじめは簡単に止むって。ターゲットが私よりももっと出来の悪いアイドルに移って、今度はそいつがいじめられるようになるって。でもだめなんです。私、どう頑張っても、うまくアイドルができない」


 勝たなきゃ。あんな、他人を蹴落としてじゃないと上に登れないやつらなんかに負けたくない。

 もっと人気がほしい。もっと金が欲しい。自分を素知らぬ顔で踏みつけてきた奴ら全員蹴り飛ばして、高笑いできるだけの全てがほしい。

 だけど今はまだ、茜がそんな奴らと同じ舞台にすら上がれない。だからせめて、同じ舞台下で吹き荒れる嵐をどうにか乗り越える術を知りたかった。

 話を進めるうちに自然と茜の目に涙が溜まっていく。ここ数日分の気苦労をまとめて放出しそうな勢いだった。気持ちを吐露してうっかり涙まで吐き出してしまうなんて、そんなことは今まで生きていて一度もなかったはずだ。玲明学園に入ってからの自分は明らかにおかしくなってしまっている。いよいよ茜はそう思っていた。


「……茜さん。まず、俺は貴女に少し酷なことを言わなければなりません」
「……はい」
「俺は一応特待生ですし、有難いことに名指しで仕事を貰うこともありますから、教師や業界にも少しだけ顔が利きます。ですがそれは男子部、ひいては男性アイドル業界のみの話になります。なので貴女が今受けている行為を止めるには、貴女の言う通り貴女自身がアイドルとして成功を治めなければなりません」


 つまり、楽をできる道はない。今が辛いからと特効薬のように茜を救ってくれるものは存在しない。そう巽自身もどこか不甲斐なさを感じた表情で諭される。


「なので、俺は貴女に地下墳墓を提供します。望まれるのなら俺が知り得る限りのアイドルの技術をお教えします。貴女が買い直すことになってしまった化粧品や衣装の費用も全て俺が負担しましょう」
「なっ……」


 茜は耳を疑った。彼の言っていることがいまいち理解できなかった。今、金も時間も技術も、全て茜に譲ると述べた気がする。


「……ですが。俺は貴女なら、そう遠くないうちに現状を打破できるとも思っているんですよ」


 初めて会った日と覚えていますか、と巽は尋ねた。茜が女子部の講堂で他の特待生たちと合同ライブを行うことになり、その手伝いに巽がやってきていた日のことだ。


「あの後、俺はステージに立つ茜さんの歌を会場の外から聞いていました。きっと、生まれつきの才能やセンスをお持ちなんでしょうね。ステージにいる貴女からは当然見えなかったでしょうが、あの時、外を歩いていた人が茜さんの歌を聞いて立ち止まるのを見ました」


 茜は玲明学園に入る前にアイドルのレッスンを受けていなかったことを卑下しているようだが、そんな必要はない。その経験の浅さを、彼女は生まれ持った才能でカバーできているのだから。アイドルの父と呼ばれた血筋を受け継ぐだけの技量を既にその身に宿している。

 だから、何かのきっかけがあれば。波のない水面に一石を投じるような出来事がたった一度あればおそらく、大きな水しぶきをあげて“アイドル”が誕生する。


「まあ、茜さんには“何をわけのわからないことを”と思われるかもしれませんが。案外――」


 その時、立て付けの悪い扉が不快な音を立てて開いた。二人がそちらに目を向けると、茜や巽と同じ色のジャージを着た男子生徒がやや気まずそうな顔で見つめ返す。

 粗野で野性的な印象の少年だった。だが猛々しさが前面にあるわけではなく、むしろ得物を狙う肉食動物のような冷淡さを纏っている。大柄な体格ではないものの、目つきの悪い金色の瞳も相まって初対面で敵対心や反抗心を与えてしまうことも多いだろう。事実、茜も彼と一瞬目が合った時は睨まれているのではと緊張感が走った。


「……おや、ジュンさん」
「あ……っと、邪魔してすみません。荷物だけでも取って行っていいですかね〜?」
「いえいえ、邪魔だなんて。むしろ邪魔しているのは我々の方ですからな。ジュンさんが遠慮される必要はどこにもありませんよ」


 だが、口を開けば粗雑ではあるものの思いのほか謙虚で、茜はぽかんと呆気にとられた。

 そう、巽の言う通り邪魔しているのは茜たちの方だ。おそらく彼はこの部屋に住む非特待生なのだろう。自分たちのスペースを勝手に占領されているのだから、文句を言うくらいあってもいいはずなのに。そろりとタコ部屋に足を踏み入れる彼を見て、思わず茜は笑ってしまった。そんなに腰の低い非特待生を、茜は随分久しぶりに見たのだ。


「失礼しますって、自分の部屋でしょ? 普通に入ればいいじゃん」


 けらけらと声に出して笑う茜に視線を向け、巽は若干目を見開く。ステージでアイドルの仮面を貼り付ける以外で、彼女の笑顔を始めて見た。

 一方、ジュンと呼ばれた少年は「はあ?」と情緒の安定しない茜をどこか訝しんでいた。


「なんとなくっすよぉ。つーか、アンタはここでのんびりしてていいんですか。特待生のお世話とか、色々あるでしょ」


 途端にぎく、と茜の肩が揺れる。どうやら彼は茜を非特待生と勘違いしているようだった。

 少年が茜を自分と同じ非特待生だと認識したのは、おそらく茜が着ていたジャージのせいだろう。特待生なら布地が擦れるまで使い込んだりしないので、いつまで経っても小綺麗なままのはずだからだ。現に巽のジャージは新品のような艶を残しているが、少年のそれはうっすらと汚れ料理で跳ねた油のシミが残ってる。


「わ、私はそういうの必要ないから」


 そう早口で言って茜は顔をそらす。少年はそんな様子の彼女を黙って見降ろしたのち、鋭い双眸に嫌悪を滲ませた。


「……もしかして、あんた特待生?」
「…………」


 びり、と電流を流されたように茜の脳が麻痺した。冷や汗が頬を伝う。

 突然、洗濯籠を置いて去って行った非特待生の顔が思い浮かんだ。あの下品な嘲笑が今でも耳に残っている。

 特待生だから、特に何かをされたわけでもないけど嫌われる。その空気が嫌で女子部から逃げてきてしまったわけだが、結局男子部でもそれは変わらないことに肩を落とした。


「ジュンさん」
「……あ、いや……すみません。悪気はなかったんですけど……」
「別に……非特待生から特待生への態度はそんなもんって分かってたし……別に初めてのことなんかじゃないし……」


 巽に諫められ少年はあわてて発言を撤回したが、一歩遅かった。茜のそれまで押さえ込んでいたマイナス思考が滝のように流れ出す。


「非特待生には目の敵にされるし……同期からは目の上のたんこぶ扱いだし……先輩には居ないものとして扱われるし……」
「……………………」
「ほ〜んと特待生っていいことない……なんで玲明なんか入っちゃったんだろ……なんで……アイドルなんか…………」
「…………………………………………」


 玲明学園に入らなければ。どこか地方へ行って、女子も受け入れている適当な養成所に入って細々と続ける方が良かったのかもしれない、とまで考えて、きっとそれは叶わなかっただろうなとも思う。茜はまだ未成年だ。当然保護者、茜の場合は施設からの支援が必要になる。院長らが茜の玲明への入学を快諾したのは単に学費が安く全寮制だからというだけであって、先の見えない業界において負担の大きい全寮制を取り入れているアイドル養成所は玲明の他にはほとんど存在しない。候補に挙がっていた夢ノ咲だって、仮にアイドル科が共学だったとしても通学制のそこに茜が進学することはできなかっただろう。

 なので茜が直面している大難は、どうしたって避けようがなかったのだ。どれだけ文句を垂れようとここで踏ん張らなければ意味はない。

 もぞ、と茜はぶかぶかのジャージを頭まで被り、視界から巽と少年の姿を消した。薄い布地がうっすらと光を透かす闇に包まれると、途端に茜の目からぽろりと涙が落ちた。


「げ、元気出せよ〜。あんたはオレと違って特待生なんだから、教師だって味方してくれるだろ?」


 泣いている茜を見てさすがに良心が痛んだのか、少年がおろおろと慣れない様子で慰めの言葉を探す。


「先生は基本的に序列に従うから、一年の私のことなんて気にかけてくれないし……」
「序列に従うってことは、つまり向こう一年我慢すればそれなりの待遇を受けられるってことだろ? いいじゃねえか、下働きができて。オレらどん底からすれば十分恵まれてるよ」
「……自分の持ち物が、ひとつずつ減っていっても?」


 茜がそう呟くと、少年がひゅっと息を止めるのが聞こえた。茜はジャージを目元まで下げて少年の顔をじっと見つめると、動揺で揺れる蜂蜜の瞳とかち合った。


「最近、持ち物がよく無くなるんだ。文房具だったり、化粧品だったり、あったはずの小物がいつの間にかなくなってて、かと思えば絶対に捨ててないはずなのにゴミ箱に落ちてる」
「それは……」


 意外だっただろう。特待生でもいじめには遭うなんて。いつもは自分達を顎で使っている人間が、他の特待生や、あるいは別の非特待生に棒で殴られ足で蹴られているなんて考えもしなかったかもしれない。

 そういうのを知って、少年はどう思うのだろう。気分が晴れるだろうか。胸がすいた心地になるだろうか。


(私ならきっと、そう思う)


 ざまあみろと思う。いい気味だと高笑いする。そうしてもっともっと、自分を貶めてきた連中を最下層に叩き落としてやりたくなる。

 だから非特待生の少年も、きっとそうだと思っていた。


「そりゃ、いよいよ立てなくなるくらい追い込まれてんなら別だけど。人の足引っ張んないと前に立てないクズに好き勝手されるの、悔しいだろうが」


 だけど彼の反応は、茜の予想の斜め上を過ぎていった。


「あんたは特待生なんだ。学校や教師に、あんたの実力は既に認められてる。自信持っていいんだよ」


 ――なに、それ。

 それではまるで、茜のことを応援しているみたいだ。

 辛いかもしれないけど頑張れと。あんたなら悔しさだって餌にして走っていけるはずだと。そう背中を叩いてくれたみたいだ。


(……知らないよ、そんなの)


 誰も言ってくれなかった。院長からの理不尽な支配も、小中学校での冷遇も、玲明でのいじめも、受け入れて、無理やりにでも飲み込むのが正しいんだと、誰もがそういう教えを茜に流し込んでいたのに。そうじゃなきゃ、院長は遺産の相続を勧めたりなんかしなかったはずだ。負の遺産が混ざっていることを隠して、あえて茜が苦労する道に誘導したりしなかったはずだ。

 いつの間にか茜の涙は止まっていた。昔、まだ施設の牢屋に自由が詰まっていると知らなかった頃、無限にも感じられた時間の末にやっと扉が開いた瞬間のような。暗闇に差し込んだ光を見つけたように茜は目を見開いた。


「なら、ファンサして」
「…………………………はっ!?」


 おそらくこれは、幼児が行う試し行為のようなものだったのだろう。非特待生の彼がファンサを行ったことなどないことを茜は知っていた。だけど本当に彼が、自分と目を合わせてくれているのなら、きっと無理難題にも付き合ってくれる。別に心の底からファンサービスを欲していたわけではない。


「ファンサだよ、ファンサ。ファンサービス。アイドル目指してるなら意味は分かるでしょ? なんでもいいよ。あっでもリクエストを聞いてくれるなら、私は指差しがいいな! 個人を特定されてる感じがして私は好き」
「いや、そんなこと言われてもオレ、ファンサなんかしたことねえんだけど!?」


 予想通り、少年はどうしたらよいか全く分かっていない様子だった。困って巽に助けを求めているが、“牧師”として売り込んでいる彼のファンサービスは一般的なそれとは少し雰囲気が異なる。アイドル経験の浅い彼が参考にできるようなものではない。

 彼がどうするのか茜が様子を伺っていると、彼はよし、と腹をくくったように茜に向き直る。


「下手でも笑うなよ〜……?」


 そうぎこちなく彼が笑うと、無骨な人差し指だけがぴんとのばされる。その銃のような手がゆったりと持ち上がり、指先が茜に向けられた。


「ばん」
「――――――――」


 まるで、その指から本当に銃弾が飛び出してきたかのような衝撃だった。

 太陽が目の前のアイドルのためだけに用意されたスポットライトみたいに思える。どくどくと早まった鼓動を押さえたくなって、茜はジャージの裾を握った。

 顔があつい。じわりと背中に汗が滲む。急にきらきらと輝きだした世界を見て、一瞬自分の目がおかしくなったのかとも思った。

 ――わたしだけのアイドル。まだ誰にも見つけられてない、わたしだけを見てくれるアイドルが目の前にいる。

 そう思った瞬間、茜は声をあげて笑った。


「ふふ、ははは。あははは」


 だって、あまりにも自分が単純すぎて。

 それまでの汚泥に沈んだような気分がたった一つのファンサですくい上げられるなんて、おかしいったらありゃしない。世のアイドルファンはみんなこんな気持ちを味わうためにライブに来ているのだろうか。これが、ファンになるということなのだろうか。

 だけどそんなことを言っては気持ち悪がられてしまうだろうから、一言、茜はごまかしのような言葉を吐くことにした。


「へったくそ」


 素直になれないのは育ちが悪いせいにして、そんな嘘を伝えた。

 本当は少年の指差しが下手だったのかどうかなんて茜には判別できない。

 なぜなら茜は、アイドルからのファンサを生まれて初めて貰ったのだから。
ALICE+