指差しのよすが

或るアイドルへの大難

16

「茜さん、おかえりなさい! お部屋のお掃除終わってますよ!」
「茜ちゃん、あのお菓子好きだったよね? 楽屋に置いて貰えるようマネージャーに言っておくね!」
「来栖さん! 来栖さんに教えてもらったところ、レッスンで試したら先生にすっごく褒められたんです! ありがとうございます!」
「茜ちゃん、非特待生の子とも打ち解けてるよね……なんか、尊敬しちゃうなって。私、未だにどう接したらいいか分からないもん」
「いえいえ! 茜さんのおかげで私たち非特待生に強く当たる人が減ったんですから、これくらい当然ですよ!」
「茜ちゃんが玲明にいてくれるおかげで、私も初めてライブハウス以外で活動できそうだよ〜! 本当ありがとう!」
「茜さんって、英雄みたいだよね!」
「よっ女子部の救世主!」

「それって、風早巽みたいな?」


 心に浮かんだその一言を茜はぐっと飲み込んだ。代わりに愛想笑いを返せば、目の前の特待生女子生徒たちはきゃあきゃあと声をあげてはしゃぐ。

 撮影があるからと述べて茜はやや急ぎ足で教室を出て、すぐに校門へ向かう。スマホで時刻を確認すれば迎えの車が来るまで数分ほど余裕があったので、そのまま校舎前に立っていた。

 玲明学園女子部の生徒は特待生であっても、基本的にはライブハウスでのライブが主な活動だ。男子部のように努力と才能次第では表舞台で輝けるという希望もない。それがどんな因果か、茜ただ一人だけが売れてしまった。

 そうすると、茜がさも女子部を導く英雄のように見えてしまう。

 事実、茜の活動のおこぼれを拾う形で、他の特待生の仕事の幅は広がった。地下ライブのみの出演が、インターネット上の小さな番組に出演できるくらいには。既に各メディアや広告にも出ている茜と比べれば小さすぎる一歩だが、女性アイドル史上では大きな一歩とも呼べる。

 だが、アイドルを志す者たちは皆貪欲だ。それだけではまだ足りない。もっと、男性アイドルたちのように自分も輝ける舞台に立ちたい。誰かがそこに連れていってくれるのをずっと待っている。

 特待生・非特待生を問わず、茜への態度は豹変した。虫けらみたいに踏み潰していたことなんてけろりと忘れて、自分たちの宝物だからと蝶よ花よと愛で始めた。


(――悪くない気分。自分を馬鹿にしてた奴らが頭を下げてくるって、こんなにも楽しい)


 茜の心情はそれに尽きる。

 散々酷い扱いをしていたのに、急に掌を返して強者に媚びへつらうのを見るのは面白い。もっと無様で、愚かになればいいと思う。その方が気分が晴れる。施設と同級生に虐げられていた子供の頃の自分が、特待生なのに誰からも顧みられなかった少し前の自分が、それでようやっと報われる。


(……けど、すっごく気持ち悪い)


 でも、今受け取っている善意は、絶対に混じりけのない純粋なものではない。

 プライベートまでもびっちりと張り付いて、皆茜のおこぼれで仕事が貰えるのを期待している。来栖茜という船に乗っていれば自分たちは新しい時代に行けるのだと信じている。なんでも施してあげるから、喜んで道を譲ってあげるから、だからどうか、もっとアイドルとして成長して私たちを救ってねと。早く風早巽のようになってねと、願っている。


(冗談じゃない)


 お前たちのことなんか知るものか。

 漣ジュン以外に好きなアイドルなんていない。他のアイドルに憧れなんかない。彼以外に助けたいと、力になりたいと思える人なんていない。それなのに誰が好き好んで、たった一人で戦場に立たなければならないのか。

 むかむかと込み上げる溜飲を下げられないうちに、迎えの車がやってきた。マネージャーが運転する自動車の後部座席に乗り込んで、窓にこめかみを押し付ける。


「茜ちゃん。今日の撮影なんだけど、スポンサーの一人がちょっと、なんというか……」
「女性アイドルに否定的って?」
「……うん…………」


 流れる景色を眺める茜をマネージャーはルームミラーでちらりと確認する。顔色が悪そうだったが、時間に遅れるわけにはいかなかった。


「今までだって散々あったよ。珍しいことじゃないし、どうでもいい」
「……茜ちゃん、学校で何かあった?」
「あったら何? コズプロは女子部の事情なんて気にしてないはずでしょ?」


 言葉に棘があると自分でも分かっていたが、茜は自身から出てくるそれを止められなかった。そもそも止める気もなかった。

 玲明学園がわざわざ実にならない女子部を併設しているのは単なる資金稼ぎだ。だからコズミック・プロダクションがいざという時に自分を守ってくれないことなどとっくに知っている。マネージャーだって所詮はコズプロに雇われている身だ。上層部に右を向けと言われれば右を向き、茜を殺せと言われれば茜を殺す。

 本当に茜を気遣っているのなら、あんなに吐くほどの食事制限なんてさせなかった。体は不健康なほどやせ細って、生理も止まって、それでもなお“売れるアイドル”に改造することをやめなかった時点で、彼に自分を本気で守る気はないのだろうと思っていた。


「みんな茜ちゃんのことを応援してるんだよ。もうちょっと頑張ってみようよ。新曲の準備だって進んでるんだし」
「だといいけどね。……新曲、どんな感じなの?」
「もうすぐデモは完成だって。ただ、タイトル付けが少し難航してるみたい。なんでも、最初に決まったタイトルを変えたいってスタッフの要望があったみたいで」
「スタッフの? アイドルの新曲にどうしてただのスタッフが口出してるわけ?」
「いやそれが、そのスタッフってコズプロ系列会社の経営もやってて発言力も強いんだよ。実業家界隈だと結構有名だよ? 名前なんていったっけ……なな、たね……? 漢字は思い出せるんだけど、読み方は忘れちゃったな……」
「ふうん……」


 そのナナタネなる人間がなぜ茜の新曲に関わっているのかは知らないが、あまり興味を引かれなかった。何を歌うかより、どうやってパフォーマンスをするかだ。


(……ジュンは、どんなアイドルが好きかな。彼の理想のアイドルになりたい)


 穢れのない正統派アイドルが好みに合わないなら喜んでそのイメージを捨てる。クール系も小悪魔系も、望み通りに演じられる。以前演じた日和とのドラマは棒読みだと大変不評だったが、素を消して、アイドルの“来栖茜”を構築するのは大得意だ。

 だから、もう少しなら耐えられる。ご希望通りの英雄にだってなってやれる。罵詈雑言だって笑顔で飲み干せる。




「えっ。私の出演、キャンセル……?」
「先方のスポンサーが、やっぱり女の子のアイドルはちょっと、って感じで……。ごめんね、また別に機会に……」
「いっそ、これを機会に女優とかモデルになってみない? 茜ちゃんならかわいいから大丈夫だよ」




「――うわあああん! 辞めてやるアイドルなんて!!」


 腹の底から本音が飛び出た。力任せにタコ部屋の扉を開けると、その先にいた巽が目を丸くしてこちらに近づいてくる。


「――茜さん。どうしましたか、そんなに泣き腫らして。ああ、そんなに擦っては目を傷つけてしまいます。ハンカチをどうぞ」
「ううう、巽先輩〜……!」


 子供みたいに泣く自分はとんでもなくみっともないと思う。少なくとも来栖茜のイメージからはかけ離れていて、仮に現場で見せれば即事務所NGをもらうことは間違いなかった。だけどそういう理屈に、自分の心は今の今まで軋まされていたのだ。少しくらいは許してほしいと思う。


「あいつら、私が女の子だからって馬鹿にしやがって! 性転換でもしろってか! 男の娘にでもなれば満足かぁ!? カビの生えた英雄崇拝主義の老害共め! 地獄に落ちてもう一回死ね!」


 ひとたびストッパーを外し暴言を滝のように垂れ流してもなお、茜の心が満たされることはない。今の茜の胸中は台風のように荒れ狂っており、恥も外聞もストレスという名の暴風に薙ぎ倒されていった。巽に涙を拭われている間にもとめどなく嗚咽があふれる。


「……茜?」


 その時、高波の中に一滴の雫を落とすようにジュンが茜の名を呼んだ。


「ジュン……」


 一瞬、茜は時が止まったように感じた。金色の目を丸くしてこちらを見る彼は初めて会った時と変わらない、少しだけ汚れの増えたジャージを着ている。記憶のままの漣ジュン。茜が生まれて初めてファンにしたいと思った少年がそこに立っていた。


「わあああん! ジュン! ジュン〜!」
「え――え、は、ぇえっ!? あの!?」


 茜の体は考えるよりも早く動いて、気付けば彼の胸に抱き着いていた。上から彼のひっくり返った声が降ってくるが、知るもんかと涙が溢れてやまない目元をぐりぐりと彼のシャツに押し当てる。

 漣ジュンに推されるアイドルになると心に決めてから、毎日血を吐くようなレッスンと仕事に耐えてきた。彼のことを考えなかった日は一度もない。そうだというのに、肝心の彼に会えないなんてそんなひどい話があってたまるものか。言うなればこれは充電だ。これくらい許される、はず。

 茜はジュンの背に回していた手を一旦離すと、その肩をがっしりと掴んで力いっぱい揺さぶった。


「ねえジュン! ジュンも何か言い返してよ! ジュンは私より口が悪いし目つき悪いし荒んでるから何かいい返し方思いつくでしょ!?」
「いや、今はオレよりあんたの方がよっぽどだと思いますけどねぇ!?」


 熱と毒を帯びる茜にすかさずジュンが叫んだ。が、すぐに冷水を浴びせるように別の方向から言葉が降ってくる。


「さざなみを離しなさい、来栖茜。異性同士でそのようにくっついているのはアイドル的によくないとぼくは知っています。たぶん、誰かに知られたら排除されるのはさざなみの方です」
「それと、セクハラは男性から女性ではなく、女性から男性へも起こりえますからな。茜さんの親しみやすい性格は万人に好まれやすく長所でもありますが、少々気をつけた方がよいかと」


 それを聞いて、茜はようやくはっと我に返った。同時に自分が何をしているのかを自覚してかっと耳があつくなった。

 十六年も生きているのだからそれなりに男女の距離感だって理解している。もともとパーソナルスペースは広い方だったし、誰かに抱きしめてもらったこともないのに。ジュンのことを抱きしめたいと思ったら、勝手に体が動いてしまった。いくら頭がショート寸前だったとはいえ、なぜ自分がそんな行動に出たのかはわからない。それが情けなくて、気恥ずかしくて、それでいて満たされているような気分にもなる。


「……ジュン。今の、セクハラだった?」
「……………………」


 おずおずと一歩下がってそう聞くと、まず帰ってきたのは無言だった。彼自身もどう告げたらよいのか分からないといった様子で、必死に言葉を探している。


「……オレは、嫌ってわけじゃなかったですけど。あんまり人にやらない方がいいかもしれないっすねぇ。スキンシップ、苦手な人もいるかもしれないんで」
「……………………」


 そう伏し目がちに答えるジュンを見て、茜は薄く唇を開いたまま言葉を失った。


(……苦手、だったのかな。やっぱり私、どうかしてた)


 ジュンはやさしい子だから、きっと嫌なことを嫌って言いづらいだろう。それが相手が女の子で、悪意でも何でもないのなら尚更。

 ――なら、私のこれは悪意じゃないなら一体何?

 ぷすぷすと指でつついて穴を開けたように、胸から空気が抜けていくのを感じる。まるで自分が萎む間際の風船になったみたいだ。どうせ萎むのなら、そのまま空気に押し出されてひゅるひゅると何処かへ飛んで行きたかった。できたことと言えば、乾いた口で分かったと言葉を紡ぐことだけだ。


「それで、茜さんは本日はどのような御用向きで?」


 巽が助け舟を出すようにそう投げかけた問いに、茜は全力でしがみついた。ジュンのことで一瞬忘れかけていたが、本来の目的はこっちだったのだ。


「そうだ、巽先輩に聞きに来たの! どうやったらアイドル辞められるかって」
「ふむ……」


 茜が食い気味に言い放つと、巽はその言葉の意味を吟味するように考え込んだ。一応、聞きたいことは言葉の通りではある。

 その時、茜の記憶に久しい声がぽんとその場に投げ込まれた。ここ最近仕事が重なることのなかったHiMERUだ。


「今、辞めると言いましたか? なぜです?」
「ん? よく見たらHiMERUもいる。最近見ないなと思ったら特待生から落ちてたんだ……じゃなくて、そりゃもう、アイドル業界の老害どもに猛烈に頭にきたからに決まってる!」
「ろう、がい?」


 HiMERUには老害というワードがピンと来ていないようだったが、茜は今まで溜め込んだ毒を吐き出すように間髪入れずにまくし立てる。


「どの現場に行っても女、女、女! 女優とかモデルにならないかって誘ってくるならまだいい方だけど、女だからって制作に圧かけて仕事潰すのは大人気ってもんがないんじゃない!? そんなに辞めてほしけりゃ辞めてやるよクソ!」
「茜〜? 怒るのはごもっともですけど、あんたみたいなアイドルは“クソ”とか言っちゃ駄目なんじゃ……?」
「辞めるからいいもん!」


 クソなんて今までの人生で数えきれないほど口に出している。茜はメディアに出る時は純真無垢なアイドルとしてのイメージを保っているのである程度矯正はしていた。暴言なんて吐かないし卑猥な知識はないし排泄もしない。そういう妄想の中で生きている笑ってしまうような存在を、アイドルという現実の存在に落とし込んでいるのが自分だ。だから今の、本来の来栖茜をここで出すのは彼を幻滅させかねない――が、今の茜は回転しすぎて火花を散らせる車輪のようなものだ。そこまで気が回らなかった。


「そうですな……単純に仕事を取り消されただけでしたら、俺の仕事の中からいくつか分けてもいいのですが」
「……………………」
「その様子を見るに、それでは焼石に水のようですな。革命のようなことを起こさない限りは」
「革命…………」


 とても嫌いな単語だった。巽以外の口からも散々耳にする言葉だったからだ。

 英雄には革命がつきものだ。悪の魔王を勇者が倒し、世界に平和をもたらす。そんな空想を女子部の生徒は茜に抱いている。

 いつか茜が革命を起こして、女子部を救ってくれるはずだから。男子部の風早巽のようになってくれるはずだから。茜が女子部を歩くと、皆声にはしないもののそんな期待を寄せているのを痛いほど感じていた。


(……革命、しなきゃだめかなぁ)


 力のあるアイドルになれば自由になれると思っていたのに、これでは未だに籠の中の鳥だ。望み通りコズプロに楯突けば、もっと息がしやすくなるだろうか。ただジュンに推されるだけのアイドルになれるだろうか。けれどもし失敗してコズプロに捨てられたら、もうジュンに会うどころかジュンの目に触れる機会さえ失われてしまう。

 自分は巽のように強くないから、何十何百もの信者を率いて笑っていられる自信がない。アイドルになった今でも他人を信用できない。かつてポケットにチョコレートを忍ばされたみたいに、いつか自分の背中を刺す人が現れるかもしれない。

 自分だってただの人間だ。刺されるのは、怖い。

 怖いから、やりたくない。


「――でも、別にそれって茜がしなきゃいけないことじゃないでしょう?」


 ふと、静寂を打ち破るように愛しい声が茜の鼓膜を揺らす。


(…………ジュン)


 暗闇の中でひとつだけ灯したランプのような金色の瞳が、茜ではなくまっすぐに巽を捉えていた。まるで茜を庇うみたいに。

 ジュンはいつも、欲しい言葉をくれる。彼が味方になってくれたら、きっと何千何万もの兵を率いるよりも心強いだろうに。

 炎が氷を溶かすように、蓋をしていた本音がぽろりと漏れ出た。


「…………革命、は、できないと思う。私、皆が思うほどアイドル業界のこと大事に思ってないよ」
「……? どういう意味です? きみ、アイドルを目指して玲明に入ったのでしょう?」
「アイドルって、うまくいきゃ見入りがいいでしょ? 学もない小娘が成り上がるには丁度いいと思って」


 そう教えてもらった。あの門番ゲートキーパーとかいう人に。

 アイドルの父と呼ばれる曾祖父の遺産も、彼がアイドルとして稼いだ金だ。去って行くのを涙を飲んで見送ったあの金が欲しければ、同じようにアイドルになるしかない。そう思ったから玲明学園に入った。ただそれだけのことだ。ジュンというイレギュラーは存在したが、金銭目的は今でも変わっていない。


「……ちょ〜っと、待ってください? あんた、佐賀美陣に憧れたんじゃないんですか?」
「え? 佐賀美陣?」


 突如割って入ったジュンの問いに茜は疑問符を浮かべた。佐賀美陣といえば、茜がデビューするよりも前に引退した元スーパーアイドルだ。今となっては座学の授業でしかその名前を耳にすることはない。

 茜が心当たりがないと首を傾げていると、「ほらこれ!」とジュンが一冊の雑誌をぐい、と差し出して誌面の一部を指差す。どうやら以前茜が答えたインタビュー記事のようだ。その中のある問答が茜の目に留まった。

 ――なぜアイドルを目指したんですか?

 ――佐賀美陣さんに憧れたからです。

 なるほどな、と茜は眉を上げる。


「そういえばそう答えたこともあったね。でもあれ、本当は“強いて言えば佐賀美陣は参考にしました”程度のニュアンスだったんだよ。文字数の関係かそう載せた方が受けがいいからか、編集にちょっと手が入ってこんな感じになっちゃったみたいだけど」


 実際、茜が幼い頃はまだテレビでも佐賀美陣の映像が流れていし、茜が公園で拾った音楽プレーヤーに入っていた曲は佐賀美陣のものばかりだった。なので昔施設の牢屋で歌っていたのも必然的に佐賀美陣の歌ということになり、今の来栖茜というアイドルのベースになっているのは間違いない。


「ジュン、アイドルのインタビュー内容あんまり鵜呑みにしない方がいいと思うよ? あんなの事務所のイメージ戦略で何とでも変わるんだから」
「ぐ……じゃあ、犬より猫が好きってのは?」
「間違ってないけど、より正確には“猫より犬が嫌い”だね」


 犬は嫌いだ。院長が狂暴な犬を飼っていて、言う事を聞かない茜に噛むよう仕向けたことがあるからだ。


「強くてかっこいい人が好きなのは?」
「強くてかっこいい人が嫌いな人なんていなくない?」


 誰だって自分より強い者に盾になってほしいと思う気持ちはあるだろう。


「チョコレートケーキが好きなのは?」
「それは本当。まあ思い入れがあるのはケーキじゃなくてチョコの方なんだけど」
「思い入れ……?」
「私をここまで来させてくれた片道チケット」


 茜がわざと牢屋に入って歌の練習をするには、職員室のチョコレートを盗むのが手っ取り早かった。あれがなければアイドルの来栖茜は生まれなかったかもしれない。だから、茜にとってチョコレートはアイドル行きの片道チケットだった。そんな事情を知らないジュンは、不思議そうな顔で茜を眺めていたが。


「両親を自慢に思っているというのも?」
「…………」

 HiMERUがふいにそう尋ねる。

 一瞬、自分の笑顔がこわばったのを感じた。


「それは本当」


 本当は両親なんていないけれど。

 ゴミ溜め生まれだってジュンに知られたくなくて、茜は笑顔で嘘を吐いた。
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