或るアイドルへの大難
20
飛び起きる。着ていたのはカモフラージュ用のジャージではなく、普段茜が愛用している寝巻きだった。ベッドは昨日の状態と変わりなく、非特待生によって適度に整えられた変わり映えのない寮室がそこにある。壁掛け時計は正午を指し、座学の授業時間もとっくに過ぎていた。
「あ、茜さん! 起きたんですね!」
偶然部屋を訪れた非特待生の生徒が、ベッドで状態を起こして呆然とする茜に気づいて駆け寄ってきた。
「昨日、先生が運んできた時は心配したんですよ〜! 過労で倒れたって聞いて、一時はどうしたものかと……」
「巽先輩は……?」
「え?」
「巽先輩とHiMERU! あの後どうなったの!?」
脳に蘇る、悲鳴と衝突音とハウリングの三重奏。スポットライトに照らされる集団リンチ。平和を夢見たアイドルの末路。吐きそうになるほどの光景を思い出す。
茜は目覚めて早々掴み掛かる勢いで迫るが、彼女は困惑した表情を浮かべるばかりだった。
「巽先輩……? 風早先輩とHiMERUさんがどうかされたんですか……?」
「……、知らない、の……?」
どこまでもきょとんと茜を見る彼女が嘘をついているようには見えなかった。ならばあの地獄のような出来事は夢なのかとも思ったが、そうではないとこの頭痛が訴えている。何より、夢と呼ぶには記憶があまりに鮮明すぎた。
これは現実だ。だけどその強烈な現実を、非特待生の彼女は何も知らないと言う。
「……いい。なんでも、ない。一人にさせて……」
風船のしぼむような声で茜が呟くと、彼女は不思議に思いつつもその場を立ち去った。多少不審に思ったとしても、非特待生は特待生に逆らわないという教育が染み付いていた。
自分の鼓動と時計の針が回る音以外何も聞こえなくなった空間で、茜はシーツを被って膝を抱えスマホを開いた。至近距離で光るブルーライトが茜のゆらゆらと揺れる瞳に反射する。
あんな事件だ。いくら女子部と男子部の関わりがないとはいえ、翌日には噂程度にはなっているだろう。なのにSNSを確認しても巽とHiMERUに関することは何一つ話題にあがっていない。静かすぎてかえって気持ち悪く思えるほどに。
ならばおそらく、玲明、もしくはコズプロ側が情報統制を行なっているのだろう。生徒間の暴行事件なんて本来警察沙汰になっていてもおかしくない。関係する生徒への口封じを含む隠蔽工作に時間を取っているのだとすれば、情報の回りの遅さにも頷ける。
(巽先輩とHiMERUはどうなったんだろ……死んでるってことはないだろうけど)
それならば尚更、警察が介入しなければならないだろう。司法が絡む以上、コズプロのプロデュースがいかに下劣だったとて下手に隠すことはできない。だからその心配は必要ないだろう。目も当てられないほど酷い怪我だったことは確かだが。
(……あれ、アイドルとして復帰できるの?)
思い出すだけで気分が悪くなる有様だった。脚はあらぬ方向に折られ、肌は擦れ、顔は血で真っ赤になっていた。吐いた吐瀉物で床は汚れ、その中に何度も何度も落とされる。あの傷が完治するまでいったいどれほどかかるか素人には判断できないが、きっと数ヶ月で終わりということはないだろう。メンタルケアの問題だってある。特に巽は、以前から心身を壊して休みがちだった。復帰は絶望的に違いない。
あれは、アイドルとしての殺人だ。
二人のアイドルが夢を叶えようとした場所で、憧れのステージとスポットライトの下で、彼らのアイドルの道は閉ざされた。まるでギロチンにかけられるように。
「……断頭台?」
その瞬間、茜ははっと奥底に眠っていた記憶を思い出した。彼らの中に飛び込んでいこうとした茜をスタンガンを使用してまで阻止した
――心配せずとも、舞台にはそのうち上がれますよ。もしかすると、その頃にはステージではなく断頭台になっているかもしれませんが。
その声が蘇って、茜はうっと口元を押さえた。昨日の興奮状態が残っている脳は普段よりもだいぶ回転が速い。だから、その言葉の意味にいち早く気づけてしまった。
茜の新曲、ダイヤモンド。
ダイヤモンドは古代ローマにおいて薬として使用されていた。現代のそれとは違い、あくまでまじないの一種として。
だがキリスト教の広まりと共に医学も発展し、ダイヤモンドは迷信だと人々に打ち捨てられた。硬すぎて研磨もできないと、あんなに大事にしていたものを忘れ去った。それに価値はないと言って。
だがそのキリスト教が失墜すれば、再びダイヤモンドは求められることになる。
ダイヤモンドを歌った茜。
聖職者の巽。
「――私も、ああなるの? 虫けらみたいに、潰されて」
つまりは、随分前から送られていた警告文だったのだ。
風早巽を消した後、お前を消す。だから打てる手は今のうちに打っておけと、コズプロ内にいる誰かからのメッセージだった。
「――――――っ!!」
ぞくぞくと、血管を虫が這い回るような不快感が茜を襲った。シーツの中でぎゅっと身を抱きしめるように丸くなる。
そう、風早巽の次は自分だ。次にアイドルとして処刑されるのは来栖茜だ。
だからってどうすればいい。男子部の集団リンチをある程度コントロールしていた玲明やコズプロが茜を見逃すはずはないだろう。急いで引退しようとマネージャー掛け合ったところで彼はまともに相手をしない。加えて上層部は確実に止めにくる。殺すなら、再起不能に。普段のマネージャーと、巽とHiMERUの有様を見ればそう考えていることは予想できた。
それがいつ、どこでやって来るのかはわからない。今この瞬間かもしれないし、明日の授業中かもしれないし、明後日の収録中かもしれない。人に恨まれていないかと言えば否だ。茜だって、今の人気アイドルの座に着くまでは他のアイドルを散々踏みつけた。報復の機会があると知れば彼女らは喜んでやってくる。
茜だって人間だ。暴力には恐怖を感じる。
いやだ。こわい。風早巽のようになりたくない。いっそ発狂してのたうち回りたかった。精神がおかしくなったと知れたら、殺す必要もないと見逃してもらえるだろうか。
だが、幼少期からおかしな環境に身を置いていたせいだろうか。いざ本格的におかしな状況に陥ってもなかなか理性を手放すことができない。茜は冷静だった。冷静すぎて、尊敬する先輩と友人の身を案じることもできなくなっている自分に気がついて泣きたくなった。
「………………………………」
それから二時間近くを茜は布団の中で過ごした。時折非特待生が様子を見に来たりしていたが、寝た振りをしていれば関わろうとはしてこなかった。
やがて、泣き腫らした目で茜は起き上がる。
「……やってやるよ。そっちがそうなら、こっちは先に死んでやる」
忌々しげに顔を歪ませて、茜はそう言った。
コズミックプロダクションに来栖茜は殺させない。集団リンチは起こらない。なぜなら、彼らが殺す前に来栖茜は死ぬからだ。
安楽死を望んでいるということもある。だが何より――こんな自分を推してくれているジュンに、自分と同じ思いをさせたくなかったからだ。
とにかく、時間との勝負だった。おそらく巽とHiMERUの件の事後処理が終わり次第すぐにでも茜を処分しようとする動きがあるだろう。なのでその前に計画を実行する必要があった。
おそらくもう何度も着ずに捨てることになるだろうジャージを着て、茜は地下墳墓への階段を降りた。肩には何やら中身の詰まったショルダーバッグをかけている。時刻は夜七時過ぎで、巽が集めた非特待生が徐々に集まり始める時間だった。
この日も地下墳墓は幽霊みたいな生徒でいっぱいだった。それでも全盛期に比べるとだいぶ人数は減っていたが。思った通り、以前はその中心にいた人物は今はいない。
「お前……来栖茜か……?」
茜が広場へ辿り着いた時、ある男子生徒が信じられないものを見る目で茜に声をかけてきた。
「なあ、風早先輩を知らないか? 風早先輩がボコられたって聞いたんだけど、誰も知らないって言うんだよ。地下墳墓に来ても風早先輩は来てねえみたいだし。先輩と仲良かったんだろ? 来栖は何か知らねえか? 俺たち、これからどうすればいいんだ?」
「……普通に仕事するか、学業に励んだらいいんじゃない? 風早先輩はもう来ないんだし」
「ふざけんなよ! お前は特待生だから分からねえだろ。普通に働く? 学業に励む? んなもんできるもんならとっくにやってんだよ!」
そう叫ぶと同時に、彼は茜のジャージの胸ぐらをグッと掴んだ。巽とHiMERUを殴った生徒たちのような目で茜を睨みつける。
「俺たちには風早先輩が必要なんだ。学費も何もかもあの人から貰う金で出してた。お前だって風早先輩に救われて今みたいに売れたんだろうが!」
「それは私の問題じゃなくて君の問題でしょう? 勘違いしないでほしいんだけど、私は別に君たちの面倒見に来たわけでも相談に乗りに来たわけでもないんだよね」
彼の力が緩んだ隙を見計らって茜は手を振り解いた。周囲の注目を浴びながらづかづかと中央まで進み、以前よく巽が立っていた位置でどさりとショルダーバッグを地面に落とす。重量のあるそれが落ちた衝撃は広い地下空洞ではよく響き、項垂れて薄ら笑うばかりだった生徒も何事かと顔を上げた。
「取引をしようか。ここに二千万円ある。私の言うことを聞いてくれた人だけで山分けしよう。今ここにいる全員が参加したとしても、一人あたり大体百万くらいかな?」
「……は…………? 何いってんだお前……」
「風早巽はもう来ないよ。理由はそのうちわかるだろうけど、アイドルを続けられる状態じゃなくなったの。だから巽先輩に頼りっきりの君たちももうおしまい。新学期には学費が払えなくなって自主退学する子もいるかもね? というか、まだここにいるってことはほとんどがそうなのかな? まあ、それはそれでいいんじゃない? 君たちはそうやって生きてくのを選んだんだもん」
殺到するブーイングを前にしてにこにこと快晴のような笑顔を作ってはいるが、茜の心は絶対零度から少しも上がらなかった。
ジュン以外の非特待生は嫌いだ。風早巽に寄生するしかない連中は特に。全ての非特待生がジュンのように、地道に正攻法で這い上がろうと努力をする人間だったなら、少しは手を貸してあげたいと思ったのかもしれないけれど。それは難しい話だとわかっていた。茜のいた施設でも、そんな子供は一人もいなかったのだから。
「だから最後に、取引をしよう。別に対した頼み事じゃないよ。非特待生なら特待生のライブステージを建設するのやったことあるでしょう? あれを、一日で完成させてほしいの」
非特待生たちは互いに顔を見合わせた。確かに、経験はある。ライブ会場や講堂など元からステージが設置されている場所以外では、自分達でステージを設営することも珍しくはない。特殊な技能を必要とせず、学園側が用意した資材とマニュアルを用いれば生徒のみでも簡単なステージの設置は可能だった。そしてそれは主に、裏方として消費される非特待生の仕事の一つともなってる。
「難しく考えないで。どうせ退学するなら、その前に簡単なアルバイトでもしていってほしいってこと。百万もあれば実家に戻るのも働き始めるまで食いつなぐのもなんとかなるでしょ? 先立つものがないと行動には出られないもんねぇ。金の余裕は心の余裕って言うし」
「はあ? 俺たちが金に釣られてホイホイ動くと思ってんのか?」
「思ってるけど。君たちだって最初は金に釣られて地下墳墓にやってきたでしょう?」
茜と非特待生の間の空気がピリ、と緊張感を帯びる。だが彼らの視線が徐々に茜から茜の足元の二千万に移っていくのも感じ取っていた。
非特待生の彼らは先がない。コズプロが彼らをこれからどう扱うのかは知らないが、少なくとも巽と接点のあった彼らがこの先特待生に上がってHiMERUのように活躍できる未来はないだろう。危険分子は早々に始末してしまいたい事務所のことだから、せいぜい延命できたとしても飼い殺しが限度だ。彼らもそれを薄々理解しているから、金に目が眩むのだろう。自分の将来が心配になった時、とりあえず金が手元にあればどうにかなる。
「別に特待生の言うこと断ったからって学園に告げ口はしないって。そもそもこれ、私も学園側に申請出してないしね。あ、資材の用意はこっちでやるから安心して。女子部に年度末で退学予定の子が一人いて、その子の名前を使わせてもらう予定だから」
もちろん、その女子生徒にも金を握らせた。最初は金なんていらないと断られたが、全てが終わった後にこっちが恨まれてはたまったものではないので無理矢理にでも渡した。
あとは男子部の非特待生がどれほど応じてくれるかにかかっているが、茜は全員が参加してくれると確信していた。
なぜなら今回は、報酬が山分けだからだ。
「俺、やるよ」
「おい……!?」
「来栖の言う通りどうせ俺は学期末で退学だ。なら、俺が二千万丸々貰って出ていってやる」
「ふざけんな、俺もやるぞ! 俺とお前で一千万だ」
「はあ!? じゃあ俺もやってやる!」
「僕も……!」
こうして一人でも参加を表明する人間が現れれば、一度に二千万という大金を手に入れる同級生を羨んで参加する人間が増える。参加する人数が少なければ少ないほど取り分が増えるため、これ以上人が増える前にと焦って参加を決めるのだ。結局、今地下墳墓にいる全員が参加を決めてしまったため、一人あたりの報酬は二千万から茜が最初に述べた通り百万までに下がってしまったのだが。
(……ごめん、巽先輩。あなたが作った地下墳墓、私が完全に壊しちゃうかも。これって乗っ取りと変わらないのかなぁ)
非特待生の彼らに言っていないことがある。
彼らの作るステージが完成して、茜がそこでライブを行えば、申請外のライブを行ったとして学園が必ず協力した生徒を炙り出すだろう。そしてその調査は高確率でこの地下墳墓に辿り着く。だから彼らが退学をしなければならなくなるのは、学費納入期である期末から新学期の間ではなく、茜の計画が完了したその時だ。たった数ヶ月の違いだが彼らは混乱するだろう。茜が名前を借りた女子生徒も同様に。
茜は自分の夢を終わらせるために、巽の夢の残骸に火をつけるのだ。どこかの病院で治療を受けているであろう巽も、これを知れば怒るだろうか。
(……まあ、どうでもいいや。もういちいち凹んだりしないよ。自分が生き残るために他人を踏みつけるのが賢い生き方なら、私だってそうしてやる)
かつて施設でポケットにチョコレートを入れられた日、昔の茜は嵌められて、裏切られたことがショックで泣き喚いた。だが今ならそう感じないかも知れない。だって、嵌められてから痛みを訴えたところで何にも意味を成さない。巽もHiMERUも、もう悲鳴も上げられない。ああなってからでは遅いのだと気づいてしまった。
(でも、一度だけ)
一度だけでいいから、ジュンのように真っ直ぐに生きてみたかった、気もする。