サンクチュアリは流転より
30
やってきたのはカラオケルームだった。四畳半程度の個室は防音もそれほど完璧とは言えず、隣の部屋からの上手いとも下手とも言い表せない歌声がくぐもって聞こえてくる。ESや玲明学園のレッスン室と比べれば設備面は遥かに劣るが、学生がプライベートを楽しむには十分だった。「ジュンってカラオケ好きだったの?」
「さぁ……オレもあんまり来たことないんでよくわかんねぇです。歌の練習ならレッスン室がありますしね。その辺茜の方がよく来てるんじゃないですか?」
「確かに友達と来ることはあるけど……」
友人らと楽しむことがあるにはあるが、バイト漬けの日々の中でそれが馴染み深いかというとそうでもない。何とも腑に落ちない表情を浮かべた茜をちらりと横目で見つめて、ジュンは先にビニールレザーのソファに腰かけた。扉を閉めつつモニター前のリモコンを手に取ろうとした茜をジュンが呼び止める。
「茜、ちょっとこっち来てください」
「ん? なぁに――」
深く考えずジュンの元に歩み寄った茜だったが、突如ジュンの腕が茜の手を引いた。
ぽすんっと体を密着させるように隣に座らされた茜が状況を飲み込むこともできないまま、ジュンの手のひらは茜の側頭部を覆い自身の肩に寄せる。
「寝てください。ここならいい感じの暗さですし、個室だから邪魔にもならないでしょう。……相変わらず化粧は上手いみたいですけど、あんまり寝れてないのバレバレなんすよ」
「そ……んなの、ジュンには関係ないよ」
そう口では拒みつつも茜はその手を振り払わなかった。それどころか預けた体重が増しているのを、ジュンはしっかりと知覚していた。
「関係ないって、それこそ関係ないでしょう。何度でも言ってやりますけど、あんたの時間はオレが買ったんですからね」
茜の絹のような髪に滑らせた指がぐっと力をこめる。
実のところ、冷静な振りをして大胆な行動に出たジュンの心臓はそれはもうお祭り騒ぎで、口から心音が出てしまうのではと心配になるほどうるさく鳴っていた。茜が頭を寄せる場所が僅かにずれていれば、きっとこの鼓動を馬鹿にされていただろう。
子鹿のような目をまん丸にしていた彼女も、疲れが相当溜まっていたのか次第にとろんと瞼を下ろし始めた。
「……時間切れまでまだ十分あるでしょ。いいの、こんなことに使っちゃって」
「もしかして歌いたかったんですか?」
「そういうことじゃないってわかってるくせに。もう知ってると思うけど、今の私は住所不定だし、もう二度と会えないかもよ」
「そうなったらまた探しますよぉ。もう玲明やらアイドルやらだけが全てじゃなくなったんで、これからは何度だってあんたを探しに行けます」
茜がまぼろしのように消えて。玲明にただ一人残ったからこそ、ジュンは今Edenとしてステージに立っている。だけどあの時、彼女の行方を探さなかったことを後悔していないと言えば、それは嘘だ。
本当は幾度となく悪夢を見た。日和と共に歌い、客席がEveやEdenの色で染まった日の夢では、決まって茜はあのライブステージから飛び降りた。ジュンの心臓を撃ちぬくような指差しもくれずにただ一言、「あなたはよかったね」と呟いて。そうして、大量の汗と共に飛び起きる。時間が経つにつれて徐々にその回数も減り、最近はめっきり見なくなってはいたが。
だから決めていた。もしも再び彼女に会えるのなら、絶対にさよならなんて言ってやるかと。それだけがずっとジュンの心に澱として溜まっていた。
茜が力なくふっと息を吐く。
「ジュンはばかだなぁ」
そう呟いて、彼女は完全に目を閉じた。
もう眠ってしまった、ということはないだろう。数秒ほど無言の時間が流れた末、ジュンは彼女が寝る前にとぽつりと言葉をこぼす。
「………………答えたくなかったら、答えなくてもいいんですけど」
「……」
「“そういうのもやったことがないわけじゃない”って、本当なんすか」
茜の穏やかな息が一瞬止まるのが分かった。その瞬間、ジュンの胸にピリ、と電流にも似た衝撃が走る。
だが、しばらくの沈黙の末彼女はほとんど吐息のような声で言った。
「……………………うそ」
自嘲気味に、彼女は口元だけで笑っていた。
「ほんとうは、しようとした時もあったの。……けどね、前に巽先輩が言ってたんだ。隣人を自分のように愛しなさいって」
そう語る茜は、まるで親の前で罪を告白する子供のようだった。弱々しくて頼りなく、玲明学園で英雄視されていたアイドルの姿は見る影もない。
「私、施設生まれだからさぁ。生まれた時から汚れまみれの嫌われ者で、プライドとか自尊心とか、そういうのはとっくにいらなかったはずなのに。どうしてか、その一線だけは越えられなかったの。だって、それをしたらきっと、私は私のことが嫌いになる。自分を愛せる自信がない。――そうしたら、巽先輩や、HiMERUや、ジュンのことも愛せなくなっちゃう」
冬の時代の中でただひとつ、あのタコ部屋だけが茜にとって心温まる記憶だった。それすらも泥をかけ、ペンキで塗り潰してしまったとしたら、自分はもう餌を求めてこそこそと隠れるように生きる鼠と何も変わらない。
「……そう思ったら、できなかったんだぁ………………」
もぞりと茜が動いて、眉間をジュンの肩口に押し当てた。か細い、今にも泣き出しそうな声だった。
そこからはジュンも茜も、一言も発することなく。やがて彼女の寝息が聞こえ始めるまで、ジュンはただ彼女の髪を撫で続けていた。まるで、赤子をあやすみたいに。
「…………オレは、嬉しかったっすよ。茜」
彼女が直前で踏みとどまってくれたことが。自分を彼女の“隣人”に置いてくれていたことが。心に刺さった棘が優しく溶かされていくような心地だった。
施設生まれがなんだ。嫌われ者が、なんだ。開けっ広げにできない過去なんてジュンも同じだけ抱えている。そんな汚れくらい、ジュンには丸ごと抱きしめられるのに。
すっかり夢の中に行ってしまった彼女の寝顔を見下ろす。
その時、ふと彼女のだらんと力の抜けた左手が目に入った。ジュンが勢いに任せて掴んだ瞬間、やけに痛がっていた印象のあるあの手だ。
寝ている人物に対して悪いことをするようで気が引けたが、それでもジュンはどうしても確かめたかった。茜の頭から手を離し、彼女の左手首と袖口の間に指を入れてするりと服をずらす。
(――――っ!)
そこには、何の手当ても施されていない痛々しい内出血の痕があった。どこかにぶつけたにしては綺麗すぎており、おおよそ誰かに強く踏みつけられたのだろうと思われる。そう、ジュンには心当たりがあった。なぜなら自身も、非特待生だった頃に同じことをされた経験があるからだ。そしてその誰かも、彼女の頬に貼られた湿布を考えれば自ずと導き出せる。
これ以上見ていられなくて、ジュンはすぐに袖を元に戻した。慎重さに欠けてしまい一瞬茜が起きてしまうのではと不安に駆られたが、寝息は変わらずそのままだったので一先ず安堵する。同時に、顔をくしゃりと歪めるほどの憤りがジュンの中で沸いた。隣室から漏れる歌声も、モニターに映るヒットアーティストの紹介映像も、全てが憎く思えるくらいに。
再び彼女の寝顔に目を落とす。
彼女は涙を流さない――彼女が認知している範囲では。限界まで抑え込んだそれは、彼女の自意識の外側で静かに溢れている。
目元に浮かんだ雫を、ジュンはそっと指で拭い去った。
せめて今は、彼女が心地良い眠りの中にいられるように。そしていつか、彼女がダイヤの輝きを取り戻せるように。
そのためなら、この恋を捧げてもいいと、そう願っている。
春宵の空は以前よりも明るく、住宅街を歩くジュンと茜の影を地面に引き伸ばしている。帰路につく二人の口数はほんの僅かで、遠くの公園から聞こえる子供の笑い声の方がよく響いた。
「別に、家まで送ってくれる必要なんてなかったのに」
「……いえ。送ります」
この問答ももう何度目かわからなかった。
実を言うと、ジュンが買った茜の時間というのはもうとっくに過ぎている。両者共にそれは理解していたが、あえて口には出さなかった。なぜ、とその疑問を掘り下げるのは野暮なことだ。
なるべくゆったりとした歩幅で歩くうちに、とうとう目的のアパートは目の前に現れた。古く寂れた、二階建ての集合住宅だった。
錆びた鉄骨階段の一段目に立ち、茜はくるりとジュンを振り返る。
「もういいよ。ここまでで」
茜が言ったことで、ジュンは改めて実感を得た。
そうか、ここが。
外階段の先、アパートの二階部分を見上げる。この部屋のどこに茜が今滞在しているのかは知らないが、いずれにしても隅々まで清潔に整えられた特待生用の玲明寮とは大違いだ。どちらかといえば、タコ部屋の雰囲気によく似ている。
じゃあねと階段を登りかけた彼女に、ジュンは「あの、」と言葉を詰まらせながら呼び止めた。
「このまま、帰らないってのは、どうっすか」
「――――――――」
だって、そうだ。その頬の傷も、左手も、おそらく服の下に隠れているだろう支配の痕も、その方がいいと物語っている。
なのに、彼女だけが頑なに首を縦に振らない。
「……大丈夫だよ! 私、結構打たれ強いからさ! なんとかなるって!」
いつだってそうやってきたんだし、と茜は軽快に笑った。小さくガッツポーズを作って、まるでアイドルみたいに。神様だって虜にしてしまえるほどのカリスマ性は健在で、閑静な住宅街を一瞬でライブステージに変えてしまった。ジュン一人だけをステージから下ろし、ただの観客という立場に落とし込んで。
傍観者の役を与えられたジュンは、なんとかならないかと別の方法を考えた。何か他に、何か他にと鉄の階段を登る足を見つめる。
「っ、お金、」
「あーそれ、やっぱいいや」
ジュンの言葉を遮って茜は立ち止まった。
「ケーキ、奢ってくれたでしょ。あれ、五万円の味がした」
ジュンにはおよそ理解できないだろう。いくら名店だとしても、一千円にも満たないケーキセットに五万の値打ちをつける人間はいない。だけどそれは、茜がこの場で吐いた唯一の本音だった。アイドルになってから食べたどんな料理よりも、あのケーキが一番美味しく感じた。
ギシギシと音を立てながら茜は階段を上がっていく。ジュンは地面に縫い付けられたように一歩も動かなかった。
――そう、それで正解!
茜は追いかける気のないジュンをちらりと盗み見て、口元で薄く笑う。
(だって、一般論的に今カレと別の男の子引き合わせるのって相当ヤバいでしょ。いくら事情があるとはいえさぁ)
今の茜の状況は部外者が見れば浮気とも捉えられるだろう。背後にあるものなんて他人には興味がない。たった一つのイメージと衝撃的なタイトルだけで安価な娯楽は成立するのだ。この場合はゴシップとも言い換えられる。
ジュンはアイドルだ。自分とは違って正真正銘の。だから彼はこれ以上、泥の中に手を突っ込むような真似をしてはいけない。汚いものは見ないように。危ないものは触らないように。そうやって賢く生きていってほしいのだ。
茜は上着のポケットに忍ばせていたジュンのマスコットに軽く触れた。これだけで十分だ。これだけあれば、あと一年くらい余裕で耐えられる。
そういえば首周りの糸がほつれてしまったから、後で直してあげなくては。ソーイングセットはあっただろうか。なければ、明日友人に貸してもらおう。どうせ彼女たちは土産話を求めてくるだろうから、ここぞとばかりに語ってやる。ジュンがどれほど聡明な子か。よい機会だから、この際彼の美点を耳にタコができるまで全部喋りつくしてやろう。
そう、へっちゃらなはずだ。
こんな自分でも、泥中の蓮になれるはずだ。
階段を登り切って、角を曲がる。
「…………………………………………………………え」
足が止まる。
部屋の前で横転したキャリーケース。無造作に捨てられた夢ノ咲の制服。散乱した生活用品。
茜がこの部屋で暮らしていた全ての痕跡が、無惨な形で部屋の外に放り出されている。これが一体何を意味するのか、茜が目の前の光景を正しく認識できたのは一分ほどその場に立ち尽くしてからだった。
「…………………………もう暫くは、持つと思ってたんだけどな」
捨てられたのだ。何が気に食わなかったのかは知らないが。いつかは来るだろうとは思っていたが、まさかこんなに早いとは思っていなかった。意外にも怒りはなく、ただ「そうなのか」と体の中が空洞になったような虚無を感じていた。
のろのろとおぼつかない足取りで部屋の前まで歩き、膝をつく。乱暴に掴まれたのか、制服のブレザーは少しよれてしまった。キャリーケースに鍵をかけておいて本当によかった。この荒れようなら、中身を全部ひっくり返されていたとしてもおかしくない。現にケースの開け口に引っ掻いたような跡がたくさん残っているので、一度は開けようと試みたのだろう。
持ち歩いていた鍵でケースを開けて、制服と散らばった小物を手早くまとめた。一方的に別れを告げられたのだからもうここに用はない。それよりも茜は、今夜どこに泊まるかという問題で頭がいっぱいだった。もうまもなく日が暮れる。今からホテルを探すのは億劫だ。制服を持っているので年齢を偽ってネットカフェを利用することもできない。だが悠長に考えている時間の余裕もなかった。完全に日が落ちてしまえば、自分は警察に補導をされる立場だからだ。こういうとき、自分がさっさと成人していたらと思わずにはいられなかった。そもそも成人さえしていれば、こんな寄生虫のような真似をする必要もなかったのだが。
私物を全部キャリーケースに押し込めると、茜はおもむろに立ち上がって来た道を引き返した。カン、カン、と金属音を鳴らして階段を降りる。まだ春先で風が冷たいせいか、キャリーケースを持ち上げる腕にうまく力が入らなかった。階段や柵に何度もケースをぶつけながらも、とにかくここを離れなければという思いだけで体を突き動かす。どこか遠くへ。これまで通りに、誰の手の届かない場所へと。
最後の段を、下りきる。
「――だから、言ったでしょう。帰らないのはどうかって」
ジュンは未だそこに立っていた。なぜか、茜よりも苦しい表情を見せながら。建物の陰から一歩外に出て、茜に向かって歩く。
「ジュン」
「確かに、オレもまだ世間的には子供ですし、あんたを一発で助けてやれる根本的な解決はできませんよ。でもこれ以上、あんたが一人で暗い方に逃げていっちまうのなんて見てられません。オレが見たくないんです」
ジュンの胸中で蠢いていた淀みはとうとう決壊した。順序立てて話すなんて脳の機能はまともに働いておらず、ずっと溜め込んでいた言葉が次から次へと流れ出てくる。その姿は怒っているとも悲しんでいるともとれた。
「いい加減、オレに何でも隠すのはやめてくださいよ……! それがかっこいいとか思ってるんなら大間違いなんすよ! アイドルのあんたはキラキラ輝いてましたけど、そういうとこ、正直ずっとだせぇって思ってました!」
「は、あ? なにそれ」
「もっとオレにも話してください! 頼ってください! 最悪、オレじゃなくてもいい。あんたが自由になって重荷を下ろせるなら、風早先輩でもHiMERUでもいい! だから……だって、オレ……オレは――」
あんたのことが好きで好きでたまらなくて。
あの指差しのファンサで撃ち抜かれた傷が、今でも癒えてくれなくて。
「あんたの、こと、」
「――ご歓談中失礼します! 来栖茜氏とお見受けしますが、情報通りやはりこちらにおられましたね!」
ジュンが茜に伸ばそうとしていた手は、第三者の声が聞こえた瞬間バッと弾くように離れた。その溌溂とした声の主はジュンが視線を向けずとも一人に絞り込める。同時に、場の空気を一瞬で塗り替えるほどの驚愕をもたらした。
「い……茨!? なんでこんなとこに……!?」
音もなく登場したのは、ジュンがここ数日動向に気を配っていた茨だった。予定では彼は今日一日事務処理でESにいるはずなのだが、なぜここに姿を見せているのか。そしてなぜ、ジュンと茜がここにいると分かったのか。
目玉が飛び出そうなほど動揺するジュンから一歩離れて、突然現れた茨に茜は不可解な面持ちで目を向けた。にこにこと張り付けた笑顔がジュンと茜を交互に見る。その視線が茜に向いた一瞬、眼鏡の奥の瞳が僅かに細まった気がした。
「そろそろジュンの手に余る頃合いかと思いまして。僭越ながら助力に参った次第ですよ」
「は……? 助力……?」
状況が飲み込めず困惑するジュンを置き去りにして、茨は茜に向き直る。
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません! 自分は……」
「Edenの七種茨、でしょ。知ってる」
「おや、自分の事をご存知とは恐悦至極でありますな! ですが今回は、Edenではなくぜひこちらの肩書きで覚えていただきたいところでして」
彼はそう言うと、慣れた動作で茜に名刺を差し出した。流れるような所作はアイドルというよりビジネスマンのそれだ。ジュンにしてみれば見慣れたものだったが、ジュンと同じユニットのアイドルという薄い知識しか持っていない茜には極めて異質なように思えた。
肌ざわりのよいカードに印字された文字を目でなぞる。
「……コズミックプロダクション、副所長?」
それを読み上げた途端、茜の表情は険しさを増した。警戒心の高い猫のようなピリ、とした空気が流れ、ジュンは間に入るべきか判断に迷う。茜とコズプロはほぼ喧嘩別れのように契約を切ったと聞いた。だとすれば茜がコズプロの経営側、しかも副所長を名乗る人物に対し嫌悪感を抱くのは自然な流れだ。
「コズプロが今さら私に何の用? 辞める時に言われた守秘義務とかコンプラとか、破ったつもりはないんだけど?」
「いえいえ滅相もない。在籍時代からその辺りの意識は非常に高かった貴方のことですし、契約の点においては一切心配していません」
「じゃあ何? 正直コズプロの人間と話す事なんて私にはないんだけど?」
「おやおやぁ? その理論ですと、ジュンもコズプロの人間のはずですが」
「…………………………………………」
めり、と茜の手元から音が聞こえた。茨の名刺は彼女の指圧によって変形している。妖艶にも愛くるしくも変化する茜の双眸には殺意にも近い眼光が宿っていた。
「……茨。何が目的かは知りませんけど、無意味に挑発するだけってんならオレだって怒りますよ」
「これは失礼! 弁解させていただくと、自分に来栖氏とジュンの関係をどうこう言う気はありません。旧知の仲だった、と日和殿下からも聞き及んでいますしね。……時期の矛盾についても、今は目を瞑りましょう。これ以上はプライベートのことですから」
時期の矛盾。おそらくは茜がアイドルとして活動していた期間と、ジュンが特待生に上がった期間のズレを指している。入れ替わりで活動をし、出会うはずがない二人がなぜか親しい間柄という謎に対する答えを、ジュンも茜も提示してやるつもりはない。
茨は軽く咳払いをすると、ようやく本題に入った。
「何やらのっぴきならない事情でお困りのご様子。そこで提案なのですが……自分とひとつ、取引をしませんか? 上手くいけば、抱えた難題をまるっと解決して差し上げられるかもしれません」
ごくりと唾を飲んだ茜の視線は変わらず。一匹の蛇が自分に這い寄るのを感じていた。