さよなら、ダイヤモンド
04
※暴力表現があります。一体何がまずかったのだろう。いや、きっと自分には何の落ち度もなく、ただ腹いせを受けているだけなのだ。気に食わないなら、虫の居所が悪かったなら、非特待生を殴ってもいい。玲明はそれが許される場所だった。
地面に転がされたジュンは自身を取り囲む生徒たちを見上げて、内心舌打ちをした。実際は殴られた衝撃で口の中が切れていて、痛みで舌打ちなんてできそうもない。逃げ出す体勢を整える間もなく、鳩尾に靴の先がめり込んだ。
「が、はっ……!?」
息がうまく吸い込めなかった。蹴られた場所を手で押さえ、ジュンは地に伏せたまま身を縮める。激しく咳き込むと同時に、生理的な涙が流れた。
クソ、クソ、クソ。クソッタレ!
今すぐにでもこの場を離れたかったが、体全身に鈍い痛みが走っていてうまく動かせなかった。それどころか、今もなお与えられる痛みに適応しようと感覚が鈍くなってきている気がする。こんな痛みに、慣れたくなんかないのに。
「は〜〜〜〜〜ったくまじで何だよ来栖茜。あいつが売れ始めてから他の特待生の仕事減る一方だろ」
「男子は風早巽、女子は来栖茜の独走状態だろ。何もやる気しねえよ」
「教師もなんで来栖を放置してんだ? 普通気ぃ使って俺らにも仕事回すもんだろ」
「知らね。枕でもしたんじゃね? つかあいつそんなに歌上手いか?」
やめろ。彼女のライブを見たこともないくせに、外野が勝手に批評するな。
がつん、とまるでサッカーボールを扱うようにジュンの頭に足が乗せられる。己の惨状と憧れの人への中傷に吐き気がした。遠くにこちらを見る教師の姿が見えたが、すっと目を逸らされてしまう。わかってはいたが、この場に一方的な暴力を受けているジュンを庇い建てようとする者はいないらしい。
「あーあ、来栖茜のネタ、なんか持ってたらすぐ週刊誌にでも売ってやるのに」
「意味ないんじゃね? あいつ今はコズプロのお気に入りだし、もみ消されるだけじゃねえの」
「じゃあネットに流すか。あいつがリンチにあってるところ撮って、SNSに流してやろうぜ。あ、エロサイトでもいっか!?」
「ギャハハ、趣味わり〜」
「………………く、そ……………………」
無性に腹が立った。自分がボロ雑巾のような扱いをされているのも頭から抜け落ちるほど、目の前が真っ赤になった。自分たちが彼女よりも優れていると信じて疑わない彼ら全員を殴り倒して、自分と同じ目に遭わせてやりたかった。
だがいくら歯を食いしばっても、現実は変わらない。全身に被った“非特待生”という泥を落として“特待生”の服を着るまで、この扱いに終わりはない。情けなくて、惨めで、涙が出そうになった。
「……面白そうな話をしてるね?」
だから、この姿をあんたに見てほしくなかった。
「!? 来栖……!? なんでっ、ここ男子部だぞ!?」
「許可証が見えないかなぁ〜? 仕事の手続きでこっちの先生に用事があんの」
茜は大袈裟にため息を吐くと、首から下げたホルダーのストラップを持ち上げる。入校許可と印字されたカードは、稀に校内を歩く業界関係者のものと同じだった。服装も今までジュンが見ていたぶかぶかのジャージではなく、シワひとつない玲明の制服そのものだ。これまで全くと言っていいほど交流がなかったため、ジュンが女子制服を見るのはこれが初めてになる。
「で、エロサイトがなんだって?」
清純派で売り出しているアイドルから出てはいけない言葉がすっと飛び出したことで、ジュンを取り囲む男子生徒たちの眉がぴくりと動く。実力社会のここでは、茜が裏で圧力をかけて彼らを甚振ることも不可能ではない。苦し紛れに先程の冗談を実行しようにも、近くに教師がいる。
ばつが悪そうに顔を歪ませた彼らは、舌打ちを吐き捨ててばたばたとその場を離れていく。その背中を見つめる茜の横顔は上機嫌に見えた。きっと茜も、彼らを追い込むことで憂さ晴らしをしていたのだろう。ジュン達非特待生を特待生が嗤い、力の弱い特待生を力の強い特待生が嗤う食物連鎖のような関係が目の前で起こっていた。
「……なんか、今日は前よりこっぴどくやられてるね」
「ん……――どわっ!?」
眉を下げた茜がジュンの前でしゃがみ、ジュンは飛び起きた。急にどうしたと驚く茜だったが、それ以上にジュンは両目をかっぴらいてぎっと彼女の顔を見つめる。
「あんた、スカート! 履いてんのわかってます!?」
「?」
耳まで真っ赤にした顔を逸らして、なるべく茜の姿を視界に入れないようにする。行き場所がなくて口元にあてた手の甲がまいってしまうほど熱かった。
茜はジュンに言われるがまま視線を下げると、自分がスカートを全く押さえもせずにしゃがんでいるのを思い出した。なるほどこの体勢、この角度では、地面に寝たジュンからスカートの中が丸見えだろう。
「ああ、そっか。あっははは。だから飛び起きてくれたってことね。優しいねぇジュンは。でもこれ見せパンだから大丈夫だよ。……普段私のライブ映像とか見てるジュンなら分かると思うんだけど」
「えっ……は!? な、なんでそれを……」
「HiMERUが教えてくれたよ。この前のやつも配信開始と同時に買ってくれたんだって? ありがとね」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
要の頭に今すぐプライバシーという言葉を叩き込んでやりたい。にこにこと微笑む彼女にどう返したらいいのかジュンには分からなかった。ただ形容しがたい羞恥心が全身を包んで、むず痒い気分になる。推しアイドルにファンだって認知されるのはこんなに恥ずかしい気持ちなのだろうか。一つ勉強になった。
「あ、もしかしてガチのやつじゃなくて残念だった?」
「そうじゃねぇっつの!!」
敬語も忘れ、ジュンは腹の底からそう叫んぶ。けらけらと笑う茜のペースに完全に呑まれていた。何か話題を変えなければ打開する術はないだろう。
他の特待生相手ならこんな口をきいた時点で罰則ものなのだが、茜は「いいね、それ」と頷いた。
「君ってば最近同い年なのに敬語ばっかりだったからさ、ちょっと――」
「――来栖さん」
茜の言葉に被せ、第三者の男の声が場を支配した。空気が凍るのを感じる。ジュンも茜も、直感的にまずいと感じ取っていた。
「随分仲良く話しているようですが……もしや来栖さん。特待生の貴女が、非特待生の彼と交流が?」
スーツを来た教師は茜の数歩後ろに佇み、二人を見下ろす。ジュンに侮蔑の目を向けながらも、その視線は茜に対する冷ややかさも孕んでいた。
「あ、………………」
茜はすぐに言葉を返せなかった。そうだ、などと肯定してしまえば、自分がこっそり男子部に行っていたことが判明してしまう。ジュンは非特待生だから仕事で会っていたなどの言い訳も使えない。そしてそれが全て明らかになれば、罰を受けるのはジュンだった。最悪の場合、退学処分だって有り得る。
「……ぅ、かれ……は…………」
たどたどしく息を吐く。茜の顔がみるみるうちに真っ青になっていくのがジュンから見てとれた。
「……別に、さっき初めて会って絡まれてただけっすよ」
「君には聞いていません。来栖さん、どうなんです」
助け舟を出そうとしたが、教師は最初からジュンの言い分を聞く気はないようだった。なのでジュンの首の皮が一枚繋がるかどうかは、茜に賭けるしかない。
言ってくれ。ただの特待生と非特待生で、友達なんかじゃないって。ついさっき会ったばかりの赤の他人だって。
オレは別に、その程度じゃ傷つかないほどアイドルのあんたに夢中なんだから。
「……………………からかって、遊んでただけですよ。特待生に蹴られてたのが惨めで、面白かったから」
すっと立ち上がってそう述べた声色はか細く、茜の全身から覇気が消えていた。握りしめた拳がスカートの端を握っている。本当はこんなこと言いたくないって顔に書いた表情で教師を振り返った。
教師は納得していない様子だったが、茜とジュンが親しいという根拠はない。ふうと息を吐いた後、「ほどほどにしてくださいね」とだけ言ってその場を立ち去った。
程なくして、茜ががくんと膝をついた。
「っ、茜!?」
ぺたんと地面に座り込んだ彼女にジュンは一瞬手を伸ばしかけて、やめた。なんとなく、薄汚れた自分が触っていい人ではないような気がした。
太陽のような笑顔が似合う彼女の顔は、今は顔面蒼白に染まっている。唇が震え、まるで人を殺してしまったかのように両掌にじっと視線を落としていた。
「ち、ちがうの。わたし、こうなりたかったわけじゃ……」
「…………は、い?」
支離滅裂な茜の紡ぐ言葉に、ジュンは戸惑う一方だった。
ちがうって、何が。ごめんって、何が。茜は特待生として一般的な、最もノーマルな行いをしただけなのに。
茜が本心から教師にああ言ったのではないことなどジュンは知っている。彼女はどういうわけか、自分を気にかけてくれているようだった。玲明の底でくすぶってばかりのジュンにはそれがありがたかったし、ちょっとした優越感だって感じている。くだらない演技で覆せるほどじゃないまでに。
「……一応、言っときますけど。さっきのこと、全然気にする必要ないですからね。教師騙すための演技でいちいち傷つくようならとっくにこの学校辞めてますよ」
「そうじゃ、なくて……ごめん、ジュン。ごめんね……」
だが、ジュンの考えた想像も彼女は違うと否定する。だとしたら、彼女は一体何に謝っているのだろう。涙がこぼれそうになるほど、一体何を恐れているのだろう。
「忘れて」
そう作り笑いをした彼女に、一体何をしてあげるのが正解だったのだろう。