さよなら、ダイヤモンド
05
忘れて。そういった彼女の顔が今もまぶたの裏から離れない。忘れてって、何を。こっちはここ数ヶ月、あんたの事で頭がいっぱいだってのに。今更忘れるなんてそんな器用なことできっこない。
ぐるぐると巡っては最終的に同じ場所に行くつく思考を溜息と共に吐き出そうともしたが、何度試してもそれは背後霊のようにまとわりついてくる。授業が始まるまでの間、もう観念したと言うようにスマホを開いてSNSをチェックしていると、ある文面が視界に飛び込んできた。
『彼女に作ってほしい料理ランキングベスト3、1位はオムライス! ふわとろ卵の乗ったお皿を持つ彼女の姿に彼氏はメロメロ!』
「…………」
な〜にがオムライスだ、くだらない。そんな機会、玲明にいる限り一生やってこないのに。
虫の居所が悪かったジュンは即座にスマホの画面を切った。ぐしゃりと手で前髪を潰し、机に両肘をつく。傍から見れば頭を抱えて嘆いているようにも見えたが、ジュンはオムライスを作ってくれる彼女がいないことに苦しんでいるわけではない。
ただ、思わずオムライスを作る来栖茜を想像してしまい、自分の手遅れな煩悩に嫌気がさしただけだった。
最初は夢だと思った。
「あっおかえりジュン! 不格好だけど食べて食べて!」
寮に戻って早々目の前に差し出される、皿の上に盛り分けられたオムライス。そしてそれを両手で持っているジャージ姿の茜。まるでジュンが思い描いた絵空事をそのまま写し取ったかのような現実だった。
「は? え? なん、なんですか、これは……?」
「オムライス」
「それは見てわかりますけど……! ええっと、茜が作ったんですか?」
ジュンが皿を受け取ると、艶のある髪を後ろでひとつに結んだ茜がそうと微笑んだ。
「暇だったから巽先輩に教えてもらったの。私、今まで料理なんてしたことなかったから」
そう述べる彼女は心做しか嬉しそうに見えた。続けてスプーンをジュンに手渡し、その感想を今か今かと待っている。
こんなことがあってもいいのだろうか。会いたいと思った人に会えた上に、その上手料理まで食べられるなんて。天にも昇りそうな気分を表に出すまいと、ジュンは必死に抑え込んだ。気を抜くと頬が緩みそうになってしまう。
「ほ、本当にいいんですか……? なら、ありがたく貰いますけど」
茜の言ったとおり、皿の上のオムライスはお世辞にも綺麗とは言えなかった。端が焦げた卵の形は歪で、破れた箇所から茶色いチキンライスが顔を覗かせている。火加減が強すぎたのだろう。料理初心者の失敗例としてはテンプレートのような出来だ。
だが、そんなものが一体どうしたことか。推しが作った料理に出来も何もない。ジュンはスプーンで一口掬うと、高鳴る鼓動を感じながら自身の口に運んだ。
瞬間、舌が悲鳴を上げかけた。
「んっ、ぐ――――!?」
なんとか吐き出しはしなかったものの。思わずスプーンを持った手の甲をぐっと口に押し当てた。
ジュンの味覚はカオスを極めていた。やたらとソースの味が濃く、そしてなぜか脂っこいチキンライス。対して卵は甘めの味付けでライスとの相性は最悪だった。仕上げのエッセンスとして焦げの苦さが残り、風味までも調和を乱している。不味いなんて言葉じゃ足りない。
そんななんとも言えない顔をしたジュンを見て、茜は想定内だと言わんばかりに「やっぱりね」と頷いた。
「巽せんぱ〜い。やっぱ駄目でしたぁ。私にオムライスは早かったかも」
「ふむ……こうなると、俺の教え方に問題があるのかもしれません。お役に立てずすみません」
「巽先輩のせいじゃありませんよぉ。これが私の不得意ってことでしょう? 今の時代料理ができなくても生きていけますし、最悪、料理が得意な旦那様と結婚すればいいんです」
「……その前に水、もらってもいいすかっ…………!」
ジュンが潰れた蛙のような声でそう述べると、茜は慌ててミネラルウォーターを差し出した。ジュンが飛びつくように手に取ると、代わりに茜が皿とスプーンを回収する。清涼飲料のCMさながらごくごくと喉に流し込むと、口を離した頃にはペットボトルの中身が半分ほど消えていた。
「ぷは……一体何混ぜてこうなったんです!? あんた、一応巽先輩に教えてもらったんですよねぇ!?」
「教えてもらった以外の食材は入れてないよ! ……ちょっと、ケチャップとソースの割合逆になったりはしたけど」
「オムレツの中がソースライスだったのはそういうわけだったんすね……」
一応、オムライスの定義はとんでもなく広いので、ソースライスになったとしてもオムライスだと呼ぶことはできるのだが。それにしたってあの味の濃さはおかしい。肉体労働の後は濃い味付けのものが食べたくなるとは言うが、度が過ぎればただの不健康だ。
「巽先輩は隣で見てたんすよねぇ? 教え子が変なことしてたらきちんと止めてくださいよぉ〜」
「変なことって!」
「いえいえそれが、最後の一皿は茜さんがお一人で作られたんですよ。その前は俺が隣でアシストしていたんですが」
「最後……?」
ほら、と茜が指をさした場所には、三つの固形物もといオムライスが卓袱台の上に三つ鎮座していた。それぞれジュンが食したもの同様、それどころかさらに焦げの面積が広がっている。
「慣れないことするもんじゃないね。ど〜せ私の女子力は底値ですよ」
ぱちん、と茜は髪を結わえていたヘアゴムを外す。ケアを怠っていない絹のような髪が下り、普段の彼女の姿へと様変わりした。
「料理と女子力なるものが直結するかは怪しいところではありますが。茜さんは親しみやすさが魅力の一つですから、苦手なものがある方がファンも喜ぶのでは?」
「? つーかなんで茜はいきなり料理なんて始めたんすか? 女子力?」
「今度、バラエティ番組で料理することになったの。事務所的には私生活まで完璧なアイドル〜みたいな感じで売り出したいんだって」
コズミックプロダクションは最高峰のエンターテインメントを方針に掲げる事務所だ。なので茜が稀に見せる愛嬌とも呼べるミスも、本来の方針に則れば誉められたものではない。だからこそ、これ以上欠陥部分を世間に見せたくないのだろう。
「完璧なアイドルねぇ……別にあんたの料理の腕が壊滅的だって知られても、それでファンをやめる奴なんていないと思いますけど」
確かに、そういう小さなところに幻滅して、勝手に去っていくのもファンというものだけれど。少なくとも料理ができない程度でファンを下りたりしない。そもそも、その強烈な味のする手料理を今しがた食べたばかりなのだ。
何でもないような顔をしてさらりと述べると、茜は一瞬言葉に詰まった後少し照れたように愛想笑いをした。
「ジュンもすっかり私のファンだねぇ。その調子だと、私の歌どころか振りつけまで全部覚えてるんじゃない?」
「全部じゃないし踊れって言われても無理っすけど、まあ一応は」
「……マジ?」
目を丸くした茜に、ジュンはしてやったりと思わず笑いがでかけた。
すでにHiMERUにバラされているのだからこれ以上恥ずかしいことはない。ジュンのスマホは佐賀美陣と来栖茜のプレイリストでいっぱいなのだから、歌も踊りも覚えるに決まっている。
きょろきょろと視線を泳がせて何を言おうかと迷っている彼女は、言葉を選ばないならとんでもなくかわいかった。自分の中で加虐心の芽生える音が聞こえるくらいに。
「踊れはしませんけど、歌ってやりましょうか〜? 『トワトリ』も『ハーバリウム』も、『ダイヤモンド』もきっちり覚えてますからね」
「『ダイヤモンド』なんてまだリリースしてからそんなに経ってないよね!? うわ、なんか恥ずかしいなこれ!」
あつくなった頬に手を当てて冷まそうとする茜を前に、ジュンは満足感を噛み締めていた。我ながら性格が悪いとは思っていたが、これは先日の仕返しだ。この先、彼女が『ダイヤモンド』のレッスンをするたびに今のやりとりが浮かぶとしたらそれ以上に嬉しいことはないと思ってしまうジュンは、頭から爪先まで来栖茜の沼に浸かっていた。