指差しのよすが

さよなら、ダイヤモンド

07

 ステージの上で茜が歌う。

 玲明学園の男子部と女子部の間に築かれた、互いの交流を防ぐ為の塀。昨夜までビニールシートがかけられていたその場所はてっきり修繕工事のためだと思っていたが、実際はライブステージの足場を建設していたらしい。急ごしらえの舞台では照明まで設置することは叶わなかったが、そんなものがなくとも来栖茜の輝きは失われなかった。

 学園の内外問わず有名な来栖茜がゲリラライブを行っているという話は、瞬く間に生徒の間に伝わった。ジュンがやって来た時には既にステージ下は同じ制服を来た生徒でいっぱいで、今後いつ見られるか分からない生の来栖茜のライブに皆熱心にカメラを向けている。中には彼女のファンもいれば、ただ珍しいからと好奇心で立ち寄った者など客層はまちまちだった。茜も「かわいく撮ってね!」などと積極的に撮影を推奨するものだから、今彼女に向けられているものは視線とカメラが半々の割合だ。

 どうやらこの状況は女子部の方でも同じようで、塀の向こう側からは女子生徒の黄色い歓声やコールが聞こえてくる。ジュンは自分以外のファンについてあまり調べていなかったが、来栖茜のファン層は女性も比較的高めなようだ。アイドル業界では異例の存在とだけあって、どうにも地下で活動をしている女性アイドルからは英雄視もされている。

 それもそうかもしれない、とジュンは思う。来栖茜の人を惹きつける力は尋常ではない。男子部における風早巽のような存在が、女子部における来栖茜なのだろう。その二人をツートップにして玲明学園は勢いに乗っていたが、風早巽が倒れたことで来栖茜への注目はさらに高まった。このまま来栖茜が学園の頂点に立つか、はたまたHiMERUの台頭でまた勢力図がひっくり返るのか。玲明学園はまさに動乱期だった。特待生の象徴が決まるその瞬間を、誰もが今か今かと待ち望んでいる。

 だけど、ジュンはそれが寂しくもある。

 タコ部屋で出会った小さなアイドルは、今はもう届かない塀の上に立ってしまっている。ジュンはただ、それを見あげることしかできなかった。自分の声なんて周りにかき消されて届かない。そういう遠い場所に行ってしまった。

 全部、愛着が悪いのかもしれない。きっとこれが、彼女が売れてから知ったのであれば、こんな後ろめたい感情は抱かなかった。純粋に彼女を応援することができた。巽が倒れて、要が去っていったというタイミングもあるのかもしれないが。

 どうしてか、彼女の歌を聴いていると胸が苦しくなる。この気持ちを誰にも知られたくない。来栖茜の目には綺麗なものだけ映していてほしい。価値を見出されず、劣等生として学園にすら捨てられた惨めな路地裏の野犬に気まぐれに餌をくれた彼女に、汚点を残してほしくない。

 なのに、ジュンはもう引き返せないくらい来栖茜が好きだった。

 ――特待生に殴られて顔に傷を作ったあの日、あんただけがオレを叱ってくれました。オレ、あれがすごく嬉しかったんです。アイドルが顔に傷を作るなって、そんなこと今まで言われたこともなかったんで。アイドル扱いされて、舞い上がっちまったんです。

 負けるなと彼女が背中を押してくれたから、惰性に堕ちていく非特待生の波に呑まれずに踏み留まれた。汚れてほしくないからって、そんな理由で嫌いになれるのなら、毎日彼女の歌を聞いたりなんかしない。

 彼女には何も知らないでいてほしい。自分がどんな思いで彼女を見上げているのか。ファンを名乗りながら別の感情を混ぜてしまったことに、どうか気づかないでほしい。

 そうしてあわよくば、いつまでも彼女を見つめていたい。それが最前列じゃなくたって構わないから。


「……うんうん、昼にやったのは正解だったみたい! いい感じに人が集まってきたね! 今日はわざわざ見に来てくれてありがとう! でも悲しいことに、昼休みってすぐ終わっちゃうからね! 次の曲で最後だから、もうちょっとだけ付き合ってくれると嬉しいな!」


 マイクを通した茜の声が周囲に響く。


「しっかり撮っていってね――『ダイヤモンド』!」


 彼女がそう言うと、スピーカーから前奏が流れ始めた。半年前にリリースされたこの曲は今ではすっかりジュンの耳に馴染んでいる。振り付けだって完璧に覚えた。全方位にいる観客に合わせて体の向きを調整しているため、ジュンが今まで見たライブ映像とは少し違う部分もあるが。

 歌いながらもファンサを忘れることなく、茜が男子部にも女子部にも向かって手を振ったりウインクを飛ばしていく。


「……あっ、手ぇ振ってくれた! 俺に!」
「いや俺じゃね?」
「僕だって!」
「茜ちゃんマジ最高ー! 玲明辞めなくてよかった!」
「もっと踊って!」
「こっち見て!」


 こんなものじゃ足りない。もっと、ずっとアイドルでいてほしい。

 もうすぐ終わってしまう夢の世界を少しでも永遠にすべく、その姿をスマホに収める生徒が増えてきた。熱狂的な視線から、段々と無機質なカメラへと切り替わっていく。
 だが、昔から空気を読むことが得意だったせいもあるのだろう。ジュンは自分の周囲の雰囲気の変化を敏感に感じ取った。

 ――微妙に、おかしな方向に流れている気がする。

 もしかすると気のせいかもしれない。茜のライブを生で見たのはこれが初めてなのだから、ひょっとしたらこれが正常なのかもしれない――とまで考えて、そんなわけがないとジュンは眉をひそめた。

 観客が皆スマホを構えているこの空気は、茜が撮影を許可したことがきっかけだ。たけど、玲明の生徒がライブを行う際は必ず記録映像としてスタッフが撮影し、後日それを配信するのが通例だった。ならば、わざわざ観客に撮影を推奨する理由はない。

 曲はラストのサビに突入した。今日のライブで間違いなく一番の盛り上がりになる場所だった。

 ジュンも彼女の見せ場をその目に焼き付けようとステージ上を見上げて。

 ぞっとした。

 来栖茜の代表曲『ダイヤモンド』。ジュンはその振り付けを全て覚えている。

 だからこそ気づいてしまった。このフレーズの最後に、彼女は四歩後ろに下がる。

 そしてその四歩目の足が置かれるべき場所に、足場が作られていないことに。


「――ッ! 茜――!」


 ジュンが顔面蒼白で叫んだ。その声は彼女の歌声とファンの歓声にかき消されて届かない。それでもジュンは叫ばずにはいられなかった。


「待って、やめてください! それ以上歌うな!」


 少しでも近づこうと観客の間をかき分けて前に進もうとするが、その経緯を知らない観客からは白い目で見られるだけだった。感極まって茜に近づこうとする狂ったファンに見えたのだろう。近づかせてなるものかとバリケードのように立ち塞がれる。


「ちがっ、違うんです! 茜! 茜!!」


 歌をやめろ。踊りをやめろ。

 誰か、彼女を止めてくれ。

 じゃないと、彼女がつくった夢が永遠に終わってしまう。

 最悪の結末がジュンの頭を過ぎって、視界がぐわんと歪んだ。耳に入る音が五重奏のようにも響いて聞こえる。


「茜っ!!」


 焦燥感によって吐き出された叫びも虚しく、誰にも届くことはなかった。時間は残酷で、一秒たりとも止まってはくれない。ジュンがそうして集団の中をもがいている中でも、曲の終わりは刻一刻と近づいていた。

 そうして最後のフレーズが流れる。茜が一歩、二歩と後ろに下がる。三歩目の辺りから、ジュンの目にはその動きがスローモーションのように見えていた。

 最後の一歩を踏み出す直前、茜はジュンに目を向けた。かちりと視線が合う。病人のように顔を青くしたジュンに茜はふっと微笑むと、マイクとは反対の手上げた。

 その人差し指が、ジュンへと向けられる。

 まるで銃のように、ジュンの心臓を真っ直ぐと撃ち抜く。

 何かを慈しむような、けれどどこか寂しそうな、ショーケースの中の宝石みたいな指差しだった。

 次の瞬間、茜の体はぐらりと傾いた。

 四歩目を踏むには足場が足りず、支えを失った体は重力に引き寄せられる。そうやって、茜はステージから落ちていった。

 ジュンからは見えない、塀の向こう側へ。


「あ、――――――」


 一瞬の静寂の後、耳を劈くほどの悲鳴が辺り一面に響き渡った。


「きゃあああ!?」
「えっ、今落ちた!? ステージから!」
「やばい、私落ちるところ撮れちゃった!」
「ま、待って、あの足、曲がって」
「きゅ、救急車! 早くして!」
「ねえ、これって警察も呼んだ方がいいの!?」


 塀の向こう側もこちら側も阿鼻叫喚だった。折れた、というワードに血の気が引く。気が動転して塀をよじ登ろうとする生徒も現れるほどだった。

 急なアクシデントに音楽も止められ、楽園は一瞬にして地獄絵図へと変わってしまった。悲鳴が聞こえてこない場所がない。

 バタバタと激しく動く生徒たちの中、ジュンも同様に駆け出した。女子部の敷地へと唯一繋がる、地下墳墓へと。

 この時、ジュンも冷静さを欠いていた。明確な校則違反だ。女子部の中に自分が入っていけば、一体どんな処分を下されるかわからない。だけど少しでも向こうの状況を知りたくて、茜に近づきたくて、必死に足を動かした。

 彼女はジュンとの約束を守った。どこにいてもジュンを見つけて、必ずファンサを送るって。

 だけどジュンは、あんなファンサが欲しかったわけじゃない。夢の最後を託すような、そんなふうに指を差してほしかったわけじゃないのに。

 体の芯はあつくなっているのに、指先にはまるで力が入らない。思考も感情もぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、ジュンは自分の体が自分のものじゃないような感覚に陥っていた。

 地下墳墓への階段を駆け下りて、広場を通過する。昨夜まで亡者のように壁に寄りかかっていた非特待生の姿は不思議と一人も見かけなかったが、今はそんなことを気にする余裕はなかった。茜が教えてくれた女子部への入り口を探して、迷宮のような通路を右へ左へ駆け巡る。

 そうして、目的の扉に辿り着いた。昨夜茜が消えていった木製の扉の取っ手を掴み、乱暴に押す。

 しかし、道が開けることはなく。鍵に引っ掛かった扉はジュンの体重で少しだけ奥に押されたが、すぐに反動で跳ね返ってきた。


「クソッ、開かねえ! なんだよ、クソ、クソ!」


 何度も体をぶつけてみるが、古いわりに頑丈に作られたそれはがくがくと音を立てて揺れるだけで、ジュンの侵入を許さなかった。肩の痛みと地下の冷気で徐々に理性を取り戻してきたジュンは、やがて両手を扉についたまま項垂れる。


「なんで………………茜、あんた、知ってたんですか……?」


 絞り出した声は掠れていた。

 制服のポケットに入れたスマホが通知で断続的に震えていた。SNSを開いてみれば、真っ先に茜がステージから転落した旨の投稿が表示される。あのライブを見ていた大勢のうちの誰かが流したのだろう。あれだけの人数が一斉に録画をしていたのならば、映像の流失は避けられない。

 それも全部、茜が仕組んだことなのか。

 ファンに撮影を煽るパフォーマンスは全部、この事故を記録させるためのものだろうか。ならば最後の四歩目は、転落すると分かった上であえて踏み出したとでも言うのか。

 そんなものはただの自殺行為だ。


「……畜生。『夢のおわり』ってそういう意味かよ……!」


 茜はおそらく、アイドルを辞めたかったのだ。アイドルとしての人生に終止符を打つために整えた舞台がこれだったのだ。

 なんとなく、昨夜の時点で様子がおかしい気はしていた。だけど一ヶ月ぶりに会えた喜びに酔いしれるばかりで、彼女の計画に気づきもしなかった。


「バカかよ、オレ…………」


 この扉の向こうに消えていった彼女の顔が蘇る。あの時、手を掴んでいれば。気休めでも、何か困ってるんじゃないですかって言えたら、こうはならなかっただろうか。

 そうしたら、自分と彼女は、今頃友達になれただろうか。

 俯いた蜂蜜色の瞳から涙が溢れそうになったその時、視界の端に何かが映りこんだ。足元に目を向けて見ると、扉と床の隙間に何やら紙切れが挟まっている。


「……なんだ、これ。手紙……?」


 二つ折りにされた白い紙を拾い上げ開くと、便箋にびっしりと書かれた文字列が目に飛び込んできた。その一番上から順に目を通していく。


 ジュンへ。

 怒ってたらほんとごめん!!

 でもたぶん死んだりはしてないと思うので、安心してください。心配かけてごめんね!!


「………………」


 丸文字で書かれた文章は想像の斜め上を行く軽快さで、ジュンはつい呆気にとられてしまった。茜の筆跡を見たことはないが、彼女が書いたものに間違いないだろう。しかし全体の文章量からするとこれはまだ序の口なので、大人しく続きを読んでいく。


 ジュンならこっちまで様子を伺いに来ちゃうだろうなと思ったので、悪いけどこの扉は封鎖させてもらいました。危ない橋は渡らないようにしてね。

 でもそれじゃ君は満足しないと思うので、代わりにこの手紙を置いておきます。少し長くなると思うし、途中で飽きちゃったら全然捨ててくれていいからね。

 だから、ちょっとだけ綴らせてください。

 来栖茜がついていた嘘について。
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