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「……ん………さん……シオさん!」


シオが目覚めてから最初に目に入ったのは、心配そうなサクヤの顔。それから、見知らぬ天井。
そうだ、確かアキに飛ばされて……。
頭を押さえながら、シオはむくりと起き上がる。サクヤのソプラノの声が頭に響いて、眠気覚ましに丁度良い。


「良かった、起きたんですね! 逃げますよ、シオさん! ここは危険です!」


ぐいぐいと腕を引っ張るサクヤに、シオは困惑する。


「おい待て、一体どうなって……」
「ここは《異界》の中でも、最奥なので、エルダーグリードに襲われる危険があります! ひとまず《門》のある方へ戻ってから、コウ先輩たちと合流して――」


サクヤの言葉は、そこで途切れた。
彼女の背後に迫る、巨大な爪。エルダーグリード、ブレードレックスのものだ。
サクヤはそれを華麗なステップで避けると、エルダーグリードの正面に立った。
彼女の両手には、二対の剣が握られている。


「チッ、もう来ましたか。ここは卯月が突破口を開きます! その隙にシオさんは駆け抜けてください!」
「おい!」
「大丈夫です! 卯月、これでも結構強いですから!」


シオさんには、何度も助けられてしまった。ですから、次は卯月が助けるんです!


《ソウルデヴァイス》を構え直すと、サクヤはエルダーグリードに向かって《ソウルデヴァイス》を鞭の形状にして振るった。
鞭についた仕掛けが、振るう度にエルダーグリードの皮膚――という表現で正しいのかはわからないが――を削り取る。
続いて《ソウルデヴァイス》を剣の形状に戻して攻撃しようと足を踏み込んだ。

が、そんなサクヤを後ろから追い抜き、エルダーグリードへと走る影がひとつ。
彼はエルダーグリードの前まで行くと、その首に豪快な蹴りをくらわせた。


「なっ……何なんですか、あの威力……ソラさんと互角に渡り合える脚力ですよ、あれ……っ!」


《怪異》は《ソウルデヴァイス》のみダメージを与えることができるのため、直接的なダメージはほぼでゼロである。
だが、《怪異》をひるませるのには充分すぎるほどだった。


「すごい……! あの人、相当な戦闘のセンスありますよ……!」


攻撃を繰り出しながら、サクヤは笑う。
とは言っても、やはりシオは《ソウルデヴァイス》を持たない一般人。このまま最前線で戦うのは危険だ。


「シオさん、卯月が囮になります! シオさんは、背後からの攻撃に専念してください!」
「その作戦自体に文句はねえが……ポジションが逆だな。俺が囮になる」
「だ、駄目です! シオさんは、《ソウルデヴァイス》を持っていないんですから!」
「その《ソウルデヴァイス》とやらがどんなものかは知らねえ。だが、一年が最前線で戦ってるっつうのに年上の三年が黙って見てられるかよ」
「いや、今は年下とか年上とか関係なく……って、もう行っちゃった!? ああもう、わかりました! 卯月が追撃役になるので、怪我だけはしないでくださいよ!?」


シオはクールなように見えて意外と頑固者だ。自分がこうと決めたら、とことん動かない。
そんなシオに、サクヤは諦めるしかなかった。
《ソウルデヴァイス》を握り直し、地面を蹴ろうとしたその時。


「あ、れ……?」


突然、頭が真っ白になった。
わかっている。自分は卯月桜夜で、あれはエルダーグリードで、そこで戦っているのはシオさんで。
わかっているのに、わからない。
これはペンだとわかっているのに、何に使うものなのかが全く思い出せないような、不思議な感覚。音も、何も聞こえない。

ああ、ひとつだけわかった。
卯月は、戦わなければ。


「卯月、は……」


サクヤはゆっくりと《ソウルデヴァイス》を持ち上げた。
少し指を動かせば、すぐに鞭は剣の形状へと変わり、直線上に発射できる位置。
そしてそのまま、指に力を込める。
狙いはエルダーグリード

――ではなく、エルダーグリードを相手に生身で戦う、シオ。


「……っ!」


あとほんの少しで鞭を振るえるというところで、半分飛びかけていた意識は完全にサクヤのものとなった。
でも、記憶がほとんどない。あるのは、たったひとつだけ。

――卯月は、シオさんを殺そうとしていた?

一気に、全身の毛が逆立つのを感じた。
血の気が引け、冷や汗が肌をつたって地面へ落ちる。バクバクと心臓が鳴り止まず、手の震えも止まらない。
今はまさに、顔面蒼白といった感じだろう。

卯月は、卯月は、卯月はっ……!


「おい、ぼうっとするな!」
「! す、すみません!」


慌てて《ソウルデヴァイス》を構え直す。
するとその時。


「――先輩! サクヤ!」


突然、コウの声が響いた。
良かった、間に合ったか。


「お前ら……!?」
「先輩方に、ソラさん!」
「ちょっと、僕もいるんだけど!?」


あえて四宮の叫びは無視しておく。


「俺らに任せてくれ――! いくぞ、サクヤ!」
「はい!」


エルダーグリードに駆ける四人に、今度こそサクヤは地面を蹴った。
ただ、胸にかかった黒い靄は、消えてなくなってはくれたりはしなかった。


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