02.
「気になる女がいる。」
ガタガタ!
「おいおいおいおい、今なんつったんだ、うちの若頭?」
「酔っぱらってんのかァ?!」
「其れはお前だ、酒木」
「・・・まさか、ありえない・・・若がそんな事を」
「廻、熱でもあるんでやすか?」
「・・・お前ら、分解されたいのか。」
ぽつりと言った一言に対する部下たちの反応が、俺の眉間に皺を作った。
ぎゃーぎゃーと騒ぎ続ける馬鹿どもを視線で黙らせ、俺は額に手を当てる。
「・・・そこでだ、お前らにあることを頼みたい。」
「誘拐でやすか」
「拉致か!?監禁して調教だな!?」
「・・・混ぜて作りなおすぞ、玄野、入中」
まったく、うるさい奴らだ。
「とにかく、玄野。お前は対象の行動パターンを全て調査しろ。」
「え、それってストー・・・」
「・・・し・ろ。」
「・・・へい。」
それから他の連中にも大まかな指示を出して、すぐに行動させた。
その女の名前はシズク。
見た目はいたって普通の、清潔な若い女。
メイクも濃くないし、生活も地味。
玄野の報告でどんどん分かってくる行動パターンも、取り立てて変わったところはない。
ただ、試したいことがある。
その為にも、俺は部下を使ってでもシズクのことが知りたい。
それは昨日、街でシズクとすれ違った時に起こった。
人混みが嫌いな俺は、めったに街に出ることはない。
それでも大切な会合の為に街に出て、できるだけ人通りの少ない道を選んで歩いていた。
隣には玄野が控えている。
角を曲がったところで、小さな影が俺の懐に飛び込んできた。
反射的に身をかわしたが、少しだけぶつかってしまう。
「廻!」
「・・・いい。」
「ご、ごめんなさい!!お怪我ないですか!?」
女はぶつかってきたことを何度も詫びると、しばらくして俺のペストマスクを見上げて固まった。
怪しげなマスクにブラックスーツを着込んだ男に、明らかに恐怖していた。
「・・・ほ、んとに、すみませんでした!では!」
俺が何か言うより早く、女は走っていった。
自分の体に出ているだろう蕁麻疹を憂いて、俺は大きなため息をつく。
「びびって逃げちゃいやしたね、廻顔怖いから。」
「・・・。」
茶化す玄野の言葉も無視して、俺は腕まくりをして肌を確認する。
「あれ、出てやせんね。ブツブツ。ギリギリで避けたんですか?」
「・・・確かに、触れた。」
こんなことは初めてだ。
俺の胸にむらむらと、原因を知りたい欲求がこみ上げる。
女が消えた方向を見るが、その姿はもう見つけられない。
顔もよく見ていない。
ただ、発疹が出なかった。
それが何故なのか、ずっと気になっていた。
「廻、ありゃァ昨日の姉ちゃんじゃないですか!」
「・・・早く報告しろ。」
電話越しに玄野が喚く。
そのあともぎゃあぎゃあと煩かったが、何とか情報を聞き出す。
必要な話を終えて、あと2週間は続けるように言いつけて電話を切った。
切り際にも、まだ騒いでいたが無視した。
家、家族構成、行動範囲、パターン。
全部知りたい。
もはや興味が燃え上がって止まらない。
ずっと苦しめられてきた症状が、本当にあの女にだけ反応しないのか。
ずっと親父にすら気を使わせていた。
出来ることなら治したい。
そんな調子で尾行を続けさせ、ある日俺はターゲットに接触することにした。
後を付けている玄野から報告を受けて、シズクが買い物を終えた所に接近する。
遠くで玄野の姿が確認できた。
俺が通りに姿を現す前に、シズクは何かを感じたのか急に振り向いた。
(・・・バレた?)
幸いにも、玄野はとっさに身を隠していた。
シズクが振り返っている間に距離を詰め、声をかける。
つもりだった。
ドン!
「わっぷ」
前も見ずに再び歩き出したシズクが、再び胸にぶつかってくる。
・・・前もこうやってぶつかってきたな、注意力不足なのか?
「あァ、済みません。大丈夫ですか?」
俺は余所行きの声で話しかけた。
シズクはまたぺこぺこと謝っては、ちらりとこちらを見上げてくる。
小柄でちょこまかと動く姿が、小動物のようだ。
世間話をして、シズクから離れる。
袖を捲ってみると、やはり無症状だった。
携帯で玄野と話しながら、心が躍るのを感じる。
シズクに対しての興味は、女性としての興味に変わりつつある。
こんなことは、今までなかった。
重度の潔癖ゆえに、他人に興味などなかった。
触れたいとさえ、思ったことはない。
だがシズクはどうだ。
暗がりで自分の両手を見下ろす。
シズクがぶつかってきた時、抱きしめたいと思った。
もっと触れたい。
あの女は、汚くない。
自然とそう感じていたのだ。
あァ、本当に
運命かもしれない。
そして翌日。俺はシズクが乗る電車を待っていた。
人混みに鳥肌が立つも、目的のためには手段を選んでいる場合じゃない。
ゴミ溜めみたいな人の波の中、シズクを見つける。
俺はぐいぐいと人を押しのけて、車両の中で壁に押し付けられているシズクのそばまで接近した。
(いつもこんなもみくちゃにされているのか・・・。俺には耐えられん)
痛みに顔を歪めているシズクを前に、声をかけるより先に体が動く。
壁に手をついて空間を作ってやると、顔が見えた。
今日は眼鏡だ。急に楽になったことに混乱しているようだった。
「あの、ありがとうございます・・・?」
混雑の中でも、しっかり聞こえた。
「いえ」
急に声をかけられて、鼓動が早くなる。
シズクの眼鏡はすっかり曇って、前が見えていないようだ。
昨日の今日で現れた俺にも、まだ気づいていない。
「隙間、作ってくれてます?」
「女性は大変ですね、息もしづらいでしょう」
「あ、その声・・・もしかして、昨日の?」
「またお会いしましたね、奇遇だなぁ」
できるだけ優しく話しかける。
不審がられては、元も子もない。
シズクは眼鏡拭きで視界を取り戻し、俺を見上げてにっこり笑った。
(・・・笑顔、初めて見るな)
どくん、と疼く感覚。
他愛もない世間話をしながら、自分の欲望が膨らむのがわかる。
触れたい。
柔らかく甘そうな肌に。
名前を名乗りあったころ、俺の理性は限界を迎えていた。
不審がられないように、少しずつ腕の力を抜く。
背中に他人の気配を感じて、肌が泡立つ。
うなじに蕁麻疹が出ている感じがする。
シズクには見えない場所だ。
少しずつシズクに近づき、ついにはその頬に俺の胸が触れた。
「こらえ切れなくて、すみません」
体温が上昇しているようだ。見下ろす頬が紅潮している。
胸に当たる肌の感触が、暖かくて気持ちがいい。
素手で触れたい。
だが、今日はここまでだ。
満員電車を降りるまでそうして堪能し、俺はシズクと改札で別れた。
降りたところに迎えが来ている。
「どうでした?」
「・・・あの密集具合は最悪だ。」
「シズクちゃんとは?会えました?」
「触ってきた」
「・・・痴漢?」
「・・・」
「冗談でやす」
俺は玄野と話しながら、頭は違うことに働かせていた。
(あれを毎日味わっているなんて、シズクが不憫すぎる)
(車で毎日送ってやりたい)
(会社も無理して行かなくていい・・・俺が養ってやる)
妄想は止まらず、マスクの下で笑みがこぼれた。