01.

「シズク」
「おはようございます、治崎さん」

早朝、仕事場である死穢八斎會のお屋敷に向かうと、すぐに声をかけられた。
スーツにマスク姿の、治崎さんが立っている。

「今日は魚が食べたい。」
「はい。鯖ですか?」
「ああ」

好き嫌いの多い雇い主は、私の返事に満足してくれたようだ。
私がここで料理番をすることになったのは、ごく最近のことだ。
仕事をなくして困っていたところを、組長さんのツテで紹介していただいた。
前の職場が、組長さんの行きつけだったから。

靴をそろえて玄関に上がる時、うなじにそっと指先が触れた。

「ひゃ」
「・・・今日も可愛いぞ」
「・・・止めてくださいよ、からかうの。」

形のいい指に触れられ、思わず変な声が出たけれど、慌てて取り繕う。
若頭である治崎さんは、事あるごとに私にちょっかいをかけてくる。
潔癖症って話だったけど、平気で触れてくる。

「俺はいたって真面目だが」
「はいはい、ちょっと通りまーす。」
「・・・む。」

どきどきと高鳴る心臓の音が聞こえないように、誤魔化してその場を離れる。
他人に触ると蕁麻疹が出るらしいんだけど、私はまだ実際に見たことはない。

治崎さんは素敵だし優しい。
それでも、私は頑なに拒み続けてる。
前の恋を、まだ清算できずにいるから・・・。


「今日もおいしいごはん、作りますから。」

少し拗ねている治崎さんにそう言うと、「あァ」と返事をしてくれた。
その顔はマスク越しだけど、怒ってはいなそうだった。よかった、気分を害していなくて。
私はさっそくキッチンへ向かう。
その途中で、他の組員さんたちにも会って挨拶を交わす。

「姐さん、おはようございやす」
「・・・玄野さん、そのアネサンっていうの、やめてもらえます?」
「いやぁ、すいやせん。でも将来そうなってるかもしれやせんよ。」
「ありませんから。もう・・・」

男嫌いなわけではない。
それでもこんなに子供じみた否定をするのには、一応訳があるんだから。

キッチンへ到着すると、深呼吸をひとつ。
個性を使うために、少し集中する必要があるんだ。

「よし、やろう」

発動すると、手を触れなくても物が動く。
フライパンや鍋、調理器具が浮遊して私の望むままに動く。
サイコキネシスと呼ばれる能力で、手を触れずにものを動かすことができる。
私は調理の仕事でこの個性を使い、一度に何品もの料理を作っていく。
もちろん、自分の両手も使う。

「・・・せっかく凄い個性なのに、料理にしか使わねえのは勿体ねェなァ」
「本部長さん、おはようございます。」

ぬいぐるみ姿の入中さんが、キッチンに入ってくる。
これでも色々神経使うし、結構難しいんです。
調理器具や食材などの軽いものなら、同時にいくつも動かせるけど、大きかったり重いものは無理。
それに同時に操作するのも、長い間培ってきた料理という作業だから進めていける。
慣れないものや使い方のわからないものは、動かすのも難しい。

「あんまりいい個性じゃないですよ。」
「使いようだろ。お、鯖か」
「治崎さんのリクエストです」
「・・・夫婦みてェだな。」
「冗談はさておき、何か御用ですか?」

入中さんはしみじみと茶化してくるが、これもスルー。

「あァ、来週ウチ持ちで会合があるんだ。
 大人数なんだが、食事手配してくれ。」
「喜んで。」

料理が好き。
人に喜んでもらえて、私も得意なこと。
役立てている実感がある。

私は会話しながら鯖の処理を済ませ、付け合わせやごはん、みそ汁の用意も進めていく。
治崎さんは、好き嫌いが多い。
というか、今まで手料理は食べたことがなかったらしい。

「治崎さんって、ほんとに潔癖なんですか?」
「あァ?見たことねェのかよ、あの蕁麻疹」
「それが、まだ見たことないんです。それどころか、ちょいちょい触ってくるし・・・」
「そりゃあお前・・・まぁいいけどよ、あの人の潔癖は、筋金入だぞ。」
「ええー・・・。」
「シズクは特別なんだよ、あの人にとって」

そう言われて、心がちくりと痛む。
私だって、治崎さんが嫌いなわけじゃない。
組の人もみんなよくしてくれて、働きやすくてとても感謝してる。

「・・・そう、だといいですね。」
「・・・。まァ、焦りなさんな。」

ぬいぐるみに慰められる姿、なかなかシュールだ。
さておき、朝ご飯の支度はほとんど整ってきた。

「本部長さん、ごはんできました。皆さん呼んでもらえますか。」
「おお、いつもながら早えな。ありがとよ」














忘れられないのは、前の恋。
どこから間違えたのか、終わらせ方もわからなくなって。
気持ちが離れたのが先か、すれ違いが先か。
とても好きだった、はずだった。
それでも、ひどく傷つけてしまった。
私のせいだ。
私さえ、彼に関わらなければ、あんなことにはならなかったんだ。
最低だ。
そんなことばかりを考えているから、ちっとも解決しない。
清算できなくて、ずっとずっと引きずっている。

あんなに愛してくれたのに。
大切にして、くれたのに。

ごめんなさい。
謝りたくても、もう声が届かないよーーー











勝己。



















「お味はどうですか。」

がやがやと騒がしい食卓で、私は治崎さんの隣。

「美味い。」
「良かったぁ」

端的な言葉でも、じゅうぶん嬉しい。
考えて、作って、食べてもらって。
それだけでも幸せだと思うのに、おいしいと言ってもらえる。
それも、こんなにたくさんの人に。

見渡すと20人くらいの男性がひしめく食卓。
これは通常営業なのだが、家族のいない私にとって初めはとても新鮮だった。
こんなにたくさんの人でごはんを食べたら、おいしいだろうなぁ。

「お前さんも食べろ、治崎の世話ばっか焼かせてすまねェな。」
「ありがとうございます、組長さん。・・・後で、いただきます。」
「・・・。」

治崎さんの向こうで、組長さんが声をかけてくれる。
笑って返事をするけど、治崎さんはむすっとしている。

「おかわりしますか?」
「いい。美味かった。」

行儀よく食べ終えると、治崎さんはすぐに席を立つ。
小食なこの人の食事が終われば、あとはたくさん食べる人たちにお代わりを配る時間。
それから下膳して、洗い物は個性でちゃちゃっと。
そのあとに買い出しに行って、あぁ、調味料とか重いものもたくさん買わなくちゃ。

組長さんにああ言ったけど、私は朝食を食べなかった。
・・・というか、ほかの食事も。
作るだけで、食べる気にならないんだ。
それは、多分心のせい。
たまに、ごくたまに何かを口に入れるけど、食べたくて食べてるわけじゃない。
倒れちゃうから食べてるだけ。

買い物のリストアップをしていると、キッチンに治崎さんが入ってくる。

「・・・シズク、買い出しか」
「はい、なのでちょっと抜けますね。」
「車を出そう」
「いいですいいです、すぐそこですから。」
「大荷物になるだろう。俺が着いていく」
「ええ!いいですよ、ホントに・・・忙しいのに、治崎さんに頼むわけにいきません。」

頑なな私の態度に短くため息をつく、治崎さん。
ああ、ほんとに私ってかわいくない。
お願いしますの一言が言えないんだから。

「シズク。」
「・・・!」

ぐ、と距離を詰めてくる治崎さん。
目が真剣で、飲み込まれそうになる。

「俺も、行く。いいな。」
「・・・っは、はい・・・」

強引でぶっきらぼうだけど、思いやりがある言葉。
正直ありがたいし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
私はお礼を言って、出かける支度をする。
治崎さんはずっと近くにいて、まるで私が逃げないように見張っているみたいだった。

「お前は、放っておくと無理するからな。」
「そんなことないですよ、治崎さんは過保護です」
「・・・もっと頼れ。」
「・・・はは、ありがとうございます。」

治崎さんの優しさにも、乾いた笑顔でしか返せない。
好意を寄せてくれているのは、わかってる。
だけど、それに応える気持ちにはなれない。
同じことを繰り返したくない。
この人に嫌われてしまったら、きっともう立ち直れない。
そんな後ろ向きな考えばかりが浮かんで、離れないんだ。

車を出してくれた治崎さんは、特に話しかけてこないまま運転をしてくれている。
横顔もとてもきれいで、ちらりと盗み見てしまう。

「・・・もっとじっくり見てくれてもいいぞ。」
「えっ!あ、いや・・・あはは」

この人、視界広すぎない?
恥ずかしくなって、顔を窓に向ける。
買い物に行こうとするたびに、こうして付き合ってくれる治崎さん。
荷物も持ってくれるし、ドアも開けてくれる姫対応。
そのたびドキドキするけれど、なんとか誤魔化してきた。

「治崎さんって、スパダリですよね。」
「・・・?何語だ、それは。」
「何でもないです。晩ごはん、リクエストありますか?」
「・・・うどん。」
「わかりました!頑張って作りますね。」

聞けば応えてくれる。
なんでもいい、って言う人が多いけれど、こうして希望を伝えてくれるのはありがたい。
いくらおいしいものでも、気分じゃないものを食べさせるのは料理番のプライドが許さないから。

「これで全部か。」
「はい、ありがとうございます。」

治崎さんがついてきてくれたおかげで、買い物が予定よりずっと早く済んだ。
お屋敷に戻ると、出迎えてくれた人たちが全ての荷物を運び出してくれる。
大所帯だから、買い物の量も半端じゃないから助かる。
野菜も箱買いだし、お米や調味料なんかも大量に使う。
お肉とお酒だけは、配達してもらっているけど。


と、車から降りたとき、急にめまいが襲ってきた。
あ、やばい。

「・・・っ!」
「シズク!」

治崎さんがとっさに受け止めてくれたから、転ばずに済んだ。

「大丈夫か、シズク!」
「すみ、ません・・・平気、です」
「・・・お前・・・!また飯食ってないだろう」
「・・・」
「チ・・・ちょっと来い!」

支えられながら、お屋敷の中へ。
治崎さんが私室に使っている部屋のソファに座らされた。

「お前、今体重何キロだ。」
「・・・レディに、そんなこと聞くもんじゃありませんよ・・・」
「真面目に聞いてるんだ」
「・・・」

目の前に屈んで顔を覗き込んでくる治崎さん。
私は答えずに、視線だけをそらした。
私の拒食症じみたこの食生活は、彼にだけバレてしまっている。

「理由は聞かないが・・・お前に倒れられると困る。」
「すみません・・・」
「・・・料理番のことじゃない。俺が、嫌なんだ。」

真摯で、とてもまっすぐな目。
射貫かれて、嘘が言えなくなるような。

「食べたく、なくて・・・」
「無理してでも食べろ・・・頼むから。」

治崎さんの表情が曇る。
ああ、そんな顔をさせてごめんなさい。
心配させて、ごめんなさい。

「・・・もういい、少し休め。ここにいてやる。」
「・・・仕込みが・・・」
「や・す・め。」
「・・・う、はい・・・」

有無を言わせない口調に、それ以上何も言えなくなる。

「頭をよこせ。」
「えっ、」

ぐい、と引っ張られて、治崎さんの膝に倒れこむ。
モッズコートを脱いで、私の体に巻き付ける治崎さん。

「あ、ちょ、これは」
「煩い。寝ろ」
「・・・っ、うう」

これはやばい。
だって体中治崎さんのにおいに包まれて、髪まで撫でられて。
ドキドキして、休むどころの話じゃないよ・・・!
大きな手が髪を梳いて、気持ちよくて、恥ずかしい。

「・・・治崎さん」
「・・・何だ、まだ抵抗する気か」
「いえ・・・ありがとうございます。」

返事は返ってこなかったけれど、治崎さんの不器用な優しさが嬉しかった。
眩暈もだいぶ落ち着いてきたけど、しばらく休まざるを得ない。
薄目で治崎さんを見上げると、目が合って少し微笑まれた。
笑顔、とっても素敵なのにな。
普段は全然笑わない治崎さんの笑顔が見られて、素直に嬉しい。

しばらくじっとしていると、とろとろと眠気がやってきた。

(髪、気持ちいいな・・・)

(治崎さん、石鹸のいい匂い・・・)

すぐに微睡み、意識は落ちていった。













「・・・寝たか」

すう、と寝息を立てるシズクを見下ろして、細い肩に手を置く。
もともと細かったが、また痩せてきたように見える。
何か悩んでいるようだが、聞き出すことができない。
はぐらかされて、逃げられてしまう。

ただずっと口説き続けたおかげか、少し距離が縮まったように思う。
膝枕で寝てくれたことが、自信に繋がった。

青白い寝顔を見下ろして、ため息をつく。

「・・・つ、き」
「?」
「・・・ごめ、」

(・・・!)

寝言が零れた。
名前らしきものと、謝罪の言葉。
同時にシズクの頬を涙が伝う。

「・・・何を、苦しんでるんだ。シズク」

起こさないように涙をすくって、頬を撫でる。
聞かせてほしい。
知りたい。
でも、嫌われたくはない。

いつか、全て打ち明けてくれるのだろうかーーー



























目を開けると、治崎さんがすぐ近くにいた。
驚いて飛び起きそうになったけど、なんとか堪える。
治崎さんも目を閉じていて、眠っているかもしれないと思ったから。

段々と覚醒してきて、状況を思い出す。

(あ、そっか、私・・・倒れそうになって、)

しばらく休ませてもらって、気分がだいぶ良くなった。
時計を見て、そろそろ起きなきゃと思い立つ。
治崎さんを起こさないように、そっと体を起こしてみる。

(・・・よし、起こしてない・・・)

頭が完全に離れたところで、少し安堵した。
と。

「きゃ」
「逃げるな」

むぎゅ、と片手で抱き寄せられる。
不安定な体勢だったのもあって、私は簡単に治崎さんの胸に納まってしまった。

「治崎さ、」
「せっかく2人きりだったのに。もう起きたのか。」
「や、離し・・・むぐ」

今度は両手が私を捕らえて、しっかりと抱きしめる。
ああ、いい匂いすぎてクラクラする。
治崎さん、細いのに筋肉もしっかりついてて・・・
心臓がばくばくと煩い。

「もう少し充電させろ、シズク」
「んん、むー!」

じたばたと足掻く色気のない私を抑え込み、治崎さんは髪の匂いを嗅いでいる。
ねえ、潔癖どこに置いて来たの!?
絶対面白がってる!

しばらく弄ばれたあと、少しだけ腕の力が緩む。

「っぷは、」
「シズク」
「ひ」

顔を覗き込まれて、間抜けな声が出た。
目の前に治崎さんのきれいな顔。ドアップ。
心臓が爆発しそうだ。

「体はどうだ」
「・・・ひぇ、だいじょ、ぶです・・・」
「・・・本当だろうな。」

こくこくと頷き、腕を突っ張って開放を求める。
こんなに近くじゃ、息もできない。
やっと腕が離れて、私は慌ててそこから逃げ出した。

「あ、りがと、ございました・・・っ」
「また倒れたら、次はベッドで寝かせてやる。」
「わわわ私もうキッチンに行きます、ね!」

にやにやと笑いながら言ってくるものだから、堪らずお礼を言ってから部屋を出る。
顔が熱くて、火が出そう。

ばたばたと廊下を抜けて、キッチンへ。
扉を閉めて、へなへなと座り込む。

「し、死ぬかと思った・・・」

掃除の行き届いたキッチンは、私の大切な場所。
他に誰もいないこともあって、体の力が抜けてしまう。
膝を抱え込むと、自分の体から治崎さんの匂いがしてまた悶えるはめになった。








「・・・なぁ補佐、シズクどうしたんだ?」
「さぁ・・・また廻が何かしたんでしょ」

「俺がなんだ、玄野」

「ひ」
「若、セクハラでもしたのか?」

入中と玄野が話しているところに、治崎がやってきた。

「・・・してない。」
「間!その間は何ですか!」
「・・・お前ら、今日の夕飯手伝ってやれ。」
「無視!?」

玄野の叫びをまた無視して、治崎は入中に指示を出す。

「了解〜」
「・・・ねぇ廻、シズクちゃん具合でも悪いんですか?」
「・・・体温や脈拍、血圧は正常だ。」
「いつの間に測ったんですか」
「寝ている間にだ。貧血の気がありそうだが、血液までは採れなかった」
「・・・廻、」

何か言いたげな玄野だったが、何を言っても無駄だと思ったらしくため息で終えた。

「とにかく、今はシズクに個性を使わせるな。」
「へい」

入中は人間の姿に戻り、キッチンへ入っていった。
玄野も続き、治崎はその場を後にした。




「シズクちゃん、手伝いに来やしたよ〜」
「何したらいいんだ?」

「あ、お二人とも・・・いいですよ、すぐ終わりますから。」

玄野さんと入中さんが来てくれた。
手伝いを申し出てくれたが、丁重にお断りする。

「いいから。これ皮むきか?」
「そうそう、たまには使ってください。」

言いながら二人は並べた食材の下処理を始めてしまう。
ああ、多分治崎さんだな。

「・・・すみません、じゃあ皮むきと、これ切ってもらえますか。」

気遣いが嬉しくて、ありがたい。
個性を使おうと食材や調理器具は一通り並べてある。

「うどんだな、食材的に」
「まーたうどん、廻のリクエストは一辺倒ですからねー」
「あはは・・・かきあげと、お稲荷さんもつけますよ。」
「お!シズクのお稲荷、美味いんだよな」

和やかな会話をしながら3人で調理を進めていく。
こういうのも、実際楽しいんだよなぁ。
治崎さんの優しさにも、ふたりの優しさにも心が温かくなる。
本当に大切に思ってくれてるんだなぁ・・・。

個性を使わず料理をしたのに、手伝ってくれたおかげですぐに支度ができた。

「さて、ごはんにしましょうか!」
「シズクちゃんの分のお稲荷さんは、俺が作りましたよ。」
「え、かわいい!」

玄野さんがお皿に並べてくれたのは、くまの顔と耳がついたお稲荷さん。

「玄野さん、めちゃくちゃ器用ですよね・・・!」
「いやー、喜んでもらえて嬉しいです」
「ありがとうございます。食べるの勿体ないなぁ・・・」
「ちゃんと食べてくださいよ。細すぎなんだから。」
「はは・・・」
「おーーい!飯できたぞーーー!!!」

天ぷらうどんとお稲荷さんが大量に並べられ、今日も賑やかな食卓が始まった。