「……、なんだよ。」
朝食を準備していたおれの前に、考えが読めない仏頂面のクソジジイが立つ。
夜が白白明けてきたばかり。この時間はまだほとんどの野郎が眠ってる。厨房は、緩やかな海鳴りの音が聞こえてしまうほどの静けさだった。
その静かな厨房で、おれとクソジジイの無言の睨み合いが続く。
「………、用がないなら準備に戻る。」
先に根を上げたのは、おれの方だった。
義足を鳴らして厨房に入って来たかと思えば、待てど暮らせどクソジジイはなにも言いやしない。これ以上は貴重な時間を無駄にするだけだと判断したおれは、踵を返して準備に戻る。
「ーーーーーオイ。」
クソジジイの低い声が、おれを呼び止める。
でもおれは振り返らず、食材を切り分けるボウルを取り出すために戸棚を開ける。
「今日から副料理長だ。」
戸棚を開けた手が止まった。
………いま、なんて言った…?
クソジジイが出ていくまで、おれは瞠目したまま立ち尽くしてしまった。
order 【 15 】
「朝メシだァーーー!!!」
バラティエ中にけたたましい目覚まし時計の音が鳴り響く。起床した野郎どもが次々と社員食堂に集まって、あんなに静かだった食堂はあっという間に騒がしくなった。
「今日の当番はサンジか。」
「極道コンビじゃなくて一安心だな。」
「そりゃどういう意味だァ?!!」
「まんまだよ。」
「ケンカすんな。朝からうるせェよ。」
「……なぁ、なんか 量 多くねェか??」
1人がテーブルに置かれた料理を凝視する。
テーブルに並べられた料理の数々は、大皿から溢れそうなほど山盛りに盛り付けられている。
「…………悪い、作り過ぎた。」
取り皿とカトラリーを並べ終えたおれは目頭を押さえた。野郎どもの何とも言えない視線を受けながら、己の羞恥心に身が縮こまる。
クソジジイの言葉に動揺して分量を間違えるなんざ、未熟者も甚だしいし、めちゃくちゃかっこ悪りぃ…。
「なにやってんだよ。」
「満腹になったら、また眠くなっちまうなァ」
「オメェは寝過ぎなんだよ。」
「寝ると頭が冴えるンだよ!」
「冴えたことなんかねェだろが!!」
「…まぁ、余ったら賄いで作り直すか。」
山盛りの皿を見て少しザワついたが、でも暫くすると野郎どもは席に着いて朝メシを食べ始めた。
(…………???………。)
…誰もおれを咎める素振りなんてない。
正直、罵倒や怒声が飛ぶ心構えはしていた。貴重な食材を無駄にするな!とか、てめェに厨房は早すぎるんだよ!とか。なんなら揶揄われて、クソガキって子供扱いされるとこまで想定していた。
「なに突っ立ってんだよサンジ。さっさと食っちまえ。」
「むしろ一番食べろ!お前が作り過ぎたんだから。」
ほら!と渡された取り皿には、これでもかと料理が盛られている。……遠回しな嫌がらせか?なんて思ったが、作り過ぎたのはおれのせいだから何も言えない。
とりあえずおれも席に着いて、手を合わせてから朝メシを食い始める。ガヤガヤと賑やかな食堂は、朝メシの量が多いコト以外は至って普段通りで。すり身で作ったポルペッティを食べながら、おれは野郎どもを眺めていた。
(………副 料理長、か……。)
バラティエレストランの2番手シェフ。
それは、コイツらの上から2番目と言うこと。
(……実感が湧かねェー……。)
おれはただ、必死で喰らい付いただけだ。
厨房で腕を振るうクソジジイの動きを、味を盗みまくっただけだ。
……クソジジイの“レストラン”を守るためには、おれは余りに未熟過ぎたから。
バラティエに集まってくるクソジジイに憧れたコック達は、素行が悪かろうと腕は確かだった。そんなコック達でもクソジジイの一声で厨房から追い出されたりした。
厨房はおれ達の戦場だ。一品一品、小綺麗な装飾が無くたって料理人の魂が込められてる。それは、このレストランに辿り着くお客さんの腹を必ず満たしていく、最高の一品。
その皿が、クソジジイに通用したってことか?
おれの料理が、クソジジイに……?
(あ、ヤベ。顔、ニヤケそう……。)
おれはガタンと椅子から立ち上がった。すぐに顔を手で隠して足早に食堂を出る。おれの行動をなんだなんだと野郎どもが訝しげに見てきたが、こっちはそれどころじゃない。
無事に外にでて、おれはコックコートの襟元のボタンを外した。海風が、すーっと身体を通り抜けていく。その心地よさに、おれはやっと溜めていた息を吐き出した。
(……嬉しくて、ウソみてーだ。)
手が、情けなく震えてる。
なんだか海がいつもよりキレイに映っちまうし、ふと見上げたバラティエ船の3階から見え隠れする洗濯物まで、おれを清々しい気持ちにさせてくる。
心の底からなんかが叫びたがってて、こんな感覚は、生まれて初めてだった。
(…………いや、………いやいやいや。)
おれは慌ててタバコを取り出した。一本を口に咥えてマッチで火を付ける。吸い込んだソレはゆっくりと肺に落ちてき、吐き出した煙は海風に攫われて、消えた。
……危なかった。この奇妙な感覚は濃霧の向こうに追いやった“ナニカ”まで連れてきてしまいそうだったから。
(らしくねェのはもう終わりだ。)
半分以上残ってるタバコを灰皿ケースに押し付けて消す。外したコックコートのボタンを止め直して、おれは頬をパンッと叩いた。浮かれた気持ちを入れ直し、もう一度3階を見上げる。
「…………やってやるよ。」
洗濯物が海風に揺れた。
後日、なまえからネームプレートを手渡された。自分の名前の上には“副料理長”と掘られていて、ネームプレートを握る手に力が籠る。
『おめでとう。サンジくん。』
「ーーーーおう。」
渡されたネームプレートを出勤板に掛ける。
“料理長 ゼフ”の隣に、おれの名前が並んだ。
See you in the next story………