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デス・マーチ33日目。土砂降りの雨であった。
ライン組は傘もささずにデコトラを変わらず押し続けていたが、秋は黒木の様子が徐々に可笑しくなっている事に少し前から気付いていた。

「ちょっと…黒木、大丈夫?」

秋が荷台から身を乗り出しさしている傘を差し掛け黒木に声を掛けるが、彼は息を切らしながらかろうじて頷くだけだった。いつもならうるせーボケ!なんて軽口を叩く黒木が疲労で朦朧としているのを見ると、秋は不安そうな顔でどぶろくを振り返った。
唐傘をさすどぶろくは険しい顔をしながら秋を呼んだ。

「秋、やばそうか?」
「やばい。焦点合ってないです」
「アイツは一旦荷台乗せた方がいいかもしれねぇな」

苦渋の選択をしたどぶろくに頷いて返答すると、秋は黒木を荷台に乗せる為ライン組へ視線を戻す。
するとどうだ、やはり限界だったのかデコトラを押していた筈の黒木は膝に手を付いて肩で息をしていた。
これはやばい!と認識した秋は水の入ったペットボトルを掴むと荷台からヨタヨタと飛び降り、黒木の元へ近寄った。

「一旦水飲む?」

秋の問い掛けにはゼェゼェと息を切らすだけで黒木からの返答は無く、先程どぶろくに伝えた通り彼の目は焦点も合っていない状態だ。
これは息が整うまで暫く待つしかないだろう、と秋は自身の傘に黒木を入れてやりながら少し前を進むライン組の背中へただ視線を向けた。


▪︎


「…加賀、水、くれ、」

暫くすると黒木が漸く自発的に水を所望したので、手に持っていたペットボトルの蓋を外して彼に手渡す。
ゴキュゴキュ言いながら水を飲み切ると、空になったペットボトルを秋へ押し付けた黒木。
息切れも大分マシになったと思われるが、しかしそれも一時的な物だろう。そう考えた秋は念の為黒木へ尋ねた。

「どぶろく先生が荷台乗るか?って。乗る?」

秋の問い掛けに黒木は暫く押し黙った後、これ見よがしに顰めっ面をした。きっと荷台に乗るか否か悩みまくっているのだろう。
いやわかる。秋は思った。
本当は荷台に乗りたいが、自分1人だけ荷台に乗ったら格好付かない。誰か他に倒れてくれれば一緒に休めるのに。
秋だってそうだ。黒木と戸叶がデス・マーチに参加すると言うから、1人だけ日本に帰るのを躊躇したのだ。なんだったら黒木と戸叶が頑張ると言うから気持ちを切り替えたのだ。
わかる、だからこそわかるよ。目の前で葛藤する黒木を凝視しながら秋は彼の考えているであろう思考に激しく賛同した。
散々葛藤した黒木は意を決した様に息をふぃーっと吐き出すと、秋の左肩をトンと叩いた。

「…サンキューな」
「え?」

言うや否や、チキショー!誰か倒れろ!と叫びながら黒木はデコトラへ向けて走って行ってしまった。
黒木に小さな感謝をされたのだと秋が気付いたのは、彼がデコトラを押す元の位置に戻ってからだった。

「なんで倒れねぇんだチキショー!!」

荒々しく声を上げるいつも通りの黒木に戻った事に大変安堵した筈が、秋の心臓は何故か早鐘を打っていた。

「…び、ビックリしたぁ……」

そんなこんなで、ラスベガスまで残り90km。


▪︎


「ぶっ殺!」
「せーーっ!!」
「はっ倒!」
「せーーっ!!」

デス・マーチ35日目。
前日の雨が嘘の様な良い天気である。
ライン組は黒木が危うい状態に陥ってしまったが、バックス組では雪光がランニング中疲労故に倒れてしまったらしい。
朝食の際雪光の様子を確認したが、かなり疲弊している様に秋は思った。
元々ガリ勉として長年机に張り付いてきた雪光である。今年から始めたアメフト部の、ましてやこんなデス・マーチに参加して身体を壊さない方がおかしい。
疲労状態を見た秋が、雪光だけでも荷台に乗っては?と意見したが本人の強い希望でそのまま続行する事になった。
彼の様子は心配しつつ、ライン組の物騒な掛け声を聞いていた秋はどぶろくの隣へちょこちょこと近付いた。

「ライン組。息、合ってきましたね」

秋が小さく放った言葉にどぶろくは、そうだなと相槌を打って口角を上げた。
そんなどぶろくの表情を確認すると秋も嬉しそうに笑った。
きっと彼は羨ましがっているのだろう。紆余曲折ありつつも、ヒル魔たちと共にデス・マーチを完走しようと踏ん張る泥門デビルバッツの面々を。

「結局誰も…脱落しなかったな」

デコトラを変わらず押し続けていた十文字が、そうふと呟いた事でライン組5名が思わず顔を見合わせた。
途端に栗田がニコニコとした非常にわかりやすい笑顔になり、嬉々とした声を上げた。

「すごい!すごいよみんな〜〜!」
「ハッ!今にもぶっ倒れそうだっつーの!」

実際昨日ぶっ倒れそうだった黒木なので、かなり重い発言である。

「よーし、もう半分以上来た。お前ら荷台乗っていいぞ」

すると黒木のぶっ倒れそう発言を聞いたどぶろくが気遣ってかライン組へ荷台に乗るように促した。
しかし十文字を筆頭にそれは断られてしまった。

「ここまで来て、荷台でラスベガスにゴールかよ…」
「だせェ…」
「ラストくらい全部押させろ!!」
「フゴーーッ!!」

ライン組が放ったそれぞれの言葉を聞くと、どぶろくは非常に驚いた顔をした。
その様子をチラリと横目で見た秋も、負けじと声を張り上げた。

「じゃあ早くラスベガス行こー!!」
「うるせー!お前ぇが言ってんじゃねーよ加賀!!」
「お前はもう走ってラスベガス行け」
「だな」
「酷い!」


▪︎


デス・マーチ、2000km。
すったもんだあった末、泥門デビルバッツと付属品瀧夏彦は遂にラスベガスに到着した。
地面に伏して完走を喜ぶ者、全然余裕だとゾンビの様な顔をして主張する者、素直に喜ぶシンプルな者、おおおおん!と滝の様な涙を流してしまう者。
多種多様に喜びの感情を披露する泥門デビルバッツの面々に、どぶろくは語り掛けた。

「お前らをナメてたな。脱落者ゼロってのは想像してなかった」

歩み寄り、疲労困憊の面々にどぶろくは語り続ける。

「パワーにスタミナに、一ヶ月前と比べものになんねー程強くなってる筈だ」
「そうなのか…?」
「トラックが、最初より軽くなったような…」
「だがそれだけじゃ関東の強豪には100%勝てねぇ!」

ライン組が各々感想を口から溢すと、どぶろくは語気を強めた。

「この拷問を最後までやり抜いた経験と精神力、それが実力差をひっくり返す。アメフトってのは心の勝負でもある。俺はそこに賭けてる」

どぶろくは続ける。

「今はただ完走の美酒に酔いやがれ!よくぞ2000km走り抜いた!お前ら最高だ!!」

いい感じのかっこいいフレーズを決めポーズと共に発したどぶろくであるが、デス・マーチを終えた者たちは満身創痍なのだ。
ヒル魔以外はバッテバテで彼の長ったらしい演説なんか聞いている余裕はなかったらしい。

「せっかくの名演説だが、誰も聞いちゃいねーな」
「どぶろく先生ってホント話長いよねー」

ケケケと嘲笑するヒル魔の言葉ですら刺さってしまったのに、畳み掛けるように放たれた秋の心無い発言にどぶろくは何も言えなくなってしまったのだった。


20260327

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