仲介狸の最終日
「逃げの矢三郎」
まだその名が洛中に馳せる前、丁度五山送り火が終わって四日ほど経った頃。薬師坊の世話をのらりくらりと交わし、桝形商店街を徘徊していた桃玄の前に金閣が現れた。
彼は珍しく一匹で外に出ていた様で、桃玄と顔を合わせた途端にヘニョヘニョな謝罪を口にした。
金閣が一杯奢るというので商店街の中の喫茶店に入り、アイスコーヒーを一口飲み込むと桃玄は話を再開させた。
「いつも言ってるじゃないですか。謝るくらいならするなと」
呆れた風な態度の桃玄であったが、今回の五山送り火では夷川家の納涼船も万福丸と同様大破したのでそこまで怒ってはいなかった。面白がって観戦して全く何もしなかったから、というのも含まれているが。
「本当はすぐ謝りに行こうとは思っていたんだけど…」
「まぁ、墜落してますからね」
「後処理が大変だったんだよ」と金閣は付け足して説明した。
しかし本当にこの金閣という狸はわからない、と桃玄は思った。家族に対しての態度を省けば良き友人関係が築けているが、この狸は早雲がやれと言えば桃玄が近くにいようとも平気でイタズラの節度を超えた意地悪を行う。そしてその後個人的に謝罪して桃玄にのみ許しを乞うのだ。
「前にも言ったでしょう。先に手を出さなければ母だってあんなに怒らなかったんですよ」
「だってそれは…。兎に角、ごめんよぉ」
アイスコーヒーをストローで掻き混ぜる手を止め、金閣が再び謝罪した。内心何か言いたそうではあるものの、こうして謝ってくると言うことは友人関係を続けたいと金閣も思っているのだろう。しかし桃玄も金閣とは家柄の事が無ければ普通に関わりたいと思っている。故に彼女はモヤモヤする感情を飲み込むことが多い。
はぁと大きめなため息を吐き出した桃玄は、不安そうな表情を浮かべた金閣へ顔を向けて言った。
「今回のせいで矢三郎も大阪に逃げてしまいましたし、来年こそは平和にやりませんか?」
弁天に借りた奥座敷をボロボロにしてしまった代償を払うまい!と、矢三郎は現在大阪に逃げ行方を暗ましてしまっていた。
桃玄の言葉を聞いてなんとも言えない表情を浮かべた金閣。
「それは…来年にならないとわからないよ」
少しの間の後に絞り出した金閣の返答に、桃玄はムッとした。
「"平和にやる努力をお願いします"と言ってるんです。率先して色々やった後に毎度謝罪されても困りますよ」
「僕も進退両難の状況なんだよ。君はわかっていないだろうけど」
「貴方の立場は十二分にわかっていますよ。本当にもう。でしたら私から叔父上に話すべきですかね」
桃玄のその提案は、焦った様な金閣に「駄目だよ!」すぐ拒否された。
こんな提案をしたものの桃玄は早雲の事を苦手としていた。
早雲が敵視している総一郎の娘であるから、桃玄への当たりは強いのは勿論ある。しかしそれを取っ払ったとしても、彼のワザとらしい丁寧な態度の下には底意地の悪さが滲み出ている。故に苦手なのだ。実際、早雲は狸界での評判も悪い。
金閣は桃玄から視線を逸らし、ボソボソとした声で補足をした。
「だって、父上は桃玄に強く当たってしまうかもしれないし…」
「すみません、意地の悪い事を言いました」
どれだけ仲良くしようとも、どうしてもこの二匹には家柄の弊害があるのだ。
型にハマらない性格を家族から認知されている桃玄は好き勝手やっているが、金閣はそうもいかないのだろう。毛嫌いしている下鴨家の狸と自身の息子が仲良くするのを見て早雲が喜ぶ訳がない。
金閣が下鴨家の狸である桃玄と友人関係を築いている事を早雲が黙認している理由もイマイチ理解出来ていないのだし、彼女が彼の所に殴り込みになんて行ったら即刻出禁でも喰らうだろう。
「…仕方がないですもんね」
アイスコーヒーをストローでひと吸いすると、桃玄は長い事抱えていた重荷をついに下ろす決意をした。
桃玄の言葉にキョトンとした顔をした金閣に、彼女は珍しくフッと笑った。
「叔父上に私が突っ掛かって片付く問題でもないですから」
夷川早雲という狸は、彼女の想像を遥かに超えた嫌悪の気持ちを総一郎に抱いている。
今の桃玄に出来る事といえば、金閣銀閣に苛められる矢四郎を助けたり、言ったところで変わらないクレームを金閣に入れる事くらいだけだろう。
矢一郎が偽右衛門になれば関係性が変わるのか、将又より一層酷くなるのか。
結局間を取り持つと散々豪語し、気紛れの合間に尽力して来たが、下鴨家と夷川家の確執は今の桃玄には手に負えない問題なのだと改めて思い知らされたのだ。
「だからずうっと言ってるじゃないか、仕方がないんだって」
「貴方のその考え方は好きではないですけど、大変理解しました」
夷川家の狸は下鴨家の狸が大嫌いで、反対もまた然り。長年続いて来たこの家系の関係性は、今更桃玄一匹で足掻いたって何一つ変わらない。
随分前から頭ではわかっていた。しかし家族の事も友人の金閣も大事に想っている桃玄は、自分の手でどうにか出来ると思いたかったのだ。
もうすっかり吹っ切れてしまった桃玄は「ねぇ金閣」と向かいの席に座る阿呆面の友人を改めて呼んだ。
「私の家族は嫌いですか?」
桃玄の突拍子もない質問を耳で捉え、そして意味を理解した金閣はむすっとする。
「なんだよ。言ったら君は怒るじゃないか」
「散々困らせて来たんですから、見切りを付ける協力くらいはして下さいよ」
今まで「自分の家族と仲良くする努力をしてくれ」と金閣には再三言って来た。しかし仲良くする見込みもなく、喧嘩をして桃玄が怒る度に謝罪はするも変化なし。
この繰り返しで桃玄も理解はしている。
金閣は、桃玄以外の下鴨家の狸たちと仲良くする気など毛頭ない。なんだったら嫌いなのだと。
暫く考え込んだ後、金閣も吹っ切れたのか仏頂面を剥き出しにして言い切った。
「もんのすッッんごく嫌い!」
嫌いと言うだろうなとは思っていたが、実際に言われると複雑である。しかし、あまりにも予想通り、そして金閣が不快そうな顔をするもんだから、少しの間耐えたものの桃玄は思わず吹き出してしまった。
クスクス笑いだした桃玄の姿に、金閣は見るからに取り乱していた。
「どおして笑ってるの?」
「私も面白ければ笑いますよ」
「今の何処が面白いのさ!」
「何処がかはわからないけれど、面白かったんですよ」
桃玄のふわっとした説明に納得はいかなかった様だが、彼女が案外怒ったり悲しんだりもしなかったので金閣も何処かホッとしている様子だった。なんだったら長年の悩みから解放された様な、そんな感じ。
「仲良くする見込みもないですか?」
「全く無いね!言語道断!あり得ない話だよ!」
ひとしきり笑い終えて最終確認を金閣にした桃玄であったが、彼の吹っ切れ具合に再び笑ってしまうのだった。
大事な家族をこんな風に言われても、相手が金閣だと何故だか面白くて仕方がない。この金閣という狸は本当にわからない、と桃玄は再度思った。
「だから、何がそんなに可笑しいんだい!」
「だから、わからないんですってば!」
気紛れに始めた仲介役だ。
同じく気紛れに終わっても、非常に桃玄らしいだろう。
………
2025 12.01