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弁天は結局現れなかったが送り火見物も滞りなく終わり、薬師坊と金光坊の話題は今は亡き総一郎の想い出話になっていた。酔って口の緩くなった薬師坊が珍しく父の話をしていたので、濡れ縁で下界を見下ろしながら狸たちは静かに聞き耳を立てていた。
薬師坊と総一郎はかつて親しく、鞍馬天狗に嫌がらせを受けていた彼の為、父は狸でありながら天狗たちに一泡吹かせたという。
これは総一郎の自慢でもあり、下鴨家の子供たちにとっても自慢であった。
「総一郎は見どころがあった。狸にしておくのが惜しかった」
薬師坊の言葉によりしんみりとした奥座敷であるが、隣の夷川の納涼船が騒がし過ぎた。音楽が垂れ流され、花火まで打ち上げている始末。
矢三郎が率先して夷川の様子を伺いに行くと、震えた声で予想外のあちらの状況を伝えてくれた。
「向こうの船に、弁天様が…」
その一言で、如意ヶ岳薬師坊の頭から下鴨総一郎の想い出は何処かへ消し飛んだ様であった。
「何故だ!何故儂が与えた奥座敷でなく、毛玉の船になんぞ乗っておるのだぁ!」
バリンとお猪口を噛み砕き、怒りのまま立ち上がり叫んだ薬師坊。「何故儂の隣におらんのだ!」そう喚く如意ヶ岳薬師坊大天狗。「知りませんよ」と矢三郎が呆れた様に受け答えした。
と、夷川が打ち上げたいくつかの花火が奥座敷のすぐ横を掠めた。それとなくこちらへ狙って撃っている様で、火炎の煙のせいで母や矢四郎がゲホゲロと咳き込み始めた為に矢一郎が立ち上がった。
「いくらなんでも酷過ぎる。俺が叔父上に抗議してこよう」
そう言って濡れ縁に歩み出た途端、大きな音が聞こえ矢一郎の悲鳴が上がった。
どうやら行燈に花火が命中してそこから火が上がり、長兄の背中に飛び火したのだ。
奥座敷中を悲鳴を上げながら走り回る矢一郎に、万が一の為に乗せておいた消化器をぶち撒けた母。結果、火は消えたが奥座敷は粉末まみれとなった。
「うるさいわッ!」
薬師坊が粉まみれになって喚いた。
同じく粉を被った桃玄は、濡れ縁に座り一連の流れをただ観戦していた。彼女はどうしたものかと大きな葛藤で揺れているのだ。
金閣銀閣に釘を刺した手前この仕打ちは怒っていいのだろうし、なんなら自分が間を取り持つべきだろうとは考えている。
しかし、困った事にこのどんちゃん騒ぎは観ていて飽きない。
こうなる事がわかっていて奥座敷に乗る事にしたので、桃玄が止めようとすると「止めるなんて勿体無い!」ともう一匹の彼女が制止して来るのだ。
これも亡き父の言う通り、阿呆の血のしからしむるところなのだろう。
「母上!ここは堪忍を!」
するとどうだろうか、白煙の中ゴソゴソとしていると思ったら観戦中の桃玄が大変喜びそうなアイテムを母が引き摺って来た。
それはドラム缶並みのサイズの大きな花火であった。母は花火を抱えて濡れ縁に出ようとしていたが、それを矢一郎が必死に引き留めている。
「こちらから手を出すのだけはいけません!色々と面倒な事に…」
「ええい!いつもいつもコケにして!」
母の怒りはごもっともであるので、やり返したくなるのは至極当たり前である。
母を引き留める矢一郎を足蹴にして矢三郎が彼女の助太刀に馳せ参じた。
暴走する母とそれに加勢する矢三郎に兎に角咽せる矢四郎、そして面白がってそれを傍観する桃玄。矢一郎が一匹で収める事が出来るわけがない。
「あの真ん中辺りがよろしいわ。きっちり当てておやり!」
母に言われた通りに矢三郎が甲板を狙い定めていると、夷川の納涼船で酒を飲んでいた弁天がこちらの企みに気付いた様であった。
彼女が突然ふわりと飛び上がり帆柱に避難した為、夷川の連中は自身の納涼船に向けられた花火に勘付いてしまった。
早雲が親衛隊たちに何か指示して、金閣銀閣も何かを叫んでいる。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」
先程蹴飛ばされた矢一郎がなんとか揉め事を起こさない様に必死に訴えたが、母と矢三郎には届かなかった。
「「くたばれッ!」」
そう叫ぶと母と矢三郎はドラム缶規模の火筒から花火を発射させた。
そしてその花火は夷川の納涼船のど真ん中に綺麗に飛び込んで行ったのだった。
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攻撃された為に大騒動が起きている夷川家の納涼船。その船上にいる金閣銀閣は甲板を走り廻り、親衛隊たちに指示を出していた。
その指示通りなのか夷川の納涼船から花火が撃ち上がり奥座敷を襲った。
矢四郎が茶釜エンジンにポートワインをドボドボ注ぎその花火をかわし、奥座敷に積んでいた花火を撃って矢三郎と母は応戦した。
次第に夷川家の納涼船が奥座敷に近付いて来た為、矢三郎が「そろそろ逃げよう」と告げた途端、ガシャンと派手な音を立てて鎌の様な物が濡れ縁に突き刺さった。
「危ない!刺さったら死んじゃうでしょ!」
母の足元に突き刺さった鎌の様な物には鎖が付いていた。その鎖に引き摺られ、奥座敷は夷川家の納涼船へ段々と引き寄せられてしまっている。
「何かないのかい!何もありゃしない!」
何とかこの状態を打破出来るものは無いものか、と母は奥座敷の小箪笥をひっくり返して何か使えそうな物を探していた。
しかし母が言った通り役に立ちそうな物は何も無く、虚しくも畳の上がとっ散らかって行くだけであった。
「母上、どうか落ち着いてください。私が金閣と話を…」
「もう今日という今日は許さないわ!話なんて必要ありません!」
怒りのタガが外れ制御不能になっている母を前にしたら、流石に面白がって観察するのを止めるしかない。桃玄は漸く仲介を取ろうと立ち上がったが、母のあまりの剣幕に「すみません」と物申したい言葉を飲み込んでしまった。
下鴨家の狸たちは、母が物を放り投げてはキイキイ叫んでいる様をただ見届けることしか出来なくなってしまった。
▪︎
「総領の矢一郎を出してもらおう」
眩しい光が未だにチカチカと点滅している夷川家の納涼船。その目の前まで引き寄せられてしまった奥座敷であるが、障子の裏に引っ込んでしまって誰も姿を見せなかった為に早雲が太々しく言った。
すると、奥座敷から姿を現した狸が。矢一郎ではなく矢三郎であった。金閣がすぐさま口を挟んだ。
「総領のかわりに三男坊が出て来たぞ」
「矢一郎はどうした。座敷の隅でちぢこまっているのか」
早雲の挑発の言葉を無視して、矢三郎は名乗りを上げた。
「遠からん者には音にも聞け。近くは目にも見給え。我こそは下鴨総一郎が三男、矢三郎なるぞ!」
矢三郎の名乗りを黙って聞いていた呆れ顔の早雲が「そんなことは分かっとるわ」とヤジを飛ばした。
「早くあの兄貴を出せと言ってるんだよ。この前お尻を噛まれたお礼をしなくちゃならないしね」
「お尻が四つに割れるところだったよ」
金閣銀閣が、あの雷神様の日に尻を噛まれた事への文句を垂れたが矢三郎返事をしなかった。まだまだ文句が言い足りない金閣は、続けて奥座敷についても話し始めた。
「それにしても矢三郎。これを納涼船と言い張るのは無理だね。だってこれは船じゃなくて茶室じゃないかい?」
それはそうだ、と桃玄も矢三郎の後ろで聞いていて思った。
しかし矢三郎は、金閣のイチャモンをスルリと受け流し拳を握り締めた。
「如何に賑やかにやるのが狸の流儀とはいえ、節度が寛容でしょう」
一体何が始まったのか。夷川の狸たちは顔を顰めたが、気にせずに矢三郎は続けた。
「面白かるべき行事を台無しにした不届き狸へお灸を据えてやるのは…父の教えを守って泰平の世を清く正しく生きる狸として、当然の義務に違いありません!」
無駄に熱意の籠った、長ったらしい演説を聞き終えると「大丈夫か、お前?」と早雲が顔を引き攣らせて言った。
しかしこれもしっかりスルーした矢三郎は、突然扇をバサリと広げ一段と大きな声で言った。
「叔父上。では、ごきげんよう!」
そう言うと矢三郎は手に持った扇を勢い良く夷川の連中に向け振り被った。
途端、大風が巻き起こり夷川家の納涼船を揺さぶった。矢三郎が今し方振り被った物はら天狗の持ち物である風神雷神の扇である。
風神雷神の扇の大風により大風に襲われた夷川の連中やご馳走たちは、強風に煽られ次々と空中に舞って行った。
それは勿論納涼船にも牙を向く。
早雲や金閣銀閣たち諸共、船は風に流され奥座敷から遠のいて行った。
と、そのお陰で濡れ縁に刺さっていた鎌がメリメリと音を立てて砕けた。
「うわあ!」
濡れ縁に立っていた矢三郎が、足場を無くして落下しそうになったが母がその襟首を掴んだ。そのまま母もろとも落ちそうになったところを矢一郎と矢四郎が掴み、それを桃玄が掴み、更にそれを金光坊が掴んだ事で矢三郎の落下を防ぐ事が出来た。
家族に掴まれて奥座敷に宙ぶらりんになった矢三郎は、墜落して行く夷川家の納涼船が地面に墜落するのを見届けたのだった。
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2025 11.28