魔のフライドチキン

狸界の長が交代するということになれば、偉い狸に御報告しなくてはならない。
そういうわけで狸界のおもな面々が六角堂に集まる事になった。
六角堂には「要石」またの名を「へそ石」と呼ばれる六角形の石ころがある。へそというのは京都の中心を意味しているらしいが、実はへそ石という石はこの世に存在していない。
では六角堂にある石ころは何かというと、いわば狸の化けた「ニセへそ石」なのだ。
いつからあるのかわからないが、ずうっと昔からへそ石に化けて六角堂にいる。つまり、大変偉い狸なのだ。
つまり、そういう事である。

「何故今日に限って予定を入れているんだ!へそ石様への御報告に参列すると伝えてあっただろう!」

糺ノ森では朝から矢一郎の怒号が飛び交っていた。
怒鳴られているのは桃玄であったが、基本的に矢一郎に怒鳴られる確率は二分の一である。桃玄か矢三郎のどちらか。
しかし桃玄はけろっとした顔をしていた。

「今日は家計を支えてみようかと思いまして」
「偽右衛門選挙の為の集会だぞ!そんな気分で欠席して良いものではない!」
「しかし兄上、私が参加してもしなくとも事態は変わらないじゃないですか」

桃玄の言葉に矢一郎は「確かに」と思ってしまった。しかし体裁が悪い。矢二郎は蛙だからもう仕方がないとして桃玄までもとなると、矢一郎側の家族が二匹も不参加だなんて立場が無いではないか。

「それに、選挙活動にも資金が不可欠ですよ。矢三郎の大阪での貯蓄がまだあるとしても、矢四郎と私の二馬力で家庭を支えれば選挙活動にも役立つでしょう」

つらつらとごもっともらしい語りをする桃玄に、矢一郎は再び「確かに」と思ってしまった。しかしすぐにその考えを取り払う。

「またお前は適当な事を言って!ただ参列に出たくないだけだろう!」
「堅苦しいのは苦手なんですってば」

ついに参列に出たく無いだけである事を認めた桃玄のその全く悪びれていない態度に、矢一郎は深々とため息を吐き出した。
何かと個性ばかりが目立つ弟妹たちに頭を抱えて来た矢一郎であるが、特に桃玄は問題が多い。頭の硬い矢一郎からすると理解不能な習性が多すぎてソリが合わないのだ。
そうして長兄は諦めるという選択肢を取った。
彼女は無理強いして折れる様な狸では無い故に、こうして怒鳴ったって全く意味がないのだから。まさに暖簾に腕押し状態だ。

「全くお前という狸は…」
「兄上には申し訳ないと常々思っています」
「いいか、桃玄よ。偽右衛門選挙の日だけは何が何でも空けておくんだぞ」
「それは流石の私でも空けますよ、兄上」

長兄の晴れ舞台だ。桃玄の心の中では既に宴の準備が整っている。
狸界の掟や仕来りなんざ糞が付くほどどうでも良いが、家族に対しての情はすこぶるあるのが桃玄という狸だ。


▪︎


偽右衛門が選ばれると決まった12月26日が近付くにつれ、母は見るからに落ち着きがなくなった。
この日は金曜倶楽部の忘年会でもあるので、そのせいである。
選挙の為に矢一郎が森を離れていたり、偽電気ブラン工場へ矢四郎が行っている間は、子供たちが無事に帰って来るかどうかを永遠と心配している。特に意味もなくふらっと出掛けてしまう桃玄や矢三郎には肝が冷えている様だった。
そんな日々を過ごしていると、やがてクリスマスイブがやってきた。

「ふんっ」

矢四郎が力を振り絞って電飾に電気を流した。彼はある日を堺に小さな指先から電流を流せる様になったのだが、その力量は携帯の充電が出来る程であった。しかし日々の訓練で大きなクリスマスツリーの電球をチカチカと光らせる事ができる様になったのである。

「すごいものだねぇ。矢四郎はこの才能を伸ばしていかねばならないよ」

母が感服してそう言ったので、矢四郎は得意気な顔で嬉しそうにしていた。

「翌々日は偽右衛門選挙ですよ。この大事な時に…」
「これは兄貴の勝利を祈願する集いでもあるんだから」

クリスマスに浮かれる家族を見ると苦い顔で小言をボヤいた矢一郎に、矢三郎がそう説いて腕に抱えていたケンタッキーのボックスからフライドチキンを取り出して彼に渡してやった。
狸はフライドチキンが好物である。難しい顔をしていた矢一郎もフライドチキンを前にすると顔が綻んだ様に見えたので、桃玄は可笑しいと思った。

「兄上もフライドチキンでご機嫌になってしまうんですね」
「狸は皆そういうものだろう。父上だってそうだった」

矢一郎の言葉で父がフライドチキンを食している思い出が家族の脳内に浮かんだ。
その懐かしい光景を思い浮かべながら家族でフライドチキンに齧り付くと、矢一郎は気合いの入った声で意気込んだ。

「俺は必ず父上の跡を継いでみせる。早雲め、今に見てろ」


▪︎


クリスマス当日。明日はいよいよ偽右衛門選挙である。
矢一郎に変なことはするなと口を酸っぱく言われた身でありながら、桃玄は昨夜のフライドチキンのせいで酒が飲みたくなっていた。折角長年の我慢の末酒を解禁したのだから飲まねば損。
日中は明日の準備等で矢一郎は忙しくしているだろうから、この時間にこそっと昼飲みでもしてしまおうかと作戦を企てていた彼女は、ふらふらとその辺を歩き回っていた。
そんな折、多忙故に最近会っていなかった金閣から連絡が入ったのだった。

「やぁ、桃玄。元気?」
「元気ですよ、金閣。連絡して来るなんて珍しいですね」
「明日の準備でバタバタしていてね。君を探し廻ってる時間がなかったのだよ」

偽右衛門選挙の前日であるので、そりゃあそうだろう。「そんな忙しい身でありながら連絡して来るとは何用だ」と桃玄は思ったが、それを言う前に金閣が喋り出した。

「それで君、禁酒を終えたって本当?」
「情報通ですね、全く。その通りですよ」
「なら一緒に飲まないかい?」
「いいですけど…いつ?」
「今晩」

金閣の返答に桃玄の脳内に「?」が湧いた。
相手が金閣でなければ手放しで酒盛りでもなんでもしてしまうだろう。だが、相手は"明日に偽右衛門選挙を控えた早雲の息子"である金閣である。何故このタイミングなのかと桃玄は疑問を抱いた。

「明日は偽右衛門選挙ですよ。別日にしましょう」
「大方僕らの準備は済んでいるんだ。今日はクリスマスだし、折角君が酒を解禁したんだからパーティーでもしようよ」

桃玄が考えあぐねていると「禁酒を辞めたらニセ電気ブランをあげると言ったじゃないか」と金閣が加えて言った。五山送り火の前にそんな話をしたなと思い出した。
金閣がくれると言うなら折角だし飲んでも良いのでは?という感情と、矢一郎に怒られるかもしれないという感情が彼女を揺らがせた。「いや、でも…」と誘惑に負けそうになり始めた桃玄に、金閣は更に付け足した。

「フライドチキンも用意しようと思っているんだけど」
「行きましょう」

桃玄はついに誘惑に負けた。
昨晩矢一郎がフライドチキンでご機嫌を取られているとからかった癖に、自分もフライドチキンで動かされてしまった。
飲み過ぎてもし潰れたとしても、偽右衛門選挙の結果がわかるのは明日の夜である。ならばなんとかなるだろう。
この楽観的な考えで桃玄は後々大きな後悔をする事になるが、現在の彼女の頭の中は酒とフライドチキンのことでいっぱいなので、そんな未来があるなんて全くこれっぽちも想像していなかった。


………

2025 12.04