遥かなるどおして

夕方。桃玄は薄暗くなって来た川端通りを浮かれた足取りで歩き、お呼ばれしていた夷川邸へ向かっていた。
金閣に誘われて飲みに出掛けるなんて家族に言ったら反対されるに決まっているので、矢四郎にだけ「友人とクリスマスパーティーに行きます」とちろっとだけ伝えて森を後にした。

「やぁ、桃玄」
「こんばんは、金閣」

夷川邸に到着すると金閣の部屋に促された。扉をノックすると部屋の主が顔を出したので軽く挨拶を交わした。
態々用意したのだろう、テーブルの上にはニセ電気ブランの入った小振りな樽が設置されていた為に桃玄の瞳が爛々と輝く。

「樽を用意して下さったんですか!」

飲みやすい様に蛇口の付いたウィスキー樽である。
金閣は桃玄が酒を沢山飲む事を知っているので樽を用意したのだろう。彼は得意気な表情を見せて「だってお祝いだからね」と語った。

「フライドチキンは銀閣が買いに行ってるから、もうすぐ来ると思うよ」
「何から何まですみません。嬉しいです」

ケンタッキーまで走っているだろう銀閣には悪いが、金閣に促され早速パーティーを開催する事にした。
今月に入って何度も飲みに出掛けていたが、やはり何度飲んでもニセ電気ブランの味は桃玄の気分を高揚させた。
フライドチキンのボックスを抱えた銀閣が戻って来るまでの短時間で、彼女は既に五回ニセ電気ブランをおかわりしていた。
その間金閣は一杯しか飲んでおらず、彼は桃玄の飲むペースに感心した様な顔をしていた。

「やっぱり君は酒豪だね。全然酔ってない」
「これでも以前より弱くなりましたよ」
「そのペースで飲んだら、僕らなら酔っ払っちゃうよ」
「今後も飲みたくなったらいつでも言ってくれよ。桃玄にならいくらでもご馳走するから」

金閣の言葉に「嬉しいです」と桃玄は素直に言ったが、彼女は今日の自分の不調を不思議に感じていた。いつもならこんな杯数では眠くならない筈なのに、どうにも瞼が重い。
それに、ぼんやりした頭でもわかるほど今日の友人は何処か様子がおかしかった。なんだかソワソワしている様な、やけに時間を気にしている様な。
不思議に思った桃玄はなんとか瞼を開けて金閣を呼んだ。

「…いつもと様子が違いますね」
「そうかい?最近選挙の準備で僕らも忙しかったし、お酒を飲むのは久しぶりなんだよ。そのせいじゃないかなぁ」
「そ…」

段々とぼんやりして来た中「そんな感じはしませんけど」そう言おうと口を開いた桃玄であったが、次の瞬間ポンッと間抜けな音を立て狸に戻ってしまった。彼女が持っていたロックグラスが地面に落ちて割れた音がした。

「桃玄、ごめんよ」

ぽてりとソファーに横たわった毛玉を優しく撫でながら金閣がそう謝罪したが、反抗と称して悪態をつく前に桃玄の意識は遠のいてしまった。


▪︎


桃玄が目を覚ますと知らない部屋にいた。小振りな毛玉になっている桃玄にピッタリなサイズである座布団の上に彼女は丁寧に寝かされていたらしい。
ぼんやりとする意識の中起き上がると部屋を見渡した。鉄格子付きの窓から見える外は真っ暗で、深夜なのだろうと桃玄は認識した。
いつもの二日酔いではない身体の気怠さに襲われながら、彼女は意識を手放す前の出来事を振り返っていた。

「してやられた…」

あのニセ電気ブランには何か入れられていたのだろう。酒とフライドチキンにまんまと釣られてホイホイ敵陣へ赴いてしまった自分の阿呆ぶりに大変後悔し、桃玄は真っ暗な部屋で頭を抱える。
「自分の馬鹿!」「阿呆!」「まぬけ!」と余りの悔しさから自分の頭をポコスカ叩いて小さな怒声をあげた桃玄。
今すぐにでも化けてこの部屋から逃げ出したいところだが、身体に気怠さが残っている為もう少ししないと化けられそうもない。
一旦外の様子を伺おうとドアから耳を澄ませると、部屋の外で誰かが動く音が微かに聞こえたので今外に出るの利口ではないなと考えた。

「どうしたもんでしょうか…」

座布団の上に戻り、うーむと桃玄は頭を捻る。
きっとここは変わらず夷川邸であり、自分は何か企みのある金閣たちに軟禁されてしまったと言うわけだ。
そんな事を考えていると部屋の扉がカチャリと控えめな音を立て小さく開いた。

「桃玄、もう起きちゃったの?」

扉を開けたのは金閣であった。廊下からの逆光で表情は見えなかったが、声に困惑の色が出ていた。
小さな扉の隙間から逃げ出そうと桃玄は勢い良く扉の方面へ駆け出したが、サクッと金閣に捕獲されてしまった。金閣の両手に抱えられながら、桃玄はもぞもぞと対抗した。

「金閣!離してください!」
「ごめんよ、事情があって出せないんだよ」
「どんな事情ですか!」

目を吊り上げて暴れる毛玉を抑え込みながら、金閣は自分ごと部屋に入って後ろ手で扉を閉めパチリと電気のスイッチを入れた。その間にも桃玄は「離せ阿呆!」とか「触るな!」とかの罵詈雑言を金閣に浴びせたが、言われる度に彼は悲しそうな顔をするもんだから彼女も少し怒りが落ち着いてしまった。これは非常に不本意である。
先ほどまでいた座布団の上にちょこんと戻された桃玄は、少し落ち着いてしまったので無言で金閣を見上げることにした。否、睨み付けていた。

「そんな怖い顔をしないでおくれよ。君には悪いと本当に思っているんだ」
「そう思っているなら外に出して下さい」
「だから事情があるから無理なんだってば」
「ではその事情が何なのか教えて下さい」

金閣は押し黙った。
そうしてまた何度目かの「ごめんよ」を発したので、桃玄は「謝るならするなと言ってるでしょう」と文句を垂れた。
桃玄は考えた。明日は偽右衛門が決まる日。このタイミングで彼女を軟禁したということは、金閣のこの行動理由は高確率で偽右衛門選挙が関わっているだろう。しかしわからないのは何故自分なのかということ。捕まえるなら矢一郎を捕まえればいい筈だ。

「偽右衛門選挙に関連しているんですか」
「だから教えられないってば。翌々日まで何も聞かずにここにいてくれたらいい」
「翌々日…?」

このまま朝がくれば偽右衛門選挙当日。偽右衛門が決まるのは明日の夜だ。翌々日までここにいろと言うことは、明日何かを決行する為邪魔になる桃玄を早めに軟禁したということになる。
"翌々日"という自身の失言に気付いたのか、金閣は「やばい」という顔をしたので桃玄はそれを見逃さなかった。
いつもの女子姿に化けると、桃玄は金閣に詰め寄った。

「やっぱり選挙ではないですか!何をするつもりですか!」
「桃玄には言えないよ!」
「私に言えないくらい酷い事をするつもりなんですか!」

詰め寄られ思わず後ずさった金閣は「言いたくないんだってば!」と反論し、桃玄はそれに「どおして!」と怒りを孕んだ声色で聞き返した。
一瞬躊躇った様な反応を見せた金閣が言い返す。それは金閣と揉める度毎度言われる言葉であった。

「だって仕方がないんだよ!」
「またそれですか…!どう仕方がないって言うの!」
「僕らは父上に従わないといけないんだ!」

金閣のその言葉で、桃玄の中でプツンと何かが切れてしまった。
桃玄はこの数年間金閣と友人として過ごして来たが、彼にここまで愛想を尽かしたのは初めてであった。
金閣は揉める度毎度「仕方がない」とか「父上に従わなければいけない」としか言わない。家柄のことがあるから、金閣は早雲の息子だから、板挟みであろうから、と散々大目に見てきたというのに。
今までの勢いが嘘だったかの様に、桃玄は黙った。そうして、彼女は静かに涙をはらはら溢した。

「…もう、いいです」

もう桃玄は心底疲れてしまった。
悲しさや悔しさが止まらなくなり、数年間散々溜め込んできた感情が涙という形で桃玄の中から溢れ出てしまったのだ。
静かに泣き出した桃玄に金閣は「え!」と大いに驚いて、わたわたして仕切りに「ごめんよ」と彼女に謝った。

「泣かないで、桃玄。君が泣くと僕は悲しいよ」
「貴方が悲しもうがもう知らない。…放っておいてください」

どうしたらいいかと困った様な顔をする金閣から離れ、桃玄は部屋の隅にゆっくりと座り込んだ。「長年の友人に騙された」という虚しさや家族への懸念に襲われる彼女を追い掛けて、彼は懲りずに何か言ってくる。

「桃玄、僕はただ父上を偽右衛門にしたいだけなんだ」
「…どおして、そこまで偽右衛門に拘るんですか」

早雲も金閣銀閣も、そして矢一郎も何故そんなに偽右衛門に拘るのか。狸としてただ楽しく生きれば良いものを、態々こんな選挙なんぞするから仲違いが起きるのだ。
桃玄に尋ねられた金閣からの返事はすぐになく、彼は何かを考えている様子だった。どうせ阿呆だから何もわからず「早雲がなりたいと言うから」なんて言うんだろうなと桃玄は思っていたが、金閣の返答は意味不明且つ摩訶不思議であった。

「君が好きだからだよ」

金閣の口から放り出された言葉はそのまま空気中に消えた。
暫しの無言の末、桃玄は今し方耳に入って来た言葉の意味を今まで生きて得た知識と照らし合わせた。
好き?好きだから?好きだからと言ったのかこの狸は。好きというのは好意や好感を意味する。何故今そんなフレーズを口に出したのか?
照らし合わせた結果、意味不明過ぎて桃玄は言葉を漏らした。

「は?」

金閣は何も言わなかったので、桃玄は彼を振り返った。振り返って目視した金閣は顔を真っ赤にして彼女から目線を外していた。
突然のこと過ぎて唖然としている桃玄へ、目線をどこかへやったまま付け加えた。

「夫婦になりたいと思っている」

めおと。メオト。めおと。頭の中で"夫婦"の意味を探ると"結婚"という意味にたどり着いた桃玄。
金閣の言っていた言葉の意味、そして彼の自分に対しての感情を漸く理解した桃玄は「え!?」と驚きの声を上げると、いつの日かと同じ様に尻尾を飛び出させてしまった。


………

2025 12.06