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接吻脅迫という妙ちくりんな試みで金閣から情報を得た桃玄は、夷川早雲の暗躍を知った。
彼は偽右衛門になる為、邪魔な矢一郎を金曜倶楽部の鍋にしようとしているという。
金閣が歯切れ悪く説明している最中から眩暈がしていた桃玄は、全て聞き終える前に彼の胸倉を掴んでいた。

「ひゃ!」
「どういうつもりなの!」
「桃玄、ごめんよぉ!」

眉を吊り上げた桃玄が怯える金閣に凄むと、彼は何度目かわからない謝罪を口から溢した。
まさか早雲がそんな狸らしからぬ画策をしてて、友人までもがそれに協力しているだなんてと桃玄は血の気が引いた。
"人間も狸も殆ど変わらない"と常々思っていた桃玄であったが、まさかここまでとは。
彼女の心境はもうしっちゃかめっちゃかである。
友人と思っていた金閣には騙されて軟禁され、彼からは実は昔から好意を向けられており、しかも自分と許婚になる為に矢一郎を鍋にする協力をしていたと。キャパシティオーバーここにあり。
桃玄から顔を背けて金閣が今までに何度も聞いた言い訳を繰り返した。

「僕らは父上に従わないといけないんだよ!」
「いつもそればかりですね!私のことを好きだなんだと言いながら、どうしてそんな事ができるんですか!」
「だ、だから!君には紳士的に振る舞っていたじゃないか!」
「私が嫌がる事をするのがどう紳士的だと言うの!」

吠える桃玄に金閣はウッと押し黙った。金閣が桃玄以外の下鴨家の狸を嫌っている事は重々承知していたが、ここまでするだなんて思っていなかった。故に強い失望感があった。
どれだけ仲良くしようとも家柄の問題があるから仕方ない、と事態を飲み込むのが利口なのか。しかし桃玄は家柄の問題なんて屁とも思っていないので、そんな理由で長兄が鍋になるのを「そうですか」なんて見ないフリする事などしたくなかった。
金閣の胸倉を掴んでいた手をパッと離すと、桃玄はよろめいて尻餅を付いた彼を睨み付けた。

「兄上を鍋にする計画を企てる狸とは、許婚になんてなりませんからね!」
「そんなぁ!」

桃玄の脚にへばり付き「ごめんよぉ」とか「嫌だよぉ」とか情け無く喚き始めた金閣に、彼女はいよいよ頭を抱えた。
金閣は桃玄を許婚にする為に早雲に協力していると言っているが、彼もまたいずれ偽右衛門になりたいという権力欲求がある。早雲を偽右衛門にし、その後彼が退いたら「父から譲り受けた!」なんて言って偽右衛門になるという御涙頂戴なストーリーを既に夢見ているのだろう。
矢一郎だって偽右衛門に拘る理由は総一郎の存在があるからだろうし。
偽右衛門なんて制度があるから狸同士が対立してこんな面倒くさい事になるんだ、と喚く金閣へ視線を向けながら桃玄はほとほと呆れた。

「そんなに嫌だと言うなら考え直してください!」
「僕が考え直したって今更どうにもならないったら!」
「貴方のその考え方が嫌なんです!自分でどうにかしようという気概はないんですか!」

桃玄の言葉に金閣の勢いは失速し「だって…」と口篭った。
自分で判断が出来ない、早雲の言いなりな金閣に「こいつは本当に阿呆でどうしようもない狸だ」と彼女は再確認する他なかった。
彼は根っからの悪ではないが、良くも悪くも阿呆。関わる狸によって毒にも薬にもなってしまうのだろう。その素直さは尊敬するが、今回ばかりは好ましくない。

「もういいです。貴方とは話したくない!」

脚にへばり付く金閣を振り払うと桃玄はフンとそっぽを向き、彼に背を向けて窓際に座り込んでしまった。
窓の外へ顔を向けてしまっていて桃玄は気付いていないが、その様子を黙って見詰めるしかなかった金閣は口をへの字に結び落ち込んだ様子であった。
「だから言いたくなかったんだ」と金閣は小さくボヤくとゆっくり立ち上がり、黙ったまま扉へ足を向ける。ドアノブに手を掛けるとチラリと桃玄を振り返った。

「明日、朝食を持って来るから…」

桃玄は窓の外へ顔を向けたまま返事をしなかった。


▪︎


暗い顔の金閣が部屋から出て行ってから桃玄は静かに知恵を絞った。
なんとか次に来る夜までにこの部屋から抜け出し、夷川の計画を家族に知らせねばならない。
小さい物に化けて窓の鉄格子の隙間から逃げ出せそうではあるが、こんな時間だというのに敷地内には手持ち提灯の灯がウロウロと蠢いている。どうやら夷川の手下たちが見回りを行っている様だ。
夷川邸の敷地内を完全に把握は出来ていないので、この知らない部屋から抜け出して手下たちを撒きながら脱出するのは骨が折れるだろう。
明日の朝、明るくなってから敷地内の構造を把握して暗くなってから逃げ出そうと桃玄は計画を立てた。
しばらくの間大人しくしていればその分警戒も緩むかもしれないし、きっと明日の夕方頃なら早雲や金閣銀閣も夷川邸を不在にさせているだろうし逃げ易い筈だ。

「ひとまず体力温存といきますか…」

部屋の電気を消してから毛玉姿に戻ると、不本意ながら定位置となりかけている座布団の上で丸くなった桃玄。
目を瞑ると、無意識のうちに色々な事を考えてしまった。
金曜倶楽部。偽右衛門選挙。狸鍋。
もし明日、無事に脱出出来なければ。矢一郎が鍋になったらどうしよう。
普段あまり物事を悪く考えない桃玄であるが、矢一郎の事を想うと心の底から来る不安感に恐ろしくなってしまった。
明日の夜が来る事をこんなに怖いと思った事がない。

「……父上」

不安に駆られ、彼女は亡き父へ声を掛けた。


▪︎


翌朝。物騒な夢を見て飛び起きた桃玄は窓の前に張り付いていた。窓の向こうに広がる夷川邸。相変わらず夷川の手下たちがウロウロと見廻りをしており、時折桃玄のいる部屋へ視線を向けていたので「面倒臭いな」と彼女は思った。
余り外をジロジロと観察していると怪しまれそうである。
すると扉の向こうから足音が聞こえ、そうしてガチャリとドアノブが回されたので桃玄は窓からサッと離れた。

「おはよう、桃玄。ご飯を持って来たよ」

部屋に入って来たのは銀閣であった。銀閣は両手にお盆を持っており、その上には丼とポット、グラスが乗せてあった。
てっきり金閣が来るものだと思っていた桃玄は、現れた銀閣の顔を見るとなんだか不思議な気持ちになってしまったがぶっきらぼうな顔をして無視を決め込んだ。

「ここに置いておくから」

無視をされた事に気付き下がった眉をより下げるも、銀閣は言いながらテーブルの上にお盆を置いた。少しの沈黙の後、彼は自分から顔を背ける桃玄へ視線を向けて声を掛けた。

「桃玄」

反応はしたものの、桃玄は振り返らなかった。
昨日の今日である。騙されて軟禁されたとか、実は金閣から好意を向けられていたとか、夷川の狸が矢一郎を鍋にしようとしているとか。彼女とて感情の整理が追い付いていないし、無事に年を越すまで放っておいて欲しいのが本音である。
そんな桃玄の複雑な心境を理解しているのかしていないのかはわからないが、銀閣は申し訳なさそうに言った。

「僕らの事を怒ってるよね。ごめんね」

何を今更、と桃玄はカチンと来た。怒っていない訳がないだろうに。眉を吊り上げた彼女は漸く銀閣へ顔を向けた。

「当たり前の事を聞かないで下さい」
「僕も兄さんも、桃玄には申し訳ないと思っているんだよ」
「それは昨晩散々聞きました。貴方たちはそればっかりですね」

家族に嫌がらせをされても、騙し討ちして軟禁しても、家族を鍋にしようと企てても、謝れば全て許して貰えると思うなんて。「馬鹿にするのも大概にしろ」と桃玄が憤怒するのも仕方がないだろう。
突っ撥ねる様な言い方をした桃玄に歩み寄ると、銀閣は「お願いだよ桃玄」と彼女へ懇願した。

「兄さんの気持ちもわかってあげて欲しいんだ」
「私の家族を鍋にしようとするくらい嫌いな狸の気持ちなんてわかりたくありません」
「僕らは父上に従う事しか出来ないんだよ」

散々金閣に言われて来た言葉だが、銀閣からも言われるとどうも突っ撥ねる事ができなかった。
桃玄も本心ではわかっているのだ。率先して矢一郎を鍋にしようとしているのは早雲だと。そして金閣銀閣は父の指示に従うしか選択肢がない環境なのだと。

「…わかっていますよ」

金閣や銀閣が自身の家族を嫌っているのはわかっている。しかし阿呆ながら心根は純粋である彼らが自発的に「是非に!」と矢一郎を鍋にしようと考えているだなんて、桃玄には思えなかった。
「桃玄を許婚にしたい」「自身も偽右衛門になりたい」そんな欲求を持つ金閣も、その兄に心酔する銀閣も底抜けの阿保なだけあり早雲に舵を取られている状態だ。
家柄の事で散々金閣とは揉めて来た。今更桃玄が何を言ってもどうしようもないのだろう。
深々とため息を吐き出した桃玄は、吐き捨てる様に呟いた。

「もうどうしようもないんですね」

その早雲と直接対峙する機会を今の今まで作らなかったツケが回って来たのだろう。下鴨家と夷川家の間を取り持つだの、諦めるだの、今まで何を遊んでいたんだろうか。自身の不甲斐無さに反吐が出る。
桃玄は眉を下げて此方を凝視する銀閣を見詰めて言い放った。

「もう諦めます」

家族と友人の間で揺れていた桃玄であったが、ついに腹を括る時が来た様だ。
下鴨桃玄は、夷川家との決別を覚悟した。


………

2025 12.24