酒豪宣言
はぁはぁ、と激しく肩で息をする桃玄は絶望し立ち尽くしていた。
朝食に出された親子丼にまたしても何か入っていたらしく、完食後彼女は数時間程意識を手放していた。
こう連日して一服盛られていては身体に悪そうであるが、桃玄は酒豪故にその効果が数時間程しか持たない様である。昨晩金閣が驚いていたのはそのせいだろう。
後遺症としても少々の気分の悪さだけで済んでいるので、こういった体質に産んでくれた母には感謝しかない。
そんな母が苦手としている雷神様の音で目を覚ました桃玄は、すぐに母の元に戻ろうと毛玉の姿で鉄格子の隙間をすり抜け、窓から部屋を後にした。
毛玉の姿のまま夷川邸や洛中を嵐の中走り抜け、彼女はやっとの思いで下鴨神社へ戻って来たのだ。
「間に合わなかった…」
息を切らしながら呟くと、ざわざわと毛が逆立った。
寝床にも神社内にも母の姿は見えず、更には鳥居の前に矢一郎が愛用している人力車が倒れているのを見つけてしまった。
この様子だと母も矢一郎も、既に夷川に捕まっている。
行き場のない口惜しさに歯を剥くと、桃玄は荒い息のままきびすを返した。
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ピカピカと光る雷神様。嵐は収まったがまだ空は暗い。
母も心配ではあるが今優先すべきは長兄、矢一郎である。彼が既に捕まっているという事は金曜倶楽部へ引き渡されるのも時間の問題だろう。
そう考え、桃玄は金曜倶楽部の忘年会に使われそうな店を廻っていた。今まで散々飲み歩き、人間たちとも交流を築いて来た身だ。
いつもは洛中をボケェッと彷徨いている桃玄が珍しく走り回っているので、人間の友人が気を遣って声を掛けてくれたのだ。その際の聞き込みや自身の記憶を辿った結果、金曜倶楽部の忘年会の場所として先斗町の千歳屋が第一候補として上がった。
「千歳屋…。行った事がないです」
「去年結婚の挨拶で使ったの。鴨川沿いにある料亭。違ったら申し訳ないんだけど…」
「いえ、先斗町はよく行くんですが知らないお店でした。助かります」
現在は祇園。先斗町ならすぐ向かう事が出来そうだ、と乱れた息を整えながら考えていた桃玄をちょいちょいと友人が手招きした。
不思議そうな顔をして友人は近付くと、彼女はコソコソ話をする様に言った。
「桃玄ちゃん、電車見た?」
「電車?」
「路上を走るニセ叡山電車!今ネットで話題になってるの」
友人が嬉々として話したが、ニセ叡山電車と聞いて桃玄は自分の耳を疑ってすぐに返事ができなかった。
路上を走る叡山電車なんて、狸の仕業に違いない。人間の前で態々化けるなんて阿呆に違いない。だがそんな阿呆な真似をする狸を桃玄は知っていた。
「写真があるんですか?」
少々の呆然の後、食い気味に尋ねて来た桃玄に友人は「あるよ」と少し戸惑った様子で携帯の画面を見せてくれた。
友人の携帯画面には、少々ブレていたが、誰かが撮ったであろうニセ叡山電車の写真が映し出されていた。
「四条辺りを走り回っているみたいなんだけど私は見付けられなくてさ。もし見かけたら教えて欲しいの」
友人の言葉に「わかりました」と返事をすると、桃玄は先斗町に向かう事にした。
ニセ叡山電車の話を聞かされ、桃玄の不安感は少し緩和された気がした。
あの井戸に引きこもっていた矢二郎が数年ぶりにニセ叡山電車に化け、矢一郎を救う為に奮闘しているのだと知ったからだ。
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ゆらゆらと鴨川水面の上に浮かんでいるニセ叡山電車を発見した桃玄は「何をしてるんだ」と盛大に頭を抱えた。
矢二郎の元へ向かっている最中、ニセ叡山電車から見覚えのある小さな毛玉が「トプン」「トプン」と二つ音を立て落ち、そのまま流されて行った気がしたが桃玄は見間違いだと思う事にした。
そんな彼女は、ニセ叡山電車の小窓から身を乗り出していた矢三郎へ声を掛けることにした。
「矢三郎。兄上は千歳屋ですか」
矢三郎がその声を辿って桃玄を見付けると、矢二郎も矢四郎も同時に彼女の存在に気付き「やぁ桃玄」「姉ちゃんだ!」とそれぞれのリアクションをした。
「姉さん、無事で良かったよ」
「夷川の連中は一度尻の毛を毟らないといけないですね。それより、兄上と母上は?」
矢三郎たちの反応で、桃玄が夷川に軟禁されていた事を知っていたのだと彼女は少々安心した。父の命日である日に遠出して不在にしていたなんて勘違いをされたら矢一郎に怒られそうであったからだ。
桃玄の問いには、矢三郎が頼り甲斐のある表情を見せて返した。
「母上の居所はまだわからないけど、兄さんは俺たちに任せろ。姉さんは仙酔楼へ走って長老たちの話の邪魔をしに行ってくれ。このままでは早雲の思う壺だ」
「あい、わかりました。兄上を頼みます」
四条木屋町にある仙酔楼は、今宵の偽右衛門選挙の集まりに使われている老舗料亭だ。
この集まりに参加しなければ、矢一郎は偽右衛門になる意思を放擲したと見なされる。
千歳屋で鍋の具材になるのを待っている矢一郎はすぐに仙酔楼に向かうことが出来ない為、時間稼ぎをして欲しいという事である。
夷川邸から脱出してから走りっぱなしであるが、今し方走って来た道を引き返し桃玄は仙酔楼へ向かった。
向かっている最中に背後からとてつもない爆音が聞こえて来た故に足を止め振り返ってしまったのだが、どうやらニセ叡山電車が千歳屋に突っ込んだらしい。
桃玄は再び頭を抱えた。
▪︎
仙酔楼に到着し桃玄が座敷に上がり込もうと襖へ手を伸ばした所で、毛玉の姿で風神雷神の扇を口に咥えた矢四郎がぴょこぴょこと走って来た。
「姉ちゃん。兄ちゃんが出来るだけ引っ張れって」
「では早雲に文句でも言います」
淡々と答えた桃玄に「え!」と矢四郎が驚愕した声を上げた。
桃玄が早雲と顔を合わせるのは久方ぶりであったが、彼女は叔父である彼に言いたい事が沢山あった。主に金閣銀閣の事についてであるが、この数日で桃玄の不満は限界突破している。
時間稼ぎもしつつ不満をぶつけられるのなら好都合である。
「失礼致します」
言うと、桃玄は襖を一気に開いた。
大座敷には長老たちが座布団をぎゅうぎゅうに詰めて座っており、彼らと向かい合う様に早雲が座っていた。早雲の横には少し離して座布団が一枚引かれているが、これは矢一郎の分の座布団であろう。
矢一郎の不在で静まり返った中、突然桃玄が現れたもんだから部屋中の視線が彼女へ向いた。
「これは珍しい。下鴨桃玄ではないか」
「八坂さん、ご無沙汰しております」
畳の上に正座する桃玄は八坂に深々と頭を下げた。
早雲は怪訝そんな顔をしていたが、長老たちはそんな事よりも彼女へ意識が向かっている様で誰も気に留めていなかった。
難しい顔をした八坂が桃玄に尋ねる。
「お前がここに来た理由も聞きたいが、まずは矢一郎くんが何処におるのか聞こう」
「長兄は現在金曜倶楽部に捕まり、先斗町の千歳屋におります」
頭を下げたまま桃玄が告げると「なんだって!」「金曜倶楽部!?」と長老たちが悲鳴の様な声をいくつも上げた。
桃玄は顔を上げると八坂へ補足した。
「私の家族も、そして私もつい先程まで捕えられておりました」
「下鴨家の狸が皆、金曜倶楽部に捕まっていたというのか?」
「いえ、他の者に捕えられていました」
「一体誰に捕らわれていたというのだ?」
「早く言わんか」という言葉が顔に張り付いている八坂に尋ねられると、桃玄は敢えてゆっくりと早雲へ顔を向けた。
しかし早雲は焦りなど一切見せず、更に顔色すら変えずに桃玄の話を一掃した。
「馬鹿馬鹿しい。怖気付いて逃げた矢一郎を庇う為に、家族ででっち上げたホラ話でしょう」
長老たちへ演説するかの様な早雲の喋り方は、息子の金閣と瓜二つであった。
そんな早雲が、矢一郎がこの集まりに来ない理由を「怖気付いた」と勝手に言いふらしている事に桃玄はカチンと来た。
彼女は早雲へ顔を向けて言った。
「叔父上。金閣から全て聞きました」
金閣から聞いたと告げると、漸く早雲の表情がピクリと動いた。
「息子から何を聞いたのかは知らんが、あいつは世間知らずの小狸だ。大方お前の気を引きたくて嘘を言ったのだろう」
「桃玄よ、一体どう言う事なのだ。矢一郎くんや金曜倶楽部の事も詳しく話せ」
「八坂さん、こいつは息子の嘘をまんまと信じてここにやって来ただけです。金曜倶楽部の話も全くあてにならない」
中々話が前進しない事に痺れを切らした八坂が桃玄へ尋ねるも、早雲が再び話を遮ってしまった。
「しかしあの桃玄が態々こんな所に顔を出しているからな…」
桃玄は気紛れで適当な人がぶれであり、こういった場には一切顔を出さない狸である。下鴨家との関わりが深い南禅寺もそれを把握している為、緊急事態でもない限り彼女が態々こんな所へ来るとは考え難いと考えた。
南禅寺の小さな独り言の様な言葉を皮切りに、長老達も「確かにそうだな」とボヤボヤ喋り出した。
その空気感に気付くと桃玄は本腰入れて早雲へ喧嘩を売る事にした。「八坂さん」と声を掛けると早雲に阻まれる前に告げた。
「私たちは皆、夷川に捕まっておりました」
桃玄の言葉を聞いた途端、大座敷の中は騒然とした。
情報を小出しにする桃玄へ八坂が更なる情報を催促し、長老たちは「それは本当か」と早雲へ詰め寄る。
騒然とした中早雲がどう出るか桃玄は静かに様子を伺っていたが、彼は少々眉を顰めたばかりで変わらず堂々としていた。
仕舞いには「まぁまぁ、お待ち下さい」なんて長老たちを静める始末。長老たちが口を紡ぐと早雲は桃玄へ漸く顔を向けた。
「桃玄よ。そんな非現実的な虚言を誰が信じるというのだ」
「虚言ではありません。実際私は夷川邸で軟禁されていました」
軟禁という言葉に再び長老たち側の方からボソボソと何かが聞こえたが、彼らはこの行く末を見守る事にしたらしく大声を上げる事はなかった。
早雲は不思議そうな顔をして見せる。
「軟禁?お前は息子たちと酒を飲んで酔い潰れたと聞いている」
彼の勝ち誇った様な表情に「そう来たかコンチクショウ」と桃玄は苦い顔をした。
総一郎が亡くなるまで、桃玄は矢二郎と並ぶ程の酒飲みで有名であった。洛中でそんな認知をされている事は承知しているので、ここで酔い潰れたなんて言われたら形勢逆転されてしまう。
「酔い潰れていません。酒に薬を入れられていたのです」
「お前は酒豪であったと聞くが、ここ数年は禁酒をしていたらしい。加減がわからず酔い潰れてしまったんだろう」
「それこそ虚言です!」
「酒に飲まれて潰れたお前を介抱してやった儂の息子たちを、矢一郎の不始末を隠蔽する為に侮辱するのか」
相も変わらず演説を繰り返し、長老たちへ悲痛な顔を向け如何に自分が被害者であるかを主張する早雲。多少の粗はあるが筋は通っている。そう長老たちは感じてしまい誰も何も言わなかった。「言い負かしてやったぞ」と言わんばかりに自身を睨み付ける桃玄へしたり顔を見せた早雲に、彼女の堪忍袋の緒がとうとう切れた。
「侮辱しているのはそっちだろう!」
徐ろに立ち上がると「兄上を鍋にしようとした癖に!」「この卑怯者!」「何が介抱だ!」そうギャンギャン吠え始めた桃玄が早雲に掴み掛かったのを、長老たちを掻き分けて飛び出して来た南禅寺がなんとか止めた。羽交い締めをされた状態の桃玄が「あんな杯数で酔い潰れる訳ないだろ!」「馬鹿にするな!」と更に吠えたので、南禅寺は「そこなんだ」と少し呆れた。
………
2026 01.02