今宵は無秩序

"姉さんが怒って暴れてしまったら、扇でちょこっとだけ座敷を仰いでやれ"

矢三郎からの指示通りに風神雷神の扇で大座敷の中に旋風を巻き起こした矢四郎。
桃玄の怒声とそれを止める八坂や南禅寺の声が突風により悲鳴に変わったが、それを自分がしてしまったのだと矢四郎はガクガク震えていた。
大変な騒ぎの中大座敷の隣の部屋から「うるさいわ!」と薬師坊が怒りながら飛び出して来たので、怯えながらも彼は好都合だと思った。
何故なら薬師坊のお説教はとんでもなく長いからだ。時間稼ぎとしては有能である。
すると、襖の隙間から大座敷の様子を伺っていた矢四郎の頭がポンと優しく叩かれた。矢一郎であった。


▪︎


怒り狂う薬師坊を上手く丸め込むと矢一郎は長老達に向かって深く頭を下げ、遅れた事を丁寧に詫びた。
「桃玄から金曜倶楽部に捕まっていたと聞いたが」とようやく現れた矢一郎に八坂が尋ねると、矢一郎は答えた。

「おっしゃる通りです。何故私が不覚にも金曜倶楽部に捕えられたかと申しますと、一切はそこにいる夷川早雲の企みによるものです」

うんうん頷く桃玄を横に控えさせ、矢一郎は早雲が偽右衛門の座を奪う為に下鴨家の狸を全て捕え、自身をを金曜倶楽部に引き渡したのだと淡々と告げた。
「それはまことか?」改めて長老達が言うと、早雲は「嘘でございます」と先程と変わらず平然と答えた。

「狸が狸を鍋にするなんぞ、天狗や人間ではあるまいし。そんな酷いことをする狸はこの世におらぬ」

桃玄相手でも矢一郎相手でも変わらず堂々とした態度で否認する早雲に、長老たちもどうしたら良いものかと思考するしかない。
早雲はツラツラと補足した。

「神聖な会議に遅刻した言い訳ついでに私を陥れようとしているのです。全くやり方が汚い。根も葉もない誹謗中傷です」
「嘘ではありません」
「どこに証拠がある」

頭でっかちの矢一郎もなんとか喰らい付くが、証拠と言われてもこれと言って見せられるものはないので困ってしまった。
そこで矢一郎の肩に引っ付いていた蛙姿の矢二郎がぴょこんと飛び出て来て声を上げた。

「これは真実であります」

長老たちは蛙姿に化けた矢二郎をまじまじと観察すると「おやおや下鴨矢ニ郎ではないか」「久しぶりに姿を見たのう」と口々に言葉を漏らした。長い事井戸に引き籠もっていたので、その姿を忘れていたのだろう。
矢二郎の登場で形成逆転、とはならなかったが。

「参考にはならん!そいつも下鴨の一族ではないか!」

立ち上がり、早雲は矢二郎を指差して異を唱えた。「口裏を合わせて陥れようとしているのか!」と矢一郎や矢二郎、桃玄へ視線を向けて怒声を浴びせた。

「だいたい妙だぞ、儂が金曜倶楽部に引き渡したと言うけれども、ではお前は何故ここにいる。鍋になっておらんではないか!」
「しい!隣に人が来た様です」

声を荒げる早雲の言葉に被せる様に、世話人が声を潜めて言った。
確かに彼が言った通り、薬師坊がいる反対の部屋。つまり隣の座敷からどやどやと大人数の足音や話し声が聞こえて来た。
襖一枚では隣に話が筒抜けになってしまう為、そしてどちらの意見が正しいのかの思案の為「しばらく口をつぐんでおるがよい」と長老が告げた。


▪︎


「くだらぬ嘘をつくのはやめろ、矢一郎」

一時休戦となっていた彼らの言い合いは早雲のその言葉により再び幕を開けた。
吐き捨てる様に「みっともない」と言い放った早雲に、矢一郎だけでなく矢二郎や桃玄も憤怒した。

「よくもまぁそんな嘘がつけるな、貴様!」
「みっともないのは貴方でしょう!」
「お前らは叔父に向かってなんという口の利き方をする。礼儀を弁えろ」

自分の身が危なくなった途端に礼儀うんたらと論点を意図的にずらし始めた早雲に、矢一郎はついに頭に血が昇ってしまった。彼は長老たちの御前である事をすっかり頭から葬り去ってしまった様で、指を差し自身を叱責して来た早雲の手を払い除けて声を張り上げた。

「なにが叔父だこんにゃろう!父上を鍋にした癖に!」

今の今まで矢一郎らと同じく憤怒していた桃玄は驚きの情報に、長老たちと同じ様に少々の間の後目を見開いた。
長老たちが「そいつは聞き捨てならんぞ」と口々に声を上げている中、桃玄は自分の毛がザワザワと逆立ったのに気付いた。それはつまり、父に最後に会ったのは早雲で、矢二郎ではなかったということだ。
金閣からあらかた聞き出したと認識していたが、そこまでは彼も知らなかったのだろう。「そういうことか」と小さく呟くと桃玄は早雲をキッと睨み付けた。
彼女だけでなく長老たちも不信感から早雲へ厳しい視線を向け始めていた。

「待て!待て!」

その空気感に気付いたのか、早雲は声を大きくして言った。

「これもまた根も葉もない話だ。いくら嘘をついても通用しないものだから、苦し紛れに父親の話も出して来たと見える。だがそれとて何の証拠もない。誰に証明できると言うのだ」
「海星が証人だ。あんたの娘だぞ!」

間髪入れずに矢一郎が言ったが、早雲は平然としている。

「そういう悲劇を夢想するというのは、あの年頃の娘にはよくあることだ。夢見がちな娘の言うことを真に受けて恥ずかしいとは思わんか」
「金閣が言っている事も、海星が言っている事もあてにならないと言うんですか。どちらも貴方の子供でしょう」

金閣は早雲の言う通りに動いているというのに自分の立場が悪くなれば"世間知らずの小狸"呼ばわり、海星のことは"夢見がちな娘"呼ばわり。
なんて性根の腐った狸なのだと桃玄はほとほと呆れてしまった。
早雲はわざとらしい大きなため息を深々と吐き出すと、桃玄や矢一郎、矢二郎に向けて言った。

「儂が総一郎を鍋にしたと本気で信じているのか」
「どこまでもシラを切り通すつもりだな」
「お前たちが無茶な事ばかり言うからだ。そんな恐ろしい話を信じる狸はおるまい」

憤慨する矢一郎らとは打って変わり、やはり早雲は感情を一切変えない為に長老たちも訳がわからない状況に陥っていた。
平然とした態度でつらつらと演説を繰り返すので、どちらが嘘でどちらが本当かがわからない。
早雲は長老たちへ向き直って問い掛けた。

「如何ですか?儂がそんな事をするとお思いですか?」

そう問い掛けられた長老たちはすぐに返答出来ず、ごにょごにょと口をつぐんでしまった。
早雲は更に喋り続ける。

「確かに、総一郎が金曜倶楽部の鍋になった経緯には謎めいた物がある。あれ程立派な狸が、あんな人間共の手に易々と落ちるのは妙である」

早雲が一区切り置き、目を伏せると「だが」と話を続けた。

「総一郎が酔い潰れていたと言うのならば話は別だ」

ここで下鴨家の者だけが、早雲が何を言わんとしているのかを察知した。

「聞くところによれば。総一郎が金曜倶楽部に捕まった夜に、最後まで一緒に酒を飲んでいた狸がいるというではないか」

亡き偽右衛門が何故狸鍋に落ちてしまったのかが気になる長老たちは、早雲の長々とした弁論を聞き入っていた。

「ところが今に至るも、その当事者は自分から名乗りをあげておらぬ。狸界の長がむざむざ鉄鍋に落ちる原因を作っておきながらダンマリを決め込んどる。儂はそいつが何処やらの寺の井戸に隠れていると言う噂を聞いたがな」

矢一郎の肩に乗っかった矢二郎へ視線を向けて挑発する様にほくそ笑んだ早雲に、下鴨家の狸たちは我慢の限界に達した。
早雲に掴み掛かろうとした刹那、矢二郎がぴょんと飛び跳ねて彼の顔に飛び付き鼻の穴に顔を突っ込んだのだ。
「ウヒャ!」と早雲は悲鳴を上げて矢二郎を払い除けると「あ!」と桃玄が小さな悲鳴を上げる。
宙を飛び畳へ叩き付けられペシャンコになりそうになった矢二郎を、南禅寺がなんとか受け止めた。

「もう許さんぞ!」

怒りの頂点に達した矢一郎はそう叫ぶと大虎に化けた。
矢一郎はその怒りが頂点に達した時、鴨虎という通り名を持つ大虎に変じるのである。

「叔父だろうが何だろうが、知ったことか!俺の手でペシャンコにしてやる!」
「噛めるものなら噛んでみろ!その時点でお前の偽右衛門は無い!」

その後は騒然となった。「偽右衛門なんてクソ喰らえ!」と桃玄が叫び、鴨虎が逃げ回る早雲を追いかけ廻し南禅寺が「落ち着け矢一郎!」と止めに入るも無意味に終わる。「狼藉!狼藉!」と叫ぶ長老もおり、場はしっちゃかめっちゃかとなった。

「逃げるな!」

桃玄がそう叫んだかと思えば、鴨虎に追われた早雲が隣の座敷へ繋がる襖に手を掛け隣室へ雪崩れ込んで行った。
すぐにその背中を追い掛けた鴨虎は早雲ごと襖を倒し、言った通りペシャンコにしてやった。
暫しの間大座敷と座敷の者たちは黙っており、鴨虎に踏み付けられた早雲の呻き声しか聞こえて来なかった。

「あらまぁ、虎だわ」

偽右衛門を決める為の集まり。その横に入室して来た者達はなんと金曜倶楽部だったらしい。
突然の虎の登場に呆然としていた金曜倶楽部の面々の中、その沈黙に明るい女性の声が響いた。
狸界で恐怖の対象となっている弁天様、その人であった。


………

2026 01.03