ホワイトデーの勇み足

下鴨桃玄は焦っていた。
先斗町の老舗居酒屋である倉寿庵。その店内の席に座る彼女は、一見するとわからないが内心非常に焦っていた。


▪︎


時刻は三十分程遡る。
金閣が相変わらず飲みに突然誘って来たのだが、指定した店は桃玄でも耳にしたことがある有名な老舗店であった。有名なだけありかなり高額な為、桃玄は密かに拳を握り締めた。何故なら金閣との飲み会は高確率で奢りだからだ。
しかしメニューの値段を見ると目が飛び出す程驚いた桃玄は「高いモノを食べてやろう」という思考がぶっ飛んで、金閣が店員に頼む食事をメニューから探し出しその金額を確認し震える事しか出来なかった。

「大丈夫なんですか?」

注文を終えた金閣に、桃玄が恐る恐る確認した。
気紛れに日雇いの仕事をする桃玄とは違い金閣はニセ電気ブラン工場で定職についている。だが早雲がいなくなり海星が工場のトップになってから、双子の収入は少々減ったらしい。故の確認である。
桃玄の問い掛けに「君は気にしなくていい」なんて格好付けて返事をした金閣であったが、彼の様子が何処か可笑しい事に彼女は気付いていた。

「…それにしてもこんなお店初めて入りました」
「でしょう?僕も…いや、オススメされてね!うん」

わかりやすくソワソワしている様な金閣の姿に既視感を覚える。
それは去年の偽右衛門選挙前の軟禁騒動前の様な、しかしそれともどこか違う様な。
桃玄は視線をチラチラ動かしつつも平然を装う金閣の様子を観察しながら「一体何が目的だ?」と頭を働かせていた。

「…桃玄。もしかして君、今日が何の日かわかっていないの?」

いくらポーカーフェイスだとはいえ流石に難しい顔をして様子を伺っているのはバレてしまった様で、複雑な面持ちを浮かべた金閣に尋ねられてしまった桃玄。

「今日?」

態々こんな店を選んでしまう程何か金閣にとって特別な日なのかもしれないが、しかしパッと浮かばない桃玄。
首を傾げた彼女の対応に、金閣はガックリと肩を落としてしまった。

「ホワイトデーという奴だよ!」

金閣の言葉に桃玄はハッとした。
本日は3月14日。バレンタインデーでチョコレートを貰った者がお返しを渡すホワイトデーというイベントである。
バレンタインは欧米発祥の文化であるが、このホワイトデーというのは日本発祥。これまた日本のお菓子業者が万々歳なイベントである。

「もうあれから一月経ったんですか。早いですね」

しかしバレンタインにお願いされて渡したあんなクオリティのチョコレートが、こんな風に返って来ただなんて桃玄は信じられなかった。
桃玄の感想混じりの言葉を聞くと、金閣は不服そうな顔をするだけで何も言わなかった。だが「君は僕がどれだけ気合を入れたかわかってないね」と顔にまるっきり書いてあったので、彼女は少々困った末に言った。

「すみません、まさかこんなに大きく返って来ると思っていなくて…」
「そりゃあね?僕は出来る狸だから、お返しも盛大にやらないと格好付かないよ」

金閣が出来る狸かはさておき、彼の言葉に桃玄は「本当に盛大だな」と内心焦ってしまった。
バレンタインで渡したチョコレートは金閣にお願いされて用意した物なので、ここまで盛大にお返しされてしまうと桃玄もどう反応していいかわからないのだ。

「金閣、ありがとうございます」

しかし一応感謝の言葉は必要だと考えた桃玄がそう口にすると、金閣は照れ臭そうに「うん」と返事した。
その表情に彼女はまた内心静かに焦る。今年に入ってからというもの、金閣に対して得体の知れない感情を抱く事が増えている。
きっと彼の気持ちを知ってしまったからだろう。故に桃玄は戸惑っているのだ。

「そういえば…兄上が将棋大会を復活させようと言い出しまして」

その感情の変化を悟られない為、珍しく桃玄から金閣へ話題を振った。

「将棋大会って南禅寺の?君のお兄さんって将棋を指すんだっけ?」
「いえ、全くですね。将棋を指すのは矢二郎兄さんだけです」
「蛙が将棋を指すってのもこれまた可笑しな話だね。奇想天外だ」

金閣の言葉に「それもそうですね」と桃玄が相槌を打つと、注文した酒とつまみが席に運ばれた。
矢一郎は総一郎の教えの下将棋を指していたのだが、ある出来事をきっかけに辞めてしまった過去がある。
桃玄もふわりとしか聞いていないのだが、矢一郎が将棋を辞めたのは何やら南禅寺の玉瀾が関わっているらしい。
矢一郎が辞めてしまった結果、下鴨家の狸で将棋を指すのは蛙の矢二郎のみとなった。矢三郎はルールを自在に変えて遊んでしまうし、矢四郎はルール自体把握していないだろう。桃玄もジッと座って将棋を指すのは性に合わない。

「矢一郎のことだけど」

届いたばかりの日本酒をクイと飲み込むと、金閣が口を開いた。
その表情に桃玄はピクリと反応してしまう。何故ならこの表情は金閣が嫌いな相手、つまり彼女以外の下鴨家の狸に向ける物だったからだ。

「それを聞くと益々勘繰ってしまうな〜」
「…何がですか?」
「矢一郎は南禅寺を贔屓してるよね」

案の定金閣の口から矢一郎を下げる発言が飛び出して来たので、桃玄は思わずムッとした。
下鴨家と南禅寺家の関係性はここ数年だけのものではない。彼女らの父である総一郎が、態々南禅寺の先代と手を組んで狸将棋大会を作り上げた頃からの付き合いである。

「南禅寺の狸たちと私たちは、昔から友好関係があるんです。贔屓とは違いますよ」
「そうかなぁ?叔父さんは違うかもしれないけど、矢一郎が南禅寺を贔屓しているのは玉瀾がいるからだと僕は考えている」

頬杖をつき口角を上げそう言い切った金閣に、桃玄は呆れた風に小さくため息を吐き出した。
矢一郎と玉瀾は薬師坊の門下生の中でも優秀だった為、二匹で助手役を立派に務めあげた過去がある。
そういった関係性がある前提での関係を、贔屓だなんだと言われては流石に長兄が哀れである。

「貴方は何を根拠にそんな妙ちくりんな事を言っているんですか」

しかし、だ。"玉瀾がいるから贔屓している"風に見えてしまう理由があるのなら是非聞こうではないか、と桃玄は不満そうな声を隠さずに尋ねた。
尋ねられた金閣は桃玄から視線を外し少し考えた後、彼女へ向き直った。

「こればっかりは矢一郎の気持ちがわかるからね」
「兄上の気持ち?」
「だって、僕も君を贔屓して見ているんだもの」

意を決した様に言い放った金閣の言葉を聞くと、桃玄はいつの日かの大告白と同等の衝撃を受け口から「は」という音だけを漏らした。
金閣が自分を長い事好いているのは去年のアレコレで把握はしていた。わかっていたのに彼女は考えない事を続け、折り合いを付ける事をせずに金閣と友人関係を続けていたのだ。
まさかここでぶっ込まれるとは思っておらず、彼女は盛大に焦ってしまった。
視線を逸らし黙り込んでしまった桃玄のその焦り具合は、金閣が重ねた言葉により更に増加する。

「…ずっと聞きたかったんだ。桃玄は僕の事をどお想っているの?」

自分は金閣をどお想ってるのか?
今の桃玄にとって、金閣への感情を言葉にするのは非常に難しかった。
友人と思っている。しかしその一言で片付けるには軽過ぎる。それに今年に入ってからの関係や感情の変化にも対応し切れていない今、桃玄は焦りまくっていた。

「こうして出掛けてくれるから、嫌いでは…無いのかなと思っていたんだけど…」

黙って俯く桃玄に金閣も焦りや居心地の悪さを感じているのだろう。沈黙に耐えかねて金閣が吐いた言葉も、自信なさげに尻窄みになって行った。
家族関連で金閣銀閣にはムカつく事は多々あれど、桃玄は彼らがこうして悲しそうな顔をするのを苦手に感じていた。
それは家族と同じくらい金閣銀閣を大事に思っているからだ。
これ以上悲しそうな顔をされては堪らん、と考えた桃玄は致し方なく答えを絞り出した。

「正直に言うと…わからなくて…」
「ええ!?」

今簡潔に感情を述べろと言われればこうなってしまう。金閣の阿呆全開なリアクションを聞くと、桃玄は反射的に「すみません」と謝罪した。

「…ただ、もう少し待って貰えないでしょうか」

今にも泣き出しそうな顔をした金閣を呼ぶと、彼女は答えを先延ばしにする為のお願いを口にした。
やはりどれだけ仲良くしようとも、金閣がどれだけ桃玄を好いていようとも二匹には家同士の因縁があるのだ。勿論去年のこともある。

「私たちには家柄の事で色々と問題があります。去年の事だって…私の中では無かった事にはできません」

矢一郎を鍋にする暗躍だったり、酒や飯に一服持ったこと、何より桃玄を騙した事である。
痛いところを突かれてしまった金閣は、お猪口に入った日本酒へひたすらに視線を落とし「…うん」と声を絞り出した。
早雲の暗躍であるが、金閣にとって耳の痛い話であろう。一目でわかる程しょぼんとしてしまった金閣を見ると、桃玄の心の中でモヤモヤと得体の知れない物が蠢き出す。
そのせいで桃玄は「そんなに落ち込まないで」と金閣へ慰めの言葉を口にした。
金閣は恐る恐る桃玄へ視線を向けた。

「貴方の事を私は嫌っていませんし、こうして時間を共に出来なくなるのは寂しいと感じます」

彼女が本心から思っている事だ。
家族も大事、同じくらい金閣銀閣も大事。しかし下鴨家と夷川家の仲は犬と猿くらいサイアクである。まず夷川側が喧嘩を吹っ掛けてくる。
家系の因縁は桃玄がもう延々と悩んでいる事であるので、もうこの際すっ飛ばして考えて良いだろう。
そこをすっ飛ばした後問題なのは、桃玄が恋愛に疎いと言う事である。
毛玉だった頃から何十年も狸として生き、人間とも関わり、そして同年代の雄狸とも関わって来たというのに彼女は一度たりとも誰かに恋情を抱いた事がないのだ。

「僕も君と話せなくなるのは寂しい」
「わかっています。ただ私は色恋に疎いのです。貴方の事をどう想っているのかまだ言葉に出来ない」

両親もそうであるし、関わって来た人間たちでも惚れた腫れたの仲になった者の話も聞いた事があるが桃玄はイマイチピンと来なかった。
「"誰かを好いてしまう"という運命的な感情はわからないのだ」と説明を続ける彼女の話を聞くと、金閣は少々不貞腐れた風に「わかったよ」と頷いた。

「じゃあ、桃玄が僕と夫婦になっても良いって思える様に頑張るさ」
「所謂、猪突猛進という奴ですか」
「…なんで君が言うの」

告白とも言えない告白の返事を延期させられた金閣はジトリとした視線を桃玄に向けたが、彼女はクスクスと笑って日本酒をクイっと飲み込むと言った。

「私も四字熟語を言ってみたくなりまして」

夷川呉二郎の片想いはもう少し続く事になった。


2026 08.07