夜の散歩も乙なもの
その春、下鴨家の三男である下鴨矢三郎は夢中でツチノコを追いかけていた。
人間界には「小人閑居して不善を為す」という言葉がある。
そして狸界にも「小狸閑居して不善を為す」という言葉がある。これは不善を為すくらいならツチノコでも追いかけていた方が世の為だ、という意味。
「そのツチノコっていうのは、タケノコみたいなものなの?」
ツチノコという生命体をイマイチ理解出来ない母が矢三郎にそんな疑問を延々と投げ掛けるもんだから、彼は落ちていた枝を使い地面にツチノコの絵を描いてみせた。
というのに、母はその絵を見ても眉を顰めるのみであった。まさにチンプンカンプンといった感じである。
「全然違いますよ、母上」
「でも、食べられるのでしょう?ヘンテコな蛇ね。きっとお肉はブリブリしているわ」
狸は何でも食べる雑食であるので、このツチノコも見付かればきっと食べられるのだろうが、これは食べる為に探している訳ではない。
しかし母はヘンテコな蛇の味を勝手に想定すると「これは美味しくないわね」と更に独断した。
矢三郎はすぐに訂正する。
「だから、食べないですってば」
「食べないのならどうして探すの?」
酒瓶の様に胴体が太く、しかし頭と尾が細くなっているヘビの様なヘンテコな絵。ツチノコとは日本に伝わる未確認生物のひとつであり、人間と親しくしている桃玄もその未確認生物について話を聞いたことがあった。
外野からこのヘンテコな会話を聞いていた彼女は「母上には、この浪漫が分からんのだなぁ…」と独りごちる矢三郎に近付いた。
「ツチノコを見付けると"幸運を呼ぶ"と言われていますからね」
「幸運?そういえば総さんも若い頃にそんなのを探していたっけ…」
数年前金曜倶楽部の鍋となった父、下鴨総一郎は大変趣味が多く、ツチノコ探しも彼が幼い頃から熱を入れていた趣味の一つであった。
未確認生物に浪漫を感じ、総一郎や矢三郎の様にツチノコを追い掛ける気が無い母は気難しそうな顔をして言った。
「本当にもう、呆れてしまうわ。狸の子っていうのは、ヘンテコな物に夢中になるのだからね」
そう言い終えると母は細殿の方へ歩いて行ってしまった。どうやらツチノコ話に飽きてしまったのだろう。
狸の子だけでなく人間もツチノコ探しに興じる者はいるのだが、桃玄は特に補足する事なく母の背中を見送った。
すると母と交替する様に人力車に乗った矢一郎が登場した。相変わらず眉間に皺を寄せ小言付きで。
「ツチノコみたいな朦朧とした物を追い掛けるのは止めろ。お前も将棋をやれ」
「ツチノコも父上の趣味だったぞ!」
「減らず口を叩くな。父上が鍋になってから中断している将棋大会を復活させるんだ」
数ヶ月前に決意していた南禅寺狸将棋大会を復活させる為、矢一郎は足繁く南禅寺へ通っていた。彼はまた今から南禅寺へ向かうのだろう。
矢一郎は「お前たちも少しは手伝え」と矢三郎や桃玄へ一瞥くれながら説教まがいの小言を溢す。
「なんだい。自分じゃ将棋を打たない癖に」
「将棋好きな狸も大勢いる!偽右衛門になる以上、狸界のことを第一に考えるのは当然のことだ!」
「また始まった」
実際矢一郎は将棋を打たない。「偽右衛門になる者としての身の振り方だ」と矢一郎は決まって言うが、南禅寺の話を彼がする度に桃玄の中で色んな感情がひしめき合ってしまう。
これを面白がって良い物なのだろうかと彼女はその都度困惑してしまう。
矢一郎が南禅寺を贔屓するのは、玉瀾がいるから。
果たして金閣が告げたこの話は事実なのか。事実であろうとなかろうと面白がりたい、というのが桃玄の本音であるが。これも阿呆の血なのである。
「今度こそ俺は…偽右衛門になってみせ…キィイ…!」
今ではすっかりお決まりと化してしまった矢一郎の決意表明。
口煩い長兄にはご退場を、と脚で蹴って人力車を強制的に発進させた矢三郎を、怒り故の奇声を発しながら矢一郎が睨み付けた。
拳を握り締め、此方を睨み付けながら出発して行った矢一郎に「気を付けてねー」なんて矢四郎が呑気に挨拶をした。
「全く。兄上はここ最近、偽右衛門か将棋大会の事しか喋りませんね」
矢一郎の人力車がすっかり見えなくなると、何処となく不愉快そうな表情を浮かべた桃玄がため息混じりにそう吐き出した。
昨年早雲が温泉に行くと告げ消えて以降、偽右衛門選挙のライバルが消えた事で矢一郎は去年よりも偽右衛門になる事に燃えていた。
偽右衛門選挙で色々あった為に桃玄はああいった肩書きや、堅苦しい立場などに余計嫌悪感を抱く様になってしまっている。
その事を把握している矢三郎は、姉の言葉の意味を汲み取って相槌を打ってみせた。
「姉さんは嫌いな物がまた増えてしまったね」
「偽右衛門なんかクソ喰らえ、ですよ」
矢一郎の前でそんな事を言えば長ったらしい説教が待っている事は重々承知しているので、桃玄は最近のお気に入りフレーズを長兄に隠れて溢すのだ。
不満だけ溢すと桃玄はそのまま歩いて行ってしまった。きっとまた洛中を徘徊するのだろう。
相変わらずの過激的な発言に矢三郎は苦笑し「しょうがない」と言ってこの場を取りまとめた。
と、言ってもこの場には矢三郎と矢四郎しかいないが。
「矢四郎、お前をツチノコ探検隊隊員一号に任命してやろう」
「隊員一号、かっこいい!」
▪︎
赤玉先生、こと如意ヶ嶽薬師坊の実の息子である二代目如意ヶ嶽薬師坊が百年ぶりに日本に帰国した。
二代目の帰国は狸界にも大きな波紋を広げた。
狸の寿命は十年そこらしかないのだ。天狗界に舞い戻った新天狗なんて生涯に一度あれば大変幸福なことである。それが今世で起こっている。
なんでもかんでも娯楽にしてしまう狸たちは、二代目を一目見ようと河原町御池のホテルオークラへ入れ替わり立ち替わり押し掛けていた。
「二代目を見ても寿命なんか伸びませんよ」
今をトキメク話題沸騰中の二代目であるが、そんな話題に一切興味を持っていない狸が一匹。"人間かぶれ"の下鴨桃玄である。
上記の言葉は、桃玄とは打って変わり情報通である金閣が狸界で広がる「新天狗の姿を見ると寿命が伸びる」というトンチンカンな噂をお披露目した直後の物である。
ゴクリと酒を飲み込むと、金閣は少しムッとした顔をした。
「それは僕だって分かってるさ。けれど二代目は今狸界の中で話題の人物でしょ?僕も一度会ってみたいんだよね」
「私は会いたくありませんけどね」
つまみを口の中に放り込むと桃玄はピシャリと言い放った。
彼女の表情は虚無に近い。それを見て金閣は少々焦った。
"人かぶれ"としても名を馳せているが、彼女は"天狗嫌い"でも有名であるからだ。
態々桃玄の好感度を上げる為に所謂デートに誘っているというのに、不機嫌にさせてしまったのだからそりゃあ焦るだろう。
しかし彼も理由があってこの話題を桃玄の前で出したのだ。
「桃玄の天狗嫌いは知っているけど…」
「苦手なだけです」
「うん、ええっと。苦手なのは知っているけど…本当に会いたくないの?」
金閣の問いに桃玄は「全く」と即答した。
天狗嫌いの癖して彼女は天狗のことを"嫌い"だとは認めない訳の分からん頑固さがある。
しかし自身を"下界を這うのみの狸"だ、としっかり自覚しているからこその"苦手"なのだろう。ぽわぽわの毛玉の頃から天狗は狸より偉い、と教育されて来ているのだ。狸風情が天狗様に"嫌い"だなんて恐れ多い。
二代目に会いたくないと主張され残念そうに肩をすくめる金閣を、桃玄はジトリとした目付きで見詰めた。
「貴方は二代目に至極会いたそうですね、金閣」
「だって八坂さんから聞いたんだよ。矢三郎の奴が二代目に会ったって」
渦中の人物、二代目如意ヶ嶽薬師坊の帰朝に遭遇したのは何を隠そう桃玄の弟である矢三郎と矢四郎なのだ。
なんでも二匹はツチノコ探しの為如意ヶ嶽へ訪れていたらしい。そうして鞍馬天狗の縄張りにまで足を踏み入れ、すったもんだ合った末に帰朝した二代目とバッタリ出会したのだとか。
桃玄が二代目の帰朝を知ったのは、糺ノ森でウダウダしていた所を矢一郎に説教されていた真っ最中だった。矢四郎が息を切らしながら「二代目が帰国したよ!」と叫んで駆け込んで来たのだ。
彼女が知っている二代目の話題はそれだけ。
「…私は何も聞いてませんよ」
「別に君から何か聞き出そうなんて思っちゃいないさ」
「では、どうして私に天狗の話なんかしたんですか?」
矢三郎から聞いた二代目の話を聞き出そうとしているのか?と思っての発言であったが、金閣は桃玄から何かを聞き出す気はないと。
ならば、天狗嫌いの桃玄に二代目如意ヶ嶽薬師坊の話題を態々金閣が出した理由は何なのか。
桃玄の問い掛けに、彼は「この後すぐに解散したくないだけだよ」と言ってにんまりと笑った。
2026 08.07