諸悪の根源

二代目の帰朝後、鞍馬天狗の嫌がらせによってばら撒かれた彼の天狗つぶてを回収するのを買って出た矢三郎。
その役目を全うする為、彼は夢中になっていたツチノコ探しを後回しにし洛中の狸たちから天狗つぶてを取り立てる毎日を送っていた。
そんな折、偽電気ブラン工場に働きに出た末っ子を気紛れで迎えに行った桃玄は、仕事終わりの矢四郎がいつもより浮かない顔をしている事に気付いた。

「矢四郎、また金閣銀閣に意地悪をされたんですか?」

海星が偽電気ブラン工場の経営を引き継いでからというもの、金閣銀閣からの矢四郎に対しての理不尽な意地悪は軽減しており早めに帰して貰う事も増えていた。
その為矢四郎は「海星姉ちゃんのお陰で助かってるんだ」とご機嫌で電磁気学の本を披見していたというのに。
カランカランと足音を立てながら問い掛けた桃玄へ顔を向けると、矢四郎は下がった眉を更に下げた。

「姉ちゃんは、金閣の事が好きなの?」

途端、ブワッと桃玄の中で色々な感情が湧いた。
金閣が矢四郎に何か言ったのかもしれない。「あの阿呆め」と彼女は本気で殺意を抱いた。

「…矢四郎。金閣に何か言われたんですか」
「ううん。金閣には言われていないよ。矢三郎兄ちゃんに言われたんだ」

どうやら金閣は冤罪だったらしく、諸悪の根源は弟の矢三郎であった様だ。
金閣との飲み会は可笑しな勘繰りを避ける為家族には伏せていたのだが、どうやらこの様子だと矢三郎にはバレてしまっていたらしい。別にやましい事をしている訳ではないが、動揺を悟られぬ様に桃玄は「矢三郎はなんと?」と矢四郎に尋ねた。

「夜に姉ちゃんが金閣と歩いてる所を見たって。あれはデートという奴だ、って」

尋ねられた矢四郎は未だ眉を下げてそう答えた。
夜。金閣と歩いていた。そのワードを聞くとすぐに分かった。
数日前の飲み会の後、金閣たっての希望で二代目の宿泊先であるホテルオークラまで夜の散歩をしたあの日である。
矢三郎は二代目の天狗つぶてを回収し、その品々を返す為何度もホテルオークラに足を運んでいたのでその際に見られてしまったのかもしれない。
しかし桃玄は矢四郎の言葉を聞くとすっかり安堵した。その一回だけなら何とでも誤魔化せるし、何だったら矢三郎特有のおちゃらけの可能性の方が高い。

「金閣が二代目の宿泊先に行きたいと言いだして、それに付き添っただけですよ」

桃玄の説明を聞くと、矢四郎は「そうなんだ」と少しだけホッとした様に呟いた。そうして意を決した様に更に続けた。

「僕は色々考えたんだ。もし姉ちゃんが金閣と結婚したいなら、僕は金閣と銀閣が兄ちゃんになるのを我慢出来るよ」
「我慢しなくても大丈夫ですよ。その予定はありませんから」

桃玄の言葉に矢四郎は漸くニコリと微笑んだ。
しかし彼女は今し方自分で吐き出した言葉に小さな違和感を抱いてしまった。
その違和感を無理矢理振り払うと、桃玄は矢四郎と共に帰路についたのだった。


▪︎


如意ヶ嶽薬師坊が二代目に果たし状を突き付けた。
その話は瞬く間に狸界にも広がり、決闘の当日は四条大橋の周辺におびただしい数の狸達が集まっていた。
見物客は狸達だけでない。四条通りを挟んだ向かいのレストラン菊水の屋上では、鞍馬天狗たちがビアガーデンをしながら"薬師坊をテッテイして馬鹿にする會"が開催されている。
肉を焼く美味そうな匂いが夜風に乗って流れて来る四条大橋。
そこには天狗嫌いの桃玄も居合わせていた。金閣と銀閣に誘われたからである。
しかし、だ。決闘場所である南座の大屋根を情けなくよちよち這い上がっていく赤玉先生の姿を暫く見物していた桃玄は、そのあまりの間抜けな姿にその場を立ち去ろうと踵を返した。

「桃玄、何処に行くの?」

その彼女の肩を金閣がポンと掴んで問い掛ける。

「何が悲しくてあんな姿を見ないといけないんですか…」
「でも、天狗同士の決闘だよ?」
「一生に一度見られるかわからないんだから、最後まで見物しようよ」

帰ろうとする桃玄を諭す金閣と銀閣に、彼女は「はぁ」と大きなため息を吐き出した。
未だ金閣と銀閣は二代目と拝謁する事が出来ていない為、なんとかしてこの決闘で新天狗を一目見たいのだろう。
しかし桃玄としては、あんなに普段威張っている如意ヶ嶽薬師坊が天空も自在に飛べずによちよち大屋根を這い上がっている姿なんて見たくもない。余計に赤玉先生への苦手意識が増すばかりである。
致し方なく二代目のご来着を待っていると、暗い夜空に一際目立つ白スーツで待望の男がやって来た。

「あ、来たよ。二代目だ」
「桃玄、二代目だよ」

二代目の登場に金閣銀閣が興奮気味に桃玄の両肩を揺さぶる。
彼らだけでなく辺りにいる狸たちもしめしめと騒ぎ立てているが、如何せん天狗に興味のない彼女は天狗同士の睨み合いを漫然と見ていた。
話題にこそ上がれど桃玄も初めて二代目の御尊顔を賜ったのだが、彼は人間で言えば三十代後半程の年恰好をした英国紳士の様に見えた。
興奮する金閣銀閣に揺さぶられながら「赤玉先生と似ていないなぁ」なんて、デリカシーのない感想を彼女は心の中で抱いていたのだった。


▪︎


結果的に、大注目であった筈の天狗の決闘は拍子抜けで終わってしまった。
力が弱まってしまっている為風神雷神の扇を持参した赤玉先生であるが、悲しいことに彼は足元の悪い南座の大屋根から転がり落ちてしまった。
そこに何処からともなく矢三郎が現れ宙に放り出された赤玉先生を見事にキャッチ。そして改めて決闘!となる筈が、二代目はその様に酷く呆れたのかまさかの途中帰宅。
如意ヶ嶽薬師坊は「ワシの勝ちだ」と豪語していそうではあるが、彼の見事な戦果に見物客は皆肩透かしを食らいそのまま各々の帰る場所にさっさと帰って行ってしまったのだった。
さて、そんなこんなで漸く自由に行動出来る様になった桃玄は六道珍皇寺の井戸の底にいる矢二郎に会いに来ていた。

「総じて、面白がる事も出来ませんでしたけどね」
「あの桃玄が面白がれなかったとは。二の句が告げぬ由々しき事態だな」

井戸の底の蛙は既に天狗の決闘を認知していた。「天狗の決闘を桃玄が見物しに行ったとはな」と少し驚いた声色を出していたが、桃玄が面白がれなかった事を知ると更にびっくらこいていた。

「赤玉先生がよちよち屋根を登ってる姿を面白がれる輩とは馬が合いませんよ」

桃玄の心底不快そうな声を聞くと、井戸の底から「あぁ、鞍馬天狗たちか」と矢二郎の声が響いた。鞍馬の天狗たちは必死に南座の大屋根を登っている薬師坊に「骨は拾ってやる」など「拾ったら鴨川に捨ててやる」などと囃し立てていたのである。
大概のことを面白がれる桃玄ではあるが、如意ヶ嶽薬師坊の落魄れ方を笑う気は毛頭ないのだ。

「それにしても桃玄と天狗の話をする日が来るとはなぁ。明日は雪でも降っちまうかな」
「降ってくれたら面白いですがね。金閣たちに無理矢理連れて行かれただけですよ」
「無理矢理だって?」

先ほどよりも大きく驚く矢二郎の声を聞くと、桃玄は「しまった!」と焦った。
自由勝手に生きる下鴨家長女が「無理矢理従う」や「致し方なく従う」等の言葉を使うのは稀である。その言葉を使う相手は基本的に彼女にとって頭が上がらない者にのみ。例えば父や母、そして天狗。人間で言えば日雇いバイトの責任者だ。
蛙は心底感心した様に言った。

「こいつは驚いたなぁ。あの下鴨桃玄を無理矢理連れ出せる奴がいたなんて」

金閣との今の関係性は矢二郎であっても変に勘繰られるのは嫌な為、桃玄は「なんと誤魔化そう」と悩み少々口籠ってしまった。
何も言わない妹の様子を察してか、井戸の底の蛙は「なぁ桃玄」と彼女を呼んだ。

「もし悩んでいる事があるのなら、自分の中で溜め込まずに井戸の底に吐き出したらいい」

優しく寄り添う様な兄の言葉を聞くと、桃玄は意味の分からない感情が込み上げてきてしまった。
彼女は見ないふりを続けているが、至極悩まされているのだ。
阿呆を煮詰めた様な夷川呉二郎という狸の存在に。

2026 08.09