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「先生は本当に来られるのか?」

五山の送り火当日。奥座敷の茶釜を囲む様に、母が準備したちらし寿司やご馳走がお膳の上に綺麗に並べられていた。自分の席にデデンと腰掛ける矢一郎はでっぷりとした体型の布袋に化けていたが、どうにも不恰好であった。
濡れ縁に並んで腰掛けていた矢三郎と矢四郎に尋ねたものの返答を得られなかった布袋は、今度は苦言を呈した。

「お前たちも七福神に化けたらどうなんだ」

矢一郎はここ数年、毎年送り火の夜に布袋に化ける。
指摘された矢四郎は、無い化けの力を振り絞って精一杯七福神に化けようとしたが、何をどうしてこうなったのか兜を被った全裸に尻尾丸出しの姿に化けてしまった。矢四郎は局部を隠しながら情け無い声を絞り出した。

「兄ちゃん…ごめん、無理ぃ」

矢一郎は末っ子のその姿を見るとガクリとぶよぶよの肩を落とした。

「父上はいつも布袋様に化けておられた。その父上を偲ぶ為には…」
「化けろと言われると化けたくなくなるのが狸の情という物だよ、兄貴」

矢一郎の言葉に、今まで黙っていた矢三郎が口を挟んだ。確かにそうであると思ったからなのか、矢一郎は小難しい顔をして何も返せなかった。
総一郎が健在であった頃、彼は五山の送り火の夜に必ず布袋に化けていた。そんな父亡き後、矢一郎は父を偲ぶ為に毎年似合わない布袋に化けているのだ。

「やあ!」

七福神ではないが、五山送り火の正装ということで黒服の王子に化けた母が堂々と奥座敷へ舞い戻った。待たせたね、なんて言いながら黒服の王子としてオーバーな身振りをする母の後ろから、大変楽しそうな表情の桃玄が現れた。

「兄上の布袋様はやはり毎年変わらない面白さですね!」

いつもは表情の起伏がほぼ無いというのに、矢一郎の布袋姿を見る時の顔はまるで違う。昨年は納涼船に乗らなかった癖に、桃玄は布袋姿の矢一郎を見る為だけに現れ散々笑い転げた後立ち去ったのだ。
全裸侍の末っ子に、宝塚全開の母、笑い転げる長女、いつも通りの三男坊、そして参加できない井戸の中の次男。今年の五山送り火も無事にしっちゃかめっちゃかである。

「これでは父上も冥土で嘆かれているに違いない…」
「みんなが笑ってれば、父上も笑ってる筈だよ。兄貴は難しく考え過ぎだ」

頭の硬い矢一郎にはあまり理解の出来ない考えであるが、下鴨総一郎はそういう狸でもあった。そうこうしていると矢三郎はくるりと楼門側を振り返った。

「ほうら、来た」

如意ヶ嶽薬師坊大天狗のお出ましである。


▪︎


畳の上では薬師坊がポートワインを飲んで、「茶釜風情にワインは勿体無い!」なんて文句を垂れていた。登場の仕方すらも面倒極まりなかった薬師坊と上手く調和する事が出来なかった桃玄は、早くも濡れ縁に避難していた。濡れ縁に腰掛け、脚をぶらぶらさせながらちらし寿司を食していると、既に食べ終わった矢四郎が濡れ縁を駆け回り始めた。

「あんまりそっちへ行っては駄目よ。落ちるから」

母の注意に軽く返事をすると、矢四郎は濡れ縁に座る桃玄の元へパタパタとやって来た。

「姉ちゃん、どうしてこんな所にいるの?」
「先生の小言を聞いていると疲れますからね」

小さく返事した言葉は実に桃玄らしいが、珍しいなと矢四郎は思った。
薬師坊の面倒臭さは奥座敷が宙に浮かぶまでにお披露目されていた。普段の桃玄ならばあのタイミングでフラリといなくなっていただろうに。
どうしてだろう?と矢四郎が疑問に思っていると、何処か一点を見詰めた彼女がほんの僅かに口角を上げている事に気付いた。
桃玄の視線の先には、此方に近付いて来る夷川家の納涼船があった。

「夷川が来たよ」

遠目でもわかるその派手さ。夷川家の家紋がでかでかと印字された帆、船尾にはスポンサーなのであろう"強力わかくさ"という商品の広告がこれまたでかでかと載っている。
矢四郎の一言で矢三郎と矢一郎が焦った風に濡れ縁に駆けて来た。
全体的にチカチカと光らせたクリスマスツリーの様な夷川の納涼船は、奥座敷の五十メートル程の距離まで来るとそのまま停船した。

「流石は夷川家。阿呆な納涼船ですね」
「見ろ、早雲がいる」

すっかり布袋姿から元の姿に化け戻った矢一郎がちらし寿司片手に指を指した。彼の言う通り、納涼船の舳先に布袋姿の夷川早雲が太々しくあぐらをかいている。
その傍らにはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる恵比寿姿の金閣と銀閣がいた。彼らが花火をこちらに向かって打ち付ける動作をして挑発してきたので、矢三郎は眉を吊り上げ、桃玄も少々訝しげな顔をした。

「あんにゃろう、今年もやる気か?」
「万福丸は不幸な事故だったんだ。たまたまあちらが打ち上げた花火が引火しただけだ」
「"そういう事"にしているだけです」
「そうだ、納得いかん!」
「偽右衛門選挙が近いんだ。面倒事は起こさんでくれ…」

腕捲りして対戦する気満々の矢三郎を制止する矢一郎。親戚同士でいがみ合うなと注意するが、いつも喧嘩をふっかけて来るのは夷川の連中である。
現に今も。四畳半の奥座敷でこぢんまりとしている下鴨家の狸たちに対する当てつけなのか、夷川家は馬鹿騒ぎをしながら酒盛りを始めた。ただ今のところ何かを仕掛けてくる様子は無かった為、宴会を続ける事にした下鴨家の一行。
するとストンと濡れ縁に誰かが降り立った音がした。手土産をぶら下げた岩屋山金光坊が訪ねてきた様だ。

「邪魔するよ」

そう言って畳に腰掛けた金光坊に、薬師坊が「なんだお前か」と少し落胆した様子で返事した。

「おやおやご挨拶だねぇ。儂じゃない他の天狗でも来るのかい?」
「うるさいわい」

図星であった為か薬師坊はそれしか言わなかったが、彼の待ち望んでいる天狗とは弁天のことである。
今日の宴のことは弁天に伝えているらしいが中々顔を出さないので、酒も入っているせいか薬師坊も少し苛立っている様子であった。


………

2025 11.28