冷たい石造りの机にカチャリとコーヒーセットが行儀よく乗った。しかしそれを置いた指は微かに震えていた。
「あ、新しいっこ、コーヒーです」
「……ああ」
石造りの椅子に座り、何やら新聞を机に広げながらそれを流し読みをして、報告書と呼ばれるモノにサインをしているスパンダムがそう返事を返すと、先程コーヒーセットを置いた人物である名前はビクッと肩を上げた。
この給仕である名前は何に怯えているのか何時もびくびくとしている。それに声はか細く、顔も俯いているので髪がバサリと覆い被さり表情を伺う事が出来ない。そんな彼女はやはり同じ給仕の仕事をしている同僚達の間でも変わり者や暗くて関わりたくない奴として扱われており、とても浮いていた。
「……おい、お」
「は、はい! 何でしょう!」
流し読みを終えたスパンダムが、コーヒーセットを置いた彼女に呼び掛ける為に「おまえ」と続きの言葉を言う前に、名前は返事を勢いよく返した。
「いや……。なんというかその、アレだな。名前はいつもびくびくしてるが、その……おれが恐いとかじゃねェよな?」
「い、いいえ! 全くそのような事はございません! スパンダム長官は毎日、時には寝る間も惜しんでこのCP9指令長官のお仕事をされていて、とても仕事熱心な方だと思っており。そして何よりお身体の心配をしている程ですし、この前も遅くまで報告書の整理をされていましたので。それに、スパンダム長官はいつも私の淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでくださいます」
聞いたスパンダムが驚愕の表情を浮かべているのを知らぬまま、彼女はここまでをノンブレスで言い切ると、肩を少し上下させながらまた俯き黙った。
「お、おう。そうか……。な、ならいいんだ」
「で、では私はもう行っても宜しいですか?」
聞いたが返ってきた言葉たちが自分の思ったものとはかけ離れており、どう返してよいか迷いそう伝えると、名前はやっぱり俯いたままカートを握りそう聞いた。
「いや、まだここにいてくれるか?」
「え? でもわ、私もまだ仕事が……」
スパンダムの言葉にカートを握っていた指がピクリと動き、それと同時に顔が少し上に持ち上がった。
「まァ、そうだろうが。……名前のことをもっと知りたくなったっつたら、その仕事後回しにしてくれるか?」
「え、なに言って……?」
そんな言葉を産まれて初めて言われたであろう名前は、その時は相当驚いたのだろう。いつもはどんな時でも俯いたままの顔をばっと勢いよく上げた。
「あ!!」
「ちゃんと顔上げれんじゃねェか」
「……っ!」
だが何がそんなに嫌なのかまた俯いた姿勢をとった。
「……。おれといる時だけでも顔上げてろ。それじゃねェと名前のことちゃんと分からねェだろ?」
「……わ、わかり、ました」
おずおずと顔を上げた名前の目には少し涙が見えた。
「なに泣いてんだよ……」
「も、申し訳あ、ありません」
ごしごしと袖口でそれを拭うと、ぽんっと頭を撫でられた。
「す、スパンダム長官……」
互いが何故か恥ずかしそうに視線を反らすと、スパンダムが話題を変えるようにして言った。
「そ、そういやァ名前、なんでおれと喋る時いっつもおどおどすんだよ? この前ギャサリンっつう給仕と普通に会話してんの見たぞ? まァ、普通に会話っていっても名前はずっと下向いてたから普通じゃねェけど」
「そ、それは……。スパンダム長官が格好いいからですよ」
「え?」
「か、格好いいから、緊張してお、おどおどし、してしまうんです」
結局この名前は、何に怯えている訳でもなく、ただ恋心からの緊張でびくびくとしていただけだった。
「なんか今日は名前のいろんな一面を見れた気がする」
「そ、そうですか。私はい、いつもとあまりか、変わりなかったですよ? す、スパンダム長官がコーヒーをこ、溢すまでは」
「うるせェ、いいんだ。おれは長官で偉いんだからいいんだ!」
「そ、それも何時もい、言われてま、ます」
冷たい石造りの机にぬるくなった二杯目のコーヒーセットが、まだ手を付けられずに乗っていた。この二杯目のコーヒーを溢すのはもう少し先だ。
-END-