「スパンダム長官、コーヒーをお持ちしまっ、うわぁッ!」
カタカタと小さく音を鳴らし、白を基調としたクラシックなデザインのカートの上に、ポツリとカップとその中に程よく注がれているブラックコーヒー、そして継ぎ足し用かこちらもクラシカルなデザインのポットが、ガタリと何に引っかかったのか壮大な音をたて横転した。それはモノの見事に。
そしてそれを押しこの部屋まで持って来た女が、自分も器用にカートと同じように横転し、熱々のコーヒーを被った。
「……ハァ」
それを自身の机から見ていた男は、自分の事は棚に上げため息をついた。
「うぅ、……鼻打ったぁ……いった、い」
ぴちゃぴちゃと程よく温度を調整されたコーヒーを自身の髪から滴らせながら、何故か鼻を強打した女はそこに手をやり鼻血が出ていないか確認した。
「ハァ……ホラよ」
呆れと苦笑が混じったような顔を見せ女の前にしゃがみ、本日何度目かのため息とハンカチを女にくれてやった。
「も、申し訳、あり、ません……スパンダム長官」
スパンダムはこの給仕の女――名前が自身の担当になってからまともにコーヒーを飲めていない。
それは先程のように、本当に何もない場所でつまづいたり、コケたり、くねったり、滑ったりするからで。この前は自分の出した足に引っかかって顔面からコケ、そのまま持っていたコーヒーをスパンダムに被せてしまっていた。
普通ならそんなヘマする様な給仕は即クビなのだが(現に名前の前任は1度コーヒーをスパンダムの手に間違えて掛けてしまいその場でクビを言い渡された)何故か名前はここまでひどい失敗ばかりなのだが1度もそんな兆候はなかった。寧ろ、今のようにハンカチを渡してくれ「大丈夫か?」などこのエニエス・ロビーで誰も聞いたことがないような声で心配してくれさえもする。
「いや。それより今回は派手に転んだなァ、大丈夫か?」
鼻に当てたハンカチで鼻血が出たか確認している名前を眺めながら(幸い出血はなかったようだ)それが自然とばかりにスパンダムは名前の頭へと手をやり撫でた。
「……だ、大丈夫です。……ッあ、の……」
いつもならハンカチは貸してくれたが(よく鼻血が出るだろうほど鼻を強打しているため)このように頭を撫でるなど決して部下にする行為とは思えない事をしないこの男が、何故自分の頭を撫でているのか、しかもぎこちなくではあるが優しさが伝わるような手つきで。
「あ? ッああ、悪い……」
名前が目線で自分の頭の上にある手へとやると、それを理解したスパンダムは自身の無意識の行動に驚愕するとスッと視線を逸らし、居心地が悪そうにそれを退かすとやり場を失ったソイツをわざとらしく自身の後頭部へやるとポリポリと掻いた。
「……。あ、あの! ッう、伺っても宜しいですか?」
「ッ!? あ、ああ……」
その不自然な上司な態度に、今まで思っていても聞かなかったことを今しかないとコーヒー塗れの決して清潔とは言えないこの状況で問うことにした。
「ッ、ぁ……ス、スパンダム長官は……な、何故私を……その、クビにしないのですか? 私の前任の方は1度のミスでクビになったと聞きました!」
「!!」
意気込み息を大きく吸い問おうとしても最初に出てきたのは情けない声で、だが徐々に頭の中にあった疑問が口から出るのを拒むことをしなくなり、最後にはしっかりと相手の目を見て聞くことが出来た。
「そ、それは……ッ」
「それに何故スパンダム長官がこんな私に優しくしてくださるのかも分からないのです! 何故です?! 私のようなドジな給仕にそのような事をしても長官にはメリットはッ……!」
今まで聞けずにいた事が爆発したのか感情的になり大声になった名前に拍車をかけるような事が起った。
「ち、ょう……か、ん?」
「おれにも分からねェんだよ」
「え? な、に……?」
名前の頭の中には先ほどの疑問たちなどではなく今のこの状況のほうが疑問だった。何故自分はスパンダムに抱きしめられているのだろう。
大声で叫ぶ自分を落ち着かせる為だろうか。ただ自分が感情のまま目の前の男に疑問を投げかけてる時に急にこの男が近くなった気がした。そして気が付いた瞬間には苦しい程に抱きしめられ、その力と同じような苦しそうな声で「分からない」と言われた。
「おれだって分かんねェだ。どうして名前に……ッ」
「スパンダム長官……」
「おれの名前を呼ぶなよ」
「なんで、ですか……?」
そう名前が聞くとまたいっそうスパンダムの腕の力が強まった気がした。
「……うるせェ」
「ひどいです」
コーヒー塗れの女とそれを何かに耐えるように抱きしめる男というなんとも格好が悪い2人の心のうちには確信めいたナニカが文字を造ろうとしていた。そしてそれは互いの服に広がったコーヒーのシミのように2人の全てに侵食していった。
-END-