平和に行きましょう。
小さな輪
外の景色は暗く深夜を回った今現在のこの店の看板は、黄色い街灯の中で「casino butterfly」なんて綺麗な名前をぶら下げているのだろう。
だが、1歩でも中に入るとそこには、看板の名前とは正反対に穢らしくて、ガヤガヤと自分の声も消えそうなほどうるさい場所で、酒と煙草の匂いが充満している。
そしてそんな中でも一際私がいるこのテーブルはその匂いと共に確信の賑わいを見せていた。
「……」
そのテーブルには2人の男がいた。
1人は見知った顔で、この確信の賑わいを仕掛けた張本人だ。もう1人はこの日私が初めて見た顔で、その男は短髪に顎髭をたくわえ少し強面のような印象を受けたが、それよりももっと強く残ったものがあった。
濁った煙が漂う中で、ヨーロピアンスタイルのホイールがあるその台の上に、両者のチップが25枚つづ置かれていた。
それらはつい先程1回目のベットされ無造作に置かれ終わったところのものだ。
目線で枚数と場所を確認し、台の上で大人しく組ませていた手を解きそちらへ腕を伸ばし、クイッと上部のノブをひねりホイールを回転させた後、回転方向とは逆にボールを入れた。
その後ボールを見つめ――いや、片方は音を聴いてベットの追加なのかアウトサイドに両者とも赤・黒に10づつベットする。
「さてさて、どうでやすか」
「……今回もおれの勝ちだったりして?」
「そうなりァあっしは無一文でさァ……」
さらりと一言を残して喋らなくなったその男は、今日1日で何百万ベリーとこのカジノ店に落としてしまっていて、もうあとがない状況だ。
回転しているボールを見つめていると、見知った男の声が頭で巡り、グラグラと綱渡りのようにして生きてきた今までを揺り動かされ1歩2歩前へ行けば灯りがあるのだけど、そこに足を進める勇気がなくて棒立ちでテーブルの前でいつも傍観していて。
だが今自分が少し言葉を変えるだけで、灯りがある場所に近づけるんだとそう思うと、生き苦しく窮屈で穢らしいここから抜け出そうと足を動かせる気がした。
そして全うに正規のルーレットをしようと、ディーラーとプレイヤーの勝負をしようと自分に言い聞かせると、今日初めて出会った男の顔をきちんと正面から見ることが出来た。
もうそろそろかといつもより力をこめて組んでいたものを解き、ちらりと腕時計を見て一定時間過ぎたのを確認すると慣れた言葉で「No more bet」と告げ、ベット終了の音であるベルを2回鳴らす。
コロコロと店内の騒音に掻き消されるほど小さく転がるボールは、テーブルを囲む金の亡者たちの視線を集めると、カランっと跳ねるようにポケットに落ちた。
「red8」
「っあ? テメェッ」
「今回はあっしの勝ちですァ。……? どうしやしたァお二人さん」
目線はずっと今日来たその人物から動かさず宣言した私を、見知ったソイツは予定通りでは無かったからか声を荒らげた。
「いいえ、お気になさらず。では、『アウトサイドの赤』賭けでしたのでコチラを」
「ッ名前! 何がお気になさらずだ! 待ちやがれ話が違ェじゃねぇか!」
黒賭けからチップを回収し、赤賭けに36倍なのでその配当金を渡さした。
「話し? 何の事でしょうか?」
「ッオイオイ冗談じゃねェぞ! こっちはてめぇらの店にどれだけ客から金落とさしたと思ってンだよ!」
余計な事を話す奴だ。そう思ったと同時に店の中が静まり返った。先ほどの喧しいほどの騒音が嘘のようだ。
「……はァ」
「名前」
「はい、店長」
このテーブルの異様な空気に気が付いたのか店長がこちらに向かいながら私に話しかける。
「お前は今日限り、今現在をもってクビだ。出て行きなさい」
「……分かりました」
どんなに冷静を偽ってもやはり怖かったのか、今になって手が震えだした。だが、それをギュッと握りしめるとまだ言わなければならない事がある事を思い出し、制服として支給された黒ベストのボタンをゆっくり外しながら話した。
「では、最後にひとつだけ」
「はァァ……なんだ」
「この人もう雇うの止めたらどうです? 演技が下手すぎていくらオッズを調整して店とコイツが有利になるようになっていてもいずれバレちゃいますよ?」
「ッ!! 余計なことをッ」
今まで出したこともないような程大声で、この店の悪行を暴露した私にそれまで不気味なほど綺麗な微笑みをしていた店長が表情を崩し掴みかかって来たのを確認し、ボタンを外し終わったベストを素早く脱ぐとそれをこちらへ向かってくる店長の顔へと被せ、後ろへ周り余った布で力を間違えずに締め足で背中を蹴りテーブルに投げ、そのまま今日出会った男の腕を掴みガラ空きだった裏口へ続く扉へと走った。
「おっと、お嬢さんあっしは目が見えませんで……」
「分かってます! でも我慢してください!」
そう、彼は目が見えない。いや、自分で見えなくしたのか彼の目は額から大きく十字を描くように塞がれていた。それを初めて見た時一瞬全てを視られてるかと錯覚してしまった。
実際はそんな事有り得ないのだけれど、そう感じさせる程その眼は強く意思を持っていて、今私が彼の腕を掴み走って逃げているのは、あまりに今の自分が情けなく厭らしく薄汚く思えてしまってここを抜け出したかったからで。
「はァッ! ごめんなさい、こんな危ない事ッ!」
裏口から抜け出した私たちは物陰に隠れるようにして深夜の街中に溶け込み、私は息を整えながら話した。
「あっしの事は気にせんでください。それよりも、これからどうするンです?」
「え? ああ、まぁなんとかなりますよ!」
行く宛はある事はあるのでそこは心配していなかった。ただすんなりいけるかどうかの問題だ。
「ですので、気にしないでくださいね! 今日は危ない事に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。……それでは、失礼致します」
「……」
男性に見えてはいないだろうけど頭を下げると、クルリと向きを変え、これから行かなければならない場所へと向かった。
「オイッ! 名前ー!! 怠けるんじゃねェ!」
「ハイッ!」
周りから見下した笑いが聞こえるがそれに耐えながら背中に20キロ以上の重りを背負ってゆっくりと腕を下ろしていく。
ぷるぷると震えている腕を見て限界が近いのを確認するが、ここで根を開けるとまた馬鹿にされると思うと顔が地面に付かない所ゆっくりと腕を上げていき、上げきった所で自分の目の前で仁王立ちしている教官を睨みあげてしまった。
「……なんだその目は」
「はァッ、いいえ!」
この人が自分の親だと思うと腹が立つ。
そう、あれから私は自身の親――父が教官をしている海軍本部に入団した。
そして今私がいるここは海軍兵の訓練所で、2年半もここにいるのにまだ馬鹿にされ、人より倍以上キツク扱かれる。
「名前一等海兵!」
「ッ? ハイ!」
息苦しくなってもう限界かと思っていた時、また違う声が自分真上から聞こえ、顔を上げた。
「腕立て伏せ止め!」
「ハ、ハイ!」
いきなりの事で判断が遅れ内心焦ってしまったが、次の一言で返事すら出来なくなった。
「今すぐ元帥の元へ行け」
「……」
「聞こえただろ。今すぐだ!」
「……え? わ、わたし」
どうして、なぜという気持ちを込めて目の前の父に目を向けても何も返してくれない視線が苦しくて、汗を拭くなんて事をするのを忘れふらふらと指示された場所へと向かった。
「……ッし、失礼します!」
木造のしっかりとした造りになった元帥室に震える手でノックし、汗をしっかりと拭くと扉を開け、あまり前を見ずに室内に入った。
「やっと来よった、お前はいつも遅いンじゃ」
「も、申し訳ありません!」
ギュッ肩を縮めてサカヅキ元帥の言葉を聞く私は父の顔の広さに腹が立った。
元帥で元大将のこの人が何故私の父を知っているのかは未だ謎で、事あるごとに「お前の父親は――……」と言われていた。ので私はこの人が苦手でもある。そんな事口が裂けても言えないが。
「まァ、そう言いなさンな。要件も言わずに急に呼び出されちゃァ無理もねェでございやすね、すみません」
「えッ?」
サカヅキ元帥を見るのが怖いと未だに思ってしまう私は、室内に入っても自分の靴先に視線を向けたままだったので2年半前に聴いたあの声がまた耳に響き、反射的に顔を声の持ち主がいるであろう場所に向ける。
するとやはりそこには彼がいて、サカヅキ元帥がいる机を挟みあの時はなかったコートを羽織っていた。
「あ、……あ、なたは……。なぜ、ですか?」
「名前、お前を秘書にして欲しいと言うておるぞ」
「わ、わたしですか?!」
質問には答えて貰えずその代わりかもっと疑問に思う事をサカヅキ元帥から言われ、パニックになりそうながらも元帥とあの男性を交互に見つめる。
「他に誰がおるンじゃ。全く藤虎もよりによってコイツでなくてもええじゃろうに」
「あっしはこちらのお嬢さんに頼みたいんですァ」
思ってもみなかった巡り合わせに自分がいま泥まみれであるのも忘れ、スタスタと男性の前に歩み寄った。
「こ、こんなッ若輩者ですが、ッよろしくお願い致します!!」
彼が見えていようがなかろうがそんな事はお構いなしに頭を下げ、三秒程して元の位置に戻した時きちんとあの時のように眼を見た。
「急な事でしたがお願いいたしやす。名前さん」
「はい! えっとふじ、とらさん?」
「これは失礼しやした! あっしはイッショウってンです」
「あ、はい。イッショウさん!」
2年半前に1度会っただけなのにこうしてまた再び会えるという偶然と言いきれない再会をはたしてくすぐったい気持ちになっていると横から苛立った声が聞こえた。
「感動の再会はその辺でええじゃろうて」
「ッ!!」
ビクリと肩を上げた私とは反対にイッショウさんは何故か今までと変わらない声色で話しかける。
「そうですね、じゃあじゃああっしは自分の部屋へ帰らしていただきやす」
「そうじゃの、そうしてくれ」
「え? わ、わたしは……?」
「名前は……藤虎の元に就くんは明日からなンじゃ、元の訓練に戻るなり好きにせェ」
「は、はあ……」
イッショウさんは既に部屋を出た後で、サカヅキ元帥はもうお前に用はないとばかりに机にある大量の資料へと視線をやり羽ペンすら持ち出している。
「……し、失礼しました」
そう告げると足早に扉へ向かい滑り込むようにして廊下へ出た。
しんと静まり返った廊下で明日からの事を考えながら元来た道へと歩きまた汗だくになる地獄の腕立て伏せに私は帰って行った。
ただ明日の事で浮かれていたのかそれともこれで父の指導を受けるのが最後だと思っていたからか、いつもならペースダウンする回数でも難無くこなし、いつも馬鹿にしている人たちに少し見返した気分になった。
そして訓練終わりに父に先ほどの事を話すと「そうか」の一言だけを私にくれ背中をぽんと優しく押してくれた。それだけだが、父なら全て分かってくれていて嬉しかった。
「名前さん」
「イッショウさん!」
訓練を終えシャワー室から出てきた私に聞こえた声は杖をコツコツ鳴らして確かめるようにして歩いていて、私はその杖がこちらに近づくまで動かず、やっとコンッと靴先に当たり、イッショウさんが顔を私がいる場所に向けた。
「時間がございましたら、あっしの話しを聴いていただけやせんか?」
「いいですよ。時間はいくらでもありますので」
そう返事すると、イッショウさんの表情が柔らかくなったような気がした。
-END-
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