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「なーに溜息ついてる」
「はあ....」

人が言ったそばから溜息をつくな。
面倒で仕方ないのに、ぼくは可愛いなまえのために紅茶を淹れてやった。
誰かのお土産のやつだが、腐ってもロイヤルブレンドだ。といったってなまえに紅茶の味が分かるはずがない。
愛しい恋人を遠目から眺めると、随分と一生懸命にペンを動かしている。
ひょっとすると、普段はなまえが必死にペンを走らせるぼくをこんな形で見ているのかも知れないな。
ぼくは少しだけ不可思議な気持ちにもなった。

「君がぼくん家に課題を持ち込むなんて珍しいじゃあないか。」
「それだけ切羽詰まってるんです!」

カーッと怒られる。なぜぼくが怒られなきゃならないんだ。なまえに怒られるなんて割と珍しく、もっと怒られてみたいとも思っ......ゴホン。
咳ばらいしながらテーブルに紅茶を置いてやると、なまえはそれに気が付いてぼくを見上げた。

「ありがとう....」

ぼそりと呟かれた感謝の言葉が嬉しい。どうやら疲れているようだ。
ホットチョコレートにしてやれば良かったかも知れない。
いやそれよりも、彼女を今すぐ抱き締めて、二人でそのまま眠りに落ちてしまいたい。

「ちなみにだが、課題のテーマを聞いてやる」

成績優秀な彼女が、何に困らせられているのかに興味がそそられ、ぼくはもう少しだけなまえのいるリビングに居座ることに決める。

「テーマは幸福について、です。」
「.......なるほどな」

レポートが書けないなんて。
学部は何でもいいから〜なんて有名私立大学に入学したやつの歩む道だ。
ぼくはひっそりと女子大をすすめたのに聞かなかったこいつも悪い。

「.......何処其処の哲学者やらなんかの名著から引用文を引っ張ってきてそれらしいことを書けばいい」
「それも考えたんですけど...」

う〜ん、となまえがうなる。
こいつには何かこだわりがあるのか、人の意見を聞かないこともたまにある。まったく誰に似たんだか。

「露伴の幸せって...」
「ン?」

なまえとぼくの視線が絡み合う。
目でなまえの感情を読み取ろうと気を配ると、すぐになまえの首が左右に振れる。

「いえ、なんでもないです」
「なら、ぼくが原稿を書き終えるまでに終わらせろよ」

えー!と不満の声を背中に受けながらぼくは階段を登った。
いつも原稿に追われるぼくの気持ちを少しは思い知ればいいんだ。
まあ、ぼくにしてみれば
追われる、という表現は不適切だがね。

何かぼく以外のことに打ち込んで、頑張っているなまえを見るのも、たまにはいい。



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