34

露伴が旅行会社のツアーのパッケージを組まなかったので、私は今後の予定をほとんど知らなかった。
ラヴェッロという街のことも詳しくは分からないし、まだ周辺の様子は分からない。
けれど有名なコロッセオや、ピサの斜塔なんかを見てみたいなぁとは思う。

空港で買ったガイドブックを開いて見ていると、露伴に上からヒョイッと没収された。
せっかくイタリアにいるんだ。ガイドブックなんて見てたら全然リアリティーがないだろ。なんて。

露伴はそのまま私を建物の外へ連れ出すと、すたすたと歩いて行く。
一生懸命に追いつこうと足を早めて隣に並ぶと、露伴の横顔はやっぱり楽しそうだった。

「(露伴....なんかすごく楽しそう、よかった〜)」

そこでなまえはちょっぴり嬉しくなる。露伴はまるで森に虫を取りに行く少年のような無邪気な顔をしている、なまえはそう思った。


「やっぱりいい街だなァ....」


露伴が立ち止まる。
私も露伴の背中に少し隠れながら、周りを見渡した。

「うわあ.....こんな綺麗な海、わたし生まれて初めてかも知れない....」

思わず息を呑むほどの絶景だった。
情緒的で、甘美な気分に襲われる。

「ティレニア海だよ」

露伴が私の後ろから耳元で囁く。
こっちへ、という声に導かれながら誘われるように露伴の背中を追う。
海だけじゃない。緑豊かな山々が、私たちを囲んでいる。そう思ったら、いつの間にか小さな庭園の中にいた。
名前も分からないような、可愛い花が咲いている。ぽーっ、とその花を見ながら歩くと、よそ見していたからか目の前に像が立っていてびっくりした。
露伴にも、くくっと笑われる。
彼女は豊穣の神だよ、と言った露伴が像を見上げ、ぺたぺたと感触を確かめるように触った。

目を瞑ってしまいそうなくらい眩しい光に照らされて、さらに奥へ行くと、そこはとても大きな場所だった。すごく大きな展望台。
そういえば来る途中が坂になっていた。

夢中になってテラスへ走っていくと、その広がりと海のブルーに、自然と人間との物語さえ感じる魅力的なバランスに、本当に息を呑むほどの美しさに、声を出すことも忘れてしまいそうだ。

「壮大なテーマだろう?」

露伴はそこからほんの少しだけ身を乗り出して、すっ、と目を細めた。
ずっとずっと遠くを眺めて、それから崖の下の街を見ている。なまえには露伴の目の動きがよく分かった。

「うん....」
「自分が鳥になって飛んでいるような気分になる。」
「空と、海の真ん中にいるみたい」
「ンン....近いようで違うぜなまえ。
ここは海よりも空のほうが近い。こうして空に向かって手を伸ばすだけで、足元がフワフワするよ。
まるで天空の城にいるみたいだ。ぼく達二人は、これから天国に登っていくような....そんな感覚すらある」
「........」

すごい。なんてすごいんだろう。
これが、ゲージュツってやつなの?
露伴はやはり、天才で、ゲージュツカ、なのかも知れない。
露伴が口にした言葉がすべて、なまえにはしっくりきていたし、何かを評して、誉めたりする彼が今日はなんだか素敵だと思った。
かっこいい。
なまえには露伴がこの風景に溶け込んでしまって、まるで一枚の絵画になってしまいそうに思えた。

「露伴....」
「.....なんだよその目は、こいつキザな台詞を言ってるぞと思ってるかも知れないが....いいだろ。笑うなよな」
「わ、笑ってないよ」

さっきまで美しいものを眺めていた露伴の目が、私に向いたのに恥ずかしくなって顔を逸らす。
写真でも撮ろう、とカメラを出した彼はすっかり取材モードに入っていた。
露伴、と呼ぶと、ん?とレンズ越しに返事をする彼に突然「愛してる」と言った。
ちょっとした好奇心だ。
なんだかロマンティックな気分になって、こんな普段は絶対に言わないようなことを言いたくなった。
だけど露伴は、カメラから顔を離して、なんでもないような、でもすごくすごく優しい顔で


「.....ぼくもだよ、愛してる」


なんて言うから、私はそのまま崖から崩れ落ちそうになった。




back

ALICE+