ぬくもり
吉良さんが会社に来なくなってから、もう何日が経ったんだろう。
気にはしていたけれど、誰にも心の内を明かせなかった。
「ねえくら!吉良さんって会社辞めたのかな〜〜?」
「分かんない....」
友人からの質問にはいつも苦笑いで返す。分からないものは分からない。
でも上司の話を立ち聞きしてわかったことは、会社にも何も言わずに消えたことだった。家にも帰っていないらしい。
「(居るのかな....この杜王町に)」
窓の外をぼんやりと眺める。
雲の形がくっきりと見えて、綺麗な青空だった。
「(そうだ....一度だけ、)」
誰にも言わなかったはずの私の想いを、他の誰かに話したことがある。
話した、というのはちょっと間違えだ。
"気付かれた"
他のどの女子社員も気がつかなかった私の吉良さんへの恋心に30代の同僚が勘付いたのだ。
二人で飲んでいる時に、「吉良のこと好きだろ?」とストレートに聞かれた時は思わず焦った。
まさかバレているなんて夢にも思わなかったのだから。
そのとき驚いている私にさらに同僚が言った。
「お前は分かりやすい」
それは初めて言われた言葉だった。
だから今、私がこうやって落ち込んでいる気持ちも、同僚には見透かされてしまっているのかも知れない。
なんて、
ふと視線を逸らしたつもりだったのに、ばっちり目が合ってしまった。
「で、吉良のことか」
「やっぱり...」
「やっぱりってなんだ、やっぱりって」
無理矢理に連れてこられた社内の喫煙所で私が溜息をつくと、同僚はスーツのポケットから取り出した煙草に火をつけた。
「やっぱり寂しいよな」
「寂しい、とかじゃなくて...」
寂しいとか、悲しいなんて思えない。
ただ、今はただぽっかりしてる。
空っぽのゴミ箱みたいに。
もうそこには何が捨ててあったのか、覚えてないけど。
吉良さんが居た日常が、まるで嘘みたいになっていく。
「吉良は、真面目で仕事もそつなくこなす男だったな」
「.....」
なにその、過去形みたいなのやめて。
「吉良は、くらの手が綺麗だって言ってたよ。繊細で美しいって。」
.....そんなの、聞きたくない。
私の手なんて、どうでもいい。どんなに綺麗だってこの手が吉良さんのために、何をしたっていうの。
「もう、やめて」
絞り出した声が、同僚の吐き出した煙草の煙に吸い込まれそうだった。
同僚は火を消したあと黙ったまま腰を上げて、私の目の前に立った。
「泣きたいときは泣いたほうがスッキリするぞ」
そう言って、同僚は私を正面から抱き締めた。
「......私の何が、わかるの」
なぜだか涙が止まらない。
私は同僚の背中に腕を回し、離さないようにぎゅっと掴んだ。
「ほらな、やっぱりお前は寂しいんだよ。」
うるさい。そう思ったけど、同僚にしがみついている手の力はどうしても緩められなかった。
「まだ俺がいる。俺にするか?」
「........吉良さんは煙草なんて吸わないし、あんたよりずっと長生きすんのよ」
私は静かに同僚のスーツで鼻水を拭いた。
同僚は小さく笑った。
「お互い、まだまだ幸せになれそうにないな」
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