まぁ簡潔に言ってしまうと ザクっと 、ついやってしまったのである。
……
鏡の中の自分と目が合い固まること数秒、ハラリハラリとハサミと前髪の隙間から数秒前まで前髪であったもの≠ェ落ちていく。勢いよく前髪を抑えても、時間はもどらず鏡の中の自分が困ったような顔をしながら無意味に頭を抑えているだけだ。
「……うっわ、これは暫く会いたくないやつ…」
思わず零れ落ちた独り言に自分で苦笑する。思い浮かべるのは勿論たった一人だけ
二年近く想いを寄せ続けていたライオンの名をもつあの男だ。
現在は晴れて恋人というか、想いを伝えあった仲ではあるのだが、お互い立場も違うし時間帯もなかなか違う。その上彼は学生時代ほどでは無いとはいえ、基本的に神出鬼没でこちらが予測できない行動など日常茶飯事なためあの日以来彼とはまだ一度も会っていなかった。
鏡に写る自分は眉よりも下にあった前髪がすっかり無くなりアイロンをするまでもなく眉の上だ。その姿はなんだか幼げで歳上の彼と比べると子供っぽいきがした。幾度となく格好悪い所や情けない所を彼の前でさらけ出してきた。それでも、と思わず髪に触れている掌に力がこもる。それでも、何時だって少しでも背伸びして格好良くありたいのだ。少しでも魅力的な彼の傍で呆れられないように、お仕事的に彼の周りは何時だって美しく可憐な人や魅力的な人で溢れている。会いたくないけど会いたい*オ盾ばかりする思いを抱えてその日は少し涙ぐみながら寝た。
……
「うっちゅ〜✩ わはっ、あの日以来だな!」
現実はわりと無慈悲なものである。
僅か一日も経たない間に出会ってしまった。そして人間脳が受け入れられる情報の限界値を超えると自分でもよく分からなくなるらしい。今学んだ「う、うっちゅー…」と反射的に返事を返し、呆然とその瞳を見つめ返す。奇しくもここは彼と初めて出会った場所並びについ先日彼へ想いを告げたあの公園である。
「なんでいつもここなんだ…」と小声で呟く私に反して、彼は非常に珍しくあの挨拶に返事をしたのが嬉しかったらしく「おおっ!サナが返してくれたぞ!!ついに宇宙人の良さが分かったんだなっやっぱり宇宙の可能性は無限大だなっ!?」とご満悦だ。
さり気なく近づいていた彼にハッと意識が戻り、素早く両手で前髪を覆い近づかれた分後ろへと下がる。その姿を見て首を傾げ、?マークを浮かべた彼がまた一歩近付く。そして一歩下がる。近付く、下がる、近付く、下がる、近付く、下がる……
ここは屋内ではないし、野外であるから壁などないし逃げてしまえば終わりなどない。折角会えた彼から逃げるなど勿体ない気がするが暫しの辛抱だ。「……へへ、じゃあ今日はこの辺で……またね」と若干引き攣りながら踵を返そうとした瞬間だ。
「なぁ、サナ」
楽しげな明るい彼の声が響く。おもわずギクッと逃げ出そうとしていた体が固まってしまったのはその声に聞き覚えがあるからだ。
「おれな、分からないもの程わくわくするし刺激があるって思ってるんだ」
クスっとした彼の笑い声が聞こえ本能で逃げようと慌てたのもつかの間あっという間に手を掴まれる。そのままぎゅうっとその腕の中に閉じ込められてしまえば抵抗なども出来ず、僅かに身動ぎしたあと大人しくおさまった。
「なっ、サナ」「やだ」「うっ、何も聞かないまま答えを言うなよ〜!妄想の余地もないだろっ」「やだ」「サナ」「……やだ」
「おれ、さびしいよ。サナの顔がみたい」
ポツンと彼の声が響き、私はついに返事も返す事ができなくなった。こんな、駄々をこねる子供を甘やかすような、優しい声。狡い男だ。ほんとに、ずるい……
器用にクルッと体を反転させられ、彼に正面を向いた後そっと額の上で抑えていた両手を静かに落とした。
「髪、切ったんだな!可愛い」
恥ずかしげもなくサラッと笑顔で告げる彼に思わず拗ねたように頬を膨らませる。
「子供っぽいの間違いだよ」
素直な彼の言葉に対し、全く可愛げのない言葉を返す自分自身に呆れる。恐らく子供っぽいのはこういう所だろう。
ん〜〜と若干間延びした言葉を伸ばし、彼は選ぶように口を開いた。
「甘やかしたいんだよ、サナ全然甘えてくれないしっ、一人でいっつも抱え込むだろ?おれが言っていいのかわかんないけどさ……別に子供扱いしたいわけでもなくって……うぅん」
言葉は苦手だとかごめんな。とかそんな言葉を続けて返す彼を見て、胸がきゅぅっとした。そっと彼の掌をとり、軽く握って彼の瞳を再び見つめた。その瞳は私が大好きなものだ。
「わたしも、甘えてほしい…」
零れた声が小さくなってしまったのも震えてしまったのも許して欲しい。これでもかなり勇気を振り絞った渾身の甘えだ、じわじわと頬に熱が集まるのを感じながら彼を見つめ続けると彼はまた嬉しそうに笑った
「……それにさ、サナ」
握っていた手を強く引かれ、更に距離が縮まりコツンと彼のおでこと私のおでこが触れた。
「こっちの方がサナの顔が良く見えて好きなんだよ」
ニヤリと少し意地悪な笑い方をする彼に、今度こそブワッと一気に顔が真っ赤に染まる。あ、とかう、だとか声にならない声を出す私をみて面白いものを見たような楽しそうな顔とどこか愛しそうなものを見るような顔を混ぜた表情を彼がする。あぁ、この顔はまだ見たことが無い。知らない、顔だ。元々近かった顔が更に縮まる。今度こそ何も言わずそっと目を閉じた。