臨界点
その日は思っていた以上に空気が重かった。蝉の声が遠くで途切れもせず鳴いている。肌の上にまとわりつく熱の膜を払いながら、私たち4人は並んで歩いた。
初の4人での任務。対象は郊外の山中に潜む呪霊群。高専側の調査によれば3級から2級が中心、討伐自体はそれほど難しくない。だが今回は「連携の確認」が本来の目的だ。
「んじゃ、行こうか。心音、硝子、準備OK?」
傑が振り返って笑う。彼の声はいつも柔らかい。空気が少しでも重くならないよう、意識的に場を回しているのが分かる。
「おっけー」
硝子が煙草を口から外し、火を靴で踏み消した。
「私も大丈夫」
そして、
「チンタラしてんじゃねぇよ。行くぞ」
いつも通り彼の一言がすべてを台無しにする。
「だれもチンタラなんてしてないけど?」
「俺にはそう見えただけ」
出発前からこの調子だ。傑と硝子とは和気あいあいと話が弾むのに悟とだけは目が合えば必ず噛み合わない。会話というより小競り合い。
現場近くまで歩いてくると、木々の間にうごめく呪力の気配が感じられた。空気がひやりと冷たくなり皮膚の奥がざわつく。
「じゃ、私と悟は北側。(なまえ)と硝子は南を回って___」
「分断すんのは非効率だろ。俺一人で片付ける」
傑の言葉を遮って悟が前に出た。
「ん?」
「そっちの方が何倍も効率的だろ。足並み揃える意味ねえって。」
「さとるぅ、、君ねぇ、、」
空気が一気に凍てつく。傑が眉をひそめ、硝子がため息をつく。けれど私だけは黙っていられなかった。
「"チームで行動"っていう前提、まだ理解できてないの?」
「理解してるよ。お前らの動きに合わせるのが時間のムダだって言ってんの」
「……言い方って知ってる?」
歯の奥で音が鳴る。噛み殺した怒りだ。硝子が腕を引いて落ち着けと目で合図するが、もう遅かった。
「あんたさ、1人で何でも出来るって思ってるんでしょ」
「事実、出来るけど?」
「___だから嫌われるんだよ」
ぴたりと五条の足が止まった。わずかに顎を傾けてサングラスの奥にある視線が私を射抜く。
「なに、言ってくれんじゃん」
「言われなきゃ分かんないでしょ」
そこから先は言葉というより感情のぶつけ合いだった。
「お前さ、何でも理屈っぽく言えば正しいと思ってんだろ」
「理屈じゃなくて常識。あんたの欠落してる部分を指摘してんの。」
「チームに合わせるのが常識って?くだらねー、そんなの弱者の都合にすぎねぇよ」
「弱者の支えなしで生きていけるなら一生1人でいれば?でも現実は違うじゃん」
言葉がぶつかるたびに空気が軋みを上げた。硝子がはいはい喧嘩はそこまでと割って入ろうとしたが、今の私たちは止まらなかった。
「強さっていうのは他人を踏み台にすることじゃない」
「踏まれたやつがそこに甘んじてるだけだろ」
数秒間、互いの呼吸だけが森の奥でぶつかり合っていた。
「___はあ、もういいわ」
私が踵を返そうとした瞬間、地面が震えた。木々の間から異様な呪力の波が押し寄せる。
「っ、1級だ。話は後!」
傑の声で現実に引き戻される。巨大な呪霊が咆哮し、こちらに突進してくる。戦闘態勢へ移行する刹那、五条がぽつりと呟いた。
「……ほらな。こういう時、連携なんか要らねぇんだよ」
その言葉が胸の奥の何かを焼き切った。
ずっと苛立っていた。初めて顔を合わせた日からなにかと人を見下したような態度。誰も追いつけないほどの圧倒的な力を誇示するくせに、協調という最低限の礼儀すら持ち合わせない。
さっきのやり取りで感じたはそのどれとも違っていた。仲間なんて必要ないと切り捨てられたような気がしたのだ。
「……もう我慢できない」
息を吸い込んだ瞬間、呪力が全身を駆け巡った。九尾の尾が顕現し、空気がびりびりと震える。酒呑童子の膂力が右腕に宿り、骨が軋むほどの圧が走る。視界が一瞬、鮮やかに色を変えた。
___そこまで言うなら私が1人でやってやる。
次の瞬間、私は地面を蹴っていた。大地が砕け、踏みしめた場所にひび割れが走る。突進してきた1級呪霊の巨体が爪先一つ動かすよりも速く、私の姿はその目前に躍り出ていた。
触手のような腕が振り下ろされるより早く、九尾の尾が弾丸のようにしなり、肉を裂いた。血飛沫が弧を描き、地面を赤く染める。続く一撃は酒呑童子の腕力を乗せた拳だった。拳が呪霊の中心核を穿ち、内部から爆ぜるように砕け散る。轟音とともに、1級呪霊は悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちた。
風が吹き抜ける音だけが響いていた。
呆然と立ち尽くす傑と硝子。その視線の先にいるのは血飛沫を浴びたまま微動だにしない私。
「…は?」
それは五条の口から漏れた初めての"素"の声だった。サングラスの奥の瞳が、わずかに揺れている。
「………まじで?」
彼の声からは皮肉も挑発も消えていた。ただ純粋な驚きがそこにあった。
「連携なんか要らないんでしょ?」
「だったら私が1人でやった方が早いじゃん」
五条は一瞬口を閉ざしたかと思えば、すぐに鼻で笑った。
「おもしれえ」
その声色はこれまでとは明らかに違っていた。嘲るような響きも、見下すような調子もない。代わりにそこにあったのは興味だった。
私と五条の距離は相変わらず最悪のまま。けれど、この日から何かが変わった。彼の視線が私を同じ盤上の存在として捉え始めたのだ。
「次は最初から本気出せよ」
その言葉は挑発のようでいてどこか楽しそうだった。
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