結局夏服の一件の答えも分からないままに合宿前日となっていた。最近はまだまだぎこちないが瀬見とも会話をした。
暑くなってきた、なんて、どうでもいい会話だった。
恐らくは前のようにはもうなれないだろうと感じてはいるが、もしかしたらのこともあるんじゃないかと期待してしまうのはもう恋する女の性だろう。
これから始まる、やったことのないスポーツの合宿の手伝いということも含め、様々な感情の渦巻くままに準備を進めていた。
が、ふと、その手が止まる。
「シャンプーがない…」
そう、合宿に行くまでに荷物が揃わない。持ち物がずらりと書いてある欄には記載されてないため、恐らく合宿所の備品にはあるのだろう。
だが、それでいいのか。
もし、夜にばったり会ったら。
もし、自由時間に何かあるとしたら。
無言で立ち上がり、財布と携帯を小さい手持ちバッグに詰め、家を出る。
勝手に妄想しては悶絶しながら、そしてそれをぶつける形で足早に陽の傾く道を進んでいく。
合宿前日ということもあり部活はミーティングだけで終わったので時間に余裕はある。
白鳥沢の最寄りの駅がつまり自宅の最寄りでもある。
もっと言えば高校と駅のおおよそ同一直線上にあり、こうして外へ出ると時間帯によっては徒歩で帰る白鳥沢の生徒と遭遇する。
何より駅に出れば、実家通いだろうが寮だろうが白鳥沢生にとっては格好の買い物スポットであることもあり、わんさかいる。
私服の自分と白いブレザーの同じ高校の生徒が顔を合わせることにも慣れてしまった。
しかしだからって、またバレー部の面々と遭遇してしまうのはどうかと思う。
入ったのは使用頻度が割に高い色んなものが売っている薬局だ。ここでは食品も品揃えが良く尚且つ格安で売られていて、生徒の中では有名で、現に高校生をちらほらと見かける。
その中でも異質、良くいえば目立っている集団。私では頭はでないが、三つほど頭のてっぺんが出ていた。最初はそれを、でかいな、と感心だけしていた。
目的のものはそっちの陳列棚に置いてあるのか、覗いて見たところ、その集団はなんとも見覚えのあるそれだった。
八人。いつものメンツだ。その全ての視線を受け、固まっていた。
「名前ちゃんだ〜!!!偶然だネ〜!」
「おっ!苗字も買い物か?合宿の?」
「あ、うん。シャンプーが無くて旅行用のでも買おうかな、って。そっちは?」
いつも通り天童やら山形やらが最初に絡んでくる。白布くんの手にはテーピングがあった。「それならそこにあったぞ」と大平が指を指すところに、確かにあった。視線を浴びながら選ぶというのはなんだか気恥しいが、それを無視する。
「そう!それでこの後飯行こうか、って話になってるんだけど。苗字も行くか?親睦深めるついでに。」
「…明日から合宿なのでは…」
「天童さん、苗字さんのほうが分かっていらっしゃいますよ。」
「もーうー!賢二郎そんなツレないこと言わない!せっかく若利くんも頷いてくれたんだし、ネ?テーピングとエアサロ買いに来たんだから、そのついで〜ってやつだよ!」
そしてついでに最近分かったことをもう一つ。白布くんは牛島若利という名前に弱い。
今だって天童の発言にぐっと押し黙ってしまった。頑張ってくれ、バレー部の良心。いつもは天童の発言も結構切り捨ててるでしょう。
「行けー!太一!」
「親御さんの都合さえつけば是非ドウゾ。」
「笑顔!そこは笑顔で!」
天童に背中を押された川西くんの表情も相変わらずピクリともしないが、天童のノリに背くのも面倒なんだろう。助けを求めるように大平を見ると、「あんま無理強いするなよ。」なんて、やんわりと、とてもやんわりと注意してくれた。
まあ困るわけではないから、と半ば諦めていると、少し影に隠れていた瀬見が天童の肩をがしりと掴んだ。眉間には浅く皺が刻まれている。
「乗り気じゃねーのに無理に誘っても迷惑だろーが。」
一瞬、時間が止まるような錯覚。
彼の言葉は確かに助け舟ではある。
がしかし、瀬見にそう言われると少し頭にきてしまった。まるで、拒否されているようで。
「行く。お腹減ったし。お母さんも仕事でいないから。」
「ヤッタ〜!女子がくるって!ヤッタね太一!」
「そっすね。」
さっさとレジ済ませよう!と白布くんをずいずいと押していく天童に、瀬見はおい、と声を掛けたが天童はもう聞かなかった。私もレジに行くか、と彼らに付いていこうとすると、棒立ちしていた瀬見が低く小さい声を投げかけた。
「…いいのかよ。」
私は拗ねると同時に、気遣われたなんて確実に舞い上がっていた。けれどそれを出してやる気は毛頭もなくて、怒ってもいないのにわざとらしく頬っぺを膨らませてふいと無視してやる。
「あっ…おい…!コラ無視してんな!」
腕を掴まれる。旅行用のセット二つが床に落ちた。慌てた様子の彼はそれを急いで拾い上げては押し付け、えらく威勢のない声色で、ごめん、と呟いた。
「…その、迷惑じゃねーのかよ…」
彼らしくもない、弱々しい声。
元気で、誠実な瀬見のそんな面は出来れば見たくなかった。見るならば、ちゃんと受け入れる権利があるときに、愛をもって聞いてあげたかった。
「…迷惑だった?」
少し意地悪になった気持ちで、微笑んでやる。もうそれ以上はなにも言わなかった瀬見の言葉はもう待たずに、踵を返した。
少しだけ、胸がちくりと痛む。
もう知らない、好きだ馬鹿。
自分に対して苛立って仕方なくて、天童に軽いパンチを見舞ってやった。
「ハ〜〜〜イ!じゃあ合宿頑張りましょうの会!ここに参る!乾杯!!」
「めでたい訳じゃないけどな。怪我のないことを祈って。」
天童はこういうことは形から入るのタイプなのだろう。強制的にドリンクバーを付けさせられ、入れらされ、涼しい音を立てて乾杯する。まともな事を言うのは大平ばっかりだ。
牛島の要望でハヤシライスのあるファミリーレストラン、大人数用の席に少しぎりぎりで座る。窓際に座った私のすぐ隣には白布くん、前には瀬見だ。
無難なドリアを選んだが、隣の出来た後輩は「何があるか分からないので」と紙ナプキンを店員さんに頼んでくれた。
今だってギリギリな長椅子でも、少し余裕を作ってくれている。彼の頼んだメニューも和食で、野菜がふんだんに使用されている季節のものだった。
チョイスの女子力の高さに、運ばれてきたドリアをじっと見つめる。
彼らの日常的なしょうもない会話を聞きつつも、食を進めていると、ふと、会話が途切れる。そんなこともあるよなあ、と黙っていると、なにやら天童が怪しげに笑っている。
「名前ちゃんなんか賢二郎といい感じだネ〜!」
はあ?と、無意識に威圧を含んだ彼の声と私の同じものが重なった。斜め前の川西くんなんて噎せてしまっていた。
確かに、空気はびしりと凍ってしまっていた。今が本当に夏かと疑ってしまうような冷たさ。変わらないのは牛島だけだ。
何もやましい気持ちを持って接してはいないし、彼は本当に丁寧な人間だと好感は抱いていても勿論そういう意味ではない。
彼も優しく接してくれるのは、私が三年であり、バレー部の手伝いを引き受けたからだろう。
「いやあの、天童。前にも言ったけど、」
慌てて訂正しようとした。だって白布くんは少しキレていてもまた何でもないように箸を進めたからだ。しかし、違うから、の私の声を彼は遮った。
「そう見えるならそうで良いんじゃないですか。…天童さんはもう少し女性を気遣うこともした方がいいと思いますけど。」
「エッ…!?」
「おっ?」
「……は、」
天童、山形、瀬見が順番に思わず声を漏らした。驚嘆と興味に塗れた最初の二人だったが、瀬見の声は明らかに違った。怒気を含んでいて、目の前の私達二人に対して訳が分からないと言っている様だった。
そりゃそうだ。彼のこの反応は当然のことだろう。私が逆の立場でも同じ反応していたに違いない。
「ちょ…っと待って白布くん。否定、否定しよう。誤解招いてる。
いやでもほんと、天童黙って。」
「別に間違ってはないでしょう。前より関わりが深くなったことは間違いではないですし。苗字さんドリア冷めますよ。」
「ああうん、この空気のせいでドリアも凍りそう。だから温かくしよう。誤解です。
すごい気が利くし気を遣ってくれる白布くんは人として凄いなって思ってます。私からは以上です。次、白布くん。」
「動揺しすぎじゃないっすか。」
「川西くん…?」
「うっす。」
隣の白布くんは、首を突っ込もうとした五色くんを低い声で牽制した。頼むからそのテンションであなたの先輩を黙らせてほしい。ついでに同級生も。
空気は行き場をなくし、萎むようにわたしは俯いた。ムードメーカー側の向かいの瀬見は全く黙りで、もう誤解を解くのも億劫だ。
残り少しだけ残っていたドリアも平らげ、大平の図らいで天童に奢ってもらうことになったアイスも溶け切る前に食べた。
凍っていた空気はじんわりと姿を消していって、最後に揃いも揃って私の家まで送ると連れ立って歩いている時には和気藹々とした雰囲気は戻ってきていた。
小学生の様に手を振り、いつかの様に見送って。部屋に戻って買ってきたものも含めぜんぶを詰め込んで、ジッパーを滑らせた。
見上げた星はうるさいほどにキラキラ輝いていた。宝石の散りばめられた天上に吸い込まれそうになる一方、明日は晴れるかな、と安心に肩を落とす。
寝よう。明日はついに、合宿だ。