一難去ってまた一難去ってまた、

瀬見はどうにか軽傷で治まったらしく、2日目は見学と念のためとコーチと共に病院へ。
合宿全てをドクターストップで潰すことにもならないらしく、この翌日までの安静を指示されただけであった。

結果的に瀬見と共にマネジメント業に勤しむことになる。
どうしても二人きりになる時間が多くなったが、気恥しさを悟られないようにしたい気持ちはお互い様なのか、瀬見も一日目の事は何も言わなかった。

ふと、ドリンクを渡す互いの指先が触れ合った。

あの夜ずっと繋がれていた好きな人の手だ。
それにさえ胸はぎゅうと締め付けられて、恋心が次第に存在感を増すことを自覚せざるを得ない。

「瀬見、しんどくない?」

「ああ。さすがにもう、なんともねえよ。
ありがとな。」

私はあの時から態度やらを変えたつもりは無い。この気持ちが彼に吐露されることさえなければ、なんでもいいと思った気持ちは変わらない。

それに反して、よく笑うようになった彼の気持ちが見えない。
笑ってくれるのは嬉しいが、吹っ切れたというか、距離が縮まった感覚に不安は付いてきた。

終了の合図がどこか遠くで聞こえて、集合の円に加わった私を私は他人のようだと思った。
それほどにぼーっとしてしまっているのが、原因は間違いなく彼であって。

おつかれ、と笑って部員のボール上げにかかった彼に慌てて笑顔を取り繕う。


「苗字さん、ボール出して頂けますか。」

「白布くん。いいよ。五色くんとって、珍しいね。」

「コイツがうるさすぎて、約束しちゃったんで。」

「苗字先輩宜しくお願いします!!」

きっちり90度、勢いよく腰を曲げる一年生の彼に思わず笑いが溢れる。
コイツの事褒めないでくださいね、と白布くんに念を押されたはいいが、こうも眩しいほどにきらきらした瞳を向けられると母性がくすぐられる。

仕方なく、と言っていた白布くんも勿論五色くんもいつの間にか熱中していて、夢中でボールを出していたが時計の針はもう20時と半分を指していた。

丁寧にお礼を言ってくれた二人に手を振り、体育館を後にする。



少し寂しくはあるが一人で入浴を終え、髪を乾かしてから、自販機へ行こうと部屋を出た。少し髪を整えて、お気に入りのTシャツを着て。
会えるかな、と期待に膨らんだ緊張に手を震わせながら進むも、残念ながら彼は見当たらない。

せっかくシャンプーを買ったのに、とひんやり冷えるお茶に手の体温を奪われながら、それをじっとりと見る。

身体も慣れてきた今日この頃だが、疲れていない訳もなく、少し重みを主張した瞼に踵を返すことにした。

明日。明日はもっとちゃんと話したい。

強く握り締めたペットボトルが軋む。すこしだけ自棄になりつつも、もはや偶然のシチュエーションの口実となってしまったそのお茶を女らしくもなくぐびぐびと飲む。

喉の奥から透き通るようなそれに息をぷはっと吐き出し、腰掛けたソファに背をだらりと預けていると眠ってしまいそうだ。

携帯をいじりながら、少し重くなってきた瞼をこしこし擦る。
もう戻って眠ろうか、と考えながらも呑気に目を閉じていた時だった。


「あれっ寝てる?やっと見つけたのに。」

「疲れてるんだ、寝かしといてやれよ。」

なんでこうもタイミング良く都合よく、彼らと会うのだろう。驚いてしまって、起きてる、と言うタイミングを逃してしまい、流石にトーンを低くした会話を聞きながら狸寝入りをする羽目になる。


「どうする?ベタに毛布とか?」

「いや、時間も時間だし起こして部屋に帰した方がいいんじゃねーの。」

「隼人ク〜ン、それじゃ女の子は落とせないよ!ここは王子様に運んでもらおう!」

「瀬見部屋じゃね?」

「よ!べ!ば!良いんダヨ〜!ってことで太一よろしく!」

「はあ…」

彼らの会話に、待って、という言葉が口から滑り落ちそうになったが、これ以上の露見を恐れたわたしはまだ動けず、結局寝たふりを続けてしまった。


どう切り抜けようか、と考える一方で期待に抗うこともできず、突き抜ける天童たちの視線に耐える。


「ちょっと、皆さんはやく寝てください。
牛島さん、もう寝てますよ。」

「…太一?いつから賢二郎は英太くんになったのかな?」

「すんませんした。無理でした。」

凛とした、白布くんの声が空気を引き締める。先輩に対しても素直というか、彼はちゃんとした態度で相手をちゃんとさせる。

「瀬見さんは監督とコーチと例の件で話しています。早く部屋に戻った方が明日の為にいいと思いますが。」

瀬見がいないことに残念半分、安心半分に、ばれないように呼吸を漏らした。仕方ないなあ、と小さな足音を立てて、そして複数のそれは遠ざかって行った。

「おはようございます、苗字さん。」

「…ばれてましたか。」

「そりゃあもう、寝ているはずの顔が話に合わせて険しくなったり緩んだり。天童さんも気付いてわざとやってたんで、もうちょっと気を付けたほうがいいですよ。
これ、どうぞ。無難な缶ジュースなんですけど…」

反論の隙もない正論の盾に怯みつつしぼみつつも、手に握らされたつめたい缶。それがつめたすぎて、少し手で転がす。理解はあまり、追いついていなかった。

だからか、少し眉を下げて「リンゴジュースはお嫌いですか。」と尋ねてきた白布くんに、小さく首を横に振る。

「え、いや…なんでこれ。…ごめん、財布は置いてきてて…」

「それならお金を押し付けられずに済みそうで良かったです。奢りとかじゃなくて、ただ1、2年からの感謝の気持ちを代表して。
それにしては、すこし、しょうもないものですけど。
だから気遣わず、受け取ってください。」

「ど、どうも…」

それを開けずに、もう部屋に戻らないとなと思いつつも立てずにいれば、白布くんは意外にも人一人分を空けた隣に座った。
帰らないのかな、と余計にお暇しにくくなってしまった空気がじりりと背筋を立てた。


「あの、率直にお尋ねします。苗字さんは、もう一度付き合う気はないんですか。」

「…はっ?」

彼はまた、素知らぬ顔で爆弾を落とす。
こちらにしてみればその爆撃を受け、言葉も発せないくらいにパニックになっているというのに。

こちらから我が儘を言わせてもらえば、もちろんもう一度やり直したい。あの時間は捨てるにしてはあまりにも幸せすぎた。

その上、高校生にして付き合うことを望まない恋愛なんて、そうそうないだろう。

ただ、それはあくまで欲望の話で、現実的に見れば付き合うことなんて夢のまた夢で。

だからわたしは、彼に複雑な気持ちを曖昧に包んで答えることしかできなかった。




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