05

「あっ名前先輩!」

突き落とすとは。とどのつまり落ちる際まで追い詰めることが大前提で。
彼を追い込むには何が私に必要で。

「先輩聞いてるんですか?寝てるんです?」

私の目の前に立てば、頭上まで影で覆ってしまうような大きい子供だ。今だって周りをひょこひょことついてくるし、何かしらあるとすぐに手伝おうとしてくる。

ただでさえ集中していない今日この頃、やる時はやろうとした決意も張本人がこうも邪魔立てをしてくると集中力は削がれてしまう。

「…練習戻らないと怒られるよ。」

「えー、ちょっとくらい良いじゃないですかー!」

「…それは私でも怒るよ。」

特に何を手伝うわけでもない彼に呆れ半分、少し怒気を含ませて言う。
女マネと言えど、否、女マネだから余計に、怠慢は許せない。ただの威圧でないと彼も感じたのか、大人しくコートへ戻って行った。


少し、胸の浮く感覚。
従順な彼を見たときのそれは、明らかにいびつにゆがんでいた。がたがたに、ぐにゃぐにゃに形を崩したそれはそれでもちゃんと胸の真ん中にすとんと着地した。


それから私は、少し引いてみることにした。
話しかけられても目を合わせられず、いっぱいっぱいな気持ちに反抗してまで頑張ることもせずにそっと距離を置く。

彼は避けられていることについて気が付いているようだが、案外問いただしてきたり無理矢理なことはしてこない。

ふうん、と知らないふりをしていたか、如何せん静かすぎる彼を気にせずにはいられない。

これでは、引いてみて構って攻撃を受けようと思ったのが全くの逆になってしまう。

「夜久さん…突き落とす方法がわかりません…」

「見てて思ったよ。そうだなあ…」

耐えきれずお手上げ、白旗を振りながら夜久さんにおそるおそる聞いてみる。
彼はこういう時、少し意地悪そうに笑う。
遠く高い、体育館の天井を仰ぎながら小さく唸っている。

「あ、あれとか。身長たけーヤツが、頭撫でられるの慣れてないから効果覿面、ってやつ。褒められたがりだからなー。
あ、でもちゃんとできた時にやれよ。調子乗るから。」

「いいですね…!チャンスがあればやってみたいです…!純粋に反応が見たいです!
…でも今日、静かし過ぎて褒めるような感じじゃあ…」

「まあな。でも、そこは先輩に任せとけ。
なんとでもしてやるよ。
梟谷の木兎みたく落ち込まれてもめんどくせーしな。」

「ああ…」

的確な表現に頷きながらも、頼もしい背中に拝みたくもなる。

ふと、聞こえた単語について考えた。
梟谷と言えば、もうすぐ、あの、夏の合宿が始まる。
昨年は散々だったものだが、今年はその失敗を踏まえての対策はちゃんと練ってある。

そうか、もうそんな季節か。

日増しに厳しくなる日光をじっとり見、纏わり付く夏独特の熱には残念ながらもう慣れてしまった。

休憩、の声と共に飛び付いてきたリエーフはドリンクを催促する。
よほど喉が乾いていたのか、勢いよく喉に通していく様子を目の前で見ていた。少し目線を上げると、惜しみなく白い首がさらけ出されていて、嚥下する度に上下する喉仏に胸が締め付けられた。

さらにそこに、汗がつっと伝う。
思わず目を背けた。早る鼓動を必死に抑えるために背を向けた。

「おいしいですね先輩!…ってあれ?なんで後ろ向いてるんですか?」

「…暑いなぁ、って。」

ふと夜久さん案の作戦が頭を過ぎり、突き落とす気持ちで思い切って言ってしまおうかと思った。けど私が思っていたことはそれにしては変態くさいし、何よりそんな柄じゃなかった。
気持ちわるがれては元も子もない、と当たり障りのない濁しが仕方なく発せられる。

「…っ!?リエーフ!?」

「もー、暑くて死にそうです!太陽沈めてください!」

ふと、物思いにふけって気を抜いていると、肩に重いなにかがのしかかった。言わずもがなそれはリエーフ本人で、その重さと緊張で身体は硬直してしまう。

「む、無理だから!文句は太陽に言って!…じゃなくて、な、な、なにしてんの!?」


「なにって、休憩ですよ?」

彼が肩に顎を乗せ、そこで喋ってしまうからその動きがダイレクトに伝わってくる。すぐそこの顔に振り向くこともできず。また退かすこともできず、彼も退こうとはしない。二人してみんなの方に背を向け、何をやっているのだろうか。
ただ、この空間がとてつもなく幸せで。
少しずつ聞こえてくるようになってきた微かな蝉の声を遠くに、ゆっくり流れる時間を噛み締める。

「…もう夏、ですねー…」

「…そうですね。合宿、今年は森然かなあ…」

隣から、少し嬉しそうな、驚嘆の声。そうか、まだ聞いてなかったのか、と思う反面、もしかして言ってはいけないものかと不安になる。

思わず彼のいる方に首を向けた。すると唇に、なにかが触れた。彼は綺麗な目をひん剥いた。私も声もなく、たた、驚くことしかできない。それが頬だと、分かるまで時間はかからなかったが、彼は離れてしっかり立つと、何も言わずにコートの方へ行ってしまった。

思わずバインダーを落とす。わたし、今、彼になにをしたんだろう。
考えれば考えるほどに、身体は熱を灯した。もう太陽のせいとは言えないほどに全身、とりわけ顔が熱くて仕方がない。



「夜久さん……」

「おお、名前……って顔やべーぞ…」

「もう…私はどうしたら…」

「なんだよどうしたんだよ。」

私は、さっきの事を、また顔の熱を自覚しながらも話す。すると夜久さんは、堪えきれないといった様子で吹き出した。「もう、付き合っちゃえば?」その言葉に、私は唖然とした。別にアドバイスもらうつもりで彼に言ったのではなく、ただ一人じゃどうしようもないほどの爆弾を、彼に共有してもらおうとしただけだった。

だからこそ、その、アドバイスとは言えないそれには言葉も出ない。



―――――――――――――――
お待たせしました(?)

ALICE+