おもいおもいで



瀬見英太とは、1年の頃からの付き合いで。
入学してから一ヶ月程度、初めての定期テストも終え、クラスメイトと仲良くなりつつあったタイミングで出席番号順からシャッフルへ。
そこで隣になったのが、瀬見英太だった。

スポーツ推薦で入学し、バレー部に入ったと明朗に笑う彼とはすぐに打ち解けた。窓際の彼と、その隣の自分。
それだけの関係だったのだが、窓枠から望む青空をバックにした笑顔に心を掴まれた感覚は今も鮮烈だ。

それが驚くことに交際に発展したのは夏休みで。
炎天下の中、宮城の中の数少ない高校の馬術部で小さな大会が開かれた時のこと。
すでに入学よりずっと前から馬に乗ってきた名前はいきなり1メートル程度の障害飛越競技に出場していた。

その年は白鳥沢で開催されたこともあり、瀬見も部活があったが、時間があったと天童と大平と共に観に来てくれていて、練習馬場の端で馬上のまま話した。

結果は二位だったが、僅か二秒差で表彰台の二番目に高いところに立つことが悔しくて悔しくて、今も残っているその時の写真は真顔だった。
馬の世話も終え、馬場の煌びやかな障害たちも片付けて出ようか、となったところでバレー部の集団も来ていた。

馬術部は打ち上げなんて話も出ていたが、案外この後に予定が入っている部員が多く後日に持ち越し、校門で手を振って一人で歩いていたところに瀬見に声をかけられた。

「名前ちゃんすごかったネ!馬ってすごいんだネ〜知らなかった!」

「いや全然…いい馬に乗せてもらったのに勝てなくて、悔しいし。団体も勝てなかったし。」

「落ちてた奴もいたな。すげー痛そー。」

「あれは落ち方が痛い…頭からとか無理。」

バレー部の集団といっても同学年だけで、エスカレーターで入ってきては一年生の間でも話題の牛島若利がいた。彼は黙々と食べていたが、初めて喋る瀬見以外とも打ち解けていた。

時々天童のからかいや山形の駄洒落にどうすればいいか分からずに瀬見に視線でSOSを送ると、悪戯にニッと笑って助け舟を出してくれる。くすぐったい感情が胸を締め付けた。

一人だけ他の部の女子、ということもあってか殆どが質問ばかりだったが、逆にバレー部は、聞くまでもないほどに強い。
彼らが馬のことを知らなかった事と同様に名前もバレーについてはちんぷんかんぷんだったが、みんなそれぞれのポジションで特技を生かしながら頑張っている。それだけでも分かると、自然とモチベーションは上がっていった。

「苗字、送るけどどこ?」

「え、いいよ…駅のほうまでそんなかからないし。」

「駅な。うし、行こーぜ。」

「え…でもみんなと寮に戻るんじゃ…」

「いいっつの。まだ時間ヨユーだし。」

バレー部の面々はもう既に少し遠くに歩いて行っていたが、それに気にせず背を向けていた。どうしようもなくて瀬見を追いかけた。
今更帰ってもらうのも申し訳なく、再び会話に華を咲かせながら西日に染まる道路に影を伸ばした。
バレー部では目立たない高さと言われても並んでみると自分よりずっと高いその差や、ジャージの袖をまくり上げたそこから覗く自分と違う腕、うつむき加減な睫毛。

ああ、好きになってしまった。
家に着いて、玄関の前で手を振っていた。また隣を歩きたい、もっと一緒に居たいなんて煩悩を心の奥の奥にじっと閉じ込めて手を振り返す。
せめて見送ろうと待っているが、一向に去ろうとしない瀬見。考えている顔と何も無い時間がじりじりと過ぎるが、彼がぱっと顔を上げた。

「あのさ、苗字!」

なんだか一生懸命な顔、微笑ましくてそれを隠せずにそのまま聞き返す。また一瞬黙りこくってしまった。
すこしどきりとした。半身を出しているドアのノブをぎゅっと握り、待ちに、待つ。
切れ目の瞳に、捕われては放されない。


「…好きだ!」


閑静な住宅街に響いた声。理解する間もなく、彼は来た道を全速力で走って行ってしまった。
急いで外へ飛び出たが、流石に追いつけない程に遠い。
好きだと叫びたくなる。心臓がはち切れそうで、どんどん小さくなる背中に向かって心の中で叫んだ。

それが通じたのかは分からないが、それから週末を迎える前にめでたく付き合う事になった。
もちろん告白された翌日は話すことさえままならぬ、天童を中心とする友人というキューピット達の後押しに助けられた。

付き合いたての時期は二人きりになることもやっとで、互いの部活の終了時間が合えば瀬見の寮の門限ぎりぎりまで帰路の途中の寂しい公園で話し込んだ。
甘々しく、くすぐったく、健全な付き合い。手を繋ぐだけで赤面した思い出が、懐かしい。

数ヶ月も経てば甘さよりも心地良さが大きくなっていたが、恋人らしいことをするときはちゃんとときめいていた。ただのカップルがバカップルになっていて、校内の認知度も高かった。

「部活のタメもおもしれーんだけどさ、やっぱ名前といる時が一番安心するかもな。」

「…恥ずかし。」

「はぁ!?…恥ずいこと言ってんのは分かってんだよ…!だから名前も同意くらいしねーとただのクセーやつだろ…!」

「ちょっ、痛い痛い!こめかみはいたいって!こめかみに関節立てないで!」

「オラ、名前も恥ずいこと言え!」

「もー!好きだよ!ハゲ!」

今思い返せば、私達は時間を優先させるばかりで場も弁えきれずになんてことをしていたのだろう。

特に、珍しく被った休日に日帰りで行った温泉の帰り、駅の端とはいえ人の目に付く場所で油断した唇をふいに奪った時のことは思い返すだけで顔が熱い。

頬杖をつくその隙間、小指をそっと唇に触れさせる。
一回、彼が両頬を両手で包み込んではその優しさとは矛盾した強引さで顔を上げさせ、目を伏せた顔を近づけてきたその時に。
甘さを身体が無意識に期待するその一瞬。
目を伏せろ、と言われた約束を守るふりしてそっと目を開けた。
かれの長いまつげが目元に影を落として、それは少し紅潮する頬にとても似合っていた。
その一瞬も、その直後の柔らかい感触も、今も忘れられない。
楽しかった。
誰がなんと言おうと、互いの部活が忙しかっただろうと、この充足感が幸せだったことに間違いはないだろう。

今となってはこの感情が一番の重りだ。

誰も見ていないのをいいことに零した涙が手のひらと頬の隙間に滲む。じわじわと締め付けられてしまう。

耐えきれず、それを手の甲で乱雑に拭い、黒板に向いてみるが、どうも話は右耳から入って左耳へと流れてしまい、諦めてシャーペンの芯をしまう。
畳んだ腕に頬を乗せて、昼寝をしてしまおうと目を閉じる。


少しだけ、放課後が怖かった。



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付き合う過程のことものちのち書いていきたいです

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