空気デストロイヤー



「名前ー?もう昼だよ?」

揺すられる感覚に、目を覚ます。回らない思考で教室を見渡せば、各々弁当箱を広げたり、自由に席を移動したり。
和やかな雰囲気に漸く気がついた私は驚きながら席を立つ。

「あっ、昼飼つけなゃだよね。」

手櫛を、整える気もないのに髪に通している私に、友達はとぼけた顔をしたと思えば、笑いながら机に崩れ落ちる。
教室にいる生徒の視線をあつめるほどの笑いっぷりにつられながらも問いただしてみる。

「いや…!名前…!染み付いてるなって…!」

「ちょっと、意味わからない…」

「私達、もう引退したんだよ?」

震える声をしばらく脳内で反芻して、漸く理解すれば彼女と同じ机に思わず突っ伏す。自分の馬鹿らしい失態に二人で一頻り笑い尽くした後、弁当を片手に食堂へと向かう。

その途中もぶり返されては笑い転げたりと笑い疲れた頃に食堂に着くが、踊っている心がまさか地下にまで打ち下ろされるなんて予想だにできないのは当たり前だろう。

混んでいるそこに、空いてる席は殆ど無い。ぽつりと隅やら団体の間に余っている所に座ればバラバラになってしまいそうだ、と教室に戻ろうかと話していたとき。

「あっ、あそこ二人席空いてる!」

「ほんとだ。」

その貴重なスペースを取られまいと小走りした彼女の後ろをのんびり歩き、人混みの間を縫い、やっとの思いで席に腰掛ける。

隣は何かを買いに行っているのか、ペットボトルのお茶がぽつりと置かれている。それを横目に見て、弁当を広げようとした名前に明るい声がかかった。

「アッレー!名前ちゃーん!偶然だネ!」

誰だかすぐに分かった。彼は何も悪くないのだが、連想するのはやはり彼の事で。
自分でも分かるくらいに名前は驚嘆と困惑を表情に出す。しかしそれでも怯まず距離を詰めるのが天童覚であって、空席を潰すかのように身を乗り出した彼は土足で駆け上がってくる。

「朝見てたヨ〜!臨時マネちゃんよろしくネ〜!なになに?今日はお弁当?
…ハッ!お弁当なのにわざわざここに来るって事は…!」

ぐるりとメンバーを見渡した時に見当たらない彼に隣の空席。なんとなく察してしまうが、天童はその席に座ろうとはしてくれない。

一層の事詰めてくれればいいのに、と苦笑いを返しながら偶然だよ、なんて返事をする。
間違ったことは言っていないのだが、そんな偶然あってたまるかと向かいの友人をじっとり見つめた。
顔色を青くして首を横に振った。この際仕方ない、さっさと食べてしまおうと彼女からふっと視線を横に逸らした。

アシンメトリーを綺麗に揃えた美少年が、心做しか申し訳なさそうに頭を少し下げた。
思わず会釈を返したが、再び視線を上げると彼はもう箸を進めていた。

伸ばされた背筋、一つも間違えられていない食器の持ち方は正しく教育された賜物だろう。綺麗と言える彼に少し見とれていた。

「アレ?名前ちゃんもしかして賢二郎に見とれてた?」

「…マナーがなってるなって思っただけ。ちょっと天童くん黙ろうか…」

「…どうも。」

全く愛想は良くないが、冷たい目で天童を見る彼に勝手に仲間意識を持つ。

天童が興味ありげに名前を見つめるもののじっと黙っている。よって沈黙が訪れた。名前はもそもそと頬張っていた。ケンジロウくんに触発されたというわけでもないが、すこし作法を気遣いながら。
しかし彼はどこにいるのだろう。
下心なんてないし、と勝手に意地を張りながらもんもんと考えていると。

「うどんすっげー並んでたわ。なんか話進んだか?」

ついにトレイが置かれ、名前とは逆方向に声がかけられた。彼女はびくりと揺れる。
天童は予想していたくせに、あれま!なんてとぼけては名前の神経を逆撫でる。
このまま彼が気付かなければそれが最善だと思った。彼が視線をなんの意味もなく名前の方へ向ける前に平らげて、気配を消して席を立てるとこまで脳内でシュミレーションしていたのに。

「…苗字…」

ああ、彼の気まずそうな声色が嫌に刺さる。
視線は合わせなかった。否、合わせることができなかった。先程が可愛らしく思える程の重く苦しい沈黙、伸し掛るそれにはいたたまれない。

もうマナーなど気にもせず、弁当の残りを掻き込んではぱんぱんな頬の中身を咀嚼しながらがたがたと弁当箱を片付け、閉まりきってないそれをトートバッグに押し込んで席を立った。

少し離れたところで、友達を待つ。元々少食な彼女はすぐ駆け寄ってきた。名前からごめん、と上げられない視線と共にぼそりと放られた謝罪に彼女は気分を悪くはしない。
寧ろ彼女も、か細い声で同じ言葉を返した。「大丈夫?」指をそっと握られ、やっと視線をかち合わせる。無理矢理笑って、頷く。

私は去ってきた方から向けられている気がする視線から逃げた。




「英太クン冷たいね〜!」

「…別れた男から優しくされても迷惑だろ。」

「えっ今のって瀬見さんの元カノっすか。」

「鬱陶し…お元気ないつもとは雲泥の差ですね。」

悪態をつく白布をむっと睨んで突っ込むが、如何せんいつものキレがない。
先輩に対してのほどほどな無礼に突っ込む気力もないまま、静かにうどんをすする。

確かに、驚いた。冷たくしてしまっている自覚はあるものの、自分が思っている以上に彼女は距離を取っていた。

瀬見がそう感じた以上、踏み込む勇気はまだない。ただ、彼女と気付いた瞬間の、驚きの中から顔を覗かせた慕情。
それを、踏みつけて、蹴って扉の奥底に飛ばして、鍵を掛ける。それが日常生活、自分自身、彼女の全てを傷付けない唯一の手段。
このまま開いていく距離を放置して、卒業していく。そうして忘れていくのも良いし、互いに結婚してから笑い話にするのもまた良い。とりあえず、今は近付くなんて、そんなことはできやしないのだ。

「でもまさかまさか別れるなんて思いもしなかったよネ!英太クンあんなにゾッコンだったのに…」

「いつ別れたんすか?」

「ほんっと容赦ねーな!?」

「あざっす。んでいつっすか。」

川西は自身の好物だと言っていた牛すきをご満悦しながら躊躇いもなく切り込む。
寧ろ賞賛を送りたくなるほどの図太さに観念し、そのくらいの質問なら、と答えてやる。確か、
ゴールデンウィーク辺りだった、筈だ。
すると今まで仕方なく聴いていたかのように流していたBGMに白布はぴくりと反応する。
すっと顔を上げたのが視界の端でなんとなく分かった。
鋭利な思考を持つ彼がなんとなく予想しているだろうことはきっと間違ってはいないが、少し自意識過剰をしていないことを祈る。
破局の経緯の原因のきっかけであることは間違いないのだが、誰がなんといおうと「彼のせい」ではないのだ。
これは彼女と声を揃えて言えるだろう。
だからいっそ、お前は無関係だと突き放したい。
これ以上、渦を肥大化させるわけにはいかないのだ。


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昼飼とはつまり馬のお昼ごはんです。
漢字が合ってる自信はありません。


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