03

「ぶっは…!」

「ちょ…!黒尾さんなんで吹き出すんですか!?」

「お前マジなの?いやそれが分からないのもそのこと自体も、マジ?」

「あーもー夜久さんまでー!そうですよ!分からないから聞いてるんです!」

翌日、思い立ったが吉日だと(日は変わっているが)、部活の前の時間に部室で着替えている三年生に聞いてみる。

夜久と黒尾は予想通りというか、笑うが海はリエーフの話にちゃんと耳を立てていて、それでいて微笑んでいるだけだ。

いつものシャツに袖を通した黒尾は、笑いを堪えて、しかしながらやっぱり笑い出せずにはいられなくて、リエーフを小突く。

「少年、それはね、恋だよ。」また何を企んでいるかも分からないようなにたにたとした意地の悪い笑みにその言葉の虚偽を疑う他はない。

「恋…?」

「おいおいまさかそれもわかんねーとか、それは言わせねーよ?」

「馬鹿にしてるんですか!?それはさすがに分かりますよ!!」

「灰羽被告、認めたなら自白しなさい。」

真顔に堪え切れない笑みを口角に乗せながら、腕を組んで見上げる。

恋が何か、それはアバウトには知るもののこれが恋なのか、と言われてもまだもやもやとする。
ただ、彼女が先輩であれ同学年であれ、男子と仲良くするのが至極気に食わない。

しかしこれは、本当に恋なのか。リエーフは一生懸命にうんうんと考え込んでしまった。


「黒尾もほどほどにしとけよ。こーゆーのはな、本人が自分で気付くのが一番良いんだよ。おら、リエーフもうだうだ悩んでるとレシーブの本数増やすからな。」

「えっそれは嫌です!」

「てめー…。増やされたくなかったら集中しろよ!浮ついた話はその後だ!ほら行くぞ!」

ジャージをばさりと羽織り、海と共に部室の外へと夜久は足を出した。
隣で黒尾が、男前、とぼやいて後に続こうと立ち上がる。去り際に、リエーフの後頭部を鷲掴みをして。

そこをすこしむくれながらそこをさすって、リエーフも体育館へ行こうと部室を出た。


先輩たちはどれほど歩みが速いのだろう、もう姿は見えなかった。
犬岡たちのすがたも見えやしないし、他の部活動の生徒がそれぞれ勤しんでいる姿ばかりだ。
遅れるとまたドヤされてしまう、と体育館へ向かう歩幅を大きくして。
ふと、何気なく視線を横にずらした。

少し遠くの、外にある水道。そこにある一つの小さい背中を見て、無意識に足先をそちらへ向けていた。

先輩だった。すぐに分かった。理由なんてどうでもいいどころか、無い。ただ名前先輩の背中だとすぐに分かって、無性に飛び付きたくなったのだ。黒尾さん、これは恋なのでしょうか。


「…名前せーんぱいっ!」

「ひぃ…っ!?…ってリエーフかあ。びっくりしたなーもう。どうしたの?はやく部活にいかないの?」

「えー、でも今日二者面談があってコーチも監督も少し遅れるんですよね?だから、先輩がドリンク運ぶなら手伝います!」

「ええ…別にいいのに…」

既に何本か作られたドリンクが水道の上のスペースに置いてある籠の中できちんと並んでいて、多少は重たいであろうそれを彼はひょいと持ち上げた。

「今日は部活の延長があるんですよね?その分のドリンクとなったら重いんじゃないですか?」

「まあそりゃあいつもよりはだけどさ…。先輩を何だと思ってるの?慣れてるよ、こんぐらい。」

「うー、でも、ここでさすがに何もせずに行くと良心の呵責が…」

「リエーフが良心の呵責なんて言葉知ってるなんて思わなかった。」

「…ひどいですよぉー。」

どうでもいいような、他愛ない会話を続けている間も彼女はせかせかと作業を続けている。彼女の手を見ていて、ふと少し前の会話を思い出した。彼女は部活前は滑るからという理由でハンドクリームは塗らないと言っていた。この水に躊躇いもなく濡らされる手はきっと今保湿なんてどうでもよくて、マネージャーとしての仕事を全うするために動かされているのだろう。
そう考えると、なぜだか愛しさが込み上げてきた。

「…ほら、これで最後だから。夜久さんに怒られる前に、体育館に行かないと。」

「……。」

「…リエーフ?おーい?」

「…あっ…。はい!」

しばらくぼけっと手を目で追いながら見つめていたのが、いきなりそれが目の前でひらひらとして、リエーフはやっと我に返る。籠を高く掲げて、彼女が追加に詰め込んだそれを今度は並んで歩く彼女とは逆の手で持つ。

「何?しんどいとか?」

「いえ!元気満々です!エースですから!」

「レシーブへたくそなエースは嫌だから頑張ってね。」

「うげぇー…がんばりまーす…」

「…で?違うならじゃあ、考え事?」

「ああ、…名前先輩の手って、ちっせーなーって思って。ちっさくて、女子力より仕事の方優先してるんだなーって思ったら、かわいーって思ってました。」

彼女は目を見開いた。そして彼に顔を背けて、いきなり熱を上げたそれを手で覆う。これだから馬鹿で天然なイケメンはと、速まる鼓動を必死に押さえ付ける。

「…そ、そりゃあ周りの女の子よりも小さいかなあなんて思うけど…別にそこまで困らないよ。…あ、でもボール拾いのときは役に立つかな。」

彼がいるほうの髪を、気を紛らわしたくて耳にかけたり手櫛で解いたりしている。ちくちくと刺さる視線に、余計に顔が赤くなる。

ここ数日、彼の距離が近い。
もっとも、元々彼はパーソナルスペースなど関係なしに人との距離感はゼロに等しく、良く言えば積極的、悪く言えば図々しい。

だから、この違いはほんの些細なことなのだが、距離が近いだけでなく彼は天然で殺そうとでもしているのだろうか。心臓が持たない。

そのくせ他人と話す時はいつも通りで、ケロッとしている彼に気づけば視線を奪われていた。もとから目立つ彼に、ここ最近はもっと目を惹かれてしまう。
ついでに言うと、その度に心臓も煩い。

彼女自身この現象が一体何なのか薄々気が付いているものの、自分はあまりにもチョロすぎるのではないかと意地を張って認めようとしない。

体育館に着き、二人共に誰からの喝を飛ばされることなく彼は籠を置こうとした。

実際かなり助かった彼のお手伝いに、ありがとう、と彼のエメラルドの瞳を見てお礼を言えば、一瞬きょとんと間抜けた表情をみせて、それから、眩しい笑顔で彼女の頭に手を乗せた。


それが、落ちるか落ちないかの境目、審判が眉間に皺を寄せて考えるようなグレーゾーンに立っていた彼女を突き落とすのには十分すぎる破壊力で。

彼が体育館中央へ駆けていく広い背中を見つめて、苦しすぎる呼吸を吐いた。ため息をついてもついても、そのきゅうきゅうとした痛みはなくならない。

意識は既に支配されていて、渡すドリンクは既に空であったり、芝山を三年生と勘違いしてはきはきとした敬語で話しかけたり、監督のつま先でつまづいては盛大に転けてしまったり。

さすがに黒尾も夜久も心配すれば、珍しく研磨まで訝しげに声をかけたのだ。
大丈夫だと引き攣る笑顔と共に仕事に取りかかれど、目は追っていた。彼ばかり。

ミニゲームの備考欄も彼の名前が多く埋められていて、名前がそれに気付いた時すでに遅し、スコアを見たいと覗いてきた黒尾に指摘されてしまった。

よりによって、黒尾鉄朗先輩にだ。

「なぁに〜?もしかして〜?」

「っ…黒尾先輩、怒りますよっ…!」

「おー、顔あっか。図星?」

「きょ、今日すごい調子良いっぽいじゃないですか彼…!だから必然的にっ…!」

「それは間違いではねーけどなあ…主将嘗めんなよ?部員の視線とかよく見てるんだっつーの。」

つまりそれは、名前の視線が誰に偏ってしまっているのかをしっかり見たという事で。
ただでさえ熱を持った頬が、さらに温度を上げたのを嫌でも感じる。



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