- 04 -

「やはり、ない」

 先程の棺よろしくふわふわ本が浮かぶ図書室でしばらく本を漁っていたクロウリーがそう言ってため息をついた。

「世界地図どころか、有史以来どこにも貴方の出身地の名前は見当たりません」

 クロウリーとユウが話し込んでいる間、イトは二人から離れた場所で本棚を見上げた。
 自分もクロウリーも超す高さを持つ大きな本棚に、ぎっしりと端から端まで本が詰まっている。これがまた広々とした図書室の中にズラーっと並んでいる姿は見事なものであった。

 しかも本が浮いている。本のくせに。 イトは思って、手の届く高さで浮いている本をつついてみた。
 すると嫌そうにくねくねしてから空高く飛んでいってしまった。本のくせに。

「こらこら、本を虐めないでください」

 一部始終を見ていたらしい学園長がほとほと困ったように声をかけてきた。本のくせに、と三度思って振り返る。

 派手な装飾がところどころに施された帽子やスーツ、羽根のようなマント。そして顔色の窺えない仮面。
 あまりにも怪し過ぎる風貌に、イトは初め、警戒心を抱けなかった。こうも露骨だと拍子抜けしてしまう。
 そして今も、特に彼に対して抵抗しようだとか、この状況について根掘り葉掘り聞き出そうだとかも思っていない。
 人畜無害そうな少年曰く、ここは魔法学校。どうしてどうやってここに来たのか、この時点で珍紛漢紛で、即ち考えるのが面倒で。

 流れに身を任せてしまえば楽である。自身の身に起こっていることなのにどこか他人事のように思いながら、クロウリーの光る双眸を見つめ返した。

「次は貴方の番ですよ。ご出身は?」
「さぁ……」
「さぁ? 訳アリですか?」
「訳アリというほどでは。覚えていないだけで」

 それが訳アリと言うのではないだろうか。クロウリーとユウは思ったが口にはしなかった。余程の理由がない限り自身の産まれた地は覚えているだろう。

「では……住んでいたところは何処でしたか?」

 イトはその問いに頭を悩ませた。住んでいたところとは、これまた難しい質問である。
 普通に生きていれば何も難しくはないのだが。さっきまでのユウのように地名や番地をスラスラと答えることは出来ず、悩みに悩んだイトは「ふね、」とだけつぶやいた。

「ふね? うーん聞いたことがありませんねぇ。国名ですか?」
「いえ、船です。あの、空を飛ぶ船」
「そらをとぶふね????」

 船ではなくはてなマークがクロウリーの頭上を飛ぶ。ここに着く前に廊下で述べていた移動手段に船を挙げていたから通じると思ったのに。
 イトは不思議に思いながらユウを見た。恐らく似たような境遇の彼なら分かるかもと視線を向けたが、彼の頭にもはてなマークが浮かんでいた。

「ええと、なら、そらです。 宇宙そら

 イトが天井を指す。指の先には豪華なシャンデリアと本が浮かぶ広い天井があるだけ。
 二人揃ってイトの指が動くのと同時に上を向いて、訳がわからないのか口を半開きにさせて呆けている。イトは少しだけおかしくなって、くすくすと笑いながら続けることにした。

「宇宙で船に乗っていました。だから住所はなくて、船がお家でした」
「はぁ、宇宙で……それはまたロマンチックですねぇ。それで、住所は?」
「だから、宇宙ですってば」

 クロウリーはイトが冗談を言っているとばかり思っていた。しかし彼女の口振は冗談にも嘘にも聞こえず、頭の処理が追いつかない。
 けれど空の上で船に乗ってたなんて、いまどきエレメンタリースクールに通っている子どもでも口にしないような空想だ。

 空間転移魔法の影響で記憶がこんがらがってしまったのだろうか。宇宙とは? となんだか哲学的な問いを呟くユウも、イトの言葉を理解できていないようだった。

「……ならば、此処に来る直前、貴方は何処にいましたか?」

 質問を変えたクロウリーにイトは考えるそぶりを見せた。うーんと唸って、記憶を辿っているようだった。
 やがてあぁ、と声を漏らして、また指を上に向けた。

「やっぱり宇宙です」

 黒い瞳にシャンデリアの光が差し込み、キラキラと星が散りばめられたようだとユウは思った。
 それはまるで宇宙のようで、美しい星々がいくつもあって、底知れない恐ろしさを感じた。

「宇宙を飛ぶ船をご存知ない?」
「ご存知ないですね、残念ながら」
「魔法が使えるのに?」

 鏡の間でも似たようなやり取りをしていたとはたと思い返す。イトはやれやれと肩をすくめた。
 廊下の窓から、図書館の窓から。覗く夜空は何にも邪魔されていないから、何となくの予想はしていたが。

「私がいたのは、この世界じゃないみたいですね」

 異世界人同士の視線が交わって、イトは困ったように笑った。

/